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5話


Ⅰ.友の死

 少女はいつも泣いていた。

 幼少のころより仕えてきた主は、従者を顧みること無く。

 主の飼い犬として、そして自分の友としてずっと世話をしてきた友達は、いつしか主の不満をぶつけられるだけの道具とされ。

 少女はいつも泣いていた。

 だがそれでも少女は幸せだった。

 傷ついた友を見て泣く少女に、その友達はいつも優しく涙を舐めとってくれた。

 少女は、その暖かさだけで幸せだと、そう思っていた。

 だが、そんな想いもあえなく消える。もう、あの暖かさを得られることはない……友は死んでしまったのだから。


Ⅱ.復活?

 後宮内には、そこで生活している側室等の為に様々な施設が設けられている。

 内庭となっている庭園もその一つであり、その景観は首都の記念公園以上の費用をかけただけのことはあると、見たものすべてに思わせる。

 夜中、その庭園の木々の中から、怪しげな煙が立ち昇っていた。

 煙の元凶は、思い切りその庭園の美観を損ねるような大鍋である。

 大鍋の置かれているのは、なにやら地面に直接描かれた奇妙な文字らしき文様の円の上。火も起こっていないのに、大鍋の中身はぐつぐつと煮えたぎっている。

 中身の煮沸する音に混じって、女の声がする。

「え~と、カリコルトにバルーダ……んで、ビエントを入れて……後は~」

 意味不明な単語とともに、鍋の中に正体不明の物体が次々と放り込まれる。

 一個一個が放り込まれるたびに、煙が様々な色に変化する。

「……ん~~、よしっ! この『ドラゴンパール』も入れちゃおう。どうせ、師匠の所から持ち出したのだし、他に使い道が無いし……ついでに、古代の竜の血液の結晶だなんて、パチモノくさいからなあ。まあ、高価なものだし、景気付けに……えいっ」

 気合とともに、小粒の赤い宝石が放り込まれる。それだけは、鍋に入っても何の変化ももたらさなかった。

「さてと、じゃあ仕上げといくか……」

 声の主は、そう言うと足元に置いていたモノを拾い上げる。

 片手で持って、もう片手でくるんでいた布を取り払う。

 中から出てきたのは……すでに息絶えた犬の屍骸だった。

 ただ、その口には鍋の下に描かれている文様と同じ模様の印された紙の札が張られている。まるで、そこから何かが出るのを塞いでいるように。

「うんうん、身体は死んでるけど、魂はまだ残ってるね。良好良好」

 満足な声とともに、犬の屍骸を鍋の中にポンッと放り込む。

 大きな水音とともに、正体不明のどろどろした液体に浮かんだ犬の屍骸は、驚くほど速やかに、あっさりとその形を崩し、溶けていってしまう。

 それを確かめてより、女は胸の前で両手を叩き合わせ、拍手を打つ。

「それでは……はじめるか」


Ⅲ.悪夢

 その夜、ローラ・レヴァンドはなかなか寝付けなかった。

 腹の中身がほとんど出るほど、何度も何度も嘔吐した喉はがさがさに痛んでしまっている。そして、それほど吐いたというのに、息をするたびに犬の血の匂いがするかのようで、その度に吐きそうになってしまう。

(……気持ち悪い……どれも、これも、みんなあの女のせいよ! 明日、目に物見せてやるわ……)

 気持ち悪さと、嫌悪に涙を流しながら、ローラは憎き占い女に憎しみを募らせる。

 高貴な存在である自分がこのような目にあって良いはずが無い。このような目にふさわしいのは、あのカシムやリディアのような卑しい者であるはずである。

 ローラは心の底から、そう思っていた。

 本当なら、今の最悪の気分は、あの売女のリディアがするはずのものである。それを、自分に押し付けるなどと……はらわたが煮え繰り返るほどの怒りが沸く。

(許さない……汚らわしい下賎な女の癖に)

 心中で忌々しげにののしり、歯軋りをする。

 そんなローラの鼻腔が、忌まわしい匂いを感じた。

 犬の匂い……。

 再び激しい吐き気に襲われ、ローラは身もだえする。

 何とかこらえ、吐き気が通り過ぎると、ローラは思い切り声を張り上げる。

「ルビィ! ルビィ!」

 真っ暗な部屋に響く大声に、隣の部屋からローラ専属のメイドのルビィが現れる。

 暗闇で、ローラからは見えないが、目が泣き腫らしたように真っ赤に腫れている。

「……何の御用でしょうか、お嬢様?」

「ルビィ! 臭いわ! 臭いのよ!」

 陰鬱なメイドの問いに、ローラは己の言葉だけを放つ。

「犬の匂いがするのよ。あのルドラの匂いが!」

 ローラの飼い犬ルドラ……ローラが後宮にまで連れてきた愛犬、と認識されている犬であるが、その実、ローラ本人が世話をすることは一切無く、ほとんどをルビィに任せ、用つまりストレス発散のとき以外は、自分の部屋に入ってくることも許さない。

 つまり、ルビィの部屋にはルドラの匂いが染み付いているのである。

「そ、そんな……でも、それではどうしたら……」

 ルビィはほとんど泣き声で尋ね返す。ただでさえ、ずっと世話をしてきたルドラを失ったばかりなのに……ローラに、その匂いすらも拒絶され、罵られる。

「捨てなさい! あのルドラが触れたもの、全部燃やしてきなさい。今すぐっ!」

「そんなっ!?」

 あまりの命令にルビィは悲鳴をあげる。

 この上、ルドラとの思い出の品々まで失わされるとは……

「私の命令に口答えするつもり!? 早々に、言う通りにしなさい!」

「…………はい」

 ルビィは涙をこぼしながら、消えそうな声で答える。

 そんなメイドの様子に、ローラは毛ほどの関心も示さず。

「あと、出て行く前にそこの窓を開けておいて、空気の入れ替えをしないと、とても眠れないわ」

「……はい」

 言われた通りに窓を開け、そして自室に戻り、ルドラが使っていたシーツなどをまとめ始める。

 作業をする手の甲を、こぼれた涙が幾度も打つ。


 開け放たれた窓から入る、新鮮な空気にローラの気分もやや落ち着いていく。

 ようやく、意識がまどろみ始めシーツをかぶり目を瞑る。

(全く、いつまでも役に立たない子よね)

 瞑った視界の中で、ローラはそんなことを考える。

(いくら小さいころから一緒だったからって、何でこの私の付き人があんなトロイ子じゃないといけないのかしら……もっと有能な子だっているでしょうに…… なのに、父上はどうしてか、それを許してくれないのよね。全く、娘の私にも良くわからない人だわ)

 正直なところ、ローラは自分の父を余り好きではなかった。

 ボ~っとして、大抵のわがままは聞いてくれるものの、どういう基準か、ある一定の事柄に関しては頑固と言って良いほど頑なに拒むのである。

 ルビィの件がそれである。ローラが彼女に暇を出したなら、もう再びローラにお傍付きはつけず、すべて自分で自分の世話をするようにと、半ば脅されるかのように言い渡されたのである。さすがにそのようなことはごめんだったローラは、おとなしくルビィをそのまま自分に仕えさせた。

(……それと、ルドラの代わりをどうしようかしら……もう、犬なんて冗談じゃないわ。考えるだけで吐きそう……かといって、猫じゃ物足りないし……)

 自らの手で死に至らせ、血を抜き取った飼い犬のことに思考が行く。

 一向に自分になつかない不敬な飼い犬が死んだということは、少し清々した気分にはなるものの、これからのストレス発散に支障が生じるのは問題がある。

 そこで、あることを思いつく。

(そうだわ。あの子を代わりにすれば良いじゃない!)

