第二王女のお茶会
レヴィ王宮の一角で第二王女ヨランダ主催の茶会が催されていた。今回はスカーレットが茶会に慣れる為に開かれたものであり、ヨランダとグレースが相談をして同世代かつ温和な性格の貴族女性達を招待している。そして貴族女性達は今まで接点のなかったスカーレットにどのように接するべきなのか、各々不安がっているようにグレースには見受けられた。しかしそれは致し方がないとグレースは内心同情する。控え目とはいえ化粧をしたスカーレットはこの場の誰よりも美しく輝いており、グレースでさえ見惚れてしまう程だ。
「彼女は私の従妹のレティよ。ハリスン卿の甥であるグレンと結婚をしたから将来のハリスン公爵夫人ね」
「初めまして。レティです。よろしくお願いします」
このような場では本名であるスカーレットと名乗るべきなのであろうが、彼女は近衛兵時代の癖が抜けていなかった。そもそも彼女の家族をはじめ誰もが愛称のレティで呼ぶ為、彼女は本名を口にする習慣を元々持ち合わせていない。そして家門名を持たないという特殊な環境で育ったので、それも忘れている。
ぎこちない挨拶を交わした後、ヨランダが当たり障りのない会話を広げていく。彼女は姉には敵わないと常々口にしているが、グレースはアリスの茶会よりもヨランダの茶会の方が好きだった。品位が保たれた他愛もない会話は難しいと思うのだが、そうグレースがヨランダに伝えても響いていない気がする。誰かが悪口を言ったとしても、ヨランダは決してそれには乗らず話題を自然に逸らしていく。都合の悪い話を受け流す術に長けているのは王家の血が流れている証拠だ。
「先日の舞踏会でお二人を見かけた時、とても素敵だと思うと同時に近付けないとも思いました」
「あら。グレンもレティも気難しい性格ではないわ。積極的に話しかけていいのよ」
恐縮気味の女性にヨランダが笑顔で言う。その言葉に引っかかったグレースはヨランダに視線を向けた。
「ヨランダ殿下。公式の場では守るべきものがありますよ」
「知っているわ。けれどこの夫婦の今の立場は公爵家とは違うと思うの」
ハリスン公爵家当主ウォーレンは独身の為、後継者は甥であるグレンだと暗に示している。それはグレンが公爵家嫡男にしか許されていない、王太子の側近だからである。しかし当のグレンは現在爵位を持っていない。またスカーレットも父親は王弟だがレヴィ王家の特殊事情で彼女自身は王家に連なっていない。グレンとスカーレットの二人は将来ハリスン公爵夫妻になると誰もが思っているが、今は特殊な立場なのである。
「けれど王宮舞踏会では公爵家の並びにいたではありませんか」
「兄の側近の一人が一番後ろにいるのは不自然よ。そもそもハリスン公爵家が他に爵位を持っていないのがおかしいのよ。何故ないの?」
ヨランダは疑問をスカーレットに投げかけた。スカーレットは少し困ったように微笑む。
「ハリスン公爵家は代々息子しか生まれず、分家しすぎて残っていないと聞いています」
「それなら分家から取り返せばいいと思うわ」
「分家が断絶すれば爵位が本家に返還されるそうなのですが、分家も代々息子が生まれるのでひとつも断絶していないと聞いています」
スカーレットの説明にヨランダだけでなくその場にいた全員が微妙な表情を浮かべた。レヴィ王家では男性にしか爵位継承は認められていないが、男児が生まれるかは運である。しかしハリスン公爵家は男系であり、長らくその血を継いできた事で有名だ。まさか分家までもが男系だとは誰も思ってもいなかった。
「それならグレンに新しい爵位を与えた方が早そうね。兄に言っておくわ」
「お気持ちだけ頂戴致します。夫が望むのなら自ら動くと思いますので」
