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謀婚 平和な次世代編  作者: 樫本 紗樹
教授と侯爵令嬢
32/57

本能の訴え

 少年は窓際で外に顔を向けながらため息を吐いた。決して焦点は合っていない。ソファーに腰かけていた初老の女性は、手元の本から彼に視線を動かした。

「何か相談事かしら」

「人生の目的が全く見つからないんだ」

「従弟を支える為に、ガレス王国の為に働くのがそれ程嫌なの?」

 初老の女性は手に持っていた本を閉じて机の上に置くと、ソファーの横を叩いて少年に座るよう促す。少年は音に反応して振り返り、渋々ソファーへ腰掛けた。

「サージ。公爵家嫡男に生まれたくなかった?」

 初老の女性はサージと呼びかけた少年に優しく微笑む。サージは困ったような表情を浮かべた。

「それはわからないけれど、俺はお婆様の孫で良かったと心から思ってる」

「私はサージと同じ歳の頃、つまらない政略結婚をする人生に何の希望も持っていなかったわ」

「え? お爺様との結婚をつまらないと思ってたの?」

 サージは訝しげな表情で祖母に問うた。彼から見て祖父母はとても仲が良く見える。どこにもつまらなさそうな雰囲気は感じられなかった。孫の疑問に祖母は思わず微笑む。

「そのつまらない政略結婚は別の人との話。男爵家と公爵家ではつり合いが取れないでしょう?」

「だけどお婆様の実家は伯爵家だよね?」

「元々男爵家よ。この結婚を成立させる為に色々あったの」

 初老の女性が優しくそう言った時、扉を叩く音がした。彼女は小さく息を吐くと返事をする。すると勢いよく扉が開き、初老の男性が部屋に入ってきた。

「サラ、って何でサージが隣に座ってるの?」

「クリフォード様。今は孫と大切な話をしていますので少しお待ち下さい」

「相談なら両親でいいじゃないか」

「両親に言えないから私の所へ来たのですよ。クリフォード様こそ、特に急ぎの用事ではありませんよね?」

「サラに急ぎで報告したい話があるの」

「左様でございますか。それは後で伺います。サージ、お爺様がいても大丈夫かしら?」

 サラに尋ねられ、サージは頷いた。サラに冷たくあしらわれたクリフォードは二人の向かいのソファーに不機嫌そうに腰掛ける。

「サラの横は俺の場所なのに」

「孫の前では当主らしく振舞って頂けませんか?」

「嫌だよ。疲れる」

 クリフォードは不貞腐れて視線を逸らす。彼こそが現在ガレス王国の宰相なのであるが、その雰囲気は一切感じられない。

「お爺様はどうして宰相になろうと思ったの?」

「サラが望んだからなっただけ。そうじゃなきゃやらないよ、あんな面倒な仕事」

「クリフ!」

 クリフォードのあまりの態度にサラも公爵夫人の対応をせず、愛称で叱責の声を上げる。

「孫の前で格好付けても仕方ないよ。サージもさ、嫌ならやらなくていいからね」

「いいの?」

「いいよ。俺もさっき宰相を辞めるって言ってきたから」

「待って、辞めるとはどういう事?」

 サラは何でもない事のように発せられた重要事項が信じられず、クリフォードに視線を向ける。

「だから急ぎの話が宰相辞職の件。もう俺は十分働いたからさ、領地で二人仲良く余生を過ごそうよ」

「相談もなく勝手な事をするクリフに、私がついていくとでも?」

「だって相談したら辞めるなって言うじゃん。でも正直俺である必要性が無いと思わない? この平和な国なら誰が宰相をやったって同じだよ」

「誰でもいいはずがないわ」

「俺が出来るんだから誰でも出来るんだよ」

 クリフォードは笑顔だ。サラは言葉を発しようとしたものの、やめて口を噤む。ガレス王国は隣国レヴィ王国との戦争が終結して以降、平和を享受していた。自然災害や飢饉などもなく、国王が国を傾けるほど浪費をする事もなく、ただただ代わり映えのない日常。それはかけがえのないものではあるが、才能がある者にとっては面白くもない世の中でもある。

「サージは政治家に向いてない。サラもわかってるんでしょ?」

 クリフォードの問いかけに、サラは小さなため息で答えた。そしておもむろに立ち上がると本棚の前に行き、封筒を取り出してサージに差し出す。

「これは?」

「レヴィ王国にある大学の資料よ。サージには研究者が向いている気がしたの」

 ガレス王国に大学はない。学校はあるが、あくまでも将来の政治家の為の教育機関である。それに対し、レヴィ国立大学は医学部や芸術学部など専門知識を学ぶ場所だ。老若男女どころか身分や出身国さえも問わない。レヴィ語の試験に合格し、学費さえ払えれば誰でも通える。ガレス王国とレヴィ王国は元々ひとつの国だったので言葉の壁はなく、学費も公爵家には何の痛手もない額である。