 もともと、ルドラはかつてローラがルビィをいじめていたのを、父親に思い切り叱られたことで懲り、その代替品として飼い始めたのである。

 そしてこの後宮には、父親はいない。元のようにルビィをいじめても、誰も文句をいうものはいないのである。

 そこまで考え、ローラは楽しげに含み笑いを洩らす。

(ふふ、あの子をいじめるなんて久しぶり……鞭で打てば、あの子も少しは役に立つようになるかもね)

 己の振る鞭の下で、許しを乞うメイドの姿を想像し、悦に入る。

 そんなローラの感覚に、何かが感じられた。

「……? 何?」

 ベッドから身を起こし、部屋を見渡す。だが、何も見えない。

 窓から差し込む月明かりに、薄ぼんやりとした部屋。そして所々に転々とした濃い影の塊……それぐらいしか見えない。

「気のせい……?」

 これが以前であれば、ルドラが勝手にこちらの部屋に入ってきたのかと疑いもするのだが、もうそのルドラは死んでいる。

 おそらく風の音だろうと、ローラはベッドに再び横たわる。

 気分を落ち着け、今度こそ寝ようと思った、その瞬間……何かが身体の上にのしかかる感覚が襲い掛かる。

「きゃっ! な、何!?」

 ローラは慌てて目を見開き、身体の上を確認する。

 そこには、影……としか形容できないものがのしかかっていた。

 姿形が影となっているというよりも、そのもの自体の色が真黒なのだろう、薄暗いローラの視界の中で、はっきりと黒い形がわかってしまう。

「な、何なの!? 誰? 退きなさい!?」

 わけもわからず、ローラはその影に命令をする。それが、人間の言葉を理解できるかもわからないというのに。

 案の定、その影はそんな命令に何の反応も見せなかった。

 影から何か平たく長いものが伸び、ローラの顔にベチャッと擦り付けられる。

「ひぃっ!」

 たまらず、ローラは嫌悪に身を竦ませる。

 擦り付けられた頬には、ドロドロとした粘液がべったりとこびりついてしまっている。

 そして、影がのしかかっている部分から、シーツを介して濡れた感触が浸透してくるのを感じた。良く見ると、その影の全身がべちょべちょにその粘液にまみれているのである。

「いや……やっ……むぶっ!」

 首を左右に振り、悲鳴をあげようと開かれたローラの口に、その平べったい物体が押し付けられ、押し込まれる。

「んんぅぅぅぅっ!」

 不潔な粘液にまみれたそれを、あろうことか口内に入れられたショックに、ローラは力の限り手足を振り、暴れ始める。

 その物体を突き飛ばすように、ローラの右手が突き出される。

「ッッッ!!?」

 それは、あっさりと物体の胸と思しき部分に沈み……そして、何の抵抗もなしに向こう側まで突き通った。

 貫き出た左掌に外気を感じた瞬間、ローラの意識はぷっつりと闇に沈んだ。


Ⅳ.魔女の誘い

「あらら?」

 後宮の庭内にて、カシムは呆気にとられた声をあげる。

「もうダウンか? 最近のお嬢様は、根性が足りないな。せっかく俺が汗水たらして用意したのに……呆気な」

 ぼやきながら、目の前の大鍋を叩く。

 返ってきたのは、空虚な反響音、それがこの大鍋が空であることを示す。

「やれやれ……まあ良いか。さて、それじゃあ『君』の根拠でも探すとするかね。それまで、そのまま好きにしていいよ~」

 その場にいない誰かに語りかけ、カシムは大鍋の前から離れる。

 歩きながら、腕組みをし、首を捻る。

「とは言うものの……どこにしようか? さすがに俺の部屋ってわけにも行かないし、それ以外といってもこの後宮内の間取りをまだ良くわかってないからな~……エリス君にも聞けないし~」

 まず、エリスに事情を話しでもしたら、即座に首が飛ぶ。

 かといって、カシムが独力でどうこうできるほど、この後宮は狭くも親切にも作られてはいなかった。

 そんなカシムの目が、上空に向けられる。

「おや?」

 その目が捉えたのは、夜空にも目立つ白い煙柱……

「こんな夜中に、怪しいことやってる奴がいるもんだね」

 自分のことを棚上げに、そう指摘しながら、ごく自然にその方角に足を向ける。

 ただ純粋な好奇心のみの進行により、カシムはその煙柱の元凶と思しき場所に辿り着く。

 なんと言うことはない、ついたのは庭の外れのゴミを燃やす焼却炉だった。

 夜の暗闇の中、一人のメイドが炉に火を入れ、一つ一つゆっくりとゴミらしきものを放り込んでいる。怪しげも無い光景……そのメイドがなぜか泣いていることを除けば……

「何をしているのかな、君?」

「ひっ!?」

 何気ないカシムの言葉を唐突にかけられ、メイドが悲鳴をあげて蹲る。

 座り込んでがたがたと震えるメイドに、カシムは困ったようにこめかみを指で掻く。

「こらこら、人をお化け扱いってのは、ちょっと失礼なんじゃないの?」

「え?」

 苦笑いのカシムの言葉に、ようやくそのメイドが顔を上げる。

「ま、こんな夜中にいきなり声をかけた俺にも非があるか」

「……ええ、と。貴女は、どちら様ですか?」

 暗がりとはいえ、明らかに見覚えの無い顔に、メイドが戸惑いを見せる。

 が、少しして、ここ数日の主の不機嫌の原因に思い当たる。

「あ……ひょっとして、カシム様ですか!?」

「へえ、俺のことを知ってるわけ。いやいや、光栄だね。話も早いし」

 ニコニコと、可愛い女の子に名前を知ってもらっていただけで上機嫌なカシムだが、その彼女をメイドは複雑な心境で見つめる。

(この人のせいで……)