スカーレットの言葉にヨランダとグレースは驚いたが、それを表情には出さなかった。スカーレットの対応はこの場に相応しいものとわかっていても、グレンを夫と呼ぶのはあまりにも違和感があったのだ。しかもそれがとても自然だったので余計にそう思えた。
「そうね。父や兄に任せる案件だわ。困らせてごめんなさい」
「いいえ、お気持ちは嬉しいです」
血筋ならばグレースに負けないスカーレットではあるが、彼女は演技に長けていない。いくら会話している相手が幼なじみとは言え、良く知らない貴族女性もいる場でここまで振舞えるのならば、今後は心配はいらないだろうとグレースは勝手に姉目線で安堵した。
会話が途切れ沈黙が訪れると、女性の一人がグレースに視線を向ける。
「あの、グレース様にひとつ伺っても宜しいでしょうか」
「何かしら?」
「婚約されたと伺ったのですけれども、本当でしょうか」
「えぇ。リスター侯爵家嫡男のジェームズと婚約したわよ」
グレースはにこやかに対応をした。しかし質問をした女性は浮かない表情である。その不自然な態度にグレースは首を傾げ視線で訴えた。グレースの視線に女性は慌てて表情を作る。
「失礼致しました。グレース様は恋愛結婚をなさると思っていたのですけれども、ジェームズ様と恋愛があまりにも結び付かず違和感しかなかったものですから」
女性の言葉に思わずヨランダは笑みを零す。
「その気持ちはわかるわ。幼なじみである私でも彼と恋愛は無縁だと思うもの」
ヨランダは思っている事を素直に言葉にした。彼女はジェームズが誰かに愛を語らう姿が一切想像出来ないのだ。やたら妹を褒めて他の女性を妹以下だと切り捨てている印象が強い。
「その恋愛に無縁な男が私の心を動かそうと必死なのよ。私が彼を好きにならなければ婚約は解消予定だから」
グレースは微笑んでいる。その微笑みには余裕が感じられた。彼女が現在女官見習いとして働いているのは参加者全員知っている。そして彼女が如何に家族から大切にされているかも知っている。質問をした女性はグレースが無理矢理婚約させられたわけではないと理解して勝手に胸をなでおろした。
「二人は言葉の応酬をしている印象しかなかったのだけれど、愛情がこもっていたの?」
「私には幼なじみ以上の情はありませんよ。彼は楽しいと言っていましたけれど」
ヨランダの質問にグレースは微笑んで答える。ヨランダとスカーレットはジェームズの対応を思い出したものの、楽しそうには見えない。しかし幼なじみとしてジェームズと会話が続く女性はグレースだけであり、それが楽しいと感じているのかもしれないかとヨランダは思う。
「私はグレースが幸せならいいわ」
「不幸になりそうなら婚約を解消しますので心配には及びません」
グレースはわざとらしい笑みを浮かべた。彼女が前向きな性格なのはヨランダも知っている。そして公爵令嬢としての振る舞いは完璧であるが、演じている部分も多いとも思っていた。グレースとジェームズの言葉の応酬はどちらも自然体に見えるので、案外お似合いなのかもしれないとヨランダは判断する。
「恋するグレースが見られる日を楽しみにしているわ」
「それは私も楽しみです」
ヨランダの言葉に次々と同意を口にする女性達。グレースもそれに対し笑顔を向ける。
「私もそのような自分が想像出来ないから楽しみだわ」
こうして茶会は和やかな雰囲気のまま時間となり、参加していた貴族女性達は帰っていった。そして幼なじみ三人だけになった所で、スカーレットは静かに息を吐く。
「疲れた?」
グレースは優しくスカーレットに問いかける。スカーレットは少し困ったように微笑んだ。
「うん。なかなか難しいね」
「グレンを夫と自然に言えていたから、そのうち慣れるわよ」
「私の中では違和感しかないのだけれど、自然に見えたのなら練習した甲斐があったかな」
スカーレットは安堵の表情を浮かべた。ヨランダはそんな彼女に鋭い視線を向ける。
