3話
Ⅰ.目覚め
後宮創立以来まれに見る騒動の一夜は終わり、朝日がその姿をあらわす。
普段は城の影となり、めったに日光の指さない後宮の中庭にもこのときだけうららかな柔らかい朝の光が舞い降りる。
窓からさす光を感じ、柔らかなベッドの中でカシムは気持ちよさげに寝返りを打った。
「……様、カシム様、朝です。起きてください」
「う~ん?」
遠慮がちな声だが、わりかし寝起きのいいカシムはそれだけで意識を覚醒し始める。
感じるのは声と同じく弱々しく揺すられる感覚。
寝ぼけ頭で相手が誰であるのか瞬時に悟る。
顔の表に笑みを出さないように、寝ぼけた声をだす。
「レフィ~……あれだけ言ったのに、様付けしてる~」
閉じた瞼の向こうで、戸惑いの気配を感じる。
「お仕置き~」
問答無用で、自分を揺する気配を抱きしめる。
昨日も堪能したレフィの細く柔らかな肢体の感触、それはまるで絹のような……ような。
「あれ? 硬い?」
まるで銅像を抱きしめたような異質な感覚に、カシムは目を見開く。するとそこには、
「……目が覚めたか」
鉄兜の面がアップで映り、その中から不機嫌な声が飛び出してくる。
「やあ、おはようエリス君……レフィ君は?」
そう尋ねるカシムの目は、相変わらず抱きしめたままのエリスの向こうにメイド服が見えた。
「むー、どおりで声が小さいと思ったら、レフィ君ってばそんなに離れてたのか」
頬をむくれさせ、抗議するカシムに、レフィはおずおずと……、
「す、すみません。ですが、カシム様を起こそうとしたら、エリシエル様が代わりにやるといってくださって……」
「う~ん、何? エリス君てば、そんなに俺の寝顔が見たかったの?」
「違う! 貴様のことだから起抜けに乗じてレフィリアをベッドに誘い込むだろうと予測して、それを未然に防ぐためだ」
「むー、俺はそんなことしないよ」
さらにむくれるカシムに、エリスはいまだ鎧の背に回された腕を指し示し、
「では、これはなんだ?」
「これは抱きしめてるだけ。ちょっとしたお茶目だよ」
「……さっさと離せ」
声にちょっとだけ殺気をこめて言う。
「ハイハイ……今度はできれば、その無粋な鎧を脱いでからにして欲しいな~。ついでにその兜も」
「うるさい!」
「へえ、じゃあ今日はエリス君が案内してくれるんだ?」
寝着を脱ぎ、下着だけのほっそりとした肢体をさらしながら、カシムは嬉しそうに尋ねる。エリスとレフィの前だと言うのに羞恥の欠片もない。
逆に見ている方が恥ずかしくなり、エリスは動揺を抑えながら答える。
「そうだ……貴様から目を離すとろくなことがないということは昨日の一件でいやというほど理解した。よって、もともとレフィリアの仕事なのだが、私が見張りも兼ね後宮の案内をすることにしたのだ」
「ふ~ん」
エリスの説明に相槌を打ちながら、エリスは占いの衣装である純白の長衣に袖を通す。
それを見て、エリスは顔をしかめる。
「カシム……後宮内をその格好でうろつきまわるつもりか?」
「そうですよ、カシム様。この部屋には貴女のためにたくさんのドレスが用意されているんですよ? それを着ないんですか?」
レフィも心底不思議そうにたずねる。彼女の感覚では、あのきらびやかなドレスを放って、何の変哲もない長衣を選ぶなど信じられない。
「あ~、だめだめ。俺ってば、そういう動きにくそうなのはだめでね。どちらかというと、こういうゆったりとしたのが良いんだよ」
そういって、首から足首までをゆったりと覆う長衣をパンッと叩く。
「……でも、この後宮の中でそんな格好をする人はいませんよ……」
カシムが恥をかいてしまうのではないかと、気が気でないレフィが何とか説得しようとその可能性を示唆する。
が、カシムはまたも飄々と、
「それが? この後宮の女の子たちがどういう格好してようが俺には関係ないだろう?」
「関係ない……ですか?」
「そりゃそうだよ。こういう格好をしているのが俺。自分の意志でこの格好してるんだから、どんなやつに何を言われようがまったく気にするいわれはないね」
「はあ……」
自信満々に宣言され、レフィは二の句を次げなくなる。
エリスはというと、女だてらに金属鎧に鉄兜とで武装している手前、カシムの言葉を否定できる立場にないため、黙るしかない。
そのエリスに、カシムはニヤッと笑い、からかうように、
「……でも、エリス君がその鎧を脱いでドレスを着てくれるっていうのなら、俺もドレスを着ても良いけどね」
「…………」
カシムの言葉に、レフィがすがるような視線をエリスに投げかける。
手痛い攻撃に、エリスは目をそらし、憮然とした声でカシムをせかす。
「もうそれでかまわんから、さっさと朝食を済ませろ。私もそれほどひまじゃないんだ」
エリスのその様子にカシムは勝利の笑みを浮かべる。
Ⅱ.後宮
昨夜はただ単に自室と王子の寝室を往復しただけのカシムは、改めて案内される後宮の豪華絢爛さに、ただあきれる。
「……よくもまあ、愛人を詰め込むだけの建築物にこれだけの金をつぎ込めたもんだね」
「……王も殿下には甘い方なのでな」
「はっ、賢王として名高いレムン国王も人の親ってわけね。しかもベタ甘の」
苦々しく答えるエリスに、カシムは情け容赦なく酷評する。
「…………」
あまりに無礼な批評だが、エリスはそれを咎めることはなかった。