 瞬間的にそんなことを考えてしまい、慌てて振り払う。

 確かに、主であるローラがルドラを殺すまでに至った理由の一つが、このカシムという女性にある。

 でも、結局のところカシムという理由がなくとも、いずれルドラは死に至ったであろうことは、メイド……ルビィは何よりも良く理解していた。

 ただ、死因が刃物か鞭かの違いだけで、行き着く先は一緒……

 判っていても、止められなかった自分に、何よりも責任がある。

「ん? どうしたの?」

 名前を聞いたとたん黙り込んでしまったルビィに、カシムは首を捻る。

「……え? いえ、その……なにも」

「ふ~ん、で、君はここで何してたわけ?」

 慌てて我に返るルビィに、カシムはさらりと質問する。だが、その質問は今の彼女には辛辣すぎた。

「ただゴミを燃やしてるだけのようには、悪いけど見えないんでね」

 何しろ、泣きながらである。誰が見てもそう思うだろう。

 ルビィにもそのことは重々わかっている。わかっているのだが、どうしてもカシムの声が、主であるローラの声と重なってしまう。

 友であるルドラの死を軽々しく罵倒しているように聞こえてしまう。

「貴女の……」

 カシムのせいだと、思わず口に出そうになってしまった。

「うん? 俺の?」

「っ! 違います! 違うんです!」

「ううん?」

 カシムに問い返され、己の口にした言葉を悟り、ルビィは慌ててそれを打ち消す。

 不可解なルビィの慌てように、カシムは不審をあらわにする。

「ふむ、まあ良くわからんが。俺にはあまり言いたくないこと、てわけか」

 そういって、カシムは周囲に目を走らせる。

 ルビィの足元には、いまだ残った捨てるゴミの数々が散らばっている。

 その一つ一つを見て、その名称を呟く。

「ペット用のシーツに、ペット用のトイレ……それで、これまたペット用の遊戯用玩具らしきものに最後にネーム入りの首輪っと……ふむ」

 頭の中でそれらを羅列し、整理する。そして、ポンッと手を打ち。

「おう、ひょっとして! ついさっき、俺の部屋に放り込まれた犬君の飼い主かい?」

 いきなり正鵠を突くカシムの言葉に、ルビィは身を竦ませる。

「ッ!! あ……いえ……あの……」

「いや~、そうかそうか。でも、君も災難だね」

 慌てて言い逃れようとするルビィの肩に、馴れ馴れしく手をかけ、カシムはのたまう。

「泣きながら、身の回りの品を焼いてたって事から見るに、かなりあの犬君を大事にしていたんだろう? それをあんなに傷つけられて、嫌がらせの道具になんかされちゃってさ」

「え?」

 カシムの意外な言葉に、ルビィは声とともに顔を上げる。

 まじまじとカシムの顔を見ながら、思う。今何といったか……?

 『傷つけられて……』と言った。『殺されて』とは言わずに、『傷つけられて』と。

 その言葉だけで、希望を見出せるほどルビィも純粋ではなかった。

 だが、それがわかっていても、それにすがろうとするほど、彼女は追い詰められていた。

「あ、あの、ルドラ……その犬はどうなって……その、死んだのですか?」

 恐る恐る、聞く。答えを聞くのが本当に怖い。

「うん? ああ、ちょっと死ぬほど弱っててね……」

 やはり、と一瞬落胆するが、

「ちょっと、俺が手を入れてやったから、もう元気に遊んでるよ」

「……嘘」

 思わずルビィの口から本音が飛び出す。それにカシムは顔をしかめ。

「心外だなあ……嘘だなんて、ほんとだよ」

「あ、す、すみません……でも……だって……」

「まあ、さすがに元のままってわけじゃないがね。ある意味、かなり不自由な風になっちゃったりしてるな」

 その言葉は喜びに浮き上がりだしたルビィの胸を再び深淵に叩き込む。

「……不自由、とは?」

 震える声で尋ねてきたルビィに、含み笑いを浮かべてカシムは答える。

「う~ん、まずは、牙も爪も使い物にならなくなっちゃったねえ」

「ああ……」

 ルビィはため息のように絶望の吐息を洩らす。もはや、ルドラは好物の肉も食べることはできないのである。

「あと、皮膚とかもだいぶ変質してたから、日光とかにもろくに当たれないだろうな」

「そんな……」

 それでは、散歩すらできない。

 ただでさえ、不自由でつらい日々を送ってきたルドラから、さらに数少ない幸福を奪われてしまったのである。

 ルビィの瞳から、涙がこぼれる。

「……とまあ、そんな感じで。犬君は、一匹じゃあろくに生きれない身体になってるわけだ……もし、これから幸せに生きるとしたら、誰かサポートする人がいるだろうねえ」

 落胆するルビィだが、最後の言葉に光明を感じ取る。

「あの……サポートって?」

「うん、たとえば。牙や爪が使えなくても、それでやることを代わってくれるとか、日光に当たれなくても、日がさしている時間に日に当たらないような場所を用意してくれるとか、ね。そういうことやってくれる人がいたら、それはそれは助かるだろうね」

