ドレスの試着
初めての乗馬の日から暫く、パウリナはリチャードとの距離感を縮められずにいた。何でも言って欲しいと伝えても言ってくれない。流石に結婚して間もない夫の本心など彼女にはわからなかった。またその夜から彼が触れてくれなくもなった為、彼女は自分の存在意義さえ見失いそうだった。このままではいけないと初夜の時のように自分から伝えようと決めたその日に月のものが始まり、彼女は朝食後自室のベッドで蹲っていた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。薬が効くまで少し待って」
心配そうに尋ねるシエンナにパウリナは腹部に手を当てながら答えた。メイネス王国では我慢するしかなかった痛みであるが、レヴィ王国では専用の鎮痛剤が流通している。ボジェナが教授になってから開発された薬だ。叔母は女性の為に医者として働き、子供を二人出産したというにもかかわらず、自分は情けないなとパウリナは珍しく弱気になっていた。同じメイネス王国の王女なのにとも思うが、叔母は結婚に至るまでに苦労をしたと聞いている。パウリナはレヴィ王国に嫁ぐまで不自由な暮らしなどしていないのだから、比べるのは間違っているだろうと腹部をさすって気持ちを落ち着かせた。
「妊娠したら楽になるのかしら」
「つわりの方が大変ですよ」
パウリナの呟きにアビゲイルが淡々と答える。
「どうして断言できるの?」
「個人差がある問題ですけれども、私は妊娠中の方が辛かったです」
アビゲイルの言葉にパウリナは痛みも忘れて起き上がると、アビゲイルを見つめた。
「出産経験があるの?」
「一歳になる息子が一人います」
「幼い子供がいるなら私の侍女なんてしている場合ではないでしょう?」
「近衛兵は基本的に出産後も働きます。家族も私も納得して働いています」
「納得しているの?」
「王妃殿下は産前産後半年ほど休まれますが、それ以外は公務にあたられます。そういうものでしょう」
アビゲイルの言葉にパウリナは納得するしかない。そして自分もまた出産後も公務を続ける必要があるのだと思い知る。メイネス王国の夫人達は仕事などしていなかったが、ここはレヴィ王国。メイネス王国の常識は通用しない。実際ボジェナは出産後も医者を続けている。
「大国だからこそ環境が整っているのよね。いいのか悪いのか、痛みに耐えている状態では上手く考えられない」
パウリナはそう言って再び横になると腹部を抱えた。
「ツェツィーリア前王妃殿下は公務を一切されませんでしたので、しないという選択肢も一応あります」
「それはそれで嫌なのよ」
パウリナはヒルデガルトのせいでローレンツ公国にいい印象がない。故にローレンツ公国出身のツェツィーリアと同じ轍は踏みたくなかった。そもそもツェツィーリアの評判が良くなかったからこそ、今のナタリーの評判が非常にいいとも聞いている。
ナタリーの名前が頭を過ったところで、茶会時のやりとりをパウリナは思い出す。安らげるような空間を作ると宣言したのに現状出来ていない。これから先は長いからと言い訳出来なくはないが、自分以外の女性がリチャードの心を射止めてからでは遅いのだ。
「レヴィ王太子妃は本当に難しいわ。殿下が長らく独身だったのもそういう事よね」
大国の王太子、顔立ちは整っていて性格も優しい。本来なら十代で婚約が調っていてもおかしくない条件だ。それなのにパウリナと婚約を調えた時のリチャードは二十二歳。ナタリーを間近で見たレヴィ貴族女性なら尻込みしてしまうのも頷けると彼女は思う。
「それは違います。殿下はレヴィ国内の貴族女性を選ばなかったのです」
アビゲイルの言葉をパウリナはどう受け止めるか迷った。素直に取れば結婚したいと思える相手がいなかっただろう。だが国内の女性に無理を押し付けたくなかったとも取れる。
パウリナが悪い方向へと思考を傾けようとした時、扉を叩く音がした。そしてキアーラが王太子妃の私室へと入ってくる。
「レティ様より返信がありました。乗馬授業延期の件は了承との事です。また体調に問題がなければ午後にヨランダ殿下とグレース嬢との茶会に参加しませんか、との事です」
