友人との会合
観劇に出掛けた後でまた相談しようと決めていたケイトは、観劇の日程が決まってからすぐにグレースとスカーレットの予定を確認していた。そして前回と同じくグレースがエヴァレット家まで迎えに来てくれ、ハリスン家を訪ねていた。
「鑑賞券の取得方法を知らなかったの? 劇団青い薔薇は争奪戦なのだから使用人任せだと取れないわよ」
グレースは呆れたような口調だが、ケイトには知っている方が珍しいとしか思えない。
「グレースは知っていたの?」
「勿論よ。当家の執事は有能だけれど運要素が高いから待っていられないわ。非売鑑賞券の入手も難しいから」
グレースはケイトに劇団青い薔薇の鑑賞券の取得の仕方を教えた。早い者勝ちではなく、予約期間中に日時と希望の席を申し込み、多数申し込みの場合は抽選となること。わざと観にくい席、金額が高い席、選ばなさそうな日時などを指定して申し込んでも基本抽選となること。主催者は金儲けのためにやっていないので忖度のない純粋な抽選になること。故に運要素の強い争奪戦になること。非売鑑賞券はウォーレン・ハリスンが認めた者にだけ配られること。
「ちなみにグレースは何枚鑑賞券を手に入れたの?」
「抽選はすべて外れたわ。流石に初めての経験で暫く何も手につかなかった」
グレースはその時の事を思い出したのか、視線を伏せて憂い顔である。そのような事情をケイトは知らず、観劇の予定は伝えていた。グレースは読書だけでなく観劇も趣味であり、当然劇団青い薔薇の公演は鑑賞済みだと勝手に思い込んでいたのだ。どうしようと少し狼狽えるケイトにグレースはにこりと微笑む。
「私を誰だと思っているの? スミス公爵家長女グレースさんよ。非売鑑賞券を手に入れて鑑賞したに決まっているでしょう?」
グレースは誇らしげである。その表情を見てケイトは彼女とウォーレンの接点を思い出した。ウォーレンが認めた者しか手に入れられない化粧品をグレースは使用している。
「化粧品使用者も非売鑑賞券の対象なの?」
「全員対象ではないわね。あくまでもこちらから何故鑑賞券が欲しいのかを伝える必要があるわ」
「何て伝えたの?」
「レティを劇場に連れていけるのは私だけですよ、と」
ケイトは自信満々な笑顔を浮かべているグレースからスカーレットに視線を移す。そこには気まずそうなスカーレットがいた。スカーレットは恋愛物語が好きではない。観劇の趣味もないが、次期公爵夫人になる予定なのだ。社交の為には見せておきたいとウォーレンが判断しても不思議ではない。
「それはレティの了承を取った上での行動?」
「嫌がるとわかっていて確認するわけがないでしょう?」
ケイトは同情の眼差しをスカーレットに向けた。スカーレットは困ったように微笑んでいる。
「大丈夫。それなりに楽しめたから」
「それなり? 傑作だったと思うけれど」
スカーレットの言葉に思わずケイトは反論した。その言葉にグレースの表情が明るくなる。
「そうよね。傑作だったわよね」
グレースに同意を求められてケイトは当たり前と言わんばかりに頷いた。そして暫く劇に対しての感想を二人で言い合いながら、時にスカーレットに対して作品の解釈を伝える。グレースとケイトが楽しそうに話し合っているので、スカーレットはわからないながらも、何とか理解しようと耳を傾けた。
「サージさんが内容について語ってくれなかったから今日はグレースに会えてよかった」
「私もケイトと話せてよかったわ。レティは反応が鈍くて」
「英雄譚なら剣さばきとか見る場所もあったと思うけど」
「お願いだから物語を鑑賞しましょう。ね?」
グレースはスカーレットに優しく言った。スカーレットは少し困った表情を浮かべながら曖昧に頷く。
「もう同じ手は使えなさそうね、グレース」
「普段なら最低一枚は取れるのよ。次は自力で入手するわ」
「ちなみにケイトはどのように手に入れたの? 伯父は簡単に配らないはずなのだけど」
「化粧品の成分分析と引き換えで手に入れたと聞いたわ。国内に薬学教授はサージさんしかいないから」
ケイトの言葉にスカーレットは納得した。誰よりも美を追求しているウォーレンである。よりよい商品を作る為に必要と判断をすれば、鑑賞券を譲るだろう。宰相と薬学教授なら通常接点はない。それでも宰相補佐のジェームズはサージと親交がある。しかしこれはアレクサンダーが仲介しているので、ウォーレンのあずかり知らぬ関係だ。
「使用している化粧品も素晴らしいと思うけれど、より良くしたいと思っているのね。流石ハリスン卿だわ」
「政治的ではなく私的な話だから、鑑賞券で交渉というのは伯父らしいわね。国立大学の薬学教授だから本来は国の為に研究をしなければならないし」