 そこまで聞けば、もう我慢ができなかった。ルビィは勇んで声をあげる。

「私が! 私がそれをやります!」

「へえ、君が!?」

 さも驚いたようにカシムは表情を造って見せる。

「大丈夫? さっき言ったのだけでも結構大変なことだよ?」

「やります。やりたいんです! やらせてください!」

「ふ~む」

 内心ほくそえみながら、表面では渋面を作る。

「では尋ねるけど、牙と爪の代わりも、君はできるんだね」

「はい!」

「それがどういう意味かわかってる? いま、あんな目にあった犬君が、牙と爪がちゃんとしていたら、どういうことをやりたがるか、それをわかって言ってるわけ?」

「……?」

 カシムの要領の得ない問いに、ルビィは首を捻るが、次第にその意味を理解していく。

 それを見取り、カシムはそれを口にする。

「当然、犬君は仕返しをしたがっているだろう。その牙で、爪で……」

「あ……あ……」

 ルビィの顔から血の気が引く。

 当然の話である。あんな目に合わされたのだ、憎んでいないはずが無い……

 その憎しみが、牙と爪に込められ、その向く先が……自分の主であるローラに向くのは至極当然のことである。

 そして、その代わりをルビィがする、と言うことは……

「な? わかっただろう。君にはちょっと無理な話じゃないかな?」

 カシムの声を聞きながら、ルビィの脳裏にローラの顔が浮かぶ。

 当たり前のようにルドラを打ち、笑っていたローラ。

 泣いてすがるルビィを無視して、ルドラの身体を切り刻んでいったローラ。その傷口からこぼれる血を、集める作業をルビィは無理やりやらされた。

 ルビィの思い出の中のローラは、いつも笑っていた。ルビィが泣いているときも、ルドラが苦しんでいるときも、いつも笑っていた。

 いつのまにか答えは決まっていた。

 それを告げるために、ルビィは唇を動かす……


Ⅴ.不在

 朝の穏やかな光が頬を暖かくしてくれる中、ローラは目を覚ます。

「う……うん……」

 身体全体が重く、まるで鉛のようであった。

「……なにか、とても嫌な……怖い夢を見ていたような……」

 頭の中まで重く、それが何であったのか思い出せない。

 重い目蓋がまた閉じられようとするのを、ローラは指で擦ろうとする。

 その指に、ネチャッとした感触を感じ、ローラの意識は一気に覚醒する。

 指を離し、目の前に持ってくると、透明な粘液が糸をひいていた。

「な……嘘……」

 夢だったはず……そう思いながら、己の身体を見下ろす。

「ッ!!」

 ローラの肢体を覆う薄い寝着が、びっしょりと粘液に濡れ、肌に張り付いている。

 上半身から、下半身まで……まるで頭から水をかぶったかのように。

「あ……うあ……」

 何かを言おうとして、ローラは自分の口の中が、異様なほど粘ついていることに始めて気づく。そして思い出す。

 夢の中で、夢だと思っていた記憶の中で、粘ついた何かが口の中に入り……そして、意識を失ったと……その後、その何かはどうなったのか……

「あ……あ……い……」

 ローラは、思考を止めようとした……だが、走り始めた思考はどうにも止まらなかった。

 脳裏に、幾通りもの『あの後』が連想される。

「いや……いや……」

 見るも汚らわしい怪物に、のしかかられ、蹂躙される光景を想像してしまい、ローラの口から絶叫がほとばしる。

「いやああああああぁぁぁっ!!」


 『良い所を見つけた』それが、朝、会うなりに放ったカシムの言葉である。

 そして、返事も待たずにカシムはリディアの手を引き、『そこ』へ連れて来た。

「ほら、良い所だろう?」

 其処は確かに良い所だった。

 遮るものの無い朝日が暖かく照らす日溜りの中にて、白のテーブルクロスに覆われたテーブルが、等間隔で並べられている。

 朝早くだというのに、何組かのグループがすでにそこで茶会を開いていることからも、その場所の人気の高さが感じられる。

 だが……

「で、ですが……このような所に居ては、またローラ様に……」

 目立つことこの上ない場所な上に、ここはローラのお気に入りの場所でもある。

 一日のうちに数回、決まってここで紅茶を飲むのがローラの日課であると、リディアですら知っている。

 実際、すでにテーブルを陣取っている少女らの視線は冷たく、追い払うようにこちらに向けられている。

「ここはだめです。カシム様はともかく、私が一緒では……」

 この国において、異端の褐色の肌を持つリディアはただでさえ目立つ存在である。

 このような場所で、ローラに気づかれないはずが無い。

 だと言うのに、カシムは気楽に返してくる。

「ああ、心配ない、心配ない」

 根拠も何も言わずに、嫌がるリディアを一通りの茶の用意ができたテーブルに引っ張っていく。そこには、すでにレフィが控えていた。

「や、レフィ君。場所取りご苦労様」

 能天気なカシムの挨拶に、レフィは陰鬱な顔で答える。

「はい……言いつけですから、茶の用意をしておきましたけど……本当にここでお茶会をするつもりですか、カシム様?」

「うん、もちろん。こんな気持ちよさそうな場所で、お茶を飲まない道理がある? いいや、断じて俺はそんな道理は認めないね」

 不必要なまでにはっきりと断言する。

 その様子に、レフィは疲れたため息をつく。正直、レフィは今日は調子が良いとはいえなかった。昨日、あのようなものを目の当たりにしたのである。できれば、休みたいと思っていたのだが、それを言う前に、カシムは顔を見るなりこの茶会の準備を言い渡されてたのである。

 それだけなら問題もさほど無いのであるが、ここはいわばローラ嬢のテリトリー……レフィでも、昨日のあのカシムへの嫌がらせはローラの手によるものであることぐらい察しはついている。

 なんとしてもとめるべきだったかもしれない……などと思っていると、カシムの声がする。

「……ほら、レフィ君もどうしたわけ? 早く座りなって?」

「え?」

 意識を現実に戻すレフィに向かって、既に座っているカシムが隣の椅子を引き、手招きをしている。

「座るって……私がですか!」

 驚くレフィに、カシムは極当たり前な口調で。

「当たり前だよ、他に誰が居るっての?」

 すでに、カシムの向い側にリディアが腰掛けている。

 確かに、座っていないのはレフィのみ。だがレフィの困惑は治まらない。

「で、ですが、私はただのメイドで……!」

 本来、メイドが主人と同じ席につくことなど許されないことである。こういった場では、メイドは主の傍に控え、命令があるまで立ち尽くすのが常である。

 だが、カシムはそんなレフィの言葉にこそ驚いたようで。

「何言ってるの? このお茶会の主役が」

「はい? 主役って、私が……?」

「そ、言わなかった?」

 当たり前のように、とんでもないことを言う。

 レフィだけでなく、席についているリディアもさすがに驚きを隠せないでいる。

「な、な、そそんな、とんでもない! 私が、主役だなんて!?」

 慌てるレフィに、カシムは笑って語りかける。

「何がとんでもないわけ? このお茶会は、君を元気付けるために、俺が発案した……つまり、君が主役ってわけだ。単純明快だと、俺は思うけどね」

「元気付ける……私を?」

 目をぱちくりとさせ、レフィは自分の顔を指差す。

「うん、昨日、レフィ君には刺激の強いものを見せてしまったからね。多分、今朝もかなり尾を引いて参ってるだろうなと思ってたら、案の定。顔を見たら一目でわかった」

「あ……」

 レフィの頬に朱がさす。

「その顔を見たら、昨夜この場所を見つけたのを思い出してね。即興でこのお茶会を計画したわけ……まあ、エリス君が捕まらなかったのはちょっと痛いけど。澄んだ空気に、気持ち良い朝日、さらには紅茶の良い香りに、おいしいお菓子……最後に可愛い女の子、とくれば、どんな悪い気分だって吹き飛ぶってのが俺の持論」

「カシム様……」

 この人は、口先だけでなく、心の底から自分をメイドではなく、友人として思っていてくれているのだ……と言う事実が、レフィの心に暖かな鼓動を生む。

「ささ、座って、座って」

 カシムに促され、レフィはそれに従い席につこうとする。

 だが、その前に問い掛けるようにリディアの方へ視線を向ける。

 いくらカシムがこだわらないとはいえ、リディアはメイドなどとの同席をどう思うだろうか。仮にもリディアは異国の姫君なのである。

 どうやらその心配は杞憂であり、レフィと目が合ったリディアは微笑みながら、安心させるように小さく頷いてみせる。

 ようやく安堵したレフィは、静かにその椅子に腰掛ける。

「さてと、それじゃあ始めようかね」

 カシムはご機嫌な様子で、自ら茶の準備を始める。

「あの……」

「その……」

 その手を、二種類の声が留める。

 カシムはまず反応したのは、レフィの方の声だった。

「うん? 何、レフィ君? は、まさか……、俺のお膳立てが気に食わないとでも……俺はともかく、リディア君は正真正銘可愛い……しかもお姫様だと言うのに……やはり、エリス君を逃したのがだめだったか!」

「違います!」

 思わず声を荒げて、否定する。

 カシムは、すぐさまふざけた調子を引っ込め。

「まあ、それは冗談として。どったの、二人して? このお茶会が嫌とか?」

 その代わり身に、レフィもリディアもどっと疲れを感じる。

 お互いのため息を耳にし、顔を見合わせると、どちらとも無く微笑みあってしまう。

 何か、奇妙な共感を持ってしまった。

「……そうではなく。場所に少し問題がある、と思うのです」

 お互い、思っていることは一緒だと確信し、リディアが代表して説明する。

「場所? う~ん、これ以上ないというほど最適だと思うのだが」

「私もそう思います。ですが、ここにいて昨日のようなこととなれば、またさらにレフィリアさんに嫌な思いをさせてしまうのではないかと……」

「あの……私なんかより、リディア様が……ローラ様に見つかると、その……」

 最後のほうを、レフィが少し付け加える。

 レフィも、この後宮に仕えるメイドである。リディアのその不憫な境遇はよく耳にしている。

 そんなレフィの心遣いに感謝しつつ、リディアは言葉を続ける。

「あの、良ければ私の部屋を提供しますので、そこに場所を移動しませんか? あまり、良い場所ではないですが、誰の邪魔も入りませんし……」

 カシムの部屋は、昨日の有様を見て、使用不能であることはわかっていた。

 今まで、ローラがリディアの自室まで押しかけてきたことは無い。あそこであれば、このお茶会を邪魔されることは無い。

 そんなリディアの心配りなど、カシムはあっさりと無にする。

「ああ、大丈夫大丈夫。て、さっきも言わなかった?」

 てきぱきと茶を入れながら、カシムは周囲の険悪な目つきのお嬢様たちを指し示す。

「まあ、ちょっと視線が痛いのが難だが。まあ、あの子らの見てくれは悪くないから、俺は気にしないとして……直接的には何もしてこないよ。ローラお嬢様がいない限り、自分たちだけでは何をしようなんて考えられないような連中ばかりさ」

