天真爛漫な王女
「本当にここまで長かったわ」
窓の外の景色を眺めながら感慨深げに女性はそう零した。艶やかな栗色の髪を束ね、これまでの道のりを振り返っている彼女はメイネス王国王女パウリナである。
「これからの人生の方がよほど長いと思いますけれど」
「キアーラはもう少し私に優しくしてくれてもいいのよ」
「無理矢理侍女にしておいて難癖を付けないで頂けますしょうか」
キアーラと呼ばれた女性は冷めた声で答えた。彼女は商人の娘であり、彼女自身も元は商人である。しかも両親はケィティ人であり彼女もまた自分をケィティ人だと自負している。ただ父がメイネス王国の国王と懇意にしているという点、メイネス語とレヴィ語を完全に理解している点を買われ、レヴィ王国王太子リチャードに嫁ぐパウリナの侍女にさせられただけに過ぎない。
「メイネスで暮らすよりもレヴィの方が良いでしょう?」
「レヴィ王宮は外出がままならないと聞いています。一ケ所に留まるなんて苦痛でしかありません」
キアーラは不満を隠そうともしない。本来なら商人は平民であり、王族に対してこのような態度はありえない。しかしケィティは共和国からレヴィ王国の自治区になった地域であり、身分制度は理解しているがケィティ人には関係ないと思っている。勿論有能な商人ならば本音と建前を使い分けるが、キアーラはパウリナに対して阿る事はない。侍女になる契約の際に、パウリナを甘やかさないという項目を追加したからである。昔と比べるとかなり改善されたとは聞いていても、大国レヴィ王国の王太子に嫁ぐのだ。父である国王に甘やかされて育ったパウリナが生きていくには、苦言を呈する人間が側にいる必要があるとキアーラは判断していた。
「王宮の庭園は素晴らしくて、森も近いらしいの。欲しいものがあれば商人を呼ぶだろうから、外出する必要なんてないでしょう?」
パウリナは何故キアーラが外出したいのかが理解出来ない。メイネス王国は小国であり、富は王家に集中している。故にメイネス城から出掛ける意味がない。こればかりは育った環境の違いなので、キアーラはパウリナを説得する術がなかった。
「暮らす前から批判は良くないですよね。レヴィ王宮に慣れるのが第一ですから」
「それほど難しく考えなくても大丈夫でしょう? リチャード殿下も優しいし、会いに来てくれたグレースもレティもいい人だったし」
パウリナは楽観的である。それが彼女の長所でもあるのでキアーラは無理に直そうとは思っていない。しかし大国の王宮なのだから味方は多いに越した事はないのに、たった三人では心許ない気がした。勿論レヴィ王国も国王の権力が強く、国王エドワードが決めたこの結婚に異議を唱える者がいるとはキアーラも思っていない。しかし陰湿な態度を取る輩はどこにでもいるものだ。
「それにね。私、ちゃんと考えているのよ」
パウリナは笑顔を浮かべた。この表情はろくでもない案だとキアーラは瞬時に思ったが、とりあえず聞いてみようと主の言葉を待つ。
「リチャード殿下の息子を産めば私の地位は盤石でしょう? だからとにかく妊娠を第一目標にしようと思っているの」
自信満々のパウリナにキアーラは返す言葉に迷う。確かに間違ってはいない。長く続く大国に必要なのは跡取りである。しかしそれだけを目標にするのは危うい気がした。
「まずはレヴィ王国に馴染む努力からはじめましょう。パウリナ殿下はまだ十八歳ですから、妊娠は追々で大丈夫かと思います」
「悠長にしていて他の夫人を娶ったらどうするのよ。レヴィ王国は長男が王太子になるのだから、誰よりも先に男児を産まないといけないわ」
パウリナは至って真剣である。これは国王ダリウスに吹き込まれたなとキアーラは思ったが、全面否定も難しい問題だ。そもそも王太子リチャードは両親に倣って妻を一人しか迎え入れないだろうというのが、ケィティ情報網の結論である。だが法律上何人も娶れるのだから絶対とは言い切れない。
