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謀婚 平和な次世代編  作者: 樫本 紗樹
教授と侯爵令嬢

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予期せぬ手紙

 サージは再び研究に行き詰っていた。ケイトと会った後に感じた一筋の光を完全に見失ってしまったのだ。彼女との縁が切れたと思うと、再び仮説を立てる気力も残っていない。今までは彼女の存在を知らなかったが、知ってしまった以上その前の状態には戻れなかった。

 サージはこれ以上研究所にいても何も出来ないだろうと、王都に借りている部屋に戻る為に歩き出した。天気は良く、大学の敷地には生き生きした表情の学生達が歩いている。彼は自分も入学当初はあのような表情をしていたのだろうかと、ぼんやり考えた。たまにしか帰らないとはいえ、流石に自分の部屋までは考え事をしながらでも辿り着ける。活気ある市場を気分転換に覗こうかとも思ったが、従者に臭いと昨日指摘された事を思い出し、身綺麗にするのが先だと家路を急いだ。

「おかえりなさいませ。珍しいですね、明るい時間のご帰宅は」

 部屋に戻ると従者が出迎える。彼はサージの身の回りの世話を一人で請け負っていた。今も手には雑巾を持っている。滅多に戻らないとわかっているのに、毎日掃除をする真面目な男だ。

「何も考えられないから風呂にでも入ろうかと思って」

「それでしたら沸かしてきますから椅子に腰かけてお待ち下さい。ベッドは入浴前には絶対近付かないで下さいね」

「わかってるよ」

 サージは力なく椅子に腰かけた。それを確認して従者は浴室へと向かう。サージは俯いて研究を辞めるかどうか悩み始めた。現状彼以外に麻酔の研究をしている者はいない。今あるもので壊死した部分の切除や簡単な手術なら出来るのだ。そもそも脳を切り開きたいと言っているセオドア・モリスがおかしいと切り捨てる事も出来る。第一希望通りの麻酔が完成したとして、今まで誰も切り開いていない脳の手術など簡単にできるとは思えない。その前に麻酔を完成させる為には人体実験が必要である。今までの簡易的な頭痛薬などとは違い、命を懸けた実験をしなければならない。そこまでして本当に必要なのか彼はわからなくなっていた。治療は確かに必要だが、手術が必ず成功する保証はない。また病気の原因が取り除けても体の一部に痛みや痺れが出た場合は現状時間経過で様子見しか出来ない。むしろこれを早く治す薬を考えた方が安全なのではないだろうか。

「サージ様、お待たせしました」

 サージがぐだぐだと考えている間に従者はてきぱきと風呂の準備を終えていた。彼は従者に礼を言うと浴室へと向かう。久しぶりに浸かった湯船は気持ちよく、しかし今回は寝てはいけないと腹筋に力を入れる。そして目を閉じてケイトの姿を思い浮かべた。彼女はずっと戸惑った表情を浮かべていたが、微笑めば愛らしいのだろうなと思っても上手く想像出来ない。縁が切れてしまったのなら繋ぎ直せばいいのではないだろうか。ここで諦めたら終わりだが、足掻かずに終わってしまったらもう何も出来ないような気もする。せめて面と向かって貴方とは結婚出来ないとはっきり言ってもらわなければ、切り替えられない。今の状態では何の研究も手につく気がしなかった。

「サージ様!」

 サージがケイトに会いに行こうと思った時、従者が浴室の扉を勢い良く開けた。彼は驚きつつも従者の方へ顔を向ける。

「何だ、今日は寝ていない」

「それは良かったです。身体を隅々までしっかり洗って下さい」

「それをわざわざ言いに来たのか?」

 サージは怪訝そうな表情を浮かべた。彼は一人で入浴出来るので、従者は基本入浴中は構ってこない。いくら前回寝落ちしたとはいえ、まだ入浴してそれほど時間は経っていないはずである。

