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1話

一式『魔女』


 決して大きいとは言えない中程度の通りにて、不可思議な模様の絨毯の上に胡座をかき、意味もなく威厳を出しふんぞり返る。

 それが、流れの占い師のスタンスである。

 見慣れた道に、見慣れない女が一人、それも威厳たっぷりに座り込んでいるというのは、殊のほか人々の目を引く。

 そうして興味を引かれたもの一人が客として訪れればしめたもの。

 その初めての客の占いをわざと周囲に聞こえるように行えば、後はそういうのが好きな輩が次から次へと舞い込んでくる。

 後は、ほとんど何も映らない真っ黒な鏡とおざなりにめくるだけのぼろなタロットを見ながら、客が喜ぶようなことを適当にのたまえば面白いほど銅貨を落としていってくれる。

 コツは、十人に一人ぐらいの割合で、不吉な警告を与えること。そうすることで、それ以外の占いに真実味を帯びさせ、客たちの期待を煽り立てるスパイスとなる。

 それさえ守っていれば、占いとは実に実入りの良い、おいしい商売である。

 占い師として旅する少女・カシムは常々そう思っていたりする。

 実際、師匠に免状を渡され、修行として故郷を旅立ってより、世の中舐めてくださいと言わんばかりに、何事も問題なく小金が懐にたまっていくばかり。

 少々世の中に退屈してきたと、そう感じたカシムに、唐突にそれが訪れた。


「貴公が、最近話題の占い師・カシムだな?」

 占い師というものは、威厳を出すため総じてやたらえらそうな言葉遣いを使わなければならない。カシムも常々仕事の際にはそれを心がけてきた。

 彼女のような路肩で店を開くような占い師に、貴族階級の方々が訪れるはずもなく、自然と偉そうなカシムと、それに恐縮する客たちという構図ができていた。

 自分でも鳥肌が立ちそうなぐらい似合わない威厳ある上品ぶった言葉遣い。それを他人の口から耳にすることは、旅に出てより今日がはじめてであったように思える。

 だからして、目の前の金属鎧に身を包んだ一目で騎士と判る客を、思わずしげしげと珍しそうに眺めてしまった。

 そのぶしつけ視線に、騎士は機嫌を損ねたのか、少し目をそらし咳払いをする。フルフェイスの鉄兜越しにもちゃんと咳の音が聞こえることを初めて知った。いや、それがどうというわけではないが、なんとなく。

「ああ、これは失礼を……確かに私がカシムですが? 何用で?」

 商売用の言葉遣いと笑みを浮かべてやる。すると騎士はさらに居心地悪そうに、ごほんごほんとさらに咳き込む。

「風邪ですか? 私は占いだけでなく、薬の商いも営んでおります。たちどころに咳を止める喉薬などいかが?」

 風邪で無いと判っていながらそんなことを言ってやる。

「い、いや結構……私は薬など、ましてや占いなどを求めてここに来たのではない」

「あら? そのどちらでもないとなりますと、私には何一つできることがなくなってしまうのですが?」

 これは本当である。自慢ではないが、占い……と称したでまかせで金を稼ぐこと、もしくはそこらに生えている薬草から作った簡単な薬を高く売りつけること、その二つ以外、自分には何の能もない。これはほとんど万能ともいえる師匠の太鼓判つきである。

 胸を張って告げられた、

『貴様には何の才能もなく、今までの修行はまったく何の成果もなかった。だが、師の情けとして、唯一のとりえのその悪知恵とあとおまけの外面の良さだけで生きていけるよう、占い師の免状を用意してやった。それをやるからさっさと出て行け』

 思い出す度に、胸がむかむかするような非の付け所のない送り出しの言葉だった。

 逆立ちしようが、命がけで挑もうが、師匠には絶対にかなわないという現実がなければ、その場で殴りかかっていたかもしれない。

(なにやら、胡散臭げになってきたな……)