カシムにそれを言っても無駄であることはわかっていたし、それは紛れもない事実であったから。……ただ、言うなれば、王と王子の関係にはカシムの知らない深い事情があること……それをエリスは知っていたが、これもまた言うつもりはなかった。
黙ってしまったエリスから注意をそらしたカシムは、無目的にあたりを見渡す。
そこに目的のものを見つけられず、カシムは無造作にエリスの鎧の背中に掌を叩きつける。そこまでしないと中まで衝撃が伝わらないのである。
「ねえねえ、エリス君。今度はこの後宮で女の子たちが集まるところに案内してくれない?」
「っ!」
カシムの要望に、エリスはかすかに動揺を示す。そして沈黙。先ほどの沈黙とは明らかに雰囲気が違う。それに気づかぬ振りをして、カシムは続ける。
「だってさ、エリス君てばさっきから、人気のないところばかり案内してるんだもん。メイド以外誰も見かけないってのは、いささか退屈だよ。人気のない場所で、俺を押し倒してくれるって言うのなら、うれしいんだけど、どうもそういう雰囲気でもないし……」
カシムの冗談交じりの言葉に返ってきたのは、重い重いため息。
「カシム……貴様は自分の立場がわかっているのか?」
「うん? そりゃあ、チンピラ王子に拉致され、哀れ純潔を失った、可哀想な美貌の女占い師……てなところだろ?」
きょとんとしつつ、カシムはすらすらと答える。
「……一部、詐称の痕跡があるが、まあ大体そういうことだ」
「というと?」
「この後宮にいる少女のあらかたはこの国で地位の高い貴族の令嬢方だ。殿下がこの後宮を打建てられてより、この国の有力者たちが喜び勇んで己が息女を差し出したのでな」
「ふむふむ、まあそんなところだろうね。うまくいけば、この国の未来の王妃に自分の娘がなるかもしれない。そうなれば、その父親は晴れて王族の一員って訳だ」
一般常識を語るように、こともなげにカシムは貴族の本音を言い表す。
「……そして、令嬢方たちは皆が皆、親の期待にこたえるためにより多くの殿下のご寵愛を受けられるように日々互いに牽制しあっている」
「実に不健康なことだね」
「……一部の例外……あとついでに貴様を除いてな」
「うんうん、そうだろうねえ」
皮肉をこめられたエリスの言葉にも、何気にカシムは相槌を打つ。
「そこで、今の貴様の立場は、市井の……しかも道端で店を開くような卑しい占い師風情が、ぽっと出て殿下のご寵愛をさらっていってしまった不埒者、というわけだ」
「うわ、ひっどい誤解だなあ」
「そのような現状にて、貴様を殿下の側室たちの集会場所になど連れて行けば……どうなるか、想像はつくな?」
言葉に十分の脅しを込め、エリスはカシムの顔を振り返る。
だが、カシムの顔にはおびえ一つ無く……
「……まあ、大体想像がつくけど、俺がお嬢様のいびりで、泣く泣く自殺すると、思う?」
「いや、それはまったく可能性はゼロだろう」
エリスは確信をこめて断言する。
「ならいいじゃん」
「だめだ。たとえその可能性が無くとも、余計な厄介事にわざわざ首を突っ込ませるわけにはいかん。貴様も言われもない非難を受け、嫌がらせを受けるのは気分がよくないだろう」
「ふむ、まあ、ね」
それにはカシムも素直に頷く。占い師という商売柄、そういった方面の嫌がらせなどはかなり経験があった。まあそれは同時に、免疫ができたことでもあるのだが。
「ならば、用も無いのにそのような場所に行く事も無い。もともと、この後宮に入ったものは殿下に呼び出される以外に仕事も無いのだから、おとなしく自室にいるか、私が案内する場所で暇をつぶすかをしていればいいのだ」
そうすれば余計な厄介事は避けられると、エリスは締めくくる。
「ふーむ、しかしそうなると残念だなあ……」
心底残念そうに、カシムは腕を組み、唸る。
その様子に、エリスはほとんど反射的に不信感を募らせる。
「何を残念がっている……まさか、また何かを企んでいるのか?」
「エリス君ってば、ひどいなあ。そうじゃなくてね、仲良くなりたい子がいるんだよ。そこに行けば、その子に会えると思うんだけどなあ」
「はあ……貴様は……」
カシムの本音に、エリスはただため息をつく。
「レフィリアだけでなく、その娘にまで手を出そうというのか……」
「うん、その通り。ちなみに、エリス君もその中に入ってるよ」
「~~~っ……貴様は、目に付く女に次から次にと……ここにくる前の、普段からも貴様はそうなのか?」
「そりゃあね。昨日も言ったけど……て、言ったのはレフィ君にか。えとね、師匠の言いつけで、出会う可愛い女の子とはもれなく親密にならなくちゃいけないんだよ」
自信を込め、胸を張って宣言する。が、エリスはそれに冷たく、
「師匠の言いつけで仕方なく、ではなく、貴様は喜んでやっているように見えるがな」
「そりゃ当然。だって、楽しいもん」
「はあ~、貴様は……」
エリスはなんとなく泣きたくなる。このカシムと出会って、たった一日しかたっていないのに、まるで一年ほどこのめちゃくちゃな女占い師に振り回されているような極度の疲労感に襲われる。
「……お楽しみのところ悪いが。側室の誰かと親密になるというのは、無理だ。さっきも言ったとおり、貴様はこの後宮内では異分子でしかないのだから……諦めろ」
「ははは、大丈夫大丈夫、そのくらいの障害、俺にとってはちょうど良いくらいだよ」
「私は、貴様が騒動を起こすから、諦めてくれといっているんだが……」
