過去の自分に感謝
サージは目的地の近くで身なりを整え、従者に確認してもらう。本来なら馬車を使うべきなのだろうが、生憎彼は馬車を所有していないので徒歩でここまで来た。乗馬は習っているがレヴィ王国に留学して以来乗っていないので、今も変わらず乗れるかは不明である。彼は徒歩も乗合馬車も苦痛に感じないので、現状の生活に不満はない。しかしケイトは侯爵令嬢なのだから基本馬車移動だろう。
「結婚をしたら馬車を所持するべきか」
「馬車を置ける邸宅に変更するならば一から考え直しですよ」
従者はサージに依頼されていた邸宅の仮押さえを続けていた。しかし押さえている二件とも馬車を置ける場所はない。予算内では難しかったので最初から検討さえしていなかったのだ。
「それは縁が繋がった後に考えるべきです」
「それもそうだな。婚約が先だ」
一度顔合わせの見合いをしただけで婚約も気が早いだろうと思ったが、従者はあえて口にしなかった。ここで揉めても仕方がない。それに約束の時間も迫っていた。
「それでは行きましょう」
二人は再び歩き出して、リスター侯爵家の門前に辿り着いた。門番に名前を告げると門が開き、敷地内で控えていた使用人がサージと従者を案内すると言って歩き出したので二人もついていく。使用人は四阿の前で足を止めると、暫くこちらでお待ち下さいと告げて下がっていった。サージは座って待つのもどうかと思い、立ったまま庭園を観察する。前回の温室もそうだったのだが、花だけではなくハーブも育てられている。その時に出されたハーブティーを思い出して、薬草なら彼も知識として多く知っているので会話の糸口になるかもしれないと考える。
「お待たせしてすみません」
「いえ、お招き頂きありがとうございます」
背後から声がかけられ、サージは慌てて身体をケイトの方へ向けるとにこやかに対応をした。彼女の表情は決して晴れやかではなかったが、そのような事は彼には関係なかった。
「中へどうぞ」
四阿は六角形で大きく、中央に丸テーブルがあり、出入り口を除く五面に沿って長椅子がある。サージとケイトは向かい合う形で腰掛け、従者は四阿の外でサージの後ろに控えた。ケイトが連れてきた侍女はテーブルにハーブティーを置くと、持ってきたカートと共にケイトの後ろに控える。
「前回お会いした後、すぐに手紙を送らず申し訳ありませんでした」
「気にしておりません」
ケイトは淡々と返事をする。サージは歓迎されていないのかもしれないと、やっと思い至った。しかし彼は運命の相手だと思っているので気にしない。
「ケイト嬢に会った事で行き詰っていた研究に閃きがあり没頭しておりました。ただ、また行き詰ってしまったのですが」
「何の研究をされているのですか?」
「長時間用麻酔です。現在も局部麻酔はあるのですが、私は仮死状態になるような麻酔を目指しています」
「仮死状態? 危険ではありませんか」
ケイトは不可解そうな表情を浮かべた。普通に考えれば危険である。万が一完成したとしても、患者に使用するのは簡単ではない。手術中に麻酔が原因で死んでしまっては意味がないのだ。
「そうですね。私も今の状況では不可能なのではないかと、この研究を中止しようと思っています」
「諦めるのですか?」
「いいえ。今の私では知識不足なので一旦保留にします。世の中に不足している薬はまだまだありますから」
サージはにこやかに答えた。麻酔薬に拘っていても前には進めないと思い、この研究は一旦諦める事にしたのだ。お金を稼ぐだけなら他の薬でも問題ない。薬学の教授が彼しかいないので、要望は色々な所から勝手に届くのである。
「私はサージ様の作られた鎮痛剤を知らずに使っていました」
ケイトは少し恥ずかしそうに言葉にした。その態度でサージは何の薬なのか気付く。
「サリヴァン教授から依頼を受けたものですね」
サージは男性なのでよくわかってはいないのだが、女性向けの鎮痛剤を作ってほしいと熱く語る女性教授ボジェナ・サリヴァンの依頼で副作用の少ない鎮痛剤を開発していた。これは鎮痛効果のあるハーブティーに目を付け、その複数のハーブから成分を抽出し錠剤にしたものだ。サージが作った薬の中で一番売れているので、貴族であるケイトが飲んでいても不思議ではない。
「サリヴァン夫人に依頼されて作ったのですか?」
「はい。月のものを止める薬は元々あったのですが、妊娠するにはそれを飲み続けられず、毎月辛いのを何とかしたいと言う女性が多いので助けたい、という相談でした」
「その相談から男性が薬を作れるものなのですか?」
あけすけに話すサージに戸惑いながらもケイトは疑問を口にする。
「痛みを和らげる薬ですから。効果のほどは私にはわかりませんが、好評みたいです」
「とてもいい薬です。ハーブティーでは効果がなかったのですけれど、あの薬を飲んで辛くなくなりました」
ケイトは嬉しそうに微笑んだ。その表情にサージは心を鷲掴みにされる。ライラの甥なら引き受けてくれると信じているという妙に圧力のある依頼だったが、作っておいてよかったと彼は過去の自分に感謝をした。
「ケイト嬢の生活の一助になったのでしたら、これ以上の幸せはありません。もし何か他にも欲しい薬などあれば教えて下さい。可能かどうか考えます」
「急に言われても思いつきません」
「それでは今後何か思いつきましたら是非教えて下さい」
「わかりました」
「今後もこのようにお会い頂けますか? 私としては婚約をしたい気持ちでいっぱいなのですが」
今後も付き合いが続くような返事を受けて、サージは本音を零した。後ろで従者が驚きを隠せていないが、勿論サージに伝わるはずもない。
「何故、そのように積極的なのでしょうか」
「運命としか思えないからです」
「運命? 頂いた手紙からはそのように感じませんでしたけれども」
ケイトは困惑の表情をサージに向ける。彼が彼女に送った手紙は数ヶ月待って欲しいとしか書かれていなかった。どう考えても運命の相手に送る文面ではない。
「手紙は書き慣れていないので、手紙よりもお会いして話をしたいです」
サージは教授なので論文で文章は書き慣れている。しかし恋文には無縁だったので、当然上手く書けない。直接会って感じた思いを言葉にする方が楽だった。
「ケイト嬢に会うと疲労感が消え、干からびていた心が潤います。私と結婚して下さるのなら一生ケイト嬢を愛し続けます」
「一生、ですか?」
「はい。この命ある限り。今は私の収入では不安かもしれませんが、ケイト嬢が苦労しないよう薬も開発します。ケイト嬢がいてくれれば出来る気がしています」
サージは狼狽えるケイトに畳みかけるように言葉を紡ぐ。この機会を逃すまいと内心必死なのだが、彼女には落ち着いているように感じられた。彼女は少し視線を彷徨わせた後で、彼の目をまっすぐ見つめた。
「本当に私だけを愛してくれますか?」
「はい。断言します」
サージは言い切った。彼も根拠を問われれば、祖父と同じ血が流れているからとしか答えようがない。しかし何故かケイト以外には目もくれないという絶対的な自信があった。
「それなら私も少し前向きに考えてみます。婚約は私の気持ちが固まってからにしてもらえますか?」
「勿論です。ケイト嬢のお返事をいつまでもお待ちします」
サージは笑顔で答えた。それに対しケイトも少し困った様子はあるものの微笑みで返す。サージの後ろで従者は何故この流れになったのかわからなかったが、とりあえず縁が繋がった事にほっとした。




