有用な助言
トミーが出ていって暫く経ってもサージは目の前の資料に集中出来ないでいた。結婚式を挙げるまでは、ケイトとの生活が楽しみで可能な限り仕事を前倒しにしていたので、ここ最近仕事が進んでいなくても現状何の問題もない。しかし、このままではいけないと彼もわかっている。わかってはいるのだが、どう切り出してどう纏めるのが正解なのかがわからない。トミーが急に結婚の話を持ち出したのは話を聞くよという事だとは思うが、到底打ち明ける気分にはならなかった。
サージがうだうだしていると扉を叩く音がした。適当に彼が返事をすると扉が開く。名乗る前に扉を開ける人物は一人しか思い当たらないが、彼は何故か相手をする時間がある時にしか現れないので注意するのは諦めている。
「調子はいかが、って珍しく誤ったな」
「誤ったとはどういう意味だ」
部屋の中に入ってきたアレクサンダーに、サージは不満そうな表情を向ける。アレクサンダーは困ったように微笑んだ。
「俺は人の機微に聡くて、そういう所を陛下に認められてこの仕事をしてるんだよね。だから出直そうかなって」
「機微に聡いなら、是非とも解決策を話してから帰ってくれ」
「嫌だよ。夫婦喧嘩は俺の範疇じゃない」
サージは素早く立ち上がって、帰ろうとするアレクサンダーの肩を掴む。サージに背を向けていたアレクサンダーがぎこちなく首を後ろに回した。
「教授なのに案外力があるね」
「近衛兵が振り払えない程ではない」
筋力や体力はアレクサンダーの方が上だろう。しかし身長はサージの方が高く、上から押さえつけられるように掴まれている。アレクサンダーは振り払えなくはないが、珍しく絡んできた従兄を無下にする気にはなれなかった。
「それが解決しないと研究が進まない感じ?」
「そうだ」
「俺はこれ程の見た目なのに恋愛に無縁だから助言出来ないよ」
アレクサンダーは表情をきめてサージを見つめる。サージは無表情で肩を掴んでいた手を離した。
「アレックスも俺と同じ血が流れているというだけだろう」
「あー、そうみたい。レティが違うから俺も違う可能性は捨ててないんだけど、結構母似なんだよね、俺」
サージは先程座っていた椅子に腰かけ、アレクサンダーにも椅子を勧める。アレクサンダーは仕方がないという雰囲気を隠しもせず、椅子に腰かけた。
「王都に部屋を持っているのに恋人がいないのか」
「王宮は出入りが厳しいからね。王都にも部屋があると便利なんだよ」
「その見た目なら妙な女性にしつこくされても不思議ではないが」
「撒くのは簡単だし、そもそもそういう危ない人間も見極めちゃうからさ、俺」
アレクサンダーは自信満々に微笑んでいる。相変わらずこの男と話していると主題から話が逸れていくなと思いながら、サージは一呼吸入れた。
「エミリーの長男ってどういう男?」
「うわ、やっぱりそれか」
アレクサンダーはわざとらしくため息を吐いた。そして扉付近に視線を向ける。その動きをサージは見逃さなかった。
「帰る気か?」
「いや、水を飲ませてくれ。こういう話は異常に喉が乾く」
アレクサンダーは立ち上がると扉近くまで歩き、棚に置かれていた水差しとグラスを手に取って元の場所へと戻る。そしてグラスに水を注いで一気に飲み干した。
「二人の間には何もなかったけど、それでも聞きたい?」
「何もないと何故断言出来る?」
「俺とグレンは幼なじみ以前に乳兄弟。グレンがレティしか見てなかったのは俺が保証する」
アレクサンダーは真面目な表情で語った。サージもその言葉に嘘はないと判断する。
「だがあのエミリーの長男であれば優秀な男なのだろう?」
「エミリーがレティの夫として相応しくなるよう育てているからね。だからこそ、女性との付き合いは誤解されないよう一線を引く。過去に残念な女性が一人いたけど」
残念と聞いてサージの表情が険しくなる。勘違いさせたと気付いたアレクサンダーは慌てて否定するように手を横に振る。
「残念な女性は他国の女性だ。ケイトもまた密かに思っていただけで、グレンに告白はしていない」
アレクサンダーはつい余計な事を言ってしまう悪癖を心の中で反省した。ケイトが知らないローレンツ公国のヒルデガルトの話など詳細を聞かれても困るので、話をさっさと切り替える。
「俺が思うに、ケイトの気持ちは恋に恋したような初恋だと思うんだよ。兄をはじめ家族から愛されている環境で、自分に一切なびかない男が珍しかっただけで」
「それを言うなら王子の誰かでもいいじゃないか」
「父親同士が従兄弟だ。はとこなら結婚は許されるが、本能的に避けたんじゃないかな」
実際の所、アレクサンダーにはわからないので適当に誤魔化す。サージは子爵になったものの、レヴィ王国の貴族の血縁関係には疎いままだ。