怒りを抑えて、言い聞かせようとする。
半ば無理だとわかっていたのだが……やはり無理だったようで、カシムは嬉しそうに、エリスの後方を指差す。
「ははは、愛しいエリス君の頼みだからね。聞いてやりたいのは山々なんだけど、さすがの俺も運命には逆らいがたいねえ」
「運命?」
「そ、運命……だってさ、もうそこまで来てるんだもの」
いやな予感を抱えながら、エリスはカシムの指差す方角を振り返る。
そこには、褐色の肌をした美少女がじっとこちらを伺っていた。
その控えめな物腰は、地味ともいえる派手さの無いドレスとあいまって、清楚な風情をかもし出している。
「あの娘は……」
眉をしかめるエリスの横を、カシムが嬉しげに通り過ぎ、その美少女の元へと歩み寄っていく。
エリスは一瞬、それを止めるべきか否か、迷い……結局はそのまま行かせてしまった。
昨夜出会った少女……確かカシムと名乗っていた……と男子禁制の後宮の護衛についている女騎士エリシエルの姿を見つけたとき、その場を離れるべきだと理性では考えていた。
エリシエルと一緒だということは、彼女の口から自分の正体を話されることとなるだろう……そうなれば、あの少女も自分から離れていく、そうとしか考えられない。
ならば、自分から離れていくべきだ……というのが今までの考え方であり、ずっとそうしてきた。
だと言うのに、なぜか足は動こうとせず、目は二人の姿を追っていた。
その二人の顔が……エリシエルの顔は鉄兜に隠れているのだが……とても楽しそうに笑っているようであったのがその理由かもしれない。この後宮に来てより、自分は一度も笑ったことが無いから……
そして、少女がこちらの存在に気づき、指で指し示し、エリシエルに語りかける。
その無邪気ともいえる表情から、彼女がまだ自分のことを聞いてはいない事がわかる。
だが、それも一瞬きするころには、エリシエルから伝えられるだろう。
そう思っていた褐色の美少女だが、問題のカシムという少女は、あっさりとこちらに向かって歩いてくる……ニコニコと。
そして、元気良く片手を挙げ……
「やあ、またあったね」
「…………?」
美少女は、返事が返せない。というより、何も考えられない状態だった。
目の前のカシムという少女の存在が、何から何まで意外であって……まるで夢を見ているような感覚にあった。
「? どうかした?」
カシムの不思議そうな声に、はっと我に返る。そして、相手の挨拶に返事も返さないという非礼に気づき、慌てて口を動かす。
「は、はい。またお会いしましたね。……カシム様」
「む~~~っ」
とりあえず無難な返事を返せたと思った矢先、見る間に相手の顔がむくれていく。
「あ、あの、カシム様……私、何か失礼をしてしまったのでしょうか?」
「カシム」
「はい?」
「俺のことはカシムって呼ぶよーに」
「え? 呼び捨てにしろ、と?」
「そっ」
美少女は返事を躊躇う……相手を呼び捨てにするなど、今までたった一人の妹にしかしたことが無い……それ以外は、敬称か役職などで呼びかけるのが常だった。
「ですが……」
困ったような返事をもらすと、カシムは勝手にぽんっと手を打つ。
「ああ、そういえば、まだ名前を聞いてなかったっけ。昨日も良い所でエリス君にかっさらわれてしまったから……じゃあ、今聞き直そうっと」
「はい?」
「さて、俺の名前はもう昨日言ったから、今度は君の名前ね」
相手の戸惑いなど意にも介さず、勝手に話を進める。
だがその質問は、美少女の躊躇いをさらに大きくするものだった。
名前を知らない……それはつまり、まだカシムが美少女の正体を知らないということ……そして、名前を知るということは、それを知らせてしまうということである。
知れば、この少女も見る目を変えるだろう。忌まわしいものを見るような目、蔑みを込めた目……憎悪を込めた目。
この国で、自分がそういう目で見られることは必然である。それはわかっている。
でも……罪深いことかもしれないが……当たり前のように自然に接してくれるカシムという少女には、わずかな間だけでも良い、本当のことを知られずにこのまま話していたかった。
その想いが、口に鍵を掛け、言葉を封じてしまう。
沈黙……そして自然と顔を俯けてしまう。
「あれ? どうしたの?」
カシムの不思議そうな声……純粋にこちらを心配する声である。
それを心地よいと感じるが故に、美少女の口はさらに重く閉まってしまう。
その進展の無い沈黙に、終止符を打ったのは……やたらの居丈高な、高い女の声だった。
「ここにいたのね。リディア・アトゥム・ラー!」
「っ!!」
ご丁寧にもフルネームでの呼びかけに、美少女……リディアは己の立っている世界が崩れ落ちる感覚に陥った。
己の名に続くアトゥム・ラーという言葉……それは彼女の故国の名である。
国名を名の一部とする者……それはその国の王族、王の直系の血筋を引く者しかない。
だが、その名は今のリディアにとって罪の証でしかない。
祖国の犯した罪をあがなうために、リディアはここに送られたのであるのだから……
Ⅲ.リディア
「いつもどこに隠れてるかと思えば、こんな所でこそこそしていたのね……実に貴女らしいこと」
実にいやみったらしく、後ろに幾人もの女たちを従えたきらびやかな……はっきりといえば派手な……ドレスを身にまとった美女がリディアに蔑んだ視線とともに毒舌を放つ。