スカーレットの言葉にケイトは違和感を覚えた。サージは国の為というよりも自分の作りたいものを研究している気がする。しかし国立大学の教授である以上スカーレットの指摘通りの建前は必要だろうから、使い分けているのかもしれないとケイトは思い直して聞き流した。
「ところで夫婦仲は進展したの?」
今回の約束の意図を正しく把握しているグレースはケイトに問いかける。ケイトは困ったような表情を浮かべた。
「よくわからないの」
「自分の気持ちが?」
グレースの指摘にケイトは思わず瞠目する。まさか自分の迷いがグレースに見抜かれているとは思っていなかったのだ。
「今回の劇と重ねてみると、徐々に心を寄せているところかしら」
「サージは寄せ切っているのではないの?」
「彼はケイトの為なら何でも出来そうに見えたわ。ケイトと同じ距離まで下がれると思う」
スカーレットの問いかけにグレースは迷いなく答えた。ケイトの中にはない視点だったので、彼女は俯きながらサージの態度を思い返す。
「サージに出来るかしら? 兄ならわかるけど」
「アレックスは稀有だから置いといて。ジミーと比べたら出来るでしょう?」
「ジミーと比べたら、それはそうだろうけれど」
スカーレットは納得したものの声が小さくなっていった。ジェームズの婚約者と妹の前で貶すような発言をしていると気付いたからだ。しかしケイトは二人の会話を聞いておらず、グレースは笑顔を浮かべている。
「グレンは愛情表現を惜しまなさそうよね」
「私の話はいいから」
「グレンはレティだけという所が良いのよ。サージさんもそうだけど、ジミーはそう思えないのがね」
グレースはつまらなさそうに吐き捨てると用意されていた紅茶を口に運んだ。グレースの不満がわからないわけではないが、解決策が何も思い浮かばないスカーレットは同じく紅茶を口に運ぶ。一方、頭の中で情報を整理し終えたケイトは顔を上げた。
「私がわからない気持ちをサージさんは把握している可能性があるの?」
「サージさんは研究者なのよ? 対象を観察して見極めるくらいすると思う」
対象を観察と言われてケイトはあまりいい気分はしなかった。しかし彼女はサージが最近よく自分を見ているのを思い出す。
「けれどサージは不器用だから上手く表現しきれていないのかも」
「一途だけど不器用という話を以前聞いたわね。エミリー様の評価ならまず間違いないから、それでケイトを悩ませている可能性もあり得る話だわ。難しい」
スカーレットの指摘にグレースは納得して困ったような表情を浮かべた。自分の事のように悩んでくれるグレースを見てケイトは思わず微笑みを零す。
「真剣に悩んでくれてありがとう。私もサージさんを観察してみる。だからケイトはお兄様の気持ちに応えてあげて」
「ジミーは私が求めている対応をしてくれないの。期待するだけ無駄なのはわかっていても夢は見たいのよ」
グレースは不貞腐れている。ケイトは兄の性格からしてグレースの望むような振舞が出来るとは思えない。そう考えるとサージの対応は悪くないような気がした。
「私も兄も不器用なのよ。両親がああだからアレックスのように振舞えるはずがないわ」
「その理論ならレティが惚気てくれないといけないのだけど」
「母と兄は似ていても、私は違うから」
グレースの言葉にスカーレットは咄嗟に反応する。その態度を見てグレースもケイトも笑顔を浮かべた。
「そうね、両親と一緒のはずがないわ。私なりにサージさんと向き合わないとね」
「えぇ。ケイトの惚気を待っているわ」
「私は兄の惚気を求めていないから、こっそり仲良くしてね」
「私は婚約しただけで結婚するとは決めていないから!」
グレースは基本的に婚約しただけと強調するが、ケイトからしてみればジェームズに対する気持ちがなければ婚約しようと思うはずがないのである。この件こそアレクサンダーが勝手に動いてくれるだろうとケイトは思って微笑み、紅茶を口に運んだ。
「来た時よりも表情が明るくなって良かった」
「レティにわかるほど私は暗い顔をしてた?」
「悩みがありそうな表情だったよ。私は従兄妹というだけだから何も助言は出来ないのだけれど」
スカーレットは自信なさそうにしている。ケイトとスカーレットは二人で会う程の仲ではない。しかし結婚後距離が縮まってきているのはケイトにとっていい事のように思えた。
「話を聞いてもらえるだけで嬉しいよ。また連絡してもいい?」
「勿論」
「私も入れてね。ヨランダも入れて四人でもいいわよ」
スカーレットとケイトの会話にグレースが口を挟む。スカーレットがヨランダに難色を示し、それをグレースが揶揄っている。その様子をケイトは楽しそうに見つめながら、今夜サージとどう向き合うか考えた。