 ずけずけと、そんなことを言ってのける。

「ですが……ローラ様がもうすぐここに」

 リディアの言葉に、レフィが頷いて肯定する。

 ローラの茶の時間は、メイドにとっては注意事項である。ローラの茶の一時の安らぎを、ちょっとした粗相でも、邪魔をしたなら、どんな罰が下ることとなるか。

 その時間帯、メイドは極力そこには近づかない。主が命令でそこに向かうとき以外は。

「ああ、大丈夫。来ない来ない」

 掌をパタパタと、あっさりと否定する。

「は?」

「来ないって。少なくとも、今日一日は……いや、ひょっとするとしばらく、かな? いやいや、ずっとてこともありうるな」

「はい?」

 呆然とするレフィとリディア。その二人の前で、カシムはしばし考え込む。

「う~ん、あ、そうだ! ねえねえ、レフィ君」

「は、はい!」

「ローラお嬢様が、姿を見せないのが、一日か、しばらくか、それとも……ずっとか? レフィ君はどれが良い?」

 それはそれは楽しそうに、そう質問されてしまい。レフィはきょとんと、その意味を図りかねた。


 そのころ、ローラの自室にて。そのローラは、いまだベッドの中でシーツに包っていた。

 頭からシーツをかぶり、手に父の友人から貰ったお守りを握り締め、がたがたと震えている。

 さすがに、あの粘液を落とすために入浴はしたものの、それからずっとベッドに篭ったままである。

 綺麗に洗い流したはずなのに、あの粘液の粘質感がまだ肌に残っている。それがさらに、ローラの恐怖心を煽った。

 その部屋の扉の外側にて、ルビィは全身鎧を身にまとった騎士と問答をしていた。

「……つまり、ローラ嬢とは話はできないということか?」

「はい、エリシエル様……お嬢様は具合がよろしくないと、朝からずっとベッドに入られたままで、誰ともお会いにならないそうです」

 ルビィは滞りなく、必要なことをエリスに告げる。

 それに、エリスは鉄兜の中でため息をつき。

「そうか……それでは仕方ないな」

 あの後、怯えるレフィに話を聞き、さすがに目に余るとローラに警告にきたエリスだが、相手は仮にも上司の息女である。無理強いはできない。

 それに、ローラが今日一日外に出ることは無い、それだけがわかれば十分である。

 少なくとも、今日はエリスの胃を痛めるような事件が起こる確立が、大幅に減ったということである。

「では、ローラ嬢には、ゆっくりと養生するようにと、伝えてくれ」

 本音では、このままずっと、カシムと顔を会わせて欲しく無かったりしたが、それを口にするほど、正直でもおろかでもない。

「はい、畏まりました」

 ルビィは、嬉しそうににっこりと微笑み、深々と頭を下げた。


Ⅵ.魔女の犬

「や、こんばんは~」

 などと気安げな挨拶とともに、カシムが姿を現したのは、もう日も沈んだ夜中だった。

 夕刻、分かれたばかりだと言うのに、いきなり自室に訪れたカシムに、リディアは当惑する。

「カシム様……このような時間に私の部屋に、何用ですか?」

「いやいや、ちょっとそういうこと聞くのは後に、早く中に入れてくれない。見つかるとやばいから」

 部屋主の返事も待たずに、扉の隙間からずかずかと入室を果たす。

 無作法なカシムの行動に呆気に取られ、リディアは呆然となってしまう。

「ほ~、綺麗な部屋だねえ」

 勝手に中に入ったカシムは、勝手に部屋を物色し始めたりする。

 他人に部屋を見られることに、恥ずかしさを感じ、リディアは気力を振り絞りカシムに話を振る。

「あ、あの……それで、どういった御用なのですか?」

「ああ、そうそう、ちょーっとお願い事があってね」

 さり気に服の仕舞っている棚などに興味を示していたカシムが、そこでやっと本来の目的を思い出す。

「お願い、ですか?」

「そ、ちょっと不躾だけど、聞いてくれるかな?」

「え、ええ。私にできることでしたら」

 不用意にそんな返事を返してしまうのは、育ちだけでなく本来の気質であろう。

 カシムは内心ほくそえみながら、そのお願いを口にする。

「何、簡単な事だって。ちょっとの間、俺の『身体』を見張っててくれって、ただそれだけ」

「はい?」


 どんなに望まなくとも、拒もうとも、夜は必ず訪れる。

 締め切った部屋に暗闇が染み込んでくるのを、ローラは絶望的な思いでシーツの中より感じていた。

 いっそ意識を失えば、格段に楽なのだろうが。目が冴え、意識がはっきりしてしまっている。とても眠れる状態ではない。

 どうしようもないほど、怯えながら、それでもルビィに助けを求めようとは、ローラはしなかった。

 己の下につく、使用人に弱みを見せることなど、ローラには考えられないことである。

 だから、今一人で心細かろうと、ほんの壁一枚隔てた部屋にいるローラに声をかけることすらできないでいる。

(大丈夫よ……あれは、夢! 夢なんだから……)

 必死になって自分に言い聞かすが、そのようなこと偽りであることは本人が一番良く理解している。

 あれは、昨晩にて現実に起こったことなのである。

 そして、それは同時に、それが今晩も起こる可能性があることを示す。

 ローラはぎゅっと手の中のお守りを握り締める。

 その彼女の耳に、ベチャッとした物音が聞こえた。

「ひっ!?」

 それが何か、考えるより先に、ローラの喉から悲鳴が漏れる。

 その声に引かれるように、物音がベチャッベチャッとこちらに向かって近づいてくる。

(いや……こないで!)

 だが、その願いもむなしく、物音はベッドまで辿り着き、一際大きい上に飛び乗る音がする。

 ベッドのきしむ音に、ローラは身体を丸めるように縮め。己の身体を抱きしめる。

 気配がどんどん近づいてきて、終にはローラの身体に接する。

「ひぃッ!」

 背中に重量感を感じ、続いてシーツから染みる冷たい感触。

 直接的な接触はシーツで防いでいるはずなのに、粘液が染み肌まで達するので、まるでその何かがシーツを通り抜けて、直接ローラの身体をなぶっているように感じてしまう。

(嫌、嫌よ!?)

 昨晩、口にもぐりこんだ平べったい物体が、背中を通り過ぎ、わき腹に至ると、ローラは嫌悪のあまり、恐慌状態に陥る。

 相手がいると思しき方向にシーツを跳ね上げ、その反対方向に走り逃げようとする。

「きゃっ!」

 だが、逃げようとしたその足が、何かに引っ張られその場に倒れてしまう。

「な、何よ!?」

 慌てて足首を見ると、そこには黒く細長いものが例の粘液をたらして、足首に巻きついていた。そしてその細長いものの先は、先ほど跳ね上げたシーツの向こうへと……

 シーツは、その中に何かがいることを示す盛り上がりを見せ、そこからじわじわと黒色の染みが染み出していく。

 染みはどんどん広がり、その反対にシーツはどんどんしぼんでいく。最後にはシーツがペシャッとつぶれると、染みが一点に集まり、盛り上げり、昨晩見た黒い物体へと形造られる。