いつもなら、その声を聞くだけで恐怖と屈辱に歯を食いしばるのだが、このときだけは別のことが気にかかって、それどころではなかった。
「リディア……アトゥム・ラー?」
カシムの驚きの声が、耳に痛かった。
その名で、彼女がリディアの正体を悟ったことは疑いようも無い。
いつもそうであった。リディアが何をしようと、運命は彼女から何の躊躇いも無く様々なものを失わせていく。
「あら……貴女、見ない顔ね」
派手な美女がようやくと言った感じに、カシムの存在に気づく。
そして、自分に注意を向けず、カシムの方を青ざめた顔で見つめるリディアの様子にも。
相手の弱みを見つけることに掛けては、右に出るものはいない彼女の目が、一瞬でその状況を把握し、口元にいやらしい笑みを浮かべる。
「そう、貴女、この女が何者か知らなかったのね」
美女の言葉に、リディアは見を硬くする。
いつも無反応な彼女の反応に、美女は悦に入ったように、さらにカシムに語りかける。
「クスクス……知らなかったからこの女なんかと仲良くしていたのね。可哀想に……だから、教えてあげるわ。この女は、リディア・アトゥム・ラー……アトゥム・ラー、この忌まわしい名を知らないはず無いでしょう?」
「そりゃあ、ね。アトゥム・ラー……太陽の神の名であり、その神を主神と祭る宗教国家の名前でもある」
「そう、この女はそこの王族……もう、わかったでしょう?」
「ああ、皆まで言う必要は無いよ」
カシムの答えに、美女は満足そうに頷き。そしてリディアは絶望のため褐色の肌が見る間に色を失っていく。
「ふふ、そうこの女は……」
「お姫様なんだね!」
「はい?」
握り拳を作り、きらきらと目を輝かせるカシムに、リディアと美女、そしてその後ろにいる取り巻きの美少女たちの皆の目が点になる。
誰もが動くことのできない、静寂の中、カシムのはしゃいだ声だけが響く。
「そうかあ、お姫様かあ……道理で可愛いと思ったら、うんうん、なるほどね」
いきなりリディアの方を向くと、その手をぎゅっと握る。
「ひゃっ」
驚きのあまり、硬直が解け身を竦めるリディア。
「いやいや、お姫様の友達なんて……いや、いるんだけど、そいつがまた『お姫様』なんて呼び方が死ぬほど似合わない子でね。君みたいな見るからに『お姫様』な子なんて、見るの初めてだよ。いやあ、感激だなあ」
握った手をぶんぶん振りながら、その感動のほどを言葉にして言い表す。
「え? はい? あ、あの……」
あまりに予想外な反応に、パニックに陥るリディア。
自分が姫ということは生まれたときからのことであり、カシムがなぜこんなに感動しているのか、理解の範疇外であった。
しかし相手は、そんなリディアの困惑などかまわずにべたべたと肩や腰に触れてくる。
馴れ馴れしい行為だが、不思議と不快感は感じない。
「ねえ、改めて友人になってくれないかな? もう、ぜひぜひ仲良くなりたくなってきた」
「あの……でも……」
果たしてこの少女は人の話を理解しているのか、そんなことをリディアが考え始めた矢先、端から苛立たしげな声がかかる。
「ちょっと、貴女!」
「うん? 何かな、やたらと派手なお姉さん」
何気ないカシムの発言に、その派手な美女のこめかみがピクッと痙攣する。
思わず怒声をあげそうになるが、何とかそんな品性に欠ける行動を思いとどまる。
「……し、失礼な方ね。いったい、貴女は誰なの?」
「俺? カシムだよ」
「カシム……ああ、殿下が気まぐれで呼び寄せた下賎な占い師の娘ね」
その名に思い当たると瞬時に、その美女の顔から礼儀というものがあっさりと取り払われる。後に残ったのは侮蔑と嫌悪……リディアに向けられていた表情と同じである。
「道理でこの私を知らないような素振りと思えば、無知蒙昧な下賎の出だったのね。納得だわ。ふふふ、無知な下賎の民と汚らわしい売女、とってもお似合いな組み合わせだこと。好きなだけ仲良くすると良いわ、私が心から祝福してあげてよ」
「そうかい、いやありがとう、じゃ、もう良いよ」
美女の嫌味ったらしい科白を、カシムはあっさりと流し、何事も無かったかのようにリディアに向き直る。
そのカシムの態度に、美女のこめかみはさらに激しく痙攣する。
もうほとんど、今にでも爆発しそうな雰囲気であり、後ろに控えた少女たちの間にも動揺が生じている。
それをおろおろと見守っていたリディアは、これではいけないと、カシムの耳元に口を寄せ、注意をする。
「カシム様……この方は……」
「様?」
「……カシム……あの方は、ローラ・レヴァンド様……この国の名家レヴァンド家のご息女なのです。もう少し、言葉に気をつけないと……」
「レヴァンド家!?」
せっかくリディアが声をひそめて忠告しているというのに、カシムの驚きの声は、あっさりと美女……ローラまで届く音量であった。
リディアは思わず身を硬くする。
だが、彼女が予想したような怒りの気配は無く、見るとローラは優越感に満ちた表情でカシムを眺めていた。
「ふふ、おわかりになったようね。貴女がいったい誰に、そんな不遜な口を聞いていたのか……」
カシムの驚きを勝手に解釈して、ローラは口元に手を当て優雅に微笑む。
「いくら下賎の民でもご存知でしょうね。我がレヴァンド家の当主であられる父上はかつての大戦にて国王軍の軍師として名を馳せ、陛下の懐刀とまで呼ばれた天才軍師にして、現宰相……」
「あの噂の頭でっかちの戦争馬鹿ね」