 心の中でそう呟く。

 何の根拠もないが、師匠のことを思い出すような場面では、決してろくなことが起こらない。あの忌まわしい記憶が蘇るとき、大抵何かの災難に見舞われるのである。

 カシムはそういう時は、いつでも即座に逃げ出せるように心の準備をすることにしている。何かがあれば、すぐさま金を占いの道具でことさら高価な物だけを持ち、風の速さで逃げ出せば、大抵の災難は避けられる。

 相手に不自然さを与えない、何気ない動きで、本日の収入の入った小箱と占いに使う鏡とタロットを手繰り寄せておく。

 あとは、それをもって逃げるだけ、ということを騎士へ微笑みかけながら確認し、再度尋ねる。

「それで、騎士様は私に占い以外の何をしろと仰るので?」

 その問いに答えたのは、言葉ではなく一枚の紙だった。

 なにやら不自然なほど整った字面で、長々と何かが書かれている。だが、カシムはそこに書かれている事より、その下方に捺されている印に目を奪われた。

(これは……確か、この国の国印?)

 入国の際に目にした国印に間違いはない。それにとどめを指すかのように、騎士の言葉が降ってくる。

「勅命である!」

「はあ?」

 思わず商売用の外面を忘れ、地で返事をしてしまう。

「占い師・カシム。貴公はレムン国殿下の後宮へ入宮を許された。これはまこと名誉なことである、心して承るべし」

「…………」

 あまりの頭痛にこめかみを抑える。聞き違えであれば良いのだが、あいにくと耳の精確さは、頭の回転の次に自慢である。

「……あの、今、後宮って仰られましたか?」

「そうだ。レムン国殿下の後宮だ。貴公はそこに召されることとなる」

「後宮……ハーレムのことですよね?」

「それ以外に何がある?」

「……そこに召されるって事は、殿下の愛人、というより側室になれって事、ですよね?」

「そのとおりだ」

 当然のことのように、騎士は頷く。

 カシムは、呆然としつつ、先ほど手繰り寄せていた銅貨の入った箱とタロット、そして鏡を持ち上げる。

 唖然としたまま、手に持った鏡に自分の顔を映してみる。

 金属を磨いただけの、映りの悪い鏡面には、見慣れた自分の顔が映っている。

 自慢ではないが、自分でもかなり整った容姿をしていると自負している。

 何しろ、めったなことでは誉めない師匠ですら、カシムの容姿を貶したことがないのである。自信を持つなというのが無理な話だ。

 整った顔立ちは十分に美貌と呼ぶに値し、さらには手にした黒鏡ではわからないが、病的なまでの白い肌……今まで自分を見てきたものが、すべて口をそろえてまずそれを誉める。路肩に店を開き、日中ずっと日光にさらされているというのに、常に透き通るような白さを保った肌、それと女としては長身でありながらも、壊れそうなくらい細い肢体とあいまって、どうやら見る男全てに抱きしめたいだとか、そういった劣情を抱かせるらしい。

 実際、行く先々で男に言い寄られるなど、珍しいことでもない。

 あちこちを旅する女は、ただでさえ軽く見られる。さらに占い師という職業も卑しいものとされているため、カシムが占いではなくそういうことで生計を立てているのだと勘違いした馬鹿に、一晩の値段を聞かれ殴り倒したことは数知れず。

 そこらのチンピラから、時にはかなり裕福な商人にまで、そういうお誘いを受けたりしたが、さすがに特権階級……しかもその最たる王族にまでそんな誘いを受けるなど、夢にも思わなかった。

