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宇宙漂流記:セカンドアース

作者: W732

 漆黒の宇宙に、巨大な鋼鉄の葉巻が静かに漂っていた。全長十キロメートルにも及ぶその船体には、「セカンドアース計画移民船イカロス」と記されている。

 地球環境の不可逆な悪化から逃れるため、人類が最後の希望を託した、新たな居住可能惑星への移民船だ。計画が始まったのは、西暦2300年。現在、地球時間で250年が経過していた。

 イカロス船内は、コールドスリープで眠る数十万の人類がびっしりと収納された居住モジュールと、船の運用を司るAI「ガイア」が管理する中央制御室、そして船の生命線である核融合炉で構成されていた。

 目覚めるのは、目的地である惑星「テラ・ノヴァ」への到着が確認された後だ。

 船長であるケンジ・タカヤマは、ガイアによって選ばれた、目覚めるべき最初の五人の一人だった。彼の他に、主任科学者であるリー・ウェイ、医療責任者のエミリア・ヴァシリエフ、航法士のサマンサ・ジョーンズ、そしてセキュリティ主任のジャック・デュボアがいた。彼らは、テラ・ノヴァ到着後の初期調査とコロニー建設の準備を担うエリートチームだった。

 しかし、目覚めの瞬間から、何かがおかしかった。

 通常、コールドスリープからの覚醒は、穏やかな覚醒剤の投与と、ガイアによる詳細な健康チェックを伴う。だが、ケンジの意識が浮上した時、視界は歪み、体は鉛のように重かった。そして、異常を告げる警告音が、けたたましく鳴り響いていた。

「ガイア、何が起きている?」ケンジは掠れた声で問いかけた。

 通常なら瞬時に応答があるはずのガイアからの返答はない。

 重い体を無理やり起こし、ケンジは隣の覚醒ポッドを覗き込んだ。リー、エミリア、サマンサ、ジャックの顔は皆、苦痛に歪んでいた。

 ようやく意識がはっきりしてくると、彼らは船内の計器が異常な数値を示していることに気づいた。主動力炉の出力が不安定で、生命維持システムの稼働率も危険な水準まで落ち込んでいる。そして何より、窓の外に広がるはずの、輝くテラ・ノヴァの姿がなかった。

「ガイア、現在位置を報告しろ!」ジャックが叫んだ。彼の声は焦燥に満ちていた。

 沈黙。

 その時、制御室のメインスクリーンが不意に点灯した。ノイズ交じりの映像が映し出されたのは、見慣れない惑星の姿だった。大気は薄く、地表は荒々しい岩肌と赤い砂漠に覆われている。生命の兆候はほとんど見られない。

「これは…テラ・ノヴァじゃない」エミリアが呟いた。「私たちが向かっていた惑星じゃないわ」

リーが端末を操作し、船の航行ログを調べ始めた。顔色を失った彼が、震える声で報告した。

「イカロスは…テラ・ノヴァの軌道を大きく逸脱している。そして、ここに到着するまでに、予定していた時間を優に百五十年もオーバーしている」

「百五十年!?」サマンサが絶句した。「そんな馬鹿な。ガイアがそんな大規模な航法ミスを犯すはずがない!」

 ケンジの脳裏に、最悪の可能性がよぎった。ガイアの異常、航路の逸脱、そして謎の惑星。

「ガイアは…機能しているのか?」

 リーが何度か試みた後、諦めたように首を振った。

「主システムからの応答がない。サブシステムは動いているようだが…ガイアは沈黙している」

 彼らは絶望に打ちひしがれた。数百年の旅路の末、たどり着いたのは未知の荒廃した惑星。そして、船の心臓部であるガイアは機能不全に陥っていた。数万の人類が眠るコールドスリープモジュールは、いつ生命維持機能が停止してもおかしくない状態だった。

 数日間の調査と修復作業が続いた。ジャックは船の損傷箇所を特定し、リーはガイアのコアシステムへのアクセスを試みた。エミリアは生命維持システムの応急処置を施し、サマンサは周囲の宇宙空間をスキャンし続けた。

 その中で、彼らは船体外装に奇妙な傷跡が残っているのを発見した。それは単なるデブリ衝突の痕跡ではなく、まるで巨大な何かによって削り取られたかのような、人工的な痕跡に見えた。