「ンナッ!!」
悦に入ってお家自慢をはじめたローラを、カシムの軽い一言が豪快に撃沈する。
あまりの暴言に、取り巻きの少女たちは一様に顔色を失い。リディアにいたっては、生きた心地すら失い、ただ口をパクパクさせ、カシムの顔を呆然と見上げる。
「な、な……なんですってぇぇぇっ!?」
硬直が解けると、当然のことながらローラは怒りの雄叫びを上げる。
カシムはそれを宥めるように、彼女の目の前で掌をひらひらさせ。
「いやいや、俺がそう思ってるわけでもないんだが……あちこちの噂でね。レヴァンド家のロレンツ公も、大戦時には数々の功績を上げ、天才軍師とまで呼ばれたものの……いざ、戦争が終わり平和な時代となると、どうもぱっとした活躍を見せないって話で。実際、二年前のアトゥム国との戦争があるまで、大抵の奴が名前を忘れていたっていう……」
すらすらすらと、事細かに噂を再現してみせる。
「そして、ついた字名が『戦争馬鹿学者』……ほかにも、『乱世の英雄、治世の凡臣』とか」
「キーーーっ!!」
たまりかねたように、奇声をあげ、カシムの言をさえぎるローラ。
「こ、こ、こ、……この、下賎な占い師の分際で! よくも、私の父上を侮辱してくれましたわね!!」
「うん? いや別に、俺はそんなつもりはまったく無いが。ただ、そういう噂を、ここにくる前にちょっと聞いてたもんでね」
「黙りなさい! 確かに父上は、普段は非常にのんびりとしていて、娘の私ですら名声をほんの少し疑わしく思っていたりしたこともありましたが……貴女のような下賎の者に言われる筋合いは無いですわ!!」
「……一応、言っておくと。全然フォローになってないけど?」
カシムの突込みを無視して、ローラは興奮してまくし立てる。
「もう、手遅れですわよ! もはや、我がレヴァンド家を侮辱した罪は絶対に消えません。ええ、許すものですか! 貴女には、その罪を徹底的にあがなって貰いますわ」
「まあまあ、そう興奮しないで」
ローラの剣幕とは対称的に、穏やかな風情でカシムは相手に歩み寄ろうとする。
「近寄らないで! 汚らわしい! 貴女のような下賎の者が、一時とはいえ、殿下のご寵愛を受けるだなんて、考えるだけでおぞましい!」
寒気でもするかのように、己が体を抱きしめる。どうも演技過剰の向があるようである。
「決して勘違いをしないことね。殿下が貴女を抱くのは、単なる好奇心。貴女みたいな礼儀も何も知らないそこらの野良犬に等しい下衆になんか、殿下の正室になる資格なんか無いのだから!」
さすがに、カシムはそれにうんざりと、訂正を加える。
「あ~、盛り上がってるところ悪いけど……別に俺、あんなチンピラの正室になんかなりたくないって……なりたいんだったらご自由に、俺は邪魔しないからさ」
「……チンピラ?」
その聞きなれない単語に、ローラは一瞬だけ怒りも忘れて尋ね返す。
名家の令嬢として、温室の中で育ってきた彼女がそのようなスラングを知らないのは無理も無い。止まってしまった場の流れの中、取り巻きの一人がローラの傍に進み出る。
カシムはその進み出た少女を見て口笛を吹く。
進み出たのは、この国では珍しい青い髪の理知的な美少女。
知性の感じられる美貌に、カシムは忌憚無く賞賛をあらわす。
その少女がローラの耳元に口を寄せ、何かを囁くと、見る間にローラの表情が険しくなる。察するに、チンピラの語彙を教えているようである。
「なっ!? な、な、な!」
ローラの唇がわななき、肩が震える。
「で、殿下を……レイド王子が、下賎の民の無法者ですってぇ!!」
「あ、そういう風に説明したの……まあ、当たらずとも遠からずってところかね」
いかにもお嬢様な回答に、青髪の美少女がチンピラの語意を知っていても、実際にはどこかの貴族の息女であろうと予測付ける。
可愛い子と目をつけると、その者に対して自然とチェックを入れるのは、もはや習慣であったりする。
今は、状況が状況であるために、あからさまに声をかけたりはさすがにしないが。
「ゆ、ゆ、許しがたい暴言ですわ! 貴女、自分を何様だと思ってるの!?」
「俺様」
即答。実は、即座に答えたあと、あまりに月並みな返し方であったため、言った本人少し恥ずかしくなったりした。
ちょっと照れるカシムの目の前で、ローラの美貌がまさに鬼女の面という形容がふさわしい形相に変化していく。
「あ、貴女のような無礼者は、この場で成敗してくれますわ! セシル!」
ローラの悲鳴のような呼びかけを受け、取り巻きの中から、先ほどの美少女とはまた違う少女が前に出る。
こちらは、この国でよく見かける色素の抜けたかのような銀髪の、少し冷たい感じがする美少女である。
その少女もカシムの目を引いた……それは、その美貌だけでなく、雰囲気がどこと無くエリスに似ているように感じたからである。
「セシル! この卑しい女を徹底的に痛めつけてあげなさい!」
Ⅳ.セシル
ローラの命令に、顔をしかめたのはそれを聞いていたカシムである。
「こらこら、ローラ君、無茶を言わないように。そんな可愛い子に、そんなことが……」
不可能だろうと、言おうとしてその言葉を飲み込む。
セシルと呼ばれた少女は、命令を受け、カシムに向かって構えたのである。
その構えは、カシムの目から見ても見事なもので、何かしらの武術を修めていることが見てとれた。
「……あ~、なんだ。最近は、武術もお嬢様の嗜みの一つになったのかね?」
