伯母の侍女からの提案
受験勉強期間が短かった事もあり、サージの試験結果は合格だが特待生になれる程ではなかった。しかし彼の実家はガレス国内一裕福である。何の問題もなく彼は従者一人だけを連れて、大学内にある学生寮に入った。
サージは薬学を修めたくとも、医学部には薬学専門の教授がいなかった。それなら自分がなればいいのだと、彼は医学を学びながら独学で薬学を極めていく道を選ぶ。険しい道であるが、彼は人生の目標はこれだと信じて邁進する。そうして彼は次々と薬学に関する論文を書き、ついに国立大学初の薬学教授になった。彼は公爵家出身でありながら平民が気軽に手に出来る薬に拘り、そのような薬を次々と発表していった。
薬学の道を歩き始めて八年。サージは大学卒業後レヴィ王都内に部屋を借りていたが、基本的には大学内にある研究室で寝泊まりをしていた。レヴィ王国には彼の伯母ライラが暮らしており、大学入学時からやたらと構おうとしてきたが、彼はそれを鬱陶しく思っていた。彼の態度があまりにも酷いので、徐々にライラも近付かなくなる。しかし、ライラの侍女であるエミリーと、ライラの息子で従弟にあたるアレクサンダーは定期的に顔を出していた。
「もう少し身嗜みを気にして下さい」
「教授に見栄えは不要。それに研究が進まなくて余裕がない」
呆れ声のエミリーにサージは悪態を吐く。彼は公爵家出身なので身嗜みは元々気を遣う方である。しかし一旦研究に没頭してしまうと、それ以外は疎かになってしまう。髭はかろうじて従者が剃っていたが、髪は伸び放題で教授とは思えない外見である。
「余裕のある生活を送る為にお見合いをしましょう」
「は?」
想定していなかった言葉が聞こえ、サージは眉を顰めてエミリーを見る。彼女は微笑んでいた。
「サージ様に相応しい方を見つけました」
「俺の好みなんてわかるの?」
「私は何故か人の縁に関する勘が鋭いのですよ」
自信に満ちた声で告げるエミリーに、サージは興味なさそうな視線を送る。
「よくわからないけど、俺の研究の邪魔をしないでくれるかな」
「行き詰っているのでしょう? 気分転換は必要ですよ」
エミリーは変わらず微笑んでいる。サージの中で少しの迷いが生じた。確かに彼は研究に行き詰っている。アレクサンダーと酒でも飲みながら愚痴に付き合ってもらおうかと思っていた所に彼女が来たのだ。彼の迷いを彼女は見逃さない。
「リスター侯爵家をご存じですよね?」
「あぁ。アレックスの紹介でジェームズなら面識がある」
アレクサンダーの交友関係は広い。しかし彼は無理にサージの交友関係を広げようとはしなかった。それでも必要と判断した場合は声を掛ける。それで紹介されたのがリスター侯爵家嫡男のジェームズだった。宰相補佐をしている彼は平民向けの薬に興味を持っていたのだ。
「ジェームズ様が妹を大層可愛がっていらっしゃるのはご存じですか?」
「勝手に話すから知ってるよ。アレックスには話半分に聞いておけと言われた」
「その妹であるケイト様と会ってみたくはありませんか? 私は彼女の母君と友人なのです」
「ジェームズは承諾している見合いなのか?」
「勿論です。ジェームズ様もケイト様が年頃なのを気にされているようですよ」
エミリーの言葉がサージにはどうにも納得いかなかった。彼にも妹はいるが、正直ジェームズの妹に対する愛情は度を越えていると感じている。結婚も許さないのではと思っていた。
「年齢は知ってるけど、侯爵家なら娘の結婚相手に貴族の嫡男を選ぶ。俺は嫡男だけど家は継がないから不適切だよ」
「家督相続を放棄している件なら存じております。しかし適当そうに振舞われておりますが、紳士対応は出来ますよね?」
「出来るけど面倒だからやらないよ。爵位も要らない」
「それはお相手を見てから判断して下さい。この人と思える人に出会えたら、その女性の為に努力する血筋でしょうから」
「顔が似ていても性格は違う」
サージは不満そうな表情を浮かべた。彼は父や祖父を見て、将来こう老けていくのだろうと想像出来る程顔が似ている。母と祖母は全く似ていないのにその血はどこへ消えたのか不思議なほどだ。そして顔が似ている事実を彼はあまり芳しく思っていない。
