王太子妃の私室にて
パウリナの私室では夕食の準備が進められていた。リチャードからは会食の予定が続いているので、暫く夕食を一緒に取れないと聞いている。今日の茶会の時にナタリーに確認してみると、公務として一緒に会食する場合を除きエドワードと夕食は別と言われた。ナタリーは基本的に子供達と夕食を共にしているが、出産前は一人で食べていたとの事。しかも当時はエドワードの仕事が忙しく、夕食後も仕事をしていて寝室に来るのは毎晩遅い時間だったと言われたので驚きである。リチャードも遅い日があったが、昨日は早かった。仕事を早めに片付けてくれているのかもしれないと思うと、パウリナの表情が緩む。
「今日は楽しそうですね」
シエンナがパウリナに話しかける。パウリナより一つ年下のシエンナは、侍女の一番重要な役目は話し相手だと積極的に話しかけていた。距離を縮めたいと思っているのだろうと、パウリナも話しかけられた場合は対応する。
「昨日まで楽しくなさそうだった?」
「悩んでいるように見えました」
「そうね。少し悩んでいたかも。まだ全部は解消していないけれど、前進はした気がする」
そう言いながらパウリナは今日の授業をふと思い出す。家系図には王家に嫁いだ女性の素性が明記されていたが、その中には王妃の侍女もあった。彼女はリチャードの従者を知らないが、彼も自分の侍女をアビゲイル以外知らないはずである。どうやって顔を合わせるのだろうと考えるものの、どうにも思いつかない。夫婦の寝室の場所はわかるが、夫の私室も執務室も場所さえ知らないのだ。知らないと思った所で彼女ははっとした。言付けを依頼してその際に会うのだろうか。いや、それなら従者が受け取るのが普通だ。侍女が簡単に王太子に会えるとは思えない。
「急にどうされましたか?」
俯いて考え始めたパウリナにシエンナが声を掛ける。パウリナはいつもの癖で疑問を口にする。
「今日の授業で王妃の侍女から国王に嫁いだ女性がいると聞いたのだけれど、どこで会ったのかと思って」
「私には婚約者がいます」
「あ、ごめんなさい。シエンナを疑ってなんていないわ。ただの疑問」
シエンナが選ばれた経緯は、婚約者がいる侯爵令嬢だったのかもしれないとパウリナは思った。レヴィ王国では重婚を認めていなければ、貴族同士の離婚には国王の許可がいる。将来の王妃の座を狙っていない女性というのは重要なのかもしれない。
「私は事情を知っておりますが内容は面白くありません。それでも気になるのでしたら語りますが、いかが致しますか?」
二人の会話にアビゲイルが割って入る。状況からして面白い話ではないとパウリナにもわかる。しかし好奇心が勝った。
「気になるから教えて欲しいわ」
パウリナの返事を受けて、アビゲイルは話し始める。当時の王妃は体調を崩して寝込んでいた。侍女は王妃の看病をする為に常に侍っており、また国王も王妃の様子を度々見に来ていた。王妃は体調不良で眠っている事が多く、侍女と国王はその傍らで言葉を交わすようになり、徐々に情さえも交わすようになった。
「その王妃殿下、悲しすぎませんか?」
一緒に聞いていたシエンナがやや苛立った様子でアビゲイルに問いかける。一方パウリナは母国でも聞いた事ある話だなと思った。
「その時代の女性は結婚相手で生活が決まりました。上昇志向があれば何でもします。その王妃が寝込んだのも侍女の仕業だろうと言われています」
「怖すぎます。パウリナ殿下。私は毒の知識なんて一切持ち合わせていませんからね」
「私を害する人間を侍女に選ぶとは思っていないわ」
不安そうな表情のシエンナにパウリナは微笑みながら答えた。調理室から部屋まで運ばれてくる間に毒を混入させる事は可能なのかもしれない。しかし疑い出せばきりがない。折角の美味しい料理なのだから疑わずに堪能したいというのが、パウリナの本音である。