辟易したようにぼやくカシム。
飄々と振舞っているように見えて、カシム自身あからさまに構えないまでも、膝を少し折り、腰を下げ、いつでも反応できるように体勢を整えておく。
構えから察するに、こうでもしていないと、とっさのときに対応できそうに無い。
「しかし……」
カシムが何気に呟く。
「そんなドレス姿で、大立ち回りなんかしないほうが良いと思うんだが……」
ちなみに、セシルの格好は、ローラほど派手ではないにしろ、きちんとした赤いドレスに身を包んでいる。……派手でないとはいえ、動きやすそうな風には決して見えない。
しかし、当のセシルは、カシムの軽口などに耳を貸さず。油断無くこちらを見据える。
(……む~、一応俺ってば、今はただの薄幸の美少女占い師……のはずなのに、何でこのセシル君とやらは、こんなに警戒してくれてんだろう? 隙が無い~)
表面で平静を装いながら、心の中で泣き言を抜かす。
半身に構えたセシルの体勢から、カシムに向けて情け容赦なく気迫が叩きつけられる。
どうやら、一戦は覚悟しなければならないと、ようやくカシムも踏ん切りをつける。
それと同じく、じれたローラの声が、場の均衡を崩す。
「セシル! 何をしてるの、はや……」
最後まで聞くことなく、セシルの身体が動く。
先日のエリスの動きほどではないが、カシムのそれを確実に超える速度。
だが、カシムは慌てず。冷静に考えを組み立てる。
(……まず、足技は無いな)
何せ、相手の着ているのはドレスである。しかも、腰はコルセットで締め付けられており、まず、蹴りの類は満足に放てない。
そこまで考えると同時に、カシムの顔めがけて、セシルの掌が迫る。
叩きつけるつもりか、掴むつもりか。
それを確かめることなく、カシムは即座にその場にしゃがみこむ。
セシルの掌打が頭の上を通り過ぎる。といっても、カシムは速さで避けたわけではない。
相手の攻撃に足技が無いとなれば、蹴りの範囲である相手の足元は安全地帯となる。その範囲に身体を縮める動作が、そのあとのセシルの掌打を避ける結果となっただけである。
しゃがんだカシムの目の前に、ヒラヒラとしたドレスのスカートが迫る。
カシムはおもむろに、そのスカートの裾を掴み。掴んだまま立ち上がる。
「おっ、黒!」
立ち上がり、裾を掴んだ腕を高く上げていると、当然スカートはめくれ、その中身が外気にさらされる。ちなみにその中身は、控えめなドレスとは対称的な黒の下着だった。
「あ……なっ!」
カシムにあっさりと攻撃をかわされ、あろうことかスカート捲りをされたセシルは、当然ながら、羞恥と困惑の声をあげる。
慌ててスカートを下ろそうとするが、相手にしっかりと掴まれ捲り上げられているため、びくともしない。しかも、捲り上げられたスカートが相手との間に立ち塞がり、視界を妨害しているために、攻撃もできない。
セシルは混乱する思考の中で、解決策を探り……見つける。
スカートを捲り上げている、それはつまり視界を塞ぐ布地の向こうにカシムが立っているということ。そして、捲り上げられているスカートは足の動きを妨害することは無い。
蹴れば、必ず相手に命中する。
そう判断し、即座に足を振り上げ、正面を横に凪ぐように蹴りを放つ。
だが、予想した手ごたえは感じられず。その代わり、いくら引っ張っても下げられなかったスカートがヒラヒラと舞い落ちて、元の位置に戻っていく。
塞がっていた視界が徐々に回復していくが……そこにカシムの姿は無い。
蹴り足を上げたまま、呆然とするセシル。
油断無くゆっくりと蹴り足を戻していく。その足首に異変を感じた。
感じた、その瞬間にセシルの身体が宙を舞っていた。
セシルの蹴りを再びしゃがんでやり過ごしたカシム。
もしセシルの追撃があれば、そんな避け方をしたカシムは避けることができなかっただろう。地面に丸まって、即座の反応などできないのだから。
だが、捲り上げられ、舞い落ちるスカートが、カシムの姿をセシルから隠していた。
そのため、追撃は無く、カシムは落ち着いてタイミングを計り、戻ってきた蹴り足の足首を掴み、掬い上げる。
それだけで、目の前のセシルの身体が宙を舞う。
後は、重力に従い背中から地面に叩きつけられる。
「ぐっ……」
衝撃に呻くセシルのスカートの中から顔を出しながら、カシムはもう一度注意してやる。
「ほら、ね。言っただろ? ドレスなんか着て、暴れないほうが良いって」
そう言って、カシムは傍らに横たわるセシルの左足を持ち上げる。
片足を持ち上げるだけで、相手が立ち上がることを防ぐ。
セシルは力の限りもがくが、左足を掴み上げられた状態では、立ち上がることも、ろくな反撃を出すこともできない。
カシムはニコニコと、地面に転がりもがくセシルの……特に、スカートが捲くれ、剥き出しとなり動きにともないプルプルと震える、黒い下着に包まれたお尻を眺める。
「う~ん、よく引き締まった、美事なお尻だねえ。とっても可愛いよ」
「っ! お、おのれっ!」
セシルは剥き出しになった臀部に感じる舐めるような視線と、そしてカシムの発言に赤面し、さらに激しく抵抗する。
どうにか、残った右足で蹴りを放つが、そんな不利な体勢で放つ蹴りなど、カシムの残った片手であっさりといなされる。
その様を、ローラをはじめ、周囲の少女たちは呆然と眺めていた。
