真面目で不器用な人
夕食と入浴を済ませ、パウリナは寝室に入る。いつも通りソファーへ座ろうと近付いたものの、今日は横になりたいと思ったのでベッドへ潜り込んだ。
パウリナは天井を見つめながら泣くにはどうしたらいいか考える。彼女は今まで泣き落としの経験がない。上目遣いで相手を見つめて要望を伝えれば希望が叶ったからだ。リチャード相手にも初夜では問題なかったのに、対策でもされたのか現在では効果がなくなっている。だからこそヨランダの助言は試してみたいところではあるのだが、肝心の泣く方法がわからない。話し合っている間に自然に泣く可能性にかけるしかないのだろうか。不測の事態に弱いのなら効果的ではあるだろうが、自分も慌ててしまう気がする。彼女はお腹に手を重ねて温めながら、いい案が閃かないだろうかと目を閉じる。
暫く目を閉じていたパウリナであったが、解決せずに眠ってしまいそうだと目を開ける。視界には何の変化もない天井、そして静まり返った空気感だけ。今までリチャードを待っている間には感じたことのない不安が彼女の心に広がる。
パウリナがこの寝室で寝起きしているのはレヴィ王家の慣習だからであり、リチャードが望んでいるとは限らない。結婚を楽しみにしていたと言ってくれたが、一緒に過ごすうちに想定とは違ったと判断されている可能性はある。実際彼女は結婚すれば楽しい毎日を過ごせると思っていたのだ。他愛もないことを話して笑い合うような生活。しかし彼はあまり笑わない。
パウリナはお腹をさする。鎮痛剤が効いているので痛みは感じていない。それでも悪い方向に思考が傾いていくのはこのせいだと思う。普段なら何とかなると思えることさえ、どうにもならないような気がしていた。今までこのような感情に支配された記憶がないので、結婚に対しての不安が心のどこかにあったのだろう。自分はリチャードに選ばれたのだという自信が根幹から揺らいでいるからかもしれない。
パウリナは横向きに姿勢を変えながら、何故リチャードが自分を選んだのだろうかと考える。ヒルデガルトとの二択なら、自分の方がましだと判断されたのかもしれない。そして彼は自国の女性を選んでも良かったのに選ばなかった。彼女はまだレヴィ王国の貴族女性をあまり知らないが、少なくともグレースとスカーレットは魅力的な女性である。今日会ったヨランダも明るくて接しやすかった。王太子妃に相応しい女性は多くいそうである。
パウリナがぐるぐると考えていると扉を叩く音がした。彼女は身体を起こす気力がなかったので、横になったまま返事をする。扉を開けてリチャードが入ってくるのを彼女は横になったまま見ていた。彼はソファーに誰も腰掛けていないのに気付き、少し慌てたように周囲を見回し、ベッドの彼女に気付いて近付いてきた。
「体調が悪いのか? 医者を呼ぶか?」
リチャードはベッド脇に跪いてパウリナの顔色を伺う。レヴィ王太子が跪いてはいけないだろうと彼女は思ったものの、起き上がる気分でもなかった。
「薬は効いているので大丈夫です。心配してくださりありがとうございます」
リチャードの負担になってはいけないと、パウリナは何とか笑顔を作る。それを見て彼は安堵したような表情を浮かべた。
「不慣れな環境で色々と大変だろう。辛ければ明日以降の予定も延期すればいい」
「乗馬は怖かったので延期しましたけれど座学は大丈夫ですよ。リチャード様も横になってください」
メイネス王国では国王など目上の者に対してのみ跪く。ここはレヴィ王国とはいえ、パウリナにとってリチャードがその姿勢でい続けるのは落ち着かなかったのだ。彼は少し躊躇った後でベッドに横になった。珍しく彼は横向きで彼女を見つめている。その様子を見て彼女は自然と微笑みを零す。
「そのように心配そうな表情をされなくても大丈夫ですよ。毎月のことです。明後日には落ち着きますから」
「そうなのか?」