「だからボジェナ叔母様に妊娠しやすい薬を下さいって手紙でお願いしたのに、無いと言われたの。レヴィ王国は先進国だと思っていたのに」
ボジェナはパウリナの父の異母妹だ。レヴィ国立大学で医者をしている。女性の為の医療の発展に力を入れており、王妃ナタリーの主治医でもある。また王弟フリードリヒの妻なのでサリヴァン公爵夫人だが、母国とはあまり関わりたくないらしくこの結婚にもほぼ関わっていない。それでもパウリナの嫁入りの道中に領地ラナマンの領主館を宿泊先として提供してくれた。しかし本人はおらず、使用人達がパウリナ達の世話をしてくれたのだが。そして今滞在しているのはレヴィ王都内にあるサリヴァン公爵邸の客間である。公爵夫妻は仕事中で夜まで不在だ。
「流石にそれは難しいのではありませんか」
「妊娠しない薬しかないらしいのよ。どうして妊娠しない薬を先に作るの? 必要ないのに」
「そちらの方が需要あるからでしょうね」
「需要? どうして?」
「妊娠出産は命懸けなのですよ。命を懸けられない時もあるでしょう」
キアーラの答えにパウリナは首を傾げた。これもまた育った環境の違いなので、理解は難しいだろう。そもそもメイネス王国は乳幼児死亡率が高く、産褥死する女性も少なくない。しかし女性の地位自体が低いので、それを改善させようという動きはない。一方、レヴィ王国は国王エドワードが女性の為の医療の充実を目指し、それにボジェナが応え、乳幼児死亡率も産褥死率もかなり下がってきている。エドワードが妻の為に始めた女性の為の医療は実を結んできていた。
首を傾げて考えていたパウリナは理由に辿り着いたのか、目を見開いてキアーラを見る。
「男児を出産しても、それで死んだら意味がないわよね」
「そうですよ。妊娠すれば手厚い体制を取って貰えるでしょうけれど、その前にまず環境を整えるべきです」
キアーラの持っている情報によると、リチャードは真面目な男である。何故天真爛漫なパウリナを選んだのかは不明であるが、レヴィ貴族女性にはいない雰囲気が珍しかったのかもしれない。とにかく真面目な男である以上、こちらも常識的な範囲で行動したい。そうキアーラは思っているのだが、どうにもパウリナはキアーラの思い通りには動いてくれないのである。
「お茶会や舞踏会で貴族女性と仲良くするのは難しいとボジェナ叔母様も言っていたわ」
「王太子妃は仲良く出来ないではいけないのですよ。ナタリー王妃殿下のようにならなくてはいけないのですから」
「六人も出産するの?」
「出産の話から離れて下さい。今は交流の話をしています」
キアーラは頭が痛くなってきたが何とか堪える。メイネス王国から帯同する侍女は自分だけなのである。何故なら他にレヴィ語を話せる者がいなかったからだ。レヴィ王宮では侍女を用意すると言われているが、レヴィ語しか話せないと聞いている。パウリナは婚約が決まってから必死に勉強し、レヴィ語は堪能になったので会話は特に問題ない。問題は性格の方である。
「それはグレースに任せましょう。彼女は公爵令嬢だから」
「近々侯爵家に嫁ぐそうですよ。女官は続けると聞いていますけれど」
「結婚しちゃうの? 素敵な女性だったから結婚するわよね。女官をしてくれるなら大丈夫かしら」
「女官は主に公務の手伝いです。茶会などで同席はしないでしょう」
キアーラの言葉に、パウリナは明らかに衝撃を受けた表情を浮かべた。このように顔に出る人が王太子妃など務まるのだろうかと、キアーラは不安しかない。しかしもう明日には結婚式を挙げて王太子妃になるのである。
「私はどうしたらいいの?」
「レヴィ王宮に入ってから確認して下さい。私ではわかりかねます」
キアーラは頭痛が酷くなってきたので会話を強制終了した。前途多難すぎる明日からの生活を思うと逃げ出したい気分だが、流石にこの王女を置いていけるほど薄情でもない。せめてレヴィ王宮にいる侍女がまともであるようにと願うばかりである。