 そんなカシムの胸中を、彼女の口が勝手に一言で言い表した。

「……正気?」

「聞くな。それは私の感知するところではない」

 まさか答えが返ってくるとは思わなかった。それも、肯定とも取れる答え。

 察するに、この騎士も王族の後宮に、一介の……どころか、卑しい占い師風情が招かれることを快く思っていないようである。あたりまえであるが。

「あの~、お尋ねしますが、それを私が拒否する権利はありますか?」

「無い。この国において、殿下の命令を拒否できるのは同じ王族のみ、さらにその命令を打ち消すことができるのは、最高権力者であるレムン王のみだ」

「やはり、そうですよね」

 予想通りの答えにに、カシムは顔をしかめる。

「すぐそこに馬車を待たせてある。必要なものがあれば、あとで使いのものにとりにいかせよう」

 要するに、文句をいわず今すぐついてこいということである。

 おそらく、ここで拒否しても強引に連れて行かれるのだろう。何しろ王族を、占い師一匹程度で非難するものなどこの国には一人もいないであろうから。

 カシムは、小さく諦めのため息をつく。

「わかりました。今この場にあるものが、私の持ち物すべてです。今からまとめますので、少しお時間をください」

 おそらく渋るだろうと予想していたが、あっさりと承諾され、騎士は一瞬言葉に詰まる。

「……了解した。何なら、私も手伝おうか?」

「いえ、見てのとおりほんの少しですから、すぐに済みます」

 そういって、あらかじめ持っていた箱や鏡を一まとめに小脇に抱え、地面に直接引いた絨毯の端に手をかける。

「本当にすぐ済みますから……ねっ!」

 最後の掛け声とともに、絨毯を持った端から跳ね上げ、その上に置かれた占い用の装飾品が騎士めがけてぶちまける。

「っ!?」

 突然のことに騎士は思わず身を引いてしまう。

 金属鎧に身を包んでいるのなら、その程度のことで動揺することも無いのであるが、従順を装っていたカシムのいきなりの奇襲に、不覚にも虚をつかれてしまった。

 装飾品の類が、鎧の胸当てにあたり跳ね返し、跳ね上がった絨毯が地面に舞い降りた跡にはすでに占い師の姿は無かった。

「くっ、おのれ!」

 騎士は慌てて視線をめぐらせ、すぐそばの路地の入り口に目を止める。

 ほとんど反射的にその路地に逃げ込んだことを確信し、すぐさま飛び込んでいく。


 表通りとは対極に、薄暗く汚れた裏路地に、口汚い罵り声が上がる。

「ふ~、やれやれ、冗談じゃないっての!」

 大事な商売道具を抱えながら、カシムは思いっきり地で毒づく。

「後宮? この俺がたかだか一国の馬鹿ボンボンごときの慰み者になんか、何でならなくちゃいかん? んなの、どっかの同じくらい馬鹿な世間知らずのお姫様にでもやらせてりゃいいだろうに」