 まるで水のようにシーツを透過した『それ』はゆっくりと、恐怖に硬直したローラに近づいていく。そのとき、ローラは相手が四足歩行する存在であることを知る。

「や……やぁ!」

 黒い獣としか形容のできないそれは、ローラに近づくなり、顔と思しき場所から、舌のようなものを伸ばし、ローラの頬を舐める。先ほどの平べったい物体はそれだった。

「ひっ、や、汚い」

 嫌悪に顔をそむけたローラに、獣はそのまま舌を下げ、首筋に這わせる。

 怖気の走る感覚に身震いしながら、ローラは必死になって逃げようとするが、腰が抜けてしまって、立てすらしない。

 舌がさらに下がり、胸元に至るとローラはたまらず助けを求める叫びをあげた。

「ルビィ! ルビィ!!」

 ただ自分に従うだけの、虐げるだけの存在であった彼女の名を、ローラは必死になって叫んだ。ルビィがこの怪物に勝てるなど露とも思っていない。ただ、自分の身代わりになってくれさえすればよい。

「ルビィ! 早く来て! 私を助けて!!」

 怪物の舌に、王子にしか触れることを許さなかったその豊かな乳房を嬲られながら必死に助けを求める。だが、助けは一向に現れなかった。

 確かに、この部屋は通路に音が漏れないように防音がなされてる。犬の悲鳴などを聞かれて、よからぬ噂など立てられぬために……しかしそれは通路側だけの話で、隣のルビィの部屋にはそれは無い。聞こえているはずなのである。

 だが、ルビィは現れない。

「ルビィ―――!! ひぃっ!?」

 喉が裂けようかというほど絶叫するローラの乳房に、何か鋭いものが突きたてられる感触が襲う。

(噛み付かれた!?)

 実際には痛みは感じなかったのだが、ローラは反射的にそう判断し、とっさにそれに向かって腕を叩きつけていた。

 お守りを持っていたほうの腕を……

 父が友人から贈られたと、手渡されたときは何の感慨も無く。ただ、愛想で嬉しそうに微笑み受け取り、後はほったらかしにしていた護符……それが、怪物の身体に打ち付けられる。

 渾身の力が篭ったその打撃は、昨夜同様怪物の身体に沈んでしまう。……だが、怪物の体に触れた護符は、その中で強力な光を放つ。

『ギャンッ!!』

 水が蒸発するような音と、獣の悲鳴が重なり。

 閃光とともに、光に照らされた怪物の姿がローラの目に飛び込む。

 それは、ローラが良く知るものだった。光に照らされても、なお黒いその体躯……

 その見知った姿を認識したローラの意識は、瞬時に真っ白に染まる。


「え~と、私は何をしていればいいのかしら?」

 リディアは自室にて、困った風に首をかしげている。

 自分の身体を見張れと言い残し、カシムはリディアのベッドの上に座り、瞑想するかのように目を瞑り、そのまま動かなくなってしまった。

 顔の前で手を振ろうが、頬を軽く叩いてみようが、声をかけようが、全く反応しない。

(巫女の『神懸り』の状態に似ている……)

 リディアの先代の巫女がそうなるのを、一度だけみたことがあったが、その状態にそっくりだと感じた。

 が、そのことより、当面はリディアが何をすればいいかということが問題である。

 明らかに異常な状態のカシムを前に、人を呼ぶべきか……普通に考えたらそうなのかもしれないが、カシムの言葉を思い出し思いとどまる。

 かといって、このままじっと見ているだけにも……

 そんなことを悩むリディアが数瞬カシムから視線を放す。

 一瞬、リディア達のいる部屋が赤く染まった。

「え?」

 慌ててカシムに振り返った途端、目にしたのは彼女の左腕が燃え上がるという衝撃的な光景……腕が燃えているというのに、カシムはいまだ目を瞑ったまま微動だにしない。

「きゃあああっ!」

 リディアは思わず悲鳴をあげ、慌てて助けを求めて扉に駆けようとする。

 だが、動揺を抑え、カシムの言葉を思い出し、踵を返してカシムの元に戻る。

(私が……どうにかしなければ……)

 頼まれたのは自分なのである。このことをカシムが予想していたというのなら、リディアを信頼して、頼んでいったということであり、その信頼を裏切るわけにはいかない。

「火……まず火を消さないと」

 周囲を見渡し、水差しを見つける。

 とっさに手にとるが、その重さに落胆する。

 とてもではないが、カシムの左腕に燃え上がった火を消せる量ではない。

(どうしたら良いの? ……水は部屋の外に行かないと……でも、そうしたら……)

 もちろんそんな暇はないし、部屋を出ている間に誰かに今のカシムの状態を見られる……リディアは理屈抜きで、それが最も避けるべき事態だと判断していた。

 リディアは悩み……解決方法を探す。

「……っ!」

 思い出した。かつて巫女として培った記憶の中に打開策となる知識を。

 太陽神の巫女は、火神ほどではないにしろ、火に関する知識を教えられる。

 巫女の力を失い、その記憶を忌まわしげに心の奥に仕舞っていたのだが、今の事態がそれを掘り起こさせた。

 リディアは躊躇うこと無く水差しを手にカシムに駆けより、まずベッドのシーツを掴む。

 シーツをすばやく、左腕の燃えている部分に巻きつける。

 無論その程度では火は消えない。すぐにでもシーツを燃やして、さらに燃え上がるだろう。だが、リディアはすかさずそのシーツの巻きつけた部分に水差しの水を振り掛けた。

 水の蒸発する音とともに、濡れたシーツは即座に腕に張り付く。

 火が燃えるのには、空気が必要である。そして濡れた布は空気を通さない。

 恐る恐る巻きつけたシーツを取り去ると、カシムの左腕は軽度の火傷を負っているものの、火は完全に消えていた。

「ふぅ~~っ」

 胸を撫で下ろし、安堵のため息をつく。

 安心しながら、カシムの顔を伺う。

 呆れたことに、いまだ瞑想をしたままであった。その不自然な様が不安を誘う。

「カシム様……カシム様?」

 頬を軽く叩きながら、呼びかける。

 返事が無い……と思ったら、その目がパッチリと開いた。

「いやあ、びっくりした……あれ? リディア君、なんか焦げ臭くない?」

 飄々としたカシムの物言いに、リディアは絶句する。

「おおうっ、左手がピリピリするなと思ったら、何で火傷してるわけ?」

「……火がついたからです……」

 なんとなく疲れた声で、リディアが説明をする。

 説明を聞き終わると、カシムは感歎をあらわに右腕でリディアを抱き寄せる。

「いやいや、リディア君てばやってくれるね! 助かったよ、ありがとう!」

「あ、あの……何があったのですか?」

 抱きしめられ、顔を赤くしながら、リディアは説明を求める。

 それにカシムは少し考え……無論リディアを抱きしめたまま。

「う~ん、その前にちょっと聞きたいことがあるんだけど。この国の宮廷魔術師って、どんな奴だっけ?」

「え? ……サーバント家のライル公ですが?」

「えと、そいつはあのお嬢様の父親ロレンツ公と仲良いの?」

「……ええと、あまり詳しくは知らないですが……レムン国の両翼とたとえられるほどですから、仲が悪いということは無いと思います」

「なるほど……迂闊だったなあ」

 リディアの答えに、悔しげにカシムが唸る。

「はい? どういうことですか?」

「いやなに……それを知ってたら、護符があることぐらいで驚かなかったんだけど……」

「護符……カシム様! いったい何をしていたのですか!?」

 聞き捨てなら無いカシムの発言に、リディアは詰め寄る。

 巫女であるリディアは、当然護符がどのようなものであるか熟知している。そして、それが先ほどのような事態を引き起こすということが、どういうことであるかも。

 先ほどのカシムの問いも合わせて、最悪の予想が浮かび上がる。

「まさか……ローラ様を……」

「ははは……いやまあ、言ってしまえば、大体そんなところかな」

 言い逃れもせず、潔く……というか何も考えていなさそうに、あっさり肯定する。

 リディアは、真っ青になり、カシムから身体を放そうとする。だが、カシムの腕がそれを許さない。

「どうして……どうして、そんな……」

 震える声の問いかけに、カシムは当然のように答える。

「邪魔だから」

 まるで、うるさく飛ぶ小虫を払いのけるかのような何気ない表情……

 声も無く、リディアは呆然とそのカシムの顔を見詰める。

「前にもいったけど、俺ってば自分の願いに率直でね。で、俺の今の望み、リディア君や、エリス君、そしてレフィ君とここで楽しく過ごすっていう願い……それの邪魔なんだよね、あのお嬢様は……だから、邪魔できないようにちょっと仕掛けを、ね」

