気付かない視線
スミス公爵家で舞踏会が開かれていた。当主の嫡男エドガーに第一王女アリスが降嫁して初めてスミス家で催される舞踏会である。当然エドガーの妹であるグレースも参加をしていた。
オースティンもエドガーから招待されており、グレースは彼を見つけると早速一人の女性と引き合わせた。その侯爵令嬢はオースティンが持っていた釣書の一人であり、五人の中なら一番合うのではないかとグレースが判断した女性だ。最初はグレースの対応に困惑をしていたオースティンであったが、侯爵令嬢が積極的に彼に話しかけていたのでそちらに耳を傾けていく。アリスはこの件を一切知らず偶然彼女だけを招待していたのだが、これを縁と呼ぶのだろうと思いながらグレースは二人を見守っていた。
「グレース」
名前を呼ばれてグレースは声のした方へ視線を向ける。そこにはやや不機嫌そうなジェームズがいた。
「何をしている?」
「貴方には関係ない話です。用があるのでしたら後で伺いますから」
グレースは一旦去れと視線に込めながら余所余所しい態度でジェームズに告げる。折角二人がいい雰囲気になり踊るかどうかの所なのだ。邪魔をされたくなかった。しかしそれを彼は察しない。
「こちらも急いでいるのだが」
「オースティン様にジャネット嬢を紹介していますので、終わり次第伺います」
ジェームズはグレースにそう言われ視線をオースティンの横に向けた。全く視界に入っていなかったが、確かに女性が一人立っている。しかし彼は彼女が誰だか知らない。
「グレース様。私の事は大丈夫ですから、どうぞ」
不機嫌そうなジェームズと関わりたくないと思ったジャネットがグレースに告げる。そろそろ二人で話したいと思っているかもしれないと判断をしたグレースはジャネットに笑顔を向ける。
「彼は悪い人ではないのだけれど、失礼な態度でごめんなさい」
「いいえ」
グレースはオースティンがジャネットを踊りに誘うまで見守りたかった。しかしそんな彼女の希望など気にせず、ジェームズは二人の会話が終わったと判断しグレースの手首を掴むと壁際へと歩いていく。
「手を離して」
「壁際まで移動したら離す」
何故ジェームズが不機嫌なのかグレースにはわからない。しかしアリスが初めて主催したスミス家の舞踏会なのだ。ここで雰囲気を壊したくないグレースは渋々ジェームズに従った。
「急ぎの要件とは何?」
壁際まで移動してジェームズがグレースの手首を離すと同時に彼女は問いかける。彼女には彼と話す急ぎの要件などない。
「オースティンと二人で話しているのかと勘違いをした」
「ジミーが来る前からジャネット嬢もいたけれど」
「見えなかった」
「説明したのだから理解して。二人に失礼な態度を取ってしまったわ」
グレースは悲しそうな表情を浮かべながら、先程までいた場所に視線を移す。しかしそこに二人の姿はない。やはり最後まで見届けるべきだったと周囲を見回すと、二人が踊っているのが見えた。彼女は安堵の表情を浮かべる。
「グレースがオースティンと女性を引き合わせる必要などないだろうが」
「元々オースティン様に相談を受けていたの」
訝しげな表情のジェームズに、グレースはエドガーから頼まれた一連の話をした。何故ここまで話さなければいけないのかと、話し終わった彼女はため息を吐く。
「そのため息はどういう意味だ?」
「私に選ばれる努力をするのではなかったの? 正直引いているのだけれど」
グレースはジェームズがどのような性格か知っているので、実際は引いていない。しかし好意を抱いている相手に対しての振る舞いとしては相応しくないとしか思えなかった。
「オースティンと楽しそうに話しているのが見えたから焦った」
「絶対ジャネット嬢も見えていたわよね?」
「いや、見えなかった。そもそも彼女を知らない」
ジェームズは真顔である。本当にオースティンとグレースしか見えていなかったのかもしれない。しかしジェームズは社交的ではないが宰相補佐である以上、多くの貴族と関わっているはずだ。
「彼女の父親は王宮勤めだから知らないとは思えないけれど」
「父親は知っているかもしれないが、娘までいちいち覚えていない」
「ジミーに結婚相手として薦められていたかもしれないのに?」
「それは一切覚えていない」
グレースは過去に娘を紹介したであろう貴族達に同情をしたと同時に、婚姻を結ばない方が正解だったから気にしなくていいと声を掛けて回りたい気持ちになった。血筋は良く王太子の友人であり宰相補佐。結婚相手としては国内で上位になるはずなのだが、如何せん人間性に問題がある。グレースも選択肢に入れたいとは思えない。
「多分昔からグレースが好きだったから、他の話はどうでも良かったのだろう」
想定外の言葉にグレースは思わずジェームズを睨む。
「以前と話が違うわ」
意識し始めたのは最近だとグレースはジェームズから直接聞いた。急に話を変えられても胡散臭さしかない。
「昔から可愛いと思っていたとは伝えたはずだ。好意を抱いていたからこそ可愛く見えたのではないだろうか」
「好意がなければ可愛くないと言いたいの?」
ヨランダとスカーレットに可愛いと言われたので、グレースは自分の素顔も悪くないと思えるようになっていた。それに昔から彼女の両親と兄二人は可愛いとべた褒めしていたのだ。そしてこう思えるようになったのにはジェームズの言葉も影響している。それを否定されたようでグレースは面白くなかった。
「そうは言っていない。可愛いと思った女性はグレースだけだと伝えたはずだ」
確かに先日そう言われたのをグレースも忘れてはいない。彼女が返す言葉を探していると、ジェームズは彼女に手を差し出した。
「一曲踊ろう」
「踊れたの?」
グレースは思わず疑問が口から零れてしまった。ジェームズが舞踏会に参加しているのは何度も見てきたが、彼が踊っている所は見た記憶がない。男性と話している印象しかなかったのだ。
「ケイトと踊っていた」
「そうだったかしら?」
グレースは思い出そうとしたがやはり記憶にない。彼女は今まで舞踏会に参加する時は結婚相手を探していたので、対象外のジェームズを見るとしたら探すのを諦めた時だ。その頃には同伴者であるケイトと踊り終えているはずなので、彼女の記憶に残っていないのかもしれない。
「ケイト以外と踊った事はないが」
「社交性が低すぎるわ」
「グレースは社交性が高いのだから私の誘いを断らないだろう?」
「別にジミーの誘いを断っても、私に傷は付かないわ」
誘いを受けるかどうかは自由である。今回グレースは主催者側なので踊る必要もない。
「私は傷付くから踊ってほしい」
「それなら態度を改めて。先程のような失礼な振る舞いは二度としないで」
「わかった。グレースが気に入らない部分は直していく」
「私が気に入らないのではなくて、常識を身に着けてと言っているのよ」