 サージは受け取った封筒から資料を取り出し、一枚ずつ目を通していく。

「いつの間に取り寄せたの?」

「この子が定期的に憂い顔をするのが気になって仕方なかったのよ」

 クリフォードの質問にサラはサージを見つめながら答えた。二人の長女ライラはレヴィ王国に嫁いでいる。故に資料を手に入れるのは容易かった。

「サージはレヴィ王国の方が合うかもしれないわ」

 元々ひとつの国ではあったが、国がわかれて百年近く過ぎている。言葉の壁はなくとも国の状態はかなり違う。国土はレヴィ王国の半分の広さがあるガレス王国だが、国家予算は五分の一程度だろう。才能ある者が活路を見出すには不向きな国であるとサラは思っている。それこそ人よりは優れているけれど非凡ではないクリフォードが宰相を出来る程度の国なのだ。

 サージは期待せず資料に目を通していた。しかしとある学部紹介を目にして、今まで感じた事のない衝撃を受ける。本能がこの道に進むべきだと訴えている気がした。

「医学部が気になるの?」

 手を止めて資料を見つめている孫にサラは声を掛ける。しかしサージは首を横に振った。

「このついでみたいに書かれている薬学が気になる」

 大陸一の大国であるレヴィ王国は、経済や芸術だけでなく医学も他国の追随を許さない。しかし薬学に関してはあまり伸びておらず、主に自治区であるケィティで作られる薬に頼っていた。それを何とか解消しようとはしているのだが、医師よりも薬師は下に見られるせいか一向に増えていない。

「それだと思ったのなら突き進むといい。ジョン達なら俺が説得するよ」

「お爺様が?」

 サージはやや疑うような眼差しをクリフォードに向けた。この家は当主であるクリフォードではなく当主夫人であるサラが仕切っている。サージの父ジョンはサラに対して敬意を持っているが、クリフォードに関しては見下しているような気がしていた。

「ジョンも別段秀でている訳じゃない。俺より少し賢いから逆にサージの凄さが見え辛くなっているんじゃないかな」

「俺は凄くない」

 サージはつまらなさそうに吐き捨てた。家庭教師の話は一度聞けば理解出来るが、それは普通だと思っている。ただ理解は出来ても興味がわかないので、得た知識をどうしたらいいのかわからない。結果無気力に生きている。

「俺は目的もなく生きていたけど、サラに会って人生が変わったんだ。サージにとっては薬学がそれなのかもしれないな」

「俺もこの人という女性に出会いたいんだけど」

「あら、そういう話には興味がないのだと思っていたわ」

 サラも興味深そうにサージに視線を向ける。あれ程憂い顔を浮かべておいて恋愛がしたいと思っているとは想像していなかったのだ。サージは不機嫌そうな表情を作る。

「興味がなかったら茶会に顔なんて出さないよ」

 サージは未成年なので社交界にはまだ出ていない。しかし公爵家ではよく茶会が催されており、母親に連れられた未成年の女性も参加する事が多い。一目見たらわかるというクリフォードの言葉を信じて多くの女性を見たが、どの女性も区別がつかなかった。

「気になる女性がいたら社交界へ出る前に声を掛けるつもりだったの? 呆れた」

「相手が別の人と結婚してしまったら取り返しがつかないから」

「相手がサージを好きになるかはわからないのよ? 私は情がわいてしまったけれど」

「情って同情じゃないよね? 愛情だよね?」

「あなたは黙っていて」

 サラに睨まれクリフォードは肩を落として小さくなった。この人でも宰相が務まるこの国は本当に大丈夫なのだろうかと、サージはガレス王国の将来を心配する。

「俺はアマンダ叔母上を見て、結婚するなら愛情が必要だと感じた」

「不幸になるとわかっている結婚は流石に認められないのよ」

 サラは視線を伏せた。彼女の末娘アマンダは所謂駄目な男が好みであり、しかもよりにもよって旧シェッド帝国の皇太子ルイを気に入ったのだ。家族が必死に結婚を諦めさせようとしている間に、ルイは内部事情で皇位継承権を剥奪され幽閉された。それを聞いて更に彼を支えられるのは私だけという使命に燃えるアマンダを縛る為に、サラはガレス国内で許容範囲内の駄目男へ末娘を嫁がせたのである。

「出会いは運もあるから、今は受験だけを考えてみてはどう?」

「そうする。お婆様ありがとう」

 小さくなっている祖父が哀れに思えてきたので、サージは資料を手に祖母の部屋を出た。そして彼は翌年、見事受験に合格してレヴィ国立大学へと進学をしたのである。

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