武家の出であるセシルに適う者など、この後宮内ではレイド王子もいれて、ただ一人エリシエルだけのはずである。
だが、目の前の現実は、一介の占い師にまるで子供のように弄ばれるセシルの姿。
「放せっ、放せっ!」
「ははは、もうちょっとじっくりと鑑賞させてもらってからだよ。こんな美事なお尻めったに見れるもんじゃないからね」
「…………」
カシムのふざけた返事に、セシルは沈黙する。
言葉とともに抵抗もやめる。
「うん?」
その沈黙に不審なものを感じたカシムは、首をかしげる。
その目の前で、セシルは倒れ、左足首を掴まれたままの状態で躯を捻る。
思い切り、可能な限り身体を捻らせ。身体中の力を溜める。
「……ちょっと、なんかやばそう……」
カシムの呟き。
呟いたすぐ後に、セシルの身体から離れるつもりだったが、相手のほうが速かった。
捻った身体とともに、溜めた力を開放し、その勢いで上半身を起き上がらせ、足首を掴んでいるカシムの腕に、右腕を叩きつけようとする。
だが、当然届くはずも無く、その寸前で空ぶった……かのように見えた。
「ッ――!」
鋭い痛みとともに、カシムが掴んだ手を放す。
見ると、掴んでいた腕の袖が切り裂かれ、その奥の白い肌に傷が生じている。
『キャー―――ッ!』
ローラの取り巻きの内の、何人かの声だろう。恐怖に引きつった悲鳴が上がる。
彼女らがおびえる原因は、怪我をしたカシムでもなく、右手に刃物を持ったセシルに、である。
「……おいおい、どこから出したの。そのナイフ」
慌てて間合いを取りながら、カシムは尋ねる。
しかし、セシルは答えようとせず。無言で己のスカートを動きの邪魔にならぬようナイフで切り裂き、構える。その構えには、紛う事無き殺気が思い切り込められている。
その殺気の濃さに、カシムの心臓は怖気づいてしまう。
「こらこら……君って、本当にお嬢様?」
「…………関係無い」
ぼそりと、ようやくセシルが答える。小さな呟きでだが。
「……これから死ぬ、貴様にはな」
「うっわー……」
正真正銘、本気の脅し文句に、カシムは冷や汗を垂らす。
そういう荒事に慣れていようはずも無い周囲の本当のお嬢様たちは、その雰囲気に耐え切れず、徐々にその場を逃げ出し始めている。
ちなみに、ローラの姿もすでに無い。
気が付くと、残っているのは二人のほかに、リディアと例の青髪の美少女のみだった。
その二人の観客の視線の中、カシムとセシルはお互いに見つめあい、互いに間合いを計る。セシルは相手ののどを切り裂くために、カシムは何とかその場から逃れるために。
しかし、セシルに微塵のすきも無く、カシムは逃亡を諦めざるおえない。
諦めのため息をつき、目を閉じる。
(まあ、しょうがないか)
閉じられた視界の中で、呼吸を整え、意識を集中する。
そして、セシルの武器を吹き飛ばすための魔術のイメージを創起する。
Ⅴ.騎士
「そこまでにしておけ、セシル」
その場にいる四人の誰でもない声で、両者の緊張はあっさりと解ける。
「おお、エリス君」
「……エリス」
カシムは嬉しそうに、セシルは憮然と同じ名を呼ぶ。
「エリス様……」
青髪の美少女も、冷静だったその表情を和らげ、頬を紅潮させてエリスの名を呟く。
そんな中で、リディアは最悪の事態を避けられたことに、一人胸を撫で下ろす。
エリスはずかずかとセシルに向かって歩み寄り、すっと手を差し出す。
「さすがに私も……後宮内での刃傷沙汰を見逃すわけにはいかんな」
「…………」
セシルは憮然としながらも、おとなしくその手にナイフを手渡す。
「レムス!」
「は、はい! セシル様」
不機嫌なセシルの声に、レムスと呼ばれた青髪の美少女が慌てて返事をする。
セシルに呼ばれるまで、そのレムスの視線はエリスのかぶっている鉄兜に注がれていた。
「戻るぞ」
「はい」
今度は落ち着いて返事をして、さっさときびすを返すセシルの背中を追う。
途中で振り返り、エリスにだけ向かって頭を下げていく。
そのエリスは手渡されたナイフを手で弄びながら、ため息をつく。
それに、カシムが少しジト目で、
「刃傷沙汰は見逃せない……て、つまり俺への私刑は見逃すつもりだったわけだ。道理で登場が遅いと思ったよ」
「それは貴様の自業自得だからな……」
悪びれることなく、エリスは肯定する。
「それに……貴様が黙ってやられるはずも無いしな」
「はいはい」
少し面白がっているようなエリスの言葉に、カシムは適当に相槌を打ち、今度はリディアを振り返る。
「さて、やっと静かになった所で、さっきの続きといこうか」
「え?」
カシムの言葉に、すでに安心しきっていたリディアはきょとんとする。
「えと、リディア君だったね。互いの自己紹介も……まあ、多少変則気味だが、終了した。これで、晴れて君と俺は友人同士ということ、で良いかな?」
「え、ええと……その……」
「それとも、俺みたいなのと友人になるのは、嫌?」
それは慌てて否定する。
「い、嫌だなんて、そんなことありません! 絶対!」
「じゃあ、了解って訳だ」
ニコニコとカシムが締めくくろうとする……だが、
「でも、その……ごめんなさい!」
「あら?」
「私も貴女と友達になりたいです……貴女といろいろお話してみたいって思ってます……でも、だめなんです。ごめんなさい」
呆然とするカシムに向かって、深々と頭を下げる。
「え……と、何でか聞いても良いかな?」
何とか搾り出した問いに、リディアの表情が曇り、そして答える。