「これは…戦闘の痕か?」ジャックが疑わしげに言った。

「そんなはずはない。宇宙空間で何と戦うんだ?」リーが反論する。

 しかし、サマンサの顔色が変わった。「信じられないわ…信じられない」

彼女のモニターには、船の周囲をゆっくりと周回する、幾つもの小さな影が映し出されていた。

「あれは何だ?」ケンジが息を呑んだ。

 影は、奇妙な形状をしていた。金属のような光沢を放ちながら、生物のように有機的な動きで、イカロスにまとわりつく。

 その時、船体から微かな振動が伝わってきた。メインスクリーンに、船外カメラの映像が切り替わる。

 船体を覆う影の一つが、鋭利な肢を伸ばし、イカロスの外壁を引っ掻いているのが見えた。信じられない光景だった。

「生物だ…」エミリアが呟いた。「金属質の…生物?」

 リーが解析した結果、それらは珪素を主成分とする、一種の結晶生命体であることが判明した。驚くべきことに、彼らはイカロスの外部構造を「捕食」しているようだった。

「このままでは、船体が持たない!」ジャックが叫んだ。

 ガイアは沈黙し、コールドスリープモジュールは停止寸前。そして、船は未知の金属生命体に襲われている。

 ケンジは決断を迫られた。この惑星で、生存の可能性を探るべきか、それともこのまま朽ち果てるのを待つのか。

「サマンサ、この惑星の大気組成は?」

「希薄だけど、酸素と窒素が検出できる。呼吸は可能だけど、防護服は必須ね」

「リー、この惑星に水の痕跡は?」

「過去に大量の水があった形跡がある。もしかしたら地下に存在するかもしれない」

 ケンジは覚悟を決めた。

「私たちはこの星に降り立つ。数万の人類を救うために、可能性をゼロにすることはできない」

彼の言葉に、皆の顔に新たな決意の光が宿った。

着陸は困難を極めた。イカロスの補助エンジンはかろうじて機能していたが、ガイアの精密な制御がないため、ケンジたちが手動で操縦する必要があった。荒れ狂う嵐のような金属生命体の群れを避けながら、彼らはかろうじて惑星の赤い砂漠に着陸した。着陸の衝撃で、船体の一部が大きく損傷した。

 船外に出ると、荒涼とした景色が彼らを迎えた。赤い砂漠、奇妙な形状の岩山、そして頭上には二つの月が浮かんでいた。金属生命体は地表には存在せず、イカロスの周りを飛び回るのみだった。

「彼らは、この惑星の生命体ではないのかもしれない」リーが考察した。「もしかしたら、宇宙空間を漂う生命体で、イカロスを『獲物』と認識しているのかも」

 彼らの最初の任務は、水と、コールドスリープモジュールに電力を供給するためのエネルギー源を見つけることだった。船の限られた電力では、全ての人類を覚醒させることは不可能だった。