 複雑に入り組んだ路地をすいすいと通り抜けながら、カシムは宿泊していた宿に向かう。

 先ほどは、ああいったものの、実際には宿にこれまでの稼ぎを置いたままなのである。それを取りに行かないと、カシムは明日にでも干からびてしまう。

「あ~、たく! せっかく実入りの良い国を見つけたと思ったら、これか……師匠のことを思い出したときはいつもこれだよ。……呪いでもかけられたかね?」

 本気でそのことが心配になり、ブルルッと身震いする。

 何しろ、文句なしにそれだけの能力を持っているのだ。

「……まあいいか、今度はディオ帝国にでも行ってみるかね。ここほど裕福じゃないそうだけど、最近色々と勢いがあるって言うし、飯もうまいって話だ」

「……ああ、ルバトの串焼きが名物だそうだ」

「!?」

 物思いにふけり込んでいたカシムだが、突然の声に慌てて顔を上げる。

 視線の先に、全身を金属で覆った騎士がいた。素顔が見えないため、先ほどと同一人物かは、見た目だけでは判断できないが、声から察するにそのようである。

「なるほど……それが貴公の本性、というわけか」

「……本性とは人聞きの悪い。ただの商売用だよ」

 もう取り繕う必要もないとばかりに、憮然とした表情を隠さず表に出す。

「なかなか身軽だな。この裏路地は地元の者たちでも迷うというのに……」

「あちこち旅した経験でね。逃げ道に困らないよう、こういう所の地理は頭に叩き込むようにしてるんだよ」

「なるほどな……路地の入り口の近くに店を開いていたのも、わざとか」

「そ、こういう商売だと、何かとシャバ代だとかいって因縁つけられるからね……で、そっちは?」

「私が? 何だ?」

「地元ですら迷う路地を、道を覚えた俺をあっさりと抜いて待ち伏せできる君はいったい何なんだろうな、て話だよ」

 その問いに、鉄兜の奥から小さな笑い声が聞こえる。

「フッ……たいしたことじゃない。幼少のころ、良くこの辺りを駆け回り、身をもってその複雑さを体験しただけの話だ」

「あら? 君、市井の出かい?」

 意外に思ったカシムの問いに、一度は和んだ騎士の雰囲気が一瞬にしてこわばる。

 どうやら、自分の出身をかなり気にしているようである。

「そんなことは貴様には関係ない」

「それもそうだね。撤回させてもらうよ」

 とりあえず身の危険を感じ、それ以上突っ込まないようにする。

 危険と感じたことには、すべからく道を譲るように。これが、師匠の下で人生の大半をすごせることができた、不動の心得である。

「さて……では、もう諦めてもらおうか。言っておくが、貴様の特徴はすでに外門の警備兵達に伝えられている。この場を逃れても、貴様はこの町から出ることは不可能だ」

「うっわ、徹底的だねえ。この国は妾を招くのにそこまで手間をかけるのか?」

「あと……貴様がこの場を逃れることも不可能だ。先ほどのような失態は二度とせん」

 どうやら先ほどのことが、騎士のプライドを傷つけたようである。

「う~ん、そうかあ……困ったねえ」

