新生活の始まり
ケイトはレヴィ王国にあるリスター侯爵家の長女として生まれた。彼女の両親が結婚した当時はレスター公爵家であったが、彼女の祖父が国家反逆罪で裁かれレスター公爵家は断絶。しかしその罪を告発したのが彼女の父だったので王家から新たに子爵を賜り、その後侯爵家となった経緯がある。彼女は知識として知ってはいても、祖父の顔も知らないので実感はない。そもそも父が国王の従兄かつ側近、母は王妃の友人という立場があり、領地は没収されたものの暮らしている屋敷はレスター公爵家当時と同じという環境。祖父の悪行を表立って口にする者はおらず、彼女は家族に愛されて育った。
母ミラが王妃ナタリーの友人であった為、ケイトは幼い頃からレヴィ王宮に出入りしていた。王妃の茶会の傍らで同年代の子供達が遊んでいたのである。十人以上いる幼なじみの中で、彼女は一人の男の子にほのかな恋心を抱いた。身分的には問題ない相手であったが、彼は別の幼なじみに好意を寄せていた。しかしその相手は彼も幼なじみの一人と思っている様子で、彼女は長らく恋が実らないとわかっていても諦めきれずにいた。
しかしその二人は結婚した。ケイトはどういう流れで結婚に至ったのか詳しく知らない。聞きたいと思えなかったのと、女性の幼なじみであるスカーレットと二人で会う程仲が良い訳でもなかったからだ。彼女の初恋は叶わず終わった、それだけである。
二人の仲が進展しそうだと聞こえてきた頃、一人の男性と見合い話が持ち上がった。ケイトは気乗りしなかったが、話を持ってきた母の顔を立てる為に相手と会う。その見合い相手サージは彼女を見た瞬間から積極的に話しかけてきた。今まで妹に異常な愛情を向ける兄ジェームズのせいで、彼女は幼なじみ以外の男性と会話をする機会が殆どなかったので困惑しかない。しかし彼はそれを気にせず彼女に話しかけ続けた。彼女が呆気にとられている間にお見合いは終わる。そして数日何の便りもなく、六日後に届いた手紙には数ヶ月待って欲しいと書かれていた。
ケイトが手紙を読んで感じたのは苛立ちである。自分に対してこのように失礼な振る舞いをした人間は初めてだった。そして意図もわからない。悶々とした気分のまま幼なじみの茶会で現状を話すと、その中で一番仲のいいグレースに会いに行って気持ちを確かめればいいと言われた。しかし会いに行くのは違う気がした彼女は、サージを呼び出したのである。そして一生彼女だけを愛すと断言をした彼と婚約をしたのだった。
夕暮れのリスター侯爵家の庭で、サージとケイトの結婚披露宴が行われていた。この披露宴に呼ばれたのはケイトの幼なじみだけで、サージ側の出席者はいない。強いて言うならばサージのいとこであるアレクサンダーとスカーレットが兼ねている。
「結婚おめでとう。ドレスもとても似合っているわ」
「ありがとう。グレースのおかげよ」
何かと妹に構いたがるジェームズを牽制してくれたのはグレースだ。グレースのおかげでケイトは新居に自分好みの家具を置き、自分好みのウエディングドレスを身に纏えている。しかもその厄介な兄の婚約者にもなってくれたのだ。ケイトはグレースに心の底から感謝していた。
「ジミーと結婚するかは未定だけれど、いつでも姉だと思って頼ってね」
グレースがにこやかにそう告げるので、ケイトは微笑みながら頷いた。いつでも婚約解消出来ると常に言っているグレースだが、ケイトは結婚すると思っている。
「サージさん、ケイトを末永く宜しくお願いね」
「勿論。私の全てでケイトを愛していくよ」
ケイトの横にいるサージは幸せそうな表情でグレースに答える。暫く三人で話していると、男女二人が近付いてきた。
「結婚おめでとう」
「おめでとう」
「ありがとう」
グレンとスカーレットは仲良くケイトとサージの前に来て、ケイトに言祝ぐ。ケイトは幸せそうな二人を見て、自然と微笑みを浮かべた。彼女の中でグレンに対する初恋は終わっている。まだサージに恋愛感情が芽生えたとは思えないのだが、明るい未来が見えた気がしたので結婚を決めたのだ。
「暫くこうして集まる事もないと思うから、今日は楽しんでね」
「あぁ、ありがとう」
グレンはそう答えると、スカーレットと共に幼なじみ達の所へと歩いていく。ケイトはその後姿を見つめていた。一年前ならあのように仲睦まじく歩く二人は想像出来なかった。自分達もいつかあのようになるだろうかと彼女は考える。その彼女の表情をサージは複雑な感情を抱きながら見ていた。
結婚披露宴が終わり、サージとケイトはリスター侯爵家の馬車で新居へと戻ってきた。この新居には馬車止めがないので、二人が降りると馬車はリスター侯爵家へと帰っていく。家具の運び入れなどで何度も足を運んでいるが、彼女がこの家で暮らすのは今夜からである。彼女は不安と期待を胸に、新居へと足を踏み入れた。
「今日は慣れない事をして疲れただろう。ゆっくり休むといい」
サージにそう言われケイトは無表情で立ち止まった。彼の口ぶりでは初夜はないという事だろう。しかしこの結婚は彼が積極的に行動した結果であり、一緒に暮らすのが楽しみだとずっと言われていた。当然初夜があるものだと思っていた彼女はどう反応するべきなのか迷い、言葉を発せなかった。
「入浴はケイトが先に。俺は温めが好きだから時間を気にしなくて構わないよ」
「あ、ありがとう」
「俺は明日も出勤だけれど、無理して早起きしなくてもいいからね」
「えっ?」
「早めに帰ってくるから夕食は一緒に取ろう。じゃあおやすみ」
「お、おやすみなさい」
出会った頃のサージはケイトの反応に構わず矢継ぎ早に話しかけていた。しかし婚約をしてからは彼女と会話を楽しむように変わっていたのだ。それがまるで元に戻ったようで、彼女は当時のように戸惑いながら言葉を返すだけになってしまった。そして彼女が戸惑っている間にサージは自室へと消えていた。
ケイトは茫然としたまま暫く立ち尽くした。披露宴が始まる前、ウエディングドレス姿をにこやかに褒めていたサージと本当に同一人物なのかと疑いたくなる落差だ。披露宴では酔ったジェームズが彼に絡んではいたが、元々二人は知り合いなのでそれが原因とも思えない。そういえば馬車の移動中も無言だったと彼女は今更思い出した。元々彼女はおしゃべりな方ではないので馬車は無言で乗るものだと思っているが、彼と一緒の時はひたすら話しかけてくるのが常である。
「お嬢様、ではなく奥様」
ケイトがリスター侯爵家から連れてきた侍女が声を掛けた。ケイトは表情を引き締めてから侍女に微笑む。
「お湯が冷めないうちに入浴しないといけないわね」
「はい、準備は整っておりますのでどうぞ」
ケイトは考える事を放棄して浴室へと向かった。そもそも出会った時からサージの行動は彼女の常識とは違う。彼なりの考えがあるのだろうし、彼女も焦って夫婦になる必要を感じていない。一緒に暮らしていくうちに見えてくるものもあるだろう。彼女はそう自分に言い聞かせ、入浴後自室へ向かう。ちなみにこの家に夫婦の寝室はない。二人の自室は隣り合っており部屋を行き来出来る扉はあるが、彼女はその扉に見向きもせず眠りについた。