「解毒剤を複数用意した方が宜しいのでしょうか。私にはいくつか伝手があります」
黙って話を聞いていたキアーラが口を挟む。アビゲイルは無表情でキアーラを見据える。
「毒を混入させるような事態など引き起こさせません。それに解毒剤でしたら各種近衛兵室に常備しておりますのでご安心ください」
「リチャード殿下にも毒が盛られる可能性はあるの?」
パウリナは思わず尋ねた。自分はまだしもリチャードに何かあったらと思うと心配でならない。
「現在その可能性は非常に低いでしょう。しかし備えあれば憂いなしと申します。私共は新しい毒が見つかる度に、新しい解毒剤を入手するだけです」
「以前は毒殺が多かったとリチャード殿下から聞いたわ。それで備えているの?」
「そうですね。近衛兵は国王陛下及び王太子殿下が動かせる唯一の兵士です。騎士ではなく兵士なのは命令されれば何でも対応するからです」
アビゲイルの質問にパウリナは兵士と騎士の違いを思い出す。そもそも騎士なんて母国で使った記憶のない言葉である。しかし目の前の近衛兵は侍女をしているのだから、何でもするというのはそういう事だろうと結論付けた。
「国王陛下と王太子殿下が争うようになった場合、近衛兵はどうするの?」
「現状でしたら仲裁に赤鷲隊隊長を呼びます」
「あか……隊長?」
聞き慣れないレヴィ語をパウリナは聞き取れず首を傾げる。アビゲイルはパウリナの予定表が頭に入っているので説明が必要であると判断をした。
「陛下の弟君であるジョージ様です。隊長ではありますが、レヴィ国軍総司令官に当たり、レヴィ王国で唯一閣下と呼ばれる存在です」
まだ習っていないレヴィ王国の話が出てきてパウリナは頭が痛くなってきた。エドワードの弟ならばリチャードの叔父になる。しかし彼女はリチャードの家族構成を完全に覚えていない。だが結婚式後の晩餐会に出席していなかったのは間違いない。
「現状陛下と殿下が争うような状況になるとは思えません。ですからそのような懸念は忘れて頂いて問題ありません」
アビゲイルはきっぱりと言い切った。パウリナもリチャードがエドワードに刃を向けるとは到底思えない。そもそもリチャードが誰かと争うなんて似合わないとも思った。
「それならリチャード殿下は歴代の王太子に比べて執務量は控えめなのかしら」
「歴代と比べるとそうとは言い切れません。ですが陛下と比べた場合は控えめです」
「陛下はとても働くのがお好きな方なの?」
「そうですね。今は違いますけれども、王太子時代は睡眠時間をかなり削っていたと聞いています」
昼間のナタリーの話とも一致するので、エドワードは王太子時代余程仕事をこなしていたのだろうとパウリナは思った。平和になり、レヴィ王国が大陸一の大国になったのはエドワードの治世になってからとも聞いている。
「陛下に感謝しなければいけないわね。陛下が善政を敷いてくれたからこそ、リチャード殿下は睡眠時間を削らずにいられるのだもの」
パウリナはエドワードと共に裏で支えたであろうナタリーも尊敬した。自分なら睡眠時間を削ってまで執務をするリチャードを支えられたとは思えない。一方、彼女の言葉に侍女三人は驚いたような表情をしていた。
「どうかした?」
「パウリナ殿下の考え方が素晴らしいなと思いました。私も見習います」
シエンナは笑顔でそう答えた。パウリナはリチャードの仕事量を減らしてくれて有難いという考えのどこが素晴らしいのかわからなかったが、とりあえず頷いておいた。
「そろそろ夕食にしましょう」
アビゲイルがパウリナに食事を勧める。朝食時に昨日と同じ時間に寝室に行くとリチャードに言われている。こんな所で時間を取られている場合ではないと、パウリナは準備が整っていた夕食に視線を向けた。