 それほど緊迫感も無く、胸の前で腕を組み苦笑するカシムに、騎士が逆に問い掛ける。

「……そもそも、なぜ逃げる。この国の第一王位継承者であられる殿下の寵愛を受けられることなど、名誉なことだと思わないのか? それはこの先、一生不自由をしない生活が待っている。貴様のようなものには夢のような話だろう?」

 その言葉に、小さく、馬鹿にするように唇の端を曲げ。答える。

「確かに夢のような話だね。でも、あんまり夢みたいで、現実味が無さ過ぎるんだよ。俺は、甘い夢より、面白い現実のほうが好きなんでね」

 言い終わると同時に、手荷物を左手に持ち、開いた右手を騎士に向ける。

 武器どころか、何も持っていない素手を向けられ、騎士は身構えるでもなく首をひねる。

「何のつもりだ?」

「さあ。何のつもりでしょう?」

 このときだけ、地のふてぶてしい表情ではなく、かわいらしく首をひねり。そして、腕を下げ、掌を自分と騎士との間の石畳の地面へと向ける。

 ゆっくりと息を吸い、目を閉じ、精神を集中させる。

「アテン・シェジ!」

 カシムの声とともに、掌の先から火の塊がほとばしる。

 塊は掌の向けられた地面に着弾し、燃え上がる。

 何も燃えるものの無いはずの石畳の上で、まるで油でも撒かれていたかのように激しく、高く燃え上がる炎。それは、カシムと騎士の目線を軽く超え、お互いの姿を相手から覆い隠した。

「……魔術!?」

 炎の向こうで、呆然とした騎士の声がする。

 それも無理の無いことである。魔術は、人が武器を手にしたのと同じく、人が生き延びるために古来より伝えられた秘術である。といっても別段、秘匿されているわけでもなく、魔術の理論自体、そこらの少し高等な教育施設なら一般に教えている。

 ただし、教えられたもの全てが魔術を使えるわけではない。理論を理解し、それを実践できるものはほんのごく一握り……特に近年はその数も減り、魔術理論を一般に広める動きが出たのも、その魔術師の数の減少を食い止める苦肉の策なのである。

 だからして、魔術を使えるものということは即座にその国お抱えの魔術師、というエリート入りを意味し、誰もが夢見ることである。要するに、あちこちをふらふらして、日銭を稼ぐ占い師風情が使える道理が無い。

 カシムは、騎士の疑問に答える代わりに、その声の発生源に炎越しに掌を向ける。

「イレス・マオ」

 掌に槍の刃先程度の炎の刃が生まれる。それがカシムの意志力により掌の向いた方角に炎の帯を槍の柄のように残しながら疾駆していく。

 その炎の槍は燃え上がる炎の中に消え、そしてその向こうで悲鳴と爆発音が生じる。

 炎が視界をふさぎ、さらにはその炎の中から飛び出す炎の槍……およそ常人にはよけられるはずも無い。

 カシムは汚れてもいない掌をパンパンと叩き、名残も無く背を向ける。

 あの騎士の言葉を聞くに、どうやら宿に残したお金のことは諦めたほうが良いようである。どうせ、占いをすればすぐにでも稼げる。それよりも今は、この町……いや、この国から逃げ切ることを考えねば。