「勉学に励まれているのは奥様の血筋だとは思いますけれど、それと恋愛は別ですから」
エミリーはサラの侍女の娘だからか、サージの祖母を奥様と呼ぶ。彼女は他家に嫁いでいるのでその表現はおかしいだろうと彼は指摘したのだが、名前を呼ぶのは憚られると言って譲らなかった。故にもう好きにさせている。
「簡単に恋愛出来たら苦労してないんだよ」
サージは伸び放題の髪をぐしゃぐしゃとかきむしる。彼もレヴィ王国内に運命の相手がいるのではないかと期待をしていた。まだ時間に余裕のある学生時代に王都を歩き、長期休暇には他の都市や自治区ケィティにも足を運んだ。しかし見当たらなかったので諦めての現状である。彼にとって薬学が運命の相手なのだろうという結論に落ち着いていた。
「簡単に出来る恋愛は本物の恋愛ではありません。サージ様は運命の出会いをご希望なのでしょう?」
「エマ経由で俺の情報でも入ってるの?」
エマはサラの侍女であり、エミリーの母である。侍女長も兼ねているので屋敷事情に詳しい。
「奥様が非常に心配されているとしか聞いておりません。初孫が可愛いのでしょうね」
「俺もお婆様を心配させるのは不本意だから、研究成果の薬は送ってるんだけどな」
「今のお姿を見たら悲しまれると思いますよ。せめて髪は整えましょう」
エミリーの言葉に、奥で控えている従者が首を勢い良く縦に振っている。しかしサージは普段教授として教壇に立っていない。薬学志望者がいないので、医学部の教養の一部として年に数回講義をするだけだ。講義がない時は身嗜みなんて最低限でいいと思っている。
「ちなみにサージ様は間違いないと思うのですけれども、ケイト様に関しては半々という感じです」
「俺が振られると?」
「えぇ、その可能性はあります。傷付くのが嫌でしたら断りますか? ただし、縁談は今後ないと思って下さい」
淡々と告げるエミリーをサージはじっと見つめた。彼は言葉で煽られるような性格ではない。それなのに何故挑発するような言い方をするのか、その真意を探し出したかった。
「この縁談、エミリーに何か利点があるんだろうね」
「レヴィ王国で仲良くして下さる方の娘に幸せになってほしいと思うのは、おかしいでしょうか」
エミリーは微笑んでいるが、サージは納得いかなかった。彼女がライラ中心で生きているのは見ていればわかる。リスター侯爵夫人がライラに依頼し、それをエミリーに頼んだ可能性はあるが、ライラが自分を推薦するとは彼には思えなかった。
「俺だと半々なんだろう? それならそのご令嬢の好みの男性と引き合わせればいい」
「それが難しいので、惚れたら尽くしそうなサージ様に声を掛けたのですよ」
「難しい? 理想が高すぎるの?」
「恋愛小説が大好きな女性なので、そういう物語に憧れていらっしゃるのです」
サージは何となく察した。彼は恋愛小説を読んだ事はないが、観劇ならガレス王国にいた頃に連れて行かれた事がある。とても現実的ではない恋愛物語であったが、母は感動をしていた。そのような作品に憧れているなら、なかなか難しいだろうと彼は思う。兄が男性を徹底的に近寄らせないようにしているのを知っているから余計に。
「それで紳士対応か。まぁ、見た目は悪くない自信があるよ」
「その髪型で良く言えますね」
「流石にこの状態で見合いに行くほど非常識じゃない」
「それではお見合いしますか?」
「いいよ、ジェームズの妹を見てみたいとは思ってたから」
世界一可愛いというジェームズと、可愛いけれど国内一ではないというアレクサンダー。一体どのような女性なのかサージは気になっていた。それに本当に運命の出会いがあるのなら体験してみたいとも思う。また研究に行き詰っているので息抜きは必要だろうと彼は自分を納得させた。
「ありがとうございます。日程等は改めて連絡致します」
「あぁ、わかった」
こうしてサージは人生初めての見合いを比較的気軽に引き受けた。エミリーが確信を持った微笑みを浮かべていた事には気付かなかった。