「いえ。報告があったのですが、よく考えたら浴室でするものではないと思い直しました」

 従者の表情は至って真面目だが、サージは従者の報告が何かわからず首を傾げる。そもそも浴室でしてもいい報告など思いつかなかった。

「私は夕食を買い出しに行ってきますので、ごゆっくりどうぞ」

 そう言って従者は扉を閉めた。サージはよくわからなかったが、ケイトに会うなら清潔感は必要だろうと、身体を隅々までしっかりと洗う事にした。

 ゆっくりと入浴後、サージは髪をタオルで拭きながら居間へと向かった。従者は買ってきた夕食を食卓に並べている。

「何かいい事でもあったのか?」

 サージは育ちの割に食べる物にあまり頓着していない。勿論食育は施されており味覚はしっかりしているのだが、平民の食事、貴族の食事、それぞれの美味しさの違いを理解して食べられる。それを知っている従者は普段自分の口に合う平民の食事を用意するのだが、今夜は少し豪勢だった。

「よくわかりましたね。今飲み物を用意しますので、先に座っていて下さい」

 わかりやすすぎるだろうと思いながらも、サージは大人しく腰掛けた。本来なら主と従者が同じ席で食事はしないのだが、二人きりの時は一緒に食べていた。来客がある時、従者は後ろに控えている。アレクサンダーの時でさえ一線を引くので、従者なりに拘りがあるのだろう。

 檸檬水をふたつ置いて、従者も席に座る。そして従者は懐から一通の手紙をサージに差し出した。彼はそれを受け取って封蝋を見るが、見覚えはない。しかし名前を見て目を見開いた。

「どうした、これ」

「サージ様が入浴中にリスター侯爵家の方が持ってこられました」

 笑顔で従者はペーパーナイフを差し出す。サージは差出人の所にケイト・リスターと書かれた封筒を食卓の空いた場所に置くと、受け取ったペーパーナイフでそっと開封し、手紙を取り出して開いた。彼はさっと目を通し、内容が信じられずにもう一度頭からしっかりと文章を読み直す。

「え?」

 サージは困惑の声を上げた。従者は思った反応をしない主に不安そうな表情を向ける。

「もしかして絶縁状でしたか?」

「いや、数ヶ月待てるかどうか判断する為に説明しに来てほしいと書かれている、気がする」

 サージは手紙を従者に差し出した。従者はそれを手に取り手紙を読む。

「確かにそう書かれています。良かったですね、縁が切れていなくて」

 従者は丁寧に手紙を折り畳むと再びサージに差し出した。彼はそれを受け取ると封筒に丁寧にしまう。

「あの手紙を書いた時はすぐにでも完成させる気だった。だが今は暗礁に乗り上げていて、数ヶ月ではどうにもならない」

 サージは研究自体を諦めようとしているのだ。数ヶ月の根拠の説明などしようがない。しかしよく考えれば麻酔の研究を彼がしていると、ケイトが知っている可能性は低い。これはジェームズにも話していない。アレクサンダーは話した記憶がないのに知っていたりするのでわからないが、それをわざわざジェームズやケイトに伝えるとも思えない。

「ケイトが納得出来るような説明が出来れば結婚出来るんだよな?」

 気持ちを切り替えたサージを見て従者は安堵した。以前手紙の内容を確認しなかった事を後悔した従者だが、今は詳細を書かなかった主を心の中で褒めた。数ヶ月待って欲しいとしか書かなかったからこそ、相手の興味を引いた可能性があるのだ。

「そうですね。こちらの都合のいい日を何日か提案して、ケイト様に日程を決めてもらいましょう。それまでに理由を一緒に考えましょう」

「一緒に? 俺が考えるよ」

「いやいやいやいや。サージ様、この縁は繋ぐべきです。自ら切りにいってはいけません」

「俺の信用がなさすぎないか」

「恋愛に関しては一切ありません。むしろあると思っていたのですか?」

 厳しい視線を向ける従者にサージは言葉を返せなかった。彼は間違った対応をした自覚があるのだ。そして従者は真面目故に常識を備えている事も知っている。

「それなら俺が考えるから、いいかどうか判断してくれ」

「わかりました。それでは今夜は縁が切れていなかったお祝いといきましょう」

 従者は笑顔で檸檬水の入ったグラスを持ち上げる。サージも微笑みながらグラスを持ち上げると乾杯をした。

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