不明な不快感
「お兄様がサージさんの研究室へ?」
エヴァレット家の夕食後、居間で夫婦水入らずの時間。サージはケイトにジェームズが会いたがっていた旨を伝えた。それを聞いて彼女は信じられないというような表情を浮かべる。
「あぁ。ジェームズからの連絡はこちらに届いているんだよね?」
「毎日手紙は届いていて、最近は同じ文面の返事をしているわ」
「ちなみに内容を聞いてもいい?」
「私は元気にしています。新生活が落ち着いたら一度実家に顔を出します、と」
ケイトの言葉を聞いてサージは自分の判断が間違っていなかったと安心した。彼女が兄に会いたいと思ったなら、いつでも呼べばいいのである。彼は妻の行動に関して本当に何も制限などしていないのだから。ただ彼女の言葉に引っかかりを覚えた。
「この生活はまだ落ち着いてないと感じてる?」
サージの指摘にケイトはきょとんとした。そして意味を彼女なりに理解して申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「新婚生活が上手くいっていないかもとお兄様が邪推してサージさんの所へ行ってしまったのね。ごめんなさい。明日から方便を変えるわ」
ケイトは夫婦生活に関しては置いておくとして、毎日色々と煩いジェームズから解放された今の生活には満足している。特に兄に会いたいとも思っていないので適当な返事をしていただけだ。
「俺はこの家で過ごす時間が好きだけれど、ケイトはどう感じてる?」
「何も不満はないわ。薬草の育成具合を見るのも楽しいもの」
ケイトは答えながら、サージが欲しかった答えは違うような気がした。しかしすぐに正解の答えは見つからない。彼女の観察眼では微笑んで聞いている彼の本心が見えなかった。
「それなら良かった。しかし手紙が毎日とは流石に思ってなかったな」
「往復する使用人も大変だから要らないとも伝えたのだけれど、聞いてもらえなくて」
結婚した翌日からジェームズの手紙は届いていた。ケイトは兄に構っている余裕などなく、そもそも兄を煩わしいと思っていたので返事の度にもう送ってこなくていいと書いていた。そして途中から同じ文章しか返さない事にしたのだ。そのせいでサージに迷惑をかけてしまったのが彼女は居たたまれなかった。
「その熱心さをグレース嬢に向ければいいのに」
「本当にそう。今日も会ったけれどグレースに対しての対応が間違っているのよ。グレースを傷付けたら一生口を利かない、とお兄様には言ってあるのに忘れてしまったのかしら」
ケイトは呆れながらため息を零した。基本的にジェームズは人の話を聞かない。だからこそ強めに忠告をしたのだが、忘れてしまっている可能性もある。彼女にとって兄が幸せになるかどうかはあまり興味がない。親友であるグレースの幸せを心から願っているだけだ。
「もし必要ならガレス王国の伝手を辿るよ。俺から見てもグレース嬢は魅力的な女性に見えるし、幸せになってほしい」
サージの言葉にケイトは少しの不快感を覚えた。彼の言っている内容は何も間違っていない。グレースを幸せにしてくれるのならば別にジェームズである必要はないのである。しかし何故か不快なのだ。
「グレースが他国へ行ってしまうのは寂しい」
「レヴィに呼べばいい。俺の父親五人きょうだいだから親戚は多いよ。だけど男性は俺と似たような顔しかいない。グレース嬢の好みじゃないかも」
「グレースは顔で選んだりしないわ」
話しながらケイトの中の不快感が少しずつ広がっていく。彼女はそれを表情に出さないように必死に努めた。
「確かに。グレース嬢と初めて会った時、そういう感じはした」
「そういう?」
「何となくわかるんだよ。顔や家柄しか見てない視線。グレース嬢はそういうのが一切なかった。公爵令嬢とはいえ、かなりしっかりしているよね」
「そうね。グレースの話はここで終わりにしましょう」
サージの口調はあくまでも日常会話だ。グレースに異性的魅力を感じている訳ではなく、一個人として褒めている。そう頭ではわかっていてもケイトは彼の口からグレースを褒める言葉が出るのが嫌だった。不快感が募った彼女は会話を不自然に終わらせようとした。
「あぁ。ジェームズが態度を見直すのが先だ」
サージはそう言うと用意されていたハーブティーを口に運んだ。ケイトも心を落ち着かせようと同じようにハーブティーを口に運ぶ。
ケイトはカップを戻しながら自分の気持ちがわからなくなっていた。彼の口からグレースの名前が出たくらいで不快になる自分が信じられなかった。他の女性ならまだしもグレースだ。不快になる要素などどこにもない。
「今度アレックスが訪ねてきたらジェームズに助言して欲しいと言っておくよ」
「そうしてもらえると嬉しい。私もアレックスなら何とかしてくれる気がする」
ケイトとアレクサンダーは二人で会うような仲ではない。しかしアレクサンダーが色々と出来過ぎる男だとは認識している。そもそもジェームズと二人きりでも会話が成立する数少ない幼なじみなのだ。
ケイトは会話しながらサージを観察していた。しかし相変わらず彼が心の中で何を考えているかはわからない。自分はグレースの名前を聞いて不快だったのに、彼はアレクサンダーの名前を聞いても何ともなさそうである。自分との差が何なのか彼女はわからず、それでもそれを理解したいと思った。
「今夜も鍵を開けておくね」
ケイトは勇気を出して、けれど視線を伏せながら言葉にした。寝室なら言い易いかもしれないという先日のサージの言葉が彼女の中でふっと思い浮かんだのだ。それに今の気持ちをどうしたらいいのか、居間では解決出来ないとも思えた。
サージはすぐにケイトの言いたい意味を理解したが、彼女の気持ちは掴み切れなかった。
「ケイトが無理をしてないのなら俺は問題ないけれど」
「無理はしていないわ」
ケイトはサージの声色が優しかったので視線を上げる。彼がこちらを観察しているような気配がして、彼女も対抗するように観察してみたものの、やはり何も読み取れなかった。
「そう、わかった」
サージは穏やかに微笑む。ケイトも安心したように頷いた。




