現実は甘くない
ヨランダ達は児童養護施設を訪れていた。スカーレットはいつも通り希望する子供達に剣を教え、ヨランダとグレースは子供達と糸を紡いだ。子供達は遊びのように思えたのか楽しそうに見え、グレースはパウリナが嫁いでくるまでに紡いだ糸をどうするか検討しようと思った。
「皆覚えるのが早くて驚いたわ」
帰りの馬車でヨランダはスカーレットに糸紡ぎについて語っていた。
「繊維から始めてもいいのかもしれないね」
「ある程度の年齢なら出来そうだけれど、児童養護施設でやる範囲とは思えない」
スカーレットの提案にヨランダは色よい返事をしなかった。ヨランダは元々編物を贈りたかったのであり、それより一緒に編んだ方がいいと言われての現状である。更に目的から遠ざかりたくなかったのだ。
「それもそうか。子供達に好きな物を自分で作ってほしいと思っているけれど、羊毛の選別なんて難しいわよね」
「羊毛の選別なんて私でもしないわよ。アレックスも大概だけれど、レティも基準がおかしいから直した方がいいわ」
「基準?」
「貴方達家族は四人とも出来過ぎなのよ。世の中の大半の人は細かい所なんて気にしないの」
ヨランダは王女であるが、あまり拘りは強くない。好きだと直感したものを選ぶだけで、誰が作った、産地はどこかなど気に留めていなかった。
「兄が非凡なのはわかるけれど、私は普通だと思う」
「レティは今度私の茶会に参加しなさい。世の中の貴族女性の普通が何かを教えてあげる」
ヨランダは命令口調でスカーレットに告げる。スカーレットは明らかに嫌そうな雰囲気だ。グレースは笑顔をスカーレットに向けた。
「一度経験しておくといいわ。ハリスン家に嫁いだ今は堂々とレティに嫌味を言う女性はいないでしょうから」
「私がそういう場を苦手だと知っているよね?」
「知っているから言っているの。苦手だからと逃げ続けて困るのはレティよ」
スカーレットが嫁いだハリスン家は、癖の強い者が多いとはいえ公爵家。彼女の義母に当たるエミリーは当主が独身の為、公爵夫人のように振舞っている。彼女を実の娘のように可愛がっているエミリーが先に手を回しているだろうが、同世代の女性と仲良くしておいて損はないとグレースは思っていた。しかしスカーレットの表情は暗いままだ。グレースは言い方を変えようと思考を巡らす。
「パウリナ殿下を迎える下地作りだと言えば少しは気が楽になる?」
「そうか。そうだね。パウリナ殿下が茶会を催す際に頼られる存在になっておくべきだよね」
「そこまで重く受け止めなくてもいいと思うけど」
スカーレットの真面目な発言に、ヨランダは冷めた視線を向ける。第二王女の茶会は気軽に会話を楽しむ会であり、義務感を持って挑むものではない。
「レティには気軽の方が難しいから、これでいいの」
「グレースがそう言うなら納得しておくわ」
ヨランダは決して納得している様子ではないが、グレースは笑顔で頷く。スカーレットはアリスとは仲良くしていたものの、ヨランダとは少し距離があった。それが公務に携わるようになって二人が仲良くなったのがグレースは嬉しかった。
馬車で王宮に戻った後、三人はヨランダの部屋で今日の出来事を報告書として纏めた。公務である以上、児童養護施設の現状把握や、子供達の様子なども事細かく記入していく。限られた予算内で何を優先するかも彼女達が提案し、それを担当部署に回して議論をするのだ。
「今日はお疲れ様。またね」
ヨランダの労いの言葉に笑顔で挨拶をして、スカーレットとグレースはヨランダの部屋を後にした。
「私はもう帰るけれど、グレースは?」
「私も帰るわ」
「それなら馬車止めまで送るね」
スカーレットは乗馬で通っており、馬は赤鷲隊の厩舎に預けてある。グレースが出入りする門とは別の場所になるので遠回りになるのだが、グレースは笑顔でスカーレットの好意を受け止めて礼を言った。王宮内は安全だとわかっているものの、アリスの護衛騎士をしていたスカーレットはグレースも護衛対象だと思っているらしい。