 そこまで考えて、カシムの感覚は、危険を感知した。

 理屈ではなく、本能で……カシムは手にもった荷物を惜しげも無く放り捨て、その場に身を投げ出す。

 受身も取らないダイビング、その後頭部に感じたのは、風を切るような音と、何かが割れる音。

 地面の体の前面を打ちつけながら、即座に転がり背後を振り返る。

 そこには、剣を振り下ろした体勢で、剣を地面に食い込ませたままこちらを睨む騎士の姿があった。その剣先には先ほど地面に放った金属製の黒鏡が真っ二つに割れている。

「げっ、師匠の所から持ち出した唯一の本物だったのに……」

 思わずうめいてしまうが、そのうめきも騎士の放つ殺気に押し殺されてしまう。

 その背後では、相変わらず炎が燃え上がっている。なおかつ、銀色の鎧の所々が黒く変色し、煙を上げていることから見るに、あの炎の槍を受け、さらには燃え上がる炎を突っ切って、カシムに斬撃を放ったのであろう。

 炎を背にし、影となり黒々とした全身鎧は異様なほど不気味で、カシムはあっさりと両手を上げた。

「降参!」


 全面降伏をしたカシムは、拘束され、用意された馬車に詰め込まれ、あっさりと王宮の奥深くまで運ばれてしまった。

 周囲の荘厳な建物を見て、ようやく自分がこの国の王子に見初められたという事実を認識する。とは言うものの、それより気になることが一点。

「な~、だからごめんって」

「……黙って歩け」

「ハイハイ……でもなあ、大事な商売道具を真っ二つに割られて、なおかつこんな扱いを受けて……」

 そう言って、カシムは自分の体を見下ろす。胸の下辺りで縄を巻かれ、腕ごと拘束され、騎士に引き立てられている今の状況……誰がどう見たところで、連行中の犯罪者である。

「さらには、同行者がそんなにつんけんしてるんじゃあ、救いようがあまりに無さ過ぎると、そう思わない?」

「……黙っていろ。そうすれば悪いようにしない」

「悪いようにはって……女の子を無理やり後宮に連れ込むのって、悪いことに分類されないの?」

「…………」

 カシムの的確な指摘に、騎士が押し黙ったかと思うと。

「……悪いとは思っている」

「おや?」

 意外に意外な言葉に、カシムはまじまじとその鉄兜を見つめる。

「だが、殿下の興味を引いた時点で、貴様にこれ以外の選択肢は無くなった。もしこれ以上抵抗して、殿下のご機嫌を損なえば、私とて庇いだてはできない」

「…………あのさあ、ひょっとして」

 カシムは呆然と尋ねる。

「君ってば、俺に同情してたり……するの?」

「…………」

 沈黙が肯定する。

「…………ぷっ」

 肩を震わせ、ひとつ噴出すと、もうそこで我慢の限界を超えた。

「ぷひゃ、ひゃはは、くくくっ、あっはははははっ!」

 もはや遠慮のかけらも無く、笑い転げるカシムに、あたりまえだが騎士は憮然と。

「何がおかしい?」

「いや、いやいや、ごめんごめん。あ~、面白い、君って面白い!」

 一向に反省のかけらもないカシムに、騎士はギロリと睨みつける。

 そんな騎士の憤慨すら、面白そうに見つめるカシムは、唐突にとんでもない質問をする。

「ねえ君……俺、いや私を抱いてみたいと、思わない?」

「…………」

 無言でその場にひざをつく騎士。そして、思い切り疲れた声音で、

「……何のつもりだ? 色仕掛けでもしているつもりか?」

「ふふ~ん、だったらどうする?」

 楽しげな笑いを浮かべ、騎士の甲冑に包まれた背中に縛られたままの身体を擦り付ける。

「……悪いが、効果はないな」

「あらら」

「それに意味もない。私を誘惑したところで、もうこの場から貴様が逃げることは不可能だ。ここは王宮の最深部・後宮なのだから」

 騎士が頭痛を振り払うかのように首を振りながら、きっぱりと言ってのける。

「いやいや、そうでもないと思うよ」

「なに?」

「たとえばさ……後宮に招かれた側室が、主人に手をつけられる前に、他の男と関係を持っちゃったら?」

 ニコニコと無邪気に笑いを浮かべながら、えげつない発言をする。

「……悪いがその程度では……」

「それが、たとえば騎士様でも?」

「なっ!?」

 あまりのことに、言葉を無くす騎士。

「君ってさ、さっき見たけどかなり有能だろ? そして言動から察するに、かなり忠義に厚いタイプだ。てことは、これから会う殿下にもかなり気に入られている、と。ここまでは合ってる?」