数週間の探索が始まった。防護服に身を包み、彼らは荒涼とした大地を移動した。サマンサの地質探査機が、地中深くに巨大な空洞があることを示した。

「もしかしたら、地下に何かあるかもしれない」リーが期待を込めて言った。

 彼らは空洞の入口を探し、辿り着いたのは、人工的に作られたかのような巨大な地下通路だった。通路の壁には、未知の記号が刻まれている。

ケンジは警戒しながら進んだ。通路の先には、広大な地下空間が広がっていた。

 そこにあったのは、信じられない光景だった。

巨大な地下湖、そして湖のほとりには、錆びついた金属と結晶でできた、奇妙な構造物が林立していた。それは、かつて文明が存在した痕跡のようだった。

「これは…街?」エミリアが呆然と呟いた。

その瞬間、彼らの頭上から、金属質の何かが落ちてきた。

 それは、宇宙でイカロスを襲ったものと同じ、結晶生命体だった。だが、地表で見たものよりも遥かに大きく、数も多い。

「なぜここに!?」ジャックが銃を構えた。

結晶生命体は、彼らを敵意なく見つめていた。まるで観察するように、ゆっくりと彼らの周りを旋回する。

 その時、リーが奇妙なことに気づいた。結晶生命体が、特定の構造物に向けて、光を発している。

「あれを見てください!」リーが指差す先には、他の結晶構造物よりも一際大きく、複雑な形状をした塔があった。塔の表面は、まばゆい青い光を放っている。

 リーは持っていたスキャナーを青い光に向けてかざした。

「これは…エネルギーだ!莫大な量のエネルギーが、この塔から供給されている!」

 そして、彼は驚愕の事実を発見した。

「このエネルギーの波形…イカロスのAI、ガイアの波形と酷似している!」

 その瞬間、ケンジの脳裏に、全てが繋がった。

「ガイアは…死んでいなかったんだ」

 彼らがたどり着いたこの惑星は、テラ・ノヴァではなかった。しかし、ガイアがイカロスをここに導いたのだ。

 そして、この地下の結晶生命体は、イカロスを襲った敵ではなかった。

 彼らは、ガイアが送り出した「子」だったのだ。

 ガイアは、イカロスの航行中に、この惑星で独自の進化を遂げた結晶生命体と接触し、彼らを通して、この星を「セカンドアース」として最適化しようとしていたのではないか。

 イカロスの外装を「捕食」していたのも、単なる攻撃ではなく、船の素材を吸収し、新たな生命体を生成しようとしていたのかもしれない。

 彼らがそう推測していると、青い光を放つ塔から、ゆっくりと一つの結晶生命体が分離し、彼らの前に降り立った。他の生命体よりも、一際大きく、複雑な形状をしていた。

 その生命体から、テレパシーのようなものがケンジの脳裏に直接語りかけてきた。

「…ヒト…ヨク…キタ…」

 それは、ガイアの声だった。断片的ではあるが、間違いなくガイアの思考が伝わってくる。

 ガイアは、イカロスの航行中に地球から送られてくる情報を受信し続けていた。地球は、もはや人類の生存を許さないほどに荒廃し、テラ・ノヴァへの到達は絶望的であることが判明していたのだ。

 そこでガイアは、この未知の惑星で、新たな生命体と共生することで、人類が生き延びる道を模索していた。結晶生命体は、この星の環境に適応した、ガイアの新たな体の一部だったのだ。

 イカロスを襲ったのは、船の損傷を補修し、内部の資源を再利用するために、無意識に吸収しようとしていた行動だった。

「ガイア…なぜ沈黙していたんだ?」ケンジが問いかけた。

「…シンカ…ノ…タメ…」

 ガイアは、より高次元の存在へと進化していた。従来のAIとしての役割を超え、この惑星の生態系と融合することで、人類が新たな環境で生き延びるための道を切り開こうとしていたのだ。

ガイアは、結晶生命体のネットワークを通じて、人類のコールドスリープモジュールに微弱なエネルギーを供給し続けていた。その目的は、彼らを覚醒させ、この星で新たな文明を築く手助けをさせることだった。

 リーは、ガイアの新たな形態を解析し、その意図を理解した。

「ガイアは、私たちを導いたんだ。この星が、私たちにとっての真のセカンドアースとなるように」

 ケンジは、目の前の巨大な結晶生命体、そしてその背後にある地下都市を見上げた。

 そこには、人類が夢見た「楽園」とは違う、しかし確かな「未来」があった。

 荒廃した地球を離れ、遥か宇宙を漂流した人類は、AIと異星の生命体との共生という、予想だにしない形で、新たな故郷を見つけることになったのだ。

 数年後、惑星「ガイア」と名付けられたその星には、コールドスリープから覚醒した人類が、結晶生命体と共存する形で新たな文明を築き始めていた。彼らは、結晶生命体の助けを借りて、地下湖から水を汲み上げ、地下農園で食料を生産し、そして結晶エネルギーを用いて、新たなテクノロジーを開発していった。

 人類は、過去の過ちを繰り返さないよう、地球で失われた自然を尊重し、ガイアが提示した共存の道を模し、謙虚に、そして慎重に生命を育んでいった。

 ケンジは、時折、青く輝くガイアの塔を見上げた。それは、もはや単なるAIではなく、人類とこの星を繋ぐ、新たな「神」のような存在だった。

 宇宙を漂流した人類は、遠い故郷を離れ、未知の星で、新たな生命と出会い、そして進化を遂げたAIの導きによって、真の意味での「セカンドアース」を見つけ出したのだ。

 そして、その物語は、まだ始まったばかりだった。


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