纏まらない会議
王宮の一角でパウリナ殿下を迎えるにあたっての会議が行われていた。グレースとジェームズだけではなく、文官も数名が参加している。日程は二年後と曖昧だが、王太子と王女の結婚である以上準備は万全でなければならない。ナタリーが嫁いできた時はこれ程時間をかけていなかったので、当時大国であったシェッド帝国の皇女よりも時間と費用をかけるのはどうなのかという声もあった。しかしその声を抑えたのは比較対象に持ち上げられたナタリー本人だ。
レヴィ王国特有の貴族の腹の探り合いに馴染めず、当時はとても苦労をした。その苦労を嫁となるパウリナにはさせたくないと言われれば、反論出来る者などいない。ナタリーが嫁いできた当時は、派閥の対立もあり決して穏やかな空気ではなかった。派閥が表向きなくなり今は平和だが、シェッド帝国と違って小国であるメイネス王国から嫁いでくるパウリナへの風当たりが強くなるのは想像に難くない。まずはこの二年でその小国という印象を和らげる所から始めようと集まっていた。
「サリヴァン夫人が留学された時は好意的に受け入れられたと聞いておりますけれども」
「当時はメイネス王国の情報があまりなく、またサリヴァン夫人自身が優秀でレヴィ語も堪能でしたので受け入れられました。しかしその後メイネス王国は借金まみれの小国とわかってしまったのが良くなかったのでしょう」
サリヴァン公爵夫人であるボジェナは、当時大学入試で最高点を取った人物である。これ程優秀な王女がいるメイネス王国は素晴らしい国だろうと思うのは仕方がない。しかし当時のメイネス王国は傾いていた。ボジェナが留学したのも自国では生きていけないので、レヴィ王国で医者として永住する為だったのだ。
「舞踏会でパウリナ殿下の拙いレヴィ語を聞いた者が何人もいるのも問題かもしれません」
レヴィ王国は大国故に、レヴィ語を話さない者に厳しい。また話しても訛りがあれば心の中で見下す傾向がある。しかしそのような事情を知らないパウリナは、舞踏会の為に覚えてきた拙いレヴィ語を出来るだけ使っていた。その姿勢を好意的に受け止めている者もいるが、大抵の者は王妃のレヴィ語が流暢なのを引き合いに出す。政略結婚の駒としてレヴィ語を叩きこまれていたナタリーと比べるのは可哀そうなのだが、その事情を知る者は少ない。
「パウリナ殿下は真剣にレヴィ語を学んでいると聞き及んでおります。サリヴァン夫人にレヴィ語を教えた方を教師とされているそうです」
グレースはパウリナと接点はない。しかしスカーレットはパウリナと文通をしており、その情報を教えてもらっていた。とにかくパウリナの印象を良くしなければならないと彼女は心底思っている。
「しかしサリヴァン夫人はとても優秀な方です。パウリナ殿下が同程度話せるかはわからないのではありませんか?」
「ダリウス陛下はメイネス王国を傾けていた父王を玉座から下ろして国を建て直した優秀な為政者です。その娘であるパウリナ殿下に不満がおありでしょうか」
グレースは文句しか言わない文官に微笑を浮かべながら応答する。彼女はレヴィ国内の貴族に詳しい。この男の娘がリチャードに選ばれなかったと知っていた。そして万が一パウリナ殿下との婚約が白紙になっても、その娘が王太子妃に選ばれないともわかっている。
「女官見習いという立場でその物言いはいかがなものでしょうか」
文官の言葉にグレースは苛立ったが表情は変えなかった。レヴィ王国は男性社会だ。女性の政治家はいない。女性に政治など出来るはずもないと思っている男性が大半である。そういえばこの男の息子から釣書が届いていたなと彼女は思い出した。何の興味も持てなかったので丁重に断ったが。
「立場を前面に出す物言いの方がいかがかと思いますけれども」
二人のやり取りにジェームズが割って入る。彼も侯爵家嫡男というだけではあるが、宰相補佐の肩書がある。役職としては文官よりも地位が高い。何より宰相ウォーレンが次期宰相と見込んで育てているというのは有名な話だ。ウォーレンに口答え出来る人間など、ここにはいない。
「どうしてもパウリナ殿下を受け入れられないというのなら、この会議から抜けて頂いて構いません。殿下に必要なのはパウリナ殿下というのがわからないのなら、国政に向いていないと思いますよ」
ジェームズは淡々と言葉を紡ぐ。文官の代わりなど何人でもいると彼は本気で思っているし、彼自身人事権を持っていなくとも手を回す術はある。そもそも彼は親友であるリチャードの幸せを心から願っていた。その幸せを願えない者は非国民と同意くらいに思っている。
「私はこの国の平和の為に申し上げております」
「この婚約は陛下が承認されています。陛下の判断が平和を乱すと思われているのでしょうか」
ジェームズの言葉に文官は何も返せなかった。エドワードの治世は平和そのものである。常に戦争や内戦に明け暮れていたレヴィ王国の歴史を考えれば、エドワードの統治能力を疑う余地はない。
「皆が同じ気持ちでないと纏まらないでしょう。この会議の参加者を見直してから再度集まりたいと思いますが、皆様いかがでしょうか」
ジェームズは皆に問いかけているような口調だが、明らかに誰にも異を唱えられない圧がある。グレースもこの文官はいない方がいいと思ったので彼の意見を支持した。
こうして一旦この会議はお開きとなり、部屋にはジェームズとグレースの二人が残った。
「リックがこの事業にジミーを選んだ理由を垣間見たわ」
宰相補佐は決して暇ではない。むしろ王宮内では多忙を極める部類だ。ウォーレン自身が有能であるが故に、それを支える面々も身分を問わず有能な者が集められ、国政の中枢を担っている。忙しすぎて脱落者の多いウォーレンの下で四年も働き続けているジェームズは間違いなく有能だろう。ウォーレンも別業務にジェームズを取られるのは痛手になったはずである。しかしリチャードはどうしても万全にパウリナを迎え入れたかった。その気持ちをウォーレンも汲んで許可したのだろう。
「家柄だけで生きていく時代はじきに終わるのをわかっていないのだろうな、あの男は」
以前なら派閥もあり、家柄によって地位が与えられていた。しかしエドワードもウォーレンも実力主義者である。家柄しかない無能は一人、また一人と王宮から追い出されていた。
「ところで、何故今夜の夕食の誘いを断った?」
「先約があるの。私は忙しいから約束は先着順なのよ」
ジェームズから届いた手紙を、グレースは開封して返信をしていた。夕食に誘われたのは偶然にもオースティンに夕食の招待を受けていた日だったのである。
「先約とは誰だ?」
「何故ジミーに言わないといけないのよ」
「私に言えないような相手なのか?」
「私が妙な交友関係を築いているわけがないでしょう。失礼ね」
グレースは不機嫌そうに答えた。どうしてジェームズはいちいち突っかかってくるのか不思議でならない。勿論、ジェームズは突っかかっているつもりはないのだが。
「確かにグレースは男に騙される程愚かではないと思うが、恋は盲目とも言う」
ジェームズは真剣な表情をグレースに向けている。彼女を心配しているのかもしれないが、余計なお世話だ。彼女の母親がまさに恋は盲目状態であり、その母親と今の自分はかけ離れている。そもそも母フローラは多少常識に欠けているものの、恋をしているリアンが受け止めているのだから問題はない。
「今夜の相手は恋愛対象外の人よ」
グレースの言葉にジェームズは嬉しそうに微笑む。
「それならば別の日に私と夕食をしよう。改めてグレースに気持ちを伝えたい」
「遠慮するわ」
「話だけでも聞いてほしい。釣書も用意するか?」
「知っている事しか書かれていない釣書に何の意味があるのよ」
幼なじみの中でも顔を合わせる頻度が高い二人であり、家族ぐるみの付き合いだ。しかも先日二人で食事をしている。今更釣書をもらっても、どうしていいのかグレースにはわからない。
「それもそうだな。それではいつなら空いている? グレースの都合に合わせる」
別に合わせなくても、という言葉をグレースはのみ込んだ。解決させないままではずっとジェームズに言い寄られる気がする。それならば話を聞いた上で断った方が、後腐れなく幼なじみとして付き合っていけると彼女は判断をした。
「明日は家族で夕食の日だから、明後日以降ならいいわ」
「それならば明後日で。王妃殿下の執務室へ迎えに行けばいいか?」
先程まで有能だと思っていたジェームズが急に無能に見えたグレースはため息をぐっと堪えた。人の事は言えないとは思うが、目の前の男は恋愛に向いていない気がしてならない。
「馬車止め近くの四阿で待っているわ」
「わかった。では明後日」
「えぇ、またね」
ジェームズは片手を上げると部屋を出て行った。こうやって女性を一人で置いていく所もどうなのだろうとグレースは思う。多忙なのはわかるが、女性の扱いがなっていない。
グレースは大きなため息を零すと、部屋を出て王妃の執務室へと向かって歩き出した。