 そこだけ、悪戯好きの子供のような表情を見せる。

「そんな……で、では、ローラ様はどうなってしまうのですか……」

「うん? どうもならないよ? なんか勘違いしているみたいだね」

 心外だと言いたげに、カシムはため息をつく。

「俺は別に、ローラお嬢様を殺そうとか、どうしようとか考えてもいない。ただ、俺の望み。つまり、俺の進む道の邪魔な小石をどけてるだけ……まあ、ちょっと嫌な思いはさせるけど、邪魔ではなくなったら、もう用も無いし、手も出さないよ」

 さほど好みでもないしね。と冗談のように加える。

「ですが……」

「ちなみに、これも前にもいったけど、リディア君に責められても止めない。これは、俺が決め、俺がやっていることだから……誰に責められても止めることは無い」

「…………」

「まあ、安心しなって。一応お嬢様も、まあ可愛い部類に入る女の子ではあるし……そうそうひどい目にはあわさないって」

 不安がるリディアに、安心させるようにカシムは笑いかける。

「……本当、ですか?」

「本当本当……その証拠に、もう二度とこんな風に俺の身体の見張りなんか頼まないって……」

「……他の人に頼むのですか?」

「あうっ……信用無いな~。大体、リディア君以外といったら、レフィ君はこういったことを頼み難いし、エリス君に至ってはやってることがばれた時点で首が飛ぶよ」

 苦笑して弁明するカシムに、リディアはとりあえず納得する。

 その彼女の顔をまじまじと見て、カシムは付け加える。

「ただ……頼みはしないけど、これからちょくちょくリディア君の部屋に入れて欲しいな」

「え……?」

「大丈夫、今回みたいなことはしないから。ただ、夜こうやって二人っきりで楽しくお話をしたいだけ……だめかな?」

「え……え、と。それは……」

 突然の申し出に、リディアは頬を染め、返事に戸惑う。

「昼間だったら、レフィ君とか、エリス君が一緒で、二人っきりてのとは程遠いだろ? だから、夜中こうやって部屋を訪ねたいんだけど。だめ?」

「……その、お話……だけなら」

 リディアの控えめな答えに、カシムは満足そうに微笑む。


Ⅶ.反転

「お嬢様……お嬢様……」

 聞きなれた呼びかけに、ローラの意識は覚醒する。

 目を開けると、朝の光の中に見慣れたメイドの顔があった。

「ルビィ……?」

「どうなされたのですか? うなされていましたよ?」

 ルビィの言葉に、ローラははっと身体を見下ろす。

「……そんな!?」

 視線の先には……何も無かった。

 あれほど執拗になすりつけられた粘液も……噛み付かれたと思ったその跡も……

「どうされました?」

「ルビィ!」

 咄嗟に、ルビィの両肩を掴み、迫る。

「昨夜……ううん、その前の晩も、怪物が……怪物が出たのよ!」

「怪物、ですか?」

 必死になって、訴えるローラだが、ルビィは要領を得ないように首を捻る。

「そうよっ! 貴女も昨日見たでしょう、私の寝着にべったりと何かがこびりついてたのを、あれをつけた怪物よ……それを、昨夜正体を見たのよ!」

「はあ……それで、何だったんですか、それは?」

 ローラは深呼吸をして、意識を失う寸前に見たあの光景を思い出す。

「ルドラよ……ルドラの亡霊が私に襲い掛かってきたのよ!」

 その叫びに、ルビィは目を丸くし……しばらくして肩を震わせ始める。

「……な、何よ」

「クス、クスクス……だって、お嬢様、ルドラが亡霊だなんて……」

 さもおかしそうに笑うルビィに、ローラの顔に血が上る。

「ほ、本当よ! 本当なんだから! 何よ、貴女、私の言うことを信じられないとでもいうの!?」

 己でそう言いながら、自分自身それが信じられなくなっていった。

 昨日の朝は、しっかりと残っていた痕跡も、今朝は全く残っていない。寝着に何の変化も無い……シーツにも何の痕跡も残っていない。

「本当に……本当なんだから、私が襲われて、そして……お守りで……ッ!」

 ローラは、自分があの護符を持っていないことに気づく。

 慌てて周囲を見渡すが、どこにも見当たらない。

 シーツをまくり、中を調べようとして……気づく。

「ルビィ……このシーツ、いつものと違うわ……」

 問いかけながら、改めて己の寝着を見下ろす。

「これも……私が昨日着たのと違う……」

「…………」

「どういうことよ、ルビィ……」

 思い切りさめた声で、ルビィに語りかける。

 この声で語りかければ、ルビィはいつも怯え、がたがたと奮えながら、言う事を聞いた。

 だが、今のルビィは全く平然とローラを見返している。

「貴女がしたんでしょう! こんなこと……どういうつもりよ! あのお守りを取ったのも貴女なの!? すぐに出しなさいよ!」

 ローラの険悪な要求に、ルビィは無言で右手に握った護符を見せる。

 それを見てローラは眼の色を変える。

「それよ! 早く渡しなさい!」

 唯一のルドラの亡霊に対する対抗手段である。ローラはすばやく立ち上がり、ルビィから護符を奪おうとするが……

 護符を握った手の反対の左手にいつのまにか棒が握られており、それが踏み出したローラの左足の脛を打つ。

「あぐっ!?」

 脛の急所を一撃され、激痛にローラはその場に転がる。

 打たれた部分から、まるで足が粉々に砕けたかのような激痛が染みるようにローラの脳に伝わっていく。

「あああ……うぅ、……な、何するのよ? 貴女、私にこんな……」

 ローラの抗議も最後まで聞かず、ルビィはもう一度左腕を振り上げ、振り下ろす。

 今度は右足の脛を……先ほどより強く打ち据える。

「ああああああああっ!!」

 激痛に、まるで海老のように床の上で仰け反り、転がる。

 激しい痛みの波が過ぎ去った後は、全く動けなかった。

 少しでも動こうとすれば、両足の脛が電撃が走るように鈍痛が生じ……ピクリとも動けない。立ち上がることはおろか、地面を這って動くことも。

「な……に……? 何で、こんな……?」

 もはや誇りなどを気にする余地も無く、涙ながらにルビィを見上げる。

「お嬢様……この棒、わかりますか? ルドラを苛める時に、時々使っていたお仕置き棒ですよ……本当は、鞭を使いたかったんですけど、昨日いくら練習しても、お嬢様のように使えなくて……こちらを使うことにしたんです」