鎮痛剤がきいたとしても馬に乗るのが不安だったので、スカーレットには悪いが授業を延期しようとパウリナは昨日手紙を書いていた。スカーレットならすぐに了承してくれると思っていたのに返信が遅いと不安だったのだが、茶会の段取りをしていたのだろうか。しかしリチャードの妹とは結婚式とその後の晩餐会で顔を合わせただけである。
「シエンナ、ヨランダ殿下はどのような方?」
「ヨランダ殿下はとても努力家で、お優しい方です。また降嫁が決まっていますので、交流されるなら今のうちかもしれません」
レヴィ王家に連なる者は努力をしなければいけないのだろうかとパウリナは思う。生理痛で蹲っている自分はリチャードに相応しくないと言われたら困るなと、どうにも思考が悪い方へと向かってしまう。
「お三方は幼なじみですから和やかな茶会だと思いますよ」
パウリナが参加を迷っていると思ったのかアビゲイルが補足する。
「何か悩んでおられるのなら、相談するのも宜しいのではありませんか」
「相談でも愚痴でも私はいつでも対応しますよ」
キアーラも茶会を勧めるが、シエンナは自分がと主張をする。パウリナはまだシエンナとは相談出来るような関係は築けていないと思っていた。正直ヨランダに話すのもどうかと思うが、グレースとスカーレットには話を聞いて欲しい気持ちがある。
「グレースに久々に会いたいから参加すると伝えてくれるかしら」
「かしこまりました。それと王宮舞踏会のドレスの試着までには王太子妃らしくして下さいよ」
「大丈夫、少しずつ鎮痛剤の効果が出てきているから間に合うわ」
パウリナの言葉を聞いて、キアーラはスカーレットに返事をする為に部屋を出ていく。パウリナは深呼吸をして身体を起こした。丁度鎮痛剤の効果を感じ始めていたのだ。
暫くしてキアーラが戻ってきた後で、裁縫職人達がドレスを抱えてパウリナの部屋を訪ねてきた。薬の効果が出ていたパウリナは王太子妃らしく振舞おうとにこやかな態度でドレスの試着をする。
「このようなドレスは初めてだわ。とても素敵ね」
パウリナは心からそう思って笑顔で感想を伝えた。意匠が決まっている状態から採寸通りに仕立てたドレスである。正面から見れば完成しているようだ。勿論、彼女の背後では職人が微調整の為に話し合いをしているのだが。
「この刺繍もレースもとても手が込んでいるわね」
パウリナはくるりと鏡の前で回りたい気分だったが、後ろに職人がいるので我慢する。その代わりに視線を下げてドレスの刺繍やレースをまじまじと見つめた。
「短期間で出来たとは思えない。素晴らしいわ」
「短期間ではありませんよ。元々寸法はわかっていましたから」
「どこで知ったの?」
「職人の伝手です。ただ体型は日々変化しますからレヴィに入られてから確認の為に採寸をし、今日は最終調整となります」
職人の伝手と聞いてパウリナはキアーラに視線を向けるが、キアーラは小さく首を横に振る。パウリナの母国での普段着はキアーラの父の伝手で購入していた。レヴィから職人が採寸に来るのは大変だろうと気を回したのかもしれないが、それを教えてくれても良かったのではないだろうかとパウリナは思う。
調整の話し合いが終わったのでパウリナは試着していたドレスを脱いで、元々来ていた服に着替える。職人達は大切そうにドレスを箱に片付けた。
「それでは舞踏会前日に調整したドレスを持って伺います」
「えぇ。楽しみにしているわ」
一礼をして職人達は部屋を辞していった。パウリナはソファーに身体を預けると、とある事が気にかかった。
「ドレス以外の靴や宝飾品はどうなっているの?」
「靴は寸法に合わせて作製中です。宝飾品の準備指示は出ていません」
「私は元々宝飾品なんてたいして持っていないわよ?」
パウリナは困ったようにアビゲイルを見つめるが、アビゲイルは無表情のままだ。キアーラに視線を向けると小さく頷いた。多分キアーラは伝手があるのだろう。パウリナは茶会に出席すると答えて正解だったと安堵した。彼女達に王宮舞踏会に必要な宝飾品を聞いて備えれば問題ないはずである。弱気になっている場合ではないとパウリナは心の中で気合を入れた。