「練習ならまず名乗りからはじめなさいよ。レティの本名はレティではないでしょう?」
ヨランダの指摘がスカーレットはわからず首を傾げ、少しして何かに気付いたかのように目を見開く。
「私はハリスンを名乗るべきなのかしら? それともホフマン?」
ホフマンはグレンの父カイルが赤鷲隊を退役後に自力で得た家門名だ。ちなみに子爵だが、グレンは伯父に幼い頃からハリスンを名乗るように言われて今に至っている。
「それはハリスンでいいけれど、まず本名がスカーレットでしょう?」
「そうなの?」
ヨランダの言葉にグレースは驚きの声を上げた。スカーレットの家族全員がレティと呼ぶので、彼女は別段気にしていなかったのだ。
「グレースも知らないの? レティの本名はどの範囲まで知られているのよ」
「家族三人とグレンとその両親と伯父、あとは多分陛下とアリスとヨランダとリックだけだと思う」
「ウォルターお兄様も知らないの?」
「別に隠しているわけではないから、兄がどこまで話しているかわからないわ。ただ私は名乗った事がない」
「アレックスがアレクサンダーなのは知っているわよね?」
ヨランダは確認するようにグレースに問う。グレースは頷いた。
「それは皆知っていると思うわよ。そもそもアレックスが愛称ならそれしかないもの。けれどレティならレティシアが一番最初に浮かぶわ。スカーレットなんて思いもしなかった」
「本名を名乗った方がいいの? むしろレティが本名と思われていそうなのだけれど」
「少なくとも私はそう思っていたわよ。ライラ様ならあり得そうだもの」
「ライラ叔母様は自由過ぎるから、そう思われてもおかしくないのよね」
ヨランダは悩むように目を閉じた。偽名ではないにしろ、将来の公爵夫人が愛称を名乗るのは正しくない。しかしスカーレットはレティとして認知されてしまっている。王女アリスを守った護衛騎士の名はレティなのだ。
「これは私の範疇ではないわ。ウォーレンに確認して頂戴」
「考えるのが面倒になって丸投げしたわね?」
ヨランダの言葉にグレースがすぐに反応をする。そんな彼女にヨランダは冷めた視線を向けた。
「特殊事情が重なり過ぎて私では判断出来ないのよ。わかるでしょう?」
「確かに嫁いだ家の判断に委ねるのが正しいのかもしれないわ」
「だけどレティと呼ばれないと多分反応出来ない気がする」
スカーレットは視線を伏せた。彼女をスカーレットと呼ぶのは夫のグレンだけである。それも二人きりの時にしか呼ばないので、茶会や舞踏会でスカーレットと呼ばれても反応する自信がなかった。
「別にレティでいいと思うわよ。私の父は本名を名乗らないのを知っているでしょう?」
グレースの明るい声にスカーレットは視線を上げた。公爵家当主であるリアンの本名はライアンである。しかし彼が本名を名乗らないのは一部では有名で、一部以外ではリアンが本名だと思い込んでいるのが現状である。
「忘れていたわ。その前例があるならレティなんて何の問題もないわね」
「そうよ、父はライアンと呼ばれても反応しないの。わざと無視をするわ」
「私はスカーレットという名前は好きなのよ。ただレティが定着しているだけで」
スカーレットはリアンとは違うのだと二人に説明をする。彼女の名前の由来は、父が赤鷲隊隊長だから赤に関する名前がいいだろうと母が考えたものだ。自分で決めた割に娘を愛称で呼ぶのだが。
「名前はレティでいいわ。家門名は今まで名乗っていなかったから慣れないでしょうけれど、練習するべきね」
「わかった。ハリスンを名乗っていいか確認しておく」
「えぇ。少し時間をおいてからまた茶会をしましょう」
ヨランダの言葉にスカーレットは頷く。こうしてスカーレットはヨランダとグレースに助けられながら、社交界へと参加していった。