「リスター侯爵家も元公爵家なのだから血縁関係にあるのでは?」
「いや、ハリスン家とレスター家は仲が悪くて元を辿ると王家に連なる、というほぼ他人だ。グレンとレティは父親同士がはとこだけど」
話しながらアレクサンダーは首を傾げた。ケイトが婚約を決めたのはグレンとレティが結婚する前だったはずである。だからこそケイトは自分の気持ちに区切りをつけたと判断していたのだが、何故結婚後にサージが気付いたのか見当がつかない。
「ケイトが口を滑らせるとは思えない。きっかけは何だ?」
「結婚式の日、ケイトがその男を見つめる表情が今までにない表情だった」
「それだけ?」
「それだけだ。ケイトからは何も聞いていない」
サージは真剣な表情だ。アレクサンダーは表情を歪める。話し合わないから拗れるというのは、恋愛でも仕事でもよく聞く話である。
「それは良くない。ケイトと話し合え」
「それで喧嘩になって実家に帰られたらどうしたらいいんだ」
「今の家からリスター侯爵家まで歩く道をケイトは覚えていないと思うが」
「連れてきた侍女がいる」
「侍女も知らないと思う。エミリーみたいに出歩く侍女が珍しいんだから」
貴族女性の侍女は基本主と共に行動をする。故にアレクサンダーはケイトの侍女も道を知らないと判断した。ケイトが結婚前、出掛ける時はグレースと行動を共にしていたのを知っているからだ。
「大人の包容力でどんと構えろよ。ケイトは妥協で結婚する性格とは思えない。何かを感じたから選んだんだろう」
「何故そう思う?」
「俺ではなくサージを選んだから」
アレクサンダーは楽しそうに微笑む。サージは冷めた視線を送った。
「ふざけるな」
「世の中の人間は簡単に運命なんか感じない。一緒に暮らして徐々に育つ愛情もある。元々そのつもりだったんだろう?」
「それは、そうだが」
「考えても上手くいかない時は原点に戻る。基本だろう?」
相変わらずアレクサンダーは楽しそうに微笑んでいる。適当に話しているように感じるが、サージの心は納得していた。
「ジミーは本当にケイトを溺愛している。妹の好みや性格を考えてサージを選んだはずだ。ジミーは自分の恋愛は下手だが、人を見る目はあると思う」
「グレース嬢と上手くいってないのか」
「グレースも少し意地になっている所があるから、最終的には纏まる気がする」
以前サージはグレースと上手くいかないジェームズを揶揄った記憶がある。あの時は結婚すれば幸せになれると信じて疑わなかった。しかし今も別にケイトに何かを言われたわけではない。何か言われるのが怖くて逃げているだけである。
「ジェームズに気付かれる前に何とかしたいな」
「それがいい。下手すると離婚だと喚くぞ。今は陛下の許可だが、王位継承後なら簡単になる。王太子殿下はジミーの頼みを聞きかねない」
「それは話が違わないか?」
「違わない。サージがケイトを幸せにする気がないなら離婚を許可する可能性がある」
アレクサンダーに真面目にそう言われてしまうとサージは返す言葉がない。今までどう接していいかわからず、ケイトに不適切な態度をとってしまった自覚はあるのだ。
「サージは勘違いしているだろうから教えてやるよ」
「何だ、偉そうに」
「俺の方が人を見る目があるし、ケイトとの付き合いも長い。それとも助言は要らないのか?」
アレクサンダーは何故か勝ち誇ったような表情をしている。サージは悔しかったがその助言が今後の行動を決める可能性がある以上、聞かないという選択肢がない。
「教えてくれ」
「ケイトはあの鬱陶しい兄の側で生きてきたんだ。心はそれほど繊細じゃない」
「どこからどう見ても繊細で可憐な女性ではないか」
「ジミーに言い返しているケイトを見た記憶はないのか?」
アレクサンダーに尋ねられサージははっとした。確かに何度も兄妹の言い争いは聞いている。ケイトは決してジェームズに負けていなかった。
「あれは愛されているから何を言っても平気だと思っている部分もあると思う。だからサージが愛しているのを伝えた上で話し合えば、ケイトの本音も引き出せるんじゃないかな」
「的確な助言をくれるじゃないか。恋愛云々の前振りは何だったんだ」
正直グレンの情報を貰えればどう対応するかの判断材料になると思って引き留めたのだが、サージはあれ程悩んでいた対応をこの時間で決めてしまっていた。アレクサンダーははにかむ。
「話が拗れた後なら無理だけど、拗れる前だからね。拗れないように祈ってるよ」
「あぁ、ありがとう」
サージは久しぶりに頭も心もすっきりしていた。自己評価の高い従弟だと思っていたが、アレクサンダーは自己評価通りの男だったのだと認識を改める。一方アレクサンダーは何とか上手くいったと安心して、もう一杯水を飲み干した。