「グレンとの結婚生活は順調?」
グレースは軽い気持ちでスカーレットに尋ねた。スカーレットは少し困ったように微笑む。
「多分。正解はわからないけれど、グレンがいいと言ってくれるから甘えているわ」
「レティが甘えてくれるならグレンも嬉しいでしょうね」
「そうかしら。そうだといいけれど」
はにかむスカーレットがグレースには眩しく見えた。結婚前のスカーレットでは考えられない表情だ。やはり自分も恋愛がしたいなと思ったグレースの視界にふたつの人影が入る。
一人はジェームズであり、もう一人はすらっとした女性だ。食事に誘うと言っていたはずなのに、それ以降グレースの所に彼からの手紙は届いていなかった。スミス家の夜会以降は会議も開かれておらず、久しぶりに顔を見るのがこのような状況とはさすがに彼女も想定していなかった。
足を止めてどこかを見つめるグレースに気付いて、スカーレットはその視線の先の二人を見た。二人は楽しそうに会話をしている。
「ジミーは私以外の女性とも笑顔で話せるのね」
グレースの冷めた声にスカーレットは驚く。恋愛感情に鈍感なスカーレットでも、ただの幼なじみに対しての言葉とは違うと察した。察したが、どうすればいいのかまではわからない。
「あの人は違うわ」
「何が違うの? そもそも彼女を知っているの?」
グレースはスカーレットに問い質す。顔が広いと自負しているグレースが知らない女性なので、貴族ではないだろう。しかし王宮で働いている女性という身なりでもない。スカーレットは視線を彷徨わせた後で俯いた。
「近衛兵には守秘義務があって、辞めた後でも当時知った情報は漏らせないの」
ごめんねと、本当に申し訳なさそうにスカーレットは謝る。その姿を見て、グレースは自分の態度を顧みてすぐに反省をした。この場合、スカーレットは何も悪くない。悪いのは求婚をしておいて、舞踏会の時にオースティンとの会話を邪魔しておいて、自分は女性と仲良く話しているジェームズである。
「ジミーは彼女と結婚すればいいのよ」
「それは無理」
「恋愛は急に始まるのよ。そういう小説を沢山読んだわ」
小説はあくまでも空想の物語だとグレースはわかっている。それでも現実には小説以上に盛り上がる恋愛が存在するのも知っている。そして今自分の中にある感情に彼女は気付いてしまった。
ヨランダやスカーレットが二人では話せないと言っていたのを、勝手にジェームズは女性と会話が続かないのだとグレースは思い込んでいた。会話が成り立つのは自分だけであり、彼も諦めないと言っているのだから、彼の言動にいつかときめくのではないかと知らぬ間に期待していた。憧れていた恋愛結婚とは違うけれど、ジェームズとなら家族になれるかもしれないと無意識のうちに考え始めていたのだ。
「グレース。あの人の素性を話していいか聞いてくるから待っていてくれる?」
「レティに迷惑はかけられないから大丈夫」
近衛兵の守秘義務事項をただの女官見習いに漏らしてはいけないだろう。いくら辞めているとはいえ、この件でスカーレットが咎められるのはグレースの本意ではない。
「気にしないで。グレースには色々と助けてもらっているから」
「本当に大丈夫だから。帰りましょう」
グレースは無理矢理笑顔を浮かべると再び歩き出した。現実は小説のように甘くない。自分の気持ちに早く気付いていれば、最初からジェームズの言葉を胡散臭いなどと思わなければ、などと考えても時は戻らない。やはり自分は独身のまま女官になるのが正しいのだと彼女は速足で歩く。
スカーレットは二人がこちらを見ないか視線を送るものの、どちらも気付く気配がない。彼女はやるせない気持ちのまま、グレースを追いかけた。