「それがどうした?」

 ずきずきと痛む頭を抱え、とりあえず続きを促す。

「……そんな君と、俺とが関係を持っちゃって、それをその足で殿下にご報告しちゃったら。どうなると思う……怒る? それとも、笑って許してくれる?」

「……つまり、貴様は私をたらしこんで、後宮から逃げ出す算段を立てているというわけか……」

 苦々しく、騎士が詰問する。

「うんっ、悪くない話だと思うよ。それだけのことで、俺を抱けるんだし。もちろん俺、初物だよう?」

 縛られたままで、騎士の背中に体重を乗せる。金属鎧の重量とあいまって、騎士の体勢を前かがみにして行く。

「……さっきも言ったが、不可能だ」

「えー! 何で? 期間限定なら、結婚してやってもいいなあ、とか思ってたりするんだよ、俺?」

「……期間限定?」

「うん、一年か二年ぐらい、それ以上たったら多分俺、旅に出るだろうし……ああ、そのときは籍のほうは入れといたままでいいよ」

 さらに頭痛が増すようなことを、あっけらかんと言ってのける。

「なあなあ、それでもだめ……良かったら、そこの物陰ででも……ああ、あそこなんかいいんじゃないの?」

 などと言いつつ、建物の隙間の陰になった部分を指差す。

 指……で指している。

「……縄」

「ん? ああ、こんなん簡単簡単。……おお、もしかして縛ってた方が好み? 悪いね、気がきかなくて、何せ初めてだから」

 そそくさと自分で再度縄を巻いていくカシムに、騎士は深い……深いため息をつく。

「……だから、あのな……」

「そういえば、名前を聞いてなかったな? これから伴侶となるやつの名前も知らんとは、いかんな。名前なんていうの?」

 疲れきった世捨て人のように、力なく首を振り、騎士は答える。

「……エリスだ。エリシエル・ラクール」

「へえ、エリス……えっ!?」

 驚愕し、固まるカシムの目の前で、騎士はフルフェイスの鉄兜をとる。

 その無愛想な鉄兜の奥の素顔は……名前が表すような、可憐な素顔だった。

「……女?」

「そうだ……別に私は男だと言った覚えはないぞ」

 勘違いしたおまえが悪い、とばかりに女騎士エリスは不機嫌そうに眉を寄せる。

「は~……」

 エリスの顔をまじまじと見つめ、ため息をつくカシム。そんなカシムに、どことなくしてやったり、といった優越感を感じ、少しからかうように、

「というわけで、貴様と関係を持つ、ましてや結婚は不可能だ。納得したか?」

「ふむ……困った」

 カシムは腕を組んで考え込む。悩みに悩んで、ボソリと、

「実は……そっちのほうが好みだったりするんだけど……」

 その瞬間、本能的な嫌悪からエリスは重い鎧を着たまま驚くほどの距離を飛び退り、カシムとの間合いを取った。


 コンコンと扉がノックされ、どことなく硬い声がする。

『……連れてきました』

「そうか、入れ」

『はっ』

 返事とともに、扉が開き、姿をあらわしたのは一人の女騎士と、どことなく神官をおもわせる長衣に身を包んだ長身の美少女。

「ほう、お前が噂の美貌の占い師カシムか? なるほど、まあまあだな」

「ほほう、お前が噂の女好きの放蕩王子レイドか? 見た目はまあまあだが、性格チンピラっぽいな。この国も先が暗い。占わなくてもわかるぞ」

「…………」

「…………」

 互いの最初の一言で、王子の自室に重苦しい沈黙が立ち込める。

 半ばこのような事態を予想していたエリスは、鉄兜の奥の瞳で天を仰ぐ。

 はじめ、何を言われたか理解できなかったのだろう、きょとんとしていた王子だが、だんだんと理解していくに従い、秀麗なその顔立ちが憎悪に歪み、カシムの言葉どおりまるでチンピラのような表情になっていく。

「おい……」

 押し殺した声の向けられた先は、カシムではなく、その隣のエリスだった。

「何だ、コレは?」

 ビッとカシムを指差し、苛立たしげに尋ねてくる。

「……殿下がお望まれになられた女占い師です」

 だがそんなことを言われても、エリスにはそれ以外に答えようがない。

「ふざけんな! オレが欲しかったのは、噂どおりの神秘的な美貌の占い師だ。何だこのふざけた女は!?」

「……殿下……その神秘性は占いという商売のための演技だそうです」

「ああ?」

 エリスの言葉に、剣呑な視線をカシムに向ける。

「そうそう、何しろこんな言葉遣いの占い師じゃ。誰も客に来てくれなくてね。ちょっとした営業スタイルだよ」

 一国の王子、しかも唯一の現レムス王の嫡男……つまりは、まず確実に将来のこの国の王、その男に睨まれているというのに、まったく平然とカシムは答える。

 レイドはそれが気に入らなかった。王と王妃を除き、誰もが自分の前では恐縮し、かしこまる。誰もがそうであり、そうあるべきである。だというのに、この女は、まるで王子がそこらのチンピラででもあるかのように、飄々とした態度を崩さない。

(俺の期待を裏切っただけでなく、この態度、許せんな)

