夫婦の語らい
「呼び名以外で、夫婦として求めるものは何だろうか」
リチャードの言葉で、パウリナは彼の表情が硬かった理由を理解した。彼女はその質問の意図がわからなかったから、呼び名の話をしたのだ。しかしここで意図がわからないと言っていいものか彼女は悩む。彼が積極的に会話を試みてくれているのだから、続くような返事をしたかった。
「リチャード様に理想があるのなら教えて欲しいです」
「いや私は貴女の意見を――っ」
貴女という言葉にパウリナは即座に反応し、不満を顕わにする。その表情を見てリチャードは口を噤む。そして彼は息を吐いてから彼女を見つめた。
「私はリーナの意見を聞きたい」
リチャードから発せられた愛称の響きが彼の特別な存在になれたような気がして、パウリナは思わず微笑みを浮かべる。しかし彼の真剣な眼差しを無視するわけにはいかない。彼が何を望んでいるのかわからない以上、自分の素直な気持ちを口にするだけだ。
「私はリチャード様と話したかったのでレヴィ語の勉強を頑張りました。ですから色々と語り合いたいです。ハーブティーを用意したのは、リチャード様が忙しそうなので少しでも疲れが取れればいいなと思ったのです」
「あれは私を気遣ってのものだったのか」
「はい。ですが押し付ける形になってしまったと反省しています」
パウリナは視線を落とした。先程はわからなかったが、美味しかったは不要の婉曲表現だったのだろう。はっきり言ってくれた方が彼女にはわかりやすいが、リチャードは相手を傷付けないように言葉を選んでいるような気がする。今後はより語り合い、彼の本音がわかるようにならなければと密かに決意をする。
「いや、私の為だったのなら嬉しく思う」
嬉しく思うと言っている割には、パウリナにはリチャードが嬉しそうに見えなかった。彼女は比較的表情がそのまま出てしまうのだが、彼は出難いのかもしれない。それでも表情か声色に嬉しさを出してもらわなければ、どうにも彼女は彼の言葉を信じきれなかった。
「私は言葉の裏や表情の僅かな違いなどを推し量れません。傷付きやすい事もないので、出来ればはっきりと言ってもらえませんか?」
パウリナは嘘が得意な方ではない。王太子ならば色々な駆け引きの為の術を習得しているかもしれないが、それを夫婦間でされても困る。夫婦だからこそ言えない話もあるかもしれないが、その場合は悟られないように上手く隠して欲しいと彼女は思う。
リチャードは心の内を言葉にするかどうか躊躇った。グレンの助言が過るが、遠慮し過ぎなのかどうなのかがわからない。
「私は語り合いたいと言いました。リチャード様は夫婦間に会話は必要ないと思っているのですか?」
パウリナは決して責めるような口調ではない。リチャードも会話が必要だと思っているのだが、何分気になっている事が繊細な件なのだ。しかし今話さなければ次の機会はないかもしれないと、彼は意を決する。
「答え難いかもしれないのだが、それでもいいだろうか」
「難しい話なら即答出来ないかもしれませんけれど、話して欲しいです」
パウリナはリチャードが何を言うのか全く予想がつかない。もしも政治的な話だったり、昨日今日の講義の件だったりしたら、誤魔化すべきか正直にわからないと伝えるか悩む。一方リチャードは気まずいのか視線を伏せた。
「その。閨事についてなのだが、私の経験が乏しくリーナに負担をかけただろうか」
パウリナは瞬きを数回繰り返した。そしてリチャードの言葉を反芻する。想定外の話ではあるが、話し難そうにしていた理由はわかったので微笑む。
「私も初めてでしたから何とも言えませんけれど、優しくしてもらえて嬉しかったです」
パウリナは一生リチャード以外に抱かれるつもりはない。故に彼の対応が普通なのか否かの判断のしようがなかった。ただ優しかったとは思ったのでそのまま言葉にする。彼女の言葉を聞いて彼は安堵の表情を浮かべた。
「リーナの無理のない範囲で構わないので、また抱いてもいいだろうか」
「王太子妃の一番の仕事は王太子を出産する事ですから遠慮は要りません。あ、昨日、一昨日は申し訳ありませんでした。先に寝ないように気を付けますね」
パウリナは笑顔を浮かべる。一昨日、早く寝ようと言った時にそれ程疲れていないとリチャードは言っていた。もしかしたら一昨日も昨日もそのつもりだったのかもしれない。彼女には彼の執務量が大変そうに思えたが、彼にとっては普通の可能性があったのだと思い至った。
「出産については周囲がとやかく言わないように配慮をする。母も苦労したと言っていたので守ってくれるだろう」
「お気遣いありがとうございます」
リチャードの言葉にパウリナは素直に礼を言った。彼が今後何人娶るのかはわからないが、暫くは自分ひとりだと言われたようで嬉しかったのだ。出来るなら自分が男児を出産してからにして欲しいが、それを言うのは流石に図々しいだろうと言葉を飲み込む。
「早速ベッドに移動しますか?」
「あ、いや」
「もう少し語らいますか? あ、今夜はお疲れですか?」
立て続けに話すパウリナにリチャードは思わず笑みを零す。その優しい微笑みに彼女の鼓動が高まる。
「疲れていないからリーナの言葉に甘えよう。ベッドまで運んだ方が良いか?」
「お願いします」
リチャードの申し出をパウリナは迷わず受け入れる。昨夜運んでもらったのは覚えているが、眠かったので彼がどのような表情をしていたのかはわからない。申し出てくれたのなら迷惑ではなかったのだろうと彼女は判断をする。
リチャードはソファーから立ち上がるとパウリナの側まで来て腰を落とす。彼女は笑顔を浮かべながら彼の首に腕を回して抱き着く。それを確認して彼は危なげなく彼女を横抱きにすると立ち上がってベッド横まで歩き、ゆっくりと彼女を下ろした。
「ありがとうございます」
パウリナは笑顔で礼を言った。しかしリチャードはその場から動かない。どうしたのだろうと彼女は首を傾げる。
「昨日はしてくれたのに」
そう言いながらリチャードはベッドへと上がる。彼の声がどこか拗ねているようで、パウリナは思わず微笑みながら横になろうとする彼の頬に口付けた。
「――ナ、リーナ」
パウリナは身体を揺さぶられているのはわかったが、瞼を開ける気にはならなかった。彼女は起こされる事に慣れていない。母国でもレヴィに嫁いできてからも基本的に彼女が目覚めるまで皆が待ってくれていた。
「おはよう。朝食を一緒に取らないのか?」
朝食と言われてパウリナは勢いよく目を開けた。目の前には困ったような表情をしているリチャードがいる。
「眠いなら無理しなくてもいい」
「いえ、一緒が良いです」
パウリナはすっかり目が覚めた。昨夜はリチャードに抱かれ、今は起こされてこれから一緒に食事をする。誰がどう見ても夫婦らしいと、彼女は嬉しくて微笑みを零す。
「あ、おはようございます」
パウリナは忘れていた朝の挨拶をする。それを受けてリチャードは小さく頷いた。
「お互い着替えてから食堂でまた会おう。場所はアビーが知っているから案内してもらうといい」
「わかりました」
リチャードはもう一度頷くと寝室から出ていった。パウリナは幸せで嬉しくて表情が緩むのを抑えられない。今日は何の授業でも受け入れられそうだと思いながら、彼女は身体を起こした。