「個人差はありますけれど私はそうです。覚えてもらえたら嬉しいです」
パウリナはつい希望を零した。ヨランダに我慢しなくていいと言われたのを思い出したのだ。それにそんなことをいちいち覚えていられるかと、リチャードなら思っても言葉にはしないとも信じている。
「わかった。覚えておく。それ以外でも辛ければ横になるなり先に寝るなりしてくれていい」
「ありがとうございます」
お礼を言いながら王太子妃らしくないなとは考えずに横になっていたとパウリナは気付いた。毎日レヴィの歴史や作法などを教わっているうちに、王太子妃らしく振舞わなければと無意識に気を張っていたのかもしれない。彼の妻として堂々と横に立つために王太子妃の振舞は大切だが、この寝室では自分らしくあるべきなのではないだろうか。それこそ今日の茶会でヨランダが本当に伝えたかったことは、これなのかもしれないと彼女は思った。
「ひとつお願いをしてもいいですか?」
「あぁ、私に出来ることなら対応する」
「身体を温めたいので抱きしめてもらえませんか?」
パウリナのお願いが意外だったのか、リチャードは彼女の言葉を聞いて無表情で固まった。肌を重ねた日もそうでない日も、眠りに就くときは離れていた。それが彼女には少し寂しかったのだ。時間が経てば抱きしめてくれるようになるかと彼女は楽観的だったのだが、どうにもその気配を感じない。だから体調不良にかこつけて言ってみたのである。
「それは寝難くないか?」
リチャードの言葉にパウリナは視線を伏せた。兄の優しさは自分を守っているだけなのというヨランダの言葉が脳裏に蘇る。自分がやりたくなければ、自分の希望が通るように言葉を選ぶのがレヴィ王家の普通という話も聞いた。彼は王太子として後継は必要だが、それ以上の触れ合いなど必要ないのだろう。そう思うと彼女は悔しくて身体を反転させ、彼に背を向けた。
「嫌なら嫌だと言ってほしいです。おやすみなさい」
パウリナは今夜切り出す話ではなかったと反省しながら目を閉じる。そもそも月のもののせいもあるが、その前からぎくしゃくしていたリチャードのせいでもあると彼女にしては珍しく内心で夫にあたった。彼女は夫と距離を縮めたいだけなのに、何故上手くいかないのだろうと悔しくて仕方がない。
「嫌だとは思っていない。ただ熟睡できないと辛いだろうから」
おやすみ以外の言葉が聞こえてきて、パウリナは目を開けた。リチャードならそのまま寝ると思っていたのだ。苦手だろうに会話を試みてくれる夫に彼女は少しの期待を抱く。
「抱きしめてもらえない方が辛いです」
「そうか」
納得したような返事の後、背後でリチャードが動いている気配をパウリナは感じた。しかし気配だけで抱きしめられはしない。期待などするべきではなかったのだと彼女が再び目を閉じようとした時、彼の手が彼女の手の上に重なる。
「これでは抱きしめていないのはわかるのだが、抱きしめて眠る方法がわからない」
リチャードの声は困惑に満ちていた。パウリナの心の中で蠢いていた悔しさはその声で霧散し、呆れたような笑いが浮かぶ。彼はきっと真面目で不器用な人なのだ。抱きしめるのが嫌だったわけではなく、本当にどう抱きしめればいいのかわからなかったのだろうと彼女には思えた。
「もっと密着してほしいです」
そう言ってパウリナはリチャードの手を引き寄せた。その力では彼を密着させられなかったが、彼はそれで理解したのか彼女の背中に密着する。彼の体温を背中で感じて、彼女の心も温かくなる。
「私が眠るまではこのままでお願いします」
「あぁ、わかった」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
パウリナは久しぶりに幸せを感じながら目を閉じる。背後のリチャードが本当にこれで眠れるのかと不安そうにしていたのには気付きもしなかった。