 全くいつもと変わらない笑みを浮かべ、ルビィは淡々と説明する。

「何で……私が、何をしたって言うのよ?」

 哀れな涙声で、ローラが問い掛けると、堪りかねたようにルビィは笑う。

「ふふふ……お嬢様ったら、まだそんなことを……わかりました。きちんと説明しますね。まずは、場所を移動しないと……ここでは、光が強すぎます」

 最後に意味のわからない呟きを口にして、ルビィは動けないローラの身体を軽々と抱き上げる。

「や……どこに連れてくのよ!?」

「私の部屋です……クスクス、いいえ、これからはお嬢様の部屋になるのかしら?」


 ルビィの部屋はそこにルドラがいることもあって、めったにローラが入ることは無かった。最初、この後宮にきた始めに見て以来、ろくな記憶が無い。

 だが、現在のその部屋の状況が異常であることははっきりとわかった。

 暗闇……窓がすべて塞がれ、光を灯すものがすべて無くなっている。

「何よ……これ?」

 まるでその部屋だけ夜となっているかのような有様に、ローラは唖然とする。

「はい、お嬢様の場所はこちらです」

 ルビィはそれを全く無視して、ローラを暗い部屋のさらに薄暗い隅に運ぶ。

 そこにおかれていたシーツの上に、ローラはゆっくりと降ろされた。

「うぷっ」

 おろされた途端、そのシーツから濃厚な犬の匂いが立ち昇る。

「こ、これ……ルドラの?」

「ええ、そうですよ」

 ルビィはニッコリと肯定する。

「な、なに考えてるのよ!? 私を、こんな……こんな、死んだ犬のシーツに乗せるなんて……いったい何なのよ!?」

 たまりかね、叫ぶローラに、ルビィはまたも笑う。

「何がおかしいのよ!?」

「クス、申し訳ありません、お嬢様。だって、お嬢様ったら、ルドラのこと、亡霊だとか、死んだ犬だとか……クスクス」

 そのルビィの笑顔に、何か異様なものを感じ、ローラの身体は自然と震えだす。

「な、何よ。だって……あの犬、死んだじゃない」

 さすがに、自分が殺したと、言って良い状況ではないことぐらいはわかった。

 それに、ルビィはさらに笑う。

「お嬢様、またそんなことを仰って。ルドラはちゃんと生きているのに……」

「え? ……嘘。嘘よ、そんなの!?」

「クスクス、じゃあお見せしますね……」

 そういって、ルビィは部屋の扉を閉め、さらに暗くなった中でローラを振り返る。

 横にある棚から、一つの大型のビンを取り出し、それをローラに見せる。

 暗闇では……いや、暗闇でなくとも変わらないだろう。そのビンの中には、黒々として液体のようなものが詰まっていた。

 ローラは嫌な予感を感じる。

「ほら、これがルドラです……今はこんなビンに入ってますけど、明かりを消して、蓋を開ければ……ほら」

 蓋が開けられたビンの口から、黒い液体が生きているかのように動き、こぼれる。

 こぼれた液体は、床の上に溜まり……うねりながら、徐々に形を整え。胴体を造り、後足を造り、前足を造り……そして頭部を造る。

「ひ……なんで……なんでぇ!?」

 首を振り、目の前の光景を否定するローラの眼前で、黒い液体は一匹の濡れた黒毛の犬にその姿を変える。

「ほら、ちゃんと生きて、元気にしているでしょう」

「いやああっ!」

 ローラは両足の痛みすら忘れたかのように、地面を這い逃げようとする。

 だが、すぐに襟首をルビィに捕まえられ。

「あらあら、お嬢様ったら、逃げるなんて。あんなに可愛がっていたルドラじゃないですか……やっぱりこれがいるみたいですね」

 そういって、ルビィはローラの首に何かを取り付ける。

「……こ、これ!」

「はい、よく似合ってますよ。お嬢様」

 それは犬の首輪だった。ルドラのプレートのついた飼い犬の証。

「い、嫌よ! 外して、外して!」

「嫌なんですか? どうして?」

 心底不思議そうに、ルビィは尋ねる。

「どうしてって……こんなの……」

「だって、お嬢様がルドラにしていたことじゃないですか?」

「ッ!!」

「なのに、お嬢様が嫌がるなんて、そんなのおかしいですよ」

「る、ルビィ……貴女……」

 そこでようやく、ローラはルビィの意図を悟る。

 ルビィは陶然とした笑みを浮かべ、愛しそうにローラを見つめる。

「知ってます? ルドラは、お嬢様があんなことをしたから、もう噛み付きも、爪を立てることもできなくなっちゃったんですよ……だから、その代わりになる存在が必要なんです。だから、それに私が立候補しました」

 少し誇らしげな言葉。

「そして、ルドラの望みは……お嬢様に恩返しをすること。今までお嬢様がなされたことを、そのまま、お嬢様に返すことです。でも、お嬢様の鞭や棒に変わる牙も爪も、もうルドラには無いですから、私が代わりにそれをするんです」

「……嘘、でしょ」

「嘘なんかじゃないですよ……だから、お嬢様にはこれからずっとこの部屋にいてもらいます……だって、この部屋じゃないと、ルドラはお嬢様に恩返しをしている様子を見れないんですもの。……大丈夫です。お嬢様が外に出られなくても問題ないようにしてくれるって、『あの方』が仰ってくれました。だから安心してくださいね」

 ルビィは話は終わったとばかりに、左手に持った棒で、右掌を叩く。

 その音に、ローラは身を竦ませ、怯えに震える。

「さあ、それでは始めますね。大丈夫です、護身術の先生から、相手を殺さないような打ち方をしっかりと教えてもらっていますから」

 自慢げに、ルビィはそう言った。


 数日後……

「……今日も来ないようですね」

 金色の瞳を、少しジト目にしてカシムを見つめながら、リディアはポツリと呟く。

「そうですね。でも、来ないほうが良いですよ。もしこんな所をみられたら、それこそ大変ですから~」

 それにレフィが悪気なしに答える。

 ちなみにリディアとレフィ、そしてカシムの三人がいるのは、件の中庭の会談の場。

 そこに並べられたテーブルの一つで、またお茶会を開いていた。

 最初のころはびくびくとしていたリディア達だが、この期に至っては安心しきって、リラックスしている。

 と、言うより、周囲の険悪な視線が無くなったおかげといったほうが正解だろう。

 別段、カシム達の存在が認められたわけではない……ただ、誰もがそれどころではないのである。

 突如とした、リーダーの不在……一日、二日ならたいしたことは無いが、このように長期……しかも、その間に異分子が我が物顔で振舞っているとなると、動揺は深まるばかり。

「そうだねえ。ずいぶんと、身体の調子を崩しているみたいだねえ」

 抜けぬけとそんなことをのたまうカシムに、リディアの視線がさらに強くなる。

「本当に……そうなのでしょうか?」

 疑惑の言葉。

「さあね。少なくとも俺はあれから何もしてないな……『俺は』」

 カシムは、自身たっぷりに断言する。


 少女はいつも泣いていた。

 だが少女は幸せとなる。

 友がいて、愛しい飼い犬がいて……

 だから少女は幸せである。

 これから、ずっと……

 もう、友が死ぬことは無いのだから……


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