結婚二日目の夜
結婚二日目の夜。パウリナは寝室にあるソファーに腰掛けていた。テーブルにはティーポットとティーカップが二客。彼女がわざわざ準備を依頼したものだ。
パウリナは今日の予定表を思い出していた。わからない時は聞くのが一番早いと彼女は思っているので、アビゲイルに王妃の現在の日常と比べるとどれくらい違うのかを確認したのだ。そして配慮の意味を理解した。果たして自分がナタリーと同じような公務を担えるのかと少々不安になった。しかしナタリーも嫁いできた時はレヴィについて何も知らず徐々に覚えたのだと聞いて、少しだけ不安が軽減した。だがリチャードの執務は官吏よりも忙しいと聞いて別の不安に襲われた。
パウリナの父は国王であったが、それ程忙しそうには見えなかった。国土や人口を考えても同列に語るのは烏滸がましいだろう。メイネス王国はレヴィ王国の公爵領ほどの広さしかない。以前大陸地図を見た時に彼女は驚いたものである。母国の何倍もの広さを要し、経済や技術などの発展具合も比較できない程に違う国へ嫁いだのだと改めて思った。
パウリナは寝衣の袖に触れる。ドレスの採寸をした時に、献上したいと言われてもらったものだ。今まで着ていたものとは肌触りが違う。滑らかでずっと触っていられそうだ。きっと素晴らしいドレスが出来上がるに違いないと彼女は思わず笑みを零す。
扉を叩く音がしてパウリナが返事をすると、リチャードが入ってきた。彼女はソファーから立ち上がるとティーポットに手を向ける。
「リチャード殿下、ハーブティーを用意してもらったので一杯いかがですか?」
「あぁ、ありがとう。頂こう」
リチャードが目の前のソファーに腰掛けるのを見届けてから、パウリナも腰掛ける。そしてティーポットに保温目的で被せていた布を避けて、彼女は慣れた手つきでティーカップにハーブティーを注いだ。
「レヴィでは侍女が淹れるらしいのですけれど、お嫌でしたか?」
パウリナはティーカップをリチャードに勧めながら尋ねた。実際、ハーブティーを頼んだ時にアビゲイルが淹れると言い出したのだ。しかしパウリナはアビゲイルと二人で待つのは息が詰まりそうだと思ったし、母国では自分で淹れていたので断っていた。
「いや。私的な時間は貴女のしたいようにしてくれて構わない」
「ありがとうございます。どうぞ」
パウリナは笑顔でリチャードにハーブティーを勧めながら、昨日から名前を呼んでくれない夫に内心不満を抱いた。周囲の者が問題なく呼んでくれるのだから、レヴィ語話者にとって発音しにくい名前ではないはずである。しかし彼は手紙のやり取りでも宛名以外に名前を書いてはくれなかった。
「美味しい」
「本当ですか? よかったです」
パウリナは笑顔を浮かべる。彼女が嫁入り時に持参したハーブだが、アビゲイルに試飲の許可がなければ寝室へは持ち込めないと言われた。結婚したばかりなのに夫を殺す妻がどこにいるのかと憤ったものの、近衛兵として見逃せないと言われて渋々従った。そして試飲した後、ハーブには問題ないが淹れる時に何があるかわからないからとアビゲイルが淹れてしまった。結婚二日目でパウリナレヴィ王太子妃が窮屈に思えていた。
「リチャード殿下、少しお話したいのですがよろしいですか?」
「あぁ」
「近衛兵であるアビゲイルを私の侍女に選んだのはリチャード殿下ですか?」
パウリナの質問にリチャードは一瞬何の質問かわからない様子だった。しかし王太子なので、それをすぐに隠す。だが注意深く見つめていた彼女は見逃さなかった。
「侍女の選定は母と女官の仕事だが、アビーの業務を決められるのは父だけだ」
「アビー? 随分と親しいのですね」
パウリナは不満を必死に隠し、努めて冷静に質問をした。リチャードはそんな彼女の不満など気付きもしない。
「近衛兵は本名を隠して仕事をしている者が多いから、愛称で呼ぶのが普通なのだ。アビーが本名を語ったのなら、父からそう指示があったのだろう」
「それは一体どういう意図なのでしょう?」
「父の考えている事は私にはわからない。ただアビーは姉の侍女経験もあり、母も存在を知っているので本名を隠す必要はない」
「王妃殿下も知らない近衛兵がいらっしゃるのですか?」
「表に出ているのはほんの一部だ。父しか知らない者も多くいる」
リチャードの言葉がパウリナには納得出来なかった。王妃は他人だと言われればそうだが、親子でも隠さなければいけないとは想像していなかったのだ。何故だろうと考え、父親の事を思い出す。
「王位継承について今後争いが起こる可能性があるのですか?」
「それはない。何故そう思った?」
「父は祖父から王座を奪いました。ですから身を守る為に国王陛下が囲っておられるのかと思いました」
パウリナの父ダリウスは第二王子だった。当時の国王ベネディクトの治世は褒められたものではなく、国は傾き始めていた。その傾きが修復不可能になる前に行動を起こしたのがダリウスである。
「それは簒奪ではなく必要な行為だったと聞いている。我が国も昔は物騒な話もあったが今はない。弟は三人とも王位に興味など示していない」
「父は行動に移すまで、王位に興味がないふりをしていたそうですけれども」
パウリナの言葉にリチャードは困ったような笑みを浮かべる。彼女はその表情の意味を図りかねた。
「私は父の足元にも及ばない。故に私よりも相応しい者がいるのなら譲ってもいいと以前は思っていた」
「今は違うのですか?」
「私は周囲に恵まれている。皆が支えてくれるのだから、その期待に応えたい」
リチャードの声には力強さがあった。パウリナには優しそうな印象しかなかったが、やはり大国の王太子なのだと改めて実感する。
「アビーが侍るのが嫌なら母に交代を依頼しておこうか」
「先程陛下命令だと言われませんでしたか?」
「母が父に相談をしたのか、父が割り込ませたのかはわからない。ただ父は無意味な行動を嫌う人だから、理由があってアビーを侍らせていると思う」
パウリナはその理由を考える。元々婚約期間は二年だった。しかし彼女のレヴィ語習得が遅れた為、半年延長をしてもらって昨日嫁いできたのだ。半年遅らせたのは悪いと思っているが、地名やメイネス語にない言葉を覚えるのに時間がかかってしまった。出来の悪い嫁として監視されるのは息が詰まると彼女は思う。
「レヴィ語を二年で覚えきれなかったので、間違ったことを発しそうだと思われているのでしょうか?」
パウリナは視線を落としながらそう零した。日常会話なら一年もかからず発音も含めて習得していたのだ。王家に嫁ぐのに必要な言葉が難解だっただけで。
「父の考えはわからないが、私なら貴女を守る為にアビーを置くだろう」
「私を守る?」
今日の対応で一切守られた気がしなかったパウリナは、視線を上げてリチャードを見つめる。
「嫁いだとはいえ姉の影響力は大きい。アビーが姉の侍女だったと大抵の者は知っているから、貴女に危害を加えるような事はないだろう」
「ですがこのハーブティーを淹れようとして、私はアビゲイルに疑われたのですよ」
そう言ってパウリナは一連の流れをリチャードに話す。それを最後まで聞いて、彼は優しそうな笑顔を浮かべた。
「それは貴女を疑ったのではない。私と貴女に危険が及ばないよう対応しただけだ」
リチャードにそう言われてもパウリナはわからなかった。首を傾げた彼女に、彼は微笑む。
「昔のレヴィ王宮は毒殺が多かったらしい。父の治世では一度もないけれど、近衛兵達はその歴史を受け継いで行動しているのだろう」
「実は怖い所なのですか?」
「昔はそうだった。今は父が入れ替えたから大丈夫だとは思うが、念には念をという事だと思う」
「リチャード殿下から見てアビゲイルは信用出来る近衛兵ですか?」
「信用出来ない近衛兵はここにはいない。父の目を欺くのは至難の業だ」
リチャードは父であるエドワードを高く評価しているのだとパウリナは思った。それならば義父の采配を信じるのも嫁としては大切かもしれないと彼女は判断する。
「わかりました。暫く一緒に過ごしてみます」
そう言ってパウリナはハーブティーを飲む。思ったより冷えていて、少しのつもりが長く話してしまったのだと彼女は気付いた。
「お疲れの所、ありがとうございました。あと、昨日は我儘を言ってすみませんでした。リチャード殿下はとてもお忙しいと伺いましたので、疲れを取る為に早く眠りましょう」
パウリナが用意したハーブティーは眠りにつきやすくなるものだ。寝不足で執務に支障をきたしてはいけないと彼女が判断しての対応である。
「いや、それ程疲れてはいないのだが」
「慢性的に疲れていてわからなくなっているのですよ。さぁ、早く眠りましょう」
パウリナに急かされ、リチャードはハーブティーを飲み干すとベッドへと移動した。彼女もベッドへと横になる。お互い枕に頭を置いたので、二人の間には隙間がある。彼女は顔だけ彼の方に向けた。
「おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
パウリナは笑顔を浮かべると顔を天井に向けて瞳を閉じた。リチャードは何が起こったのかわからず暫く彼女を見つめる。しかし彼女の寝息がすぐに聞こえてきたので、彼は困惑しながら瞳を閉じた。