 それがレイドの結論であった。

「おい、お前!」

「…………」

「聞こえないのか! おいっ!?」

「………………」

 荒々しいレイドの呼びかけに、カシムは無視を決め込む。

 何度呼んでも反応しないカシムに、レイドはエリスに責めるような視線をぶつける。

 それに仕方なしにエリスは、カシムに呼びかける。

「カシム、殿下がお呼びだ」

「うん、何?」

 あっさりと返事をする。それにレイドは脱力し、馬鹿にされたとさらに怒りをあらわにする。

「てめえ……なんでエリシエルだとすぐ返事をする。王子であるこのオレ様を無視しておいて……」

「何って、決まってるだろ?」

「ああ!? 何だ?」

「君が俺の名前を呼ばなかったからだよ。てっきり、エリス君か、もしくはそこらの壁にでも話し掛けてるのかと思っちゃってたね」

 その答えに、レイドはあんぐりと阿呆のように口をあける。

「て、てめえ! オレを誰だと思ってるんだ!?」

「……ふむ、まあ大体はわかってると思うんだが、さっきみたいに勘違い、ということも、まあありえる。ここは堅実にご本人様に説明してもらうのが、間違いがないだろう」

「ンナッ!?」

「さあさあ、遠慮せずにどんどん自分をアピールしてね。きちんと、聞いてあげるから」

「んがーーーーーっ!!」

 あまりの怒りに、その場で咆哮を上げる。それにカシムはフンフンと頷き。

「なるほど『んがーーーっ』か、ふむ……君もなかなか奇特な人生を送っているようだね」

「こ、このっ………はあ、はあっ」

 咆哮を勝手に独断で意訳し、勝手に納得するカシムに、レイドは何とか激情を抑え、息を整える。

 簡単だ、一言言えばいいのだ、そうすればこの馬鹿女にも自分がどれほど立場の違う存在に話していたのか、わかるはずだから……。

「オレはレイド……この国の第一王子だ」

 言ってやった。そう思った。これでこの生意気な女も他の輩同様平伏するに決まっている。そして、哀れっぽく許しを請うのだ、あの整った顔で……考えるだけでぞくぞくする。

「…………」

 だが、いつまでたってもそれはこなかった。

「?」

 見ると、カシムの表情は一応歪んではいた……歪んではいたのだが、それはレイドが期待してものではなく……何かとても哀れなものを見ているかのような、そんな視線だった。

「なんだ? その目は?」

「……あ~、言いにくいんだが。それだけかい?」

「はあ?」

 聞き返すレイドの言葉を、肯定と受け取ったカシムはとても悲しそうに首を振る。

「ふう……自分をアピールする言葉が、たった一言……しかも、王子という王族に生まれた最初についている肩書きだけ……ということか」

 とてもかわいそうなものを見る目でレイドを見つめる。

 レイドはあっけにとられてその視線を受けた。

「それはつまり……生まれてより、今まで、王子という肩書き以外の何物も生み出すことなく人生を送ってきたということ……とても寂しい人生を送ってきたんだね」

 ご丁寧に涙まで漏らしながら、同情の言葉をレイドにかける。

 そこでようやくレイドの脳は動きを再発させた。

 つまり……要するに、この女は自分を哀れんだのだ。王子という誰もが羨む存在の自分を、かわいそうだと……レイドのせっかく動き出した脳だが。あっさりと何かが切れる。

「てめえぇぇ、殺す!」

 腰に剣を挿しているのに、それに手をかけるという発想自体浮かばないようで、その両の拳で殴りかかる。

 カシムは、それを予想しているかのようにあっさりとよける。

「このっ、よけるな!」

 ぶんぶんと腕を振り回すが、まったくあたらない。というより、まったく見当違いの方向を殴りつけてさえいるので、これではあたるほうが難しい。

 どうやら、噂の放蕩王子は、真実に放蕩を続けており。ろくな武術も身に付けていないようだ。

 占い師であるカシムですら、殴ることのできないレイドは、すぐさま体力が尽きたかのように、動きを止め肩で息をする。

「エリシエル……」

 ぎらぎらとした憎悪の目で、エリスを呼ぶ。

 その底冷えのする声音に、エリスは王子の次の言葉を察する。

「こいつをぶちのめせ、オレの命令だ」

 予想通りの命令に、エリスは黙って剣を鞘ごと抜き、構える。

「あらら」

 それを見て、カシムはようやく緊張した表情を見せる。

 エリスはそのカシムの表情をできるだけ見ないようにして、踏み出す。

 鍛えぬかれた脚力で床を蹴り、カシムのすぐ横に移動する。

 カシムは何が起こったのかわからないような……というより、エリスの姿を見失って戸惑った表情をしている。

 エリスは、カシムが気づく前に、速やかに剣を振り、鞘を彼女の首の後ろに打ち据える。

 おそらく、カシムは痛みを感じることもなかっただろう。


 目がさめたとき、見知らぬ天井が目に入る。

「……んっと」

 首の後ろに痛みを感じつつ、何事もないかのように身を起こす。

 彼女の人生において、おそらく最高のものであろう、異常なほどやわらかいベッドの感触……まるで宙に浮いているようで落ち着かない。

「……やれやれ、ちょっと悪ノリが過ぎたかね」

 痛む首根をさすりながら一人ごちる。意識を失うほど打ち据えられたというのに、あまりいたみは残っていない。

「ふむ……手加減して、意識だけを失うように正確に急所に入れたのか……エリス君。やっぱり良い子だな」

 動くたびに身体が沈むベッドの上を泳ぐようにして、何とか床に降り立つ。

 だが、その床に敷き詰められた絨毯も、またもや沈むような弾力性を持った最高級品だった。カシムが占いのときに使っていた安物の絨毯とは大違いだ。

「はは……ちょっとこれは、勘弁して欲しいな」

 いくら気持ちよかろうが、立っているのが怪しくなるほどの柔らかさは、ちょっとうんざりする。

 それがまるで、今の自分の状況を表しているかのようで、少し気分も沈む。

「はあ……さてさて、これから俺はどうなっちゃうんだろうねえ」

 カシムの問いに、答えられるものはまだ誰もいなかった。


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