王太子妃生活の始まり
「キアーラ。どう? 私は大人になったかしら?」
「大人はそのように言わないものですよ」
浮かれているパウリナの言葉をキアーラは冷酷に切り捨てる。出産は焦らなくていいと伝えたはずなのに、響いていなかったのかとキアーラは心の中で落胆していた。勿論、結婚をしたのだから夫婦生活自体を否定していけないのはわかっている。王宮舞踏会で挨拶するまでに夫婦仲を良くしておく必要はあるのだから。
「あの首飾りはまだ似合わないのね。難しい」
パウリナは残念そうに室内にある引き出しに視線を向けた。その中にはリチャードから婚約中に贈られた首飾りがしまわれている。サファイアを用いた銀細工が素晴らしいもので、受け取った時は嬉しさと同時に宝石の輝きに負けてしまうと思い、一度も身に着けていない。レヴィ語の習得が難しくて逃げ出したい気持ちになる度に、首飾りを見て自分を叱咤してきた。これが似合う女性になってほしいと言われているのだと、彼女は勝手に解釈をしていたのだ。
「宝飾品はしまうものではなく、身に着けるものです」
「あれほど素敵なものは母も持っていなかった。今の私では笑われてしまうから嫌」
パウリナは視線を床に落とすと、昨夜のリチャードとの会話を思い出す。彼の優しさに付け込んだ、と言えなくもない。話すのが苦手なら愛も語らないだろうとは思っていた。それでも夫婦二人の空間ならそのような雰囲気になると思っていたのだが、彼女の想像とは違ったのだ。彼が自分を愛してくれるのなら王太子妃として頑張れる気がするのに、彼からは優しさ以外感じられなかった。
「これから侍女二人が来ます。王太子妃らしく振舞って下さい」
キアーラの言葉にパウリナは視線を上げて笑顔を作る。
「どのような人達かしら。いい人だといいわね」
昨日レヴィ王宮に入り結婚式から王族だけの晩餐会、就寝の流れだったため王太子妃の侍女二人の勤務は今日からである。キアーラもどのような人物なのか聞かされていないので知らないのだが、流石に妙な令嬢は選ばれていないだろうと彼女は思っていた。
扉を叩く音がし、キアーラが返事をすると女性二人が王太子妃の部屋に入ってきた。
「はじめまして。本日よりパウリナ殿下の侍女を務めます、アビゲイルと申します」
「はじめまして。同じく侍女を務めます、コックス家長女シエンナと申します」
自己紹介をした二人は一礼をする。シエンナはパウリナと同世代だろうが、アビゲイルは十歳以上年上に見えた。どういう理由で二人が選ばれたのかパウリナにはわかりかねた。
「どうしてアビゲイルは家門を言わないの?」
「私は近衛兵です。色々と制約の多い立場の為ご容赦願います。ただアリス様の侍女経験はございます。シエンナもこの半年、第二王女ヨランダ殿下のところで侍女業務の経験を積んでおります」
コックス家がどのような地位なのかパウリナにはわからなかったが、近衛兵のアビゲイルが仕切っているのに違和感を覚えた。そもそも彼女の国には女性の近衛兵など存在しない。そこまで考えて彼女は一人の女性を思い出した。アリスの護衛騎士をしていたスカーレットは現在公爵家の次期当主の妻だ。きっとアビゲイルもそうなのだろうと判断する。
「私はレヴィ語を覚えるだけで精一杯だったの。レヴィの風習など色々と教えてくれると嬉しいわ」
「誠心誠意仕えさせて頂きます。本日は王宮舞踏会用のドレスの為の採寸を予定しておりますが宜しいでしょうか?」
「ドレスを仕立ててくれるの? けれど今から作り始めて間に合うかしら?」
王宮舞踏会は一ケ月後とパウリナは聞いていた。彼女はそれ程服を仕立てていないが、レヴィの王宮舞踏会に参加した時に纏ったドレスは二ケ月以上かかったと記憶している。
「ある程度の準備は進んでおります。採寸をしてパウリナ殿下に合うものに仕立てていきます」
「つまり既に概要は決まっているという事でしょうか」
パウリナとアビゲイルの会話にキアーラが割って入る。キアーラは王宮舞踏会用のドレスをどうするのか気になったので、結婚式の日程が決まった後レヴィ側に打診していた。しかし結婚後採寸をするから持ち込む必要はないという連絡しかなかったのだ。王族お抱えの針子達が必死になれば完成しなくもないと判断をしていたのだが、パウリナの意見を一切聞かないドレスが出来上がるのは正直受け入れ難かった。
「王太子夫妻の披露目になりますから、王太子殿下と対になるような意匠のドレスになります」
「パウリナ殿下の意見は一切反映されないのですか」
「キアーラ」
パウリナは窘めるような声を出した。キアーラは面白くなかったが、ここでパウリナに反論するのはパウリナの為にならないので口を噤む。それを確認してパウリナはアビゲイルに笑顔を向けた。
「陛下は王妃殿下のドレスを選ばれると聞いているわ。レヴィ王家の慣例なのよね?」
「慣例ではありませんが、陛下が王妃殿下のドレスを選ばれるのは事実です」
「以前王宮舞踏会に参加した時、王妃殿下のドレスはとてもお似合いで素敵なドレスだったの。きっとリチャード殿下も私に似合うものを選んでくださるわ」
パウリナは楽しみを隠せていない様子だ。パウリナに文句がないのならばキアーラも黙るしかない。アビゲイルは手に持っていた資料をパウリナに差し出した。
「こちらは女官より預かった、王宮舞踏会までの予定表です」
「グレースは来ないの?」
「彼女も忙しい方なので、そちらの予定表の通りになります」
アビゲイルにそう言われてパウリナは予定表に視線を落とす。パウリナは会話こそ問題ないが、読み書きはまだ不安が残っている。そしてそれを正直に申告していた。そのため予定表には難しい言葉は使われておらず、パウリナでも難なく理解出来た。
「これはグレースが作ってくれたの?」
「はい」
パウリナは思わず笑顔を浮かべた。彼女がレヴィに嫁ぐまでに多くの人が動いてくれていると知っている。その中でもグレースは女官に立候補してくれ、色々と立ち回ってくれた。この王太子妃の私室の準備に関しても手を回してくれたのでパウリナ好みの部屋になっている。
「明日レティと一緒に来てくれるのね。楽しみ」
グレースは年上なので、パウリナは勝手に姉のように思っていた。実際リチャードの姉アリスがグレースの兄エドガーに嫁いでいるのだから、義理の姉妹にはなる。パウリナは予定表に目を通しながらひとつの言葉が引っ掛かった。
「乗馬? 馬に乗るの?」
メイネス王国では女性が馬に乗る習慣はない。男性でさえも騎士でなければ乗れないのが普通だ。
「趣味の一環です。王妃殿下もレヴィに嫁がれてから嗜みのひとつとして対応されています」
「私には向いていないと思うの。一度は挑戦してみるけど、向いてなさそうならやめてもいい?」
「こちらは慣習なので私からは何とも申し上げられません」
乗馬が慣習になっている理由がパウリナにはわからなかった。レヴィ人が騎馬民族という話も聞いた記憶がない。これは予定表にある歴史の時間か作法の時間にでも聞いてみようと彼女は思った。
「それにしても学ぶ時間が多いわね」
「こちらは王妃殿下の時を参考に作成しております。王妃殿下曰く自由な時間が多く配慮のあるものだったそうです」
アビゲイルの言葉を聞いてパウリナは再び予定表に視線を戻す。自分が覚えたレヴィ語が間違っているのかとも思うが、文脈を考えると配慮は気遣いで合っているはずだ。違っているのはナタリーと自分の価値観の方だろう。今は連邦になったとはいえ当時は帝国だった国の皇女。小国の王女と同じ価値観の方がおかしいとパウリナは結論付けた。
「努力はするけれど、辛かったら正直に言ってもいい?」
「問題ありません。殿下からも無理のない範囲に調整するよう言われております」
アビゲイルの返事にパウリナはほっと胸をなでおろす。王太子妃なのだからやる事が山積みなのは覚悟していた。しかし自分の覚悟は甘かったのだと予定表を見て自覚せざるを得ない。
「毎日お茶の時間があるのは嬉しいわ。レヴィで食べたものはどれも美味しかったから」
「採寸したドレスが着れなくなるのは困りますので、食事量はこちらで調整させて頂きます」
アビゲイルは淡々と告げた。パウリナは泣きそうな表情を浮かべる。楽しみにしていた飲食を制限されるとは思っていなかったのだ。
「大国の王太子妃は大変なのね」
パウリナはぽつりと呟いたが、それに対しては誰も返事をしなかった。こうしてパウリナの王太子妃としての生活は始まったのである。