「……私は、汚れてるから……躯も……魂も……」
「ふぇ?」
「ごめんなさい!」
最後にそういい残し、リディアは足早に走り去ってしまった。
Ⅵ.誓い
小さくなっていくリディアの背中を見送りながら、カシムはうめく。
「あ~……」
しばし、熟考し、そして結論をつけると同時に隣のエリスにすがりつく。
「エリス君~、俺振られちゃった~……慰めて~」
「うっとうしいから、離れろ!」
「うう~、エリス君てば冷たい……」
邪険に振り払われたカシムは大仰に泣きまねを披露する。
「うう、何で振られたかなあ? 最初からフレンドリーに話し掛けてたし、意地悪派手姉ちゃんから庇ってもやったし、嫌われるはず無いのにな……」
「まったく、貴様は、何から何まで計算ずくか……」
一応落ち込んでいるカシムに、エリスは深々とため息をつく。
そして、嫌々と声をかける。
「……安心しろ、おそらく貴様は嫌われてはいない」
「ふぇ?」
「彼女が貴様の誘いを断ったのは、おそらく貴様のためを思ってだろう」
早々に泣きまねを止めて振り返るカシムに、エリスは説明をはじめる。
「もう知っているかもしれないが、彼女は……」
「アトゥム国のお姫様だろ」
「そうだ……その姫君がなぜここにいると思う」
エリスの問いに、カシムはあっさりと即答する。
「そりゃ人質だろう。何しろ、アトゥム国はついこないだこの国に大敗してんだからね」
「そう……敗戦国の王族であり、休戦の人質として送り込まれたのが彼女だ……王族の姫君という高い地位を持ちながら、この後宮での彼女の立場は限りなく弱い」
「なるほどね……だから、あのローラ君たちがこぞっていじめの的にしちゃってるわけだ」
「そのとおりだ……そして、彼女が敵国の王族ということも起因して、彼女を庇う者は裏切り者、非国民のそしりを受けることになる……そういうわけで、彼女はこの後宮内で孤立している」
「エリス君は?」
カシムの何気ない問いに、エリスは兜の中で皮肉げな笑みを浮かべる。
「私が? 彼女に何をしてやれるというのだ……私は、その戦争のとき、この国の騎士として彼の国へ攻め入っていたんだぞ」
「なるほど……」
「まあ、彼女の境遇に同情して、味方をするものもかつてはいた……が、そのほとんどが非国民として、彼女同様糾弾の的にされ、そのほとんどが後宮から姿を消した……様々な理由でな……聞きたいか?」
「いや、大体想像できるし」
カシムの返事に、どこと無く安堵しながらエリスは続ける。
「つまりそういうことだ……彼女が貴様の誘いを断ったのは、貴様を犠牲にしたくないという意思の現れであり、決して貴様を拒絶したわけではない」
「……ふーん」
少し不機嫌そうに、カシムは相槌を打つ。
リディアに理由もわからず拒絶されたときより、今ははっきりと不機嫌を表している。
そんなカシムを観察しながら、エリスは考えていたことを口にする。
「……そういうわけで、私は今まで、できうる限り彼女のことに関しては不干渉を貫いてきた……これまでも、そしてこれからも……この意味がわかるか?」
それを聞いて、見る見る間にカシムの顔から不機嫌が消えていく。
ニヤリとした、まるで子供が悪巧みをするかのような笑みを浮かべ、
「……つまり、俺がリディア君にちょっかいをかけても、エリス君は何も干渉しない、てわけだ」
「そういうことになるな」
「ふふーん」
エリスの返事に、満足げな笑みをもらす。
その笑みを見ながら、エリスは最後の核心を伝える。
「……アトゥム国は宗教国家だ……つまり、彼女は姫君であると同時に、神に仕える巫女でもある。生まれてより、極力、男性を近づけないよう、神殿で育て上げられてきた」
そこで深呼吸をして、目を閉じる。
「……考えてみるといい、そんな彼女が今の状況に追い込まれ、何を感じているか……神に捧げるべき己の身体を、敵国の地にて男に陵辱される今の状況……おそらく、すでに彼女の心は壊れかけているだろう……」
無意識のうちに、エリスの手が腰に下げた剣の柄に移動している。
「……そんな彼女を友とするというのなら、まず彼女の心を救わなければならない……貴様にそれができるか?」
「……できないといったら?」
「……明言はできんが、おそらくいずれ私の手で貴様を斬るだろう」
「……できるといったら」
「その時は……」
エリスはその続きを、言葉ではなく態度で示した。
カシムに向かって、頭を下げる。
騎士の礼でも無い。エリシエル一個人としての低頭……
生贄となっている姫君リディアが救われることを望んでいる、そのことがありありと感じられた。
カシムは、それを見て、深い深い笑みを浮かべ、頷く。
「了解……もともと、なんとしても友達になるってさっき決めてたしね」
「……言っておくが、私が見逃すのは友となるまでだ……それ以上の不埒なまねをすれば、当然阻止するからな」
「え~? エリス君てば、けち~」
それまでの雰囲気を打ち壊し、カシムは頬を膨らませる。
「すでに、不埒をやる気か……大体、さっきもそれでセシルを怒らせていただろう……あいつは怒らせると私の手にも負えないんだぞ!」
「ははは、あれは良いお尻してたなあ……エリス君見たことある?」
「だから! 貴様は~!」
後宮の通路にて、二人の喧騒は遠くまで響いていく……
遠く、遠く……逃げてしまった姫君を追いかけるように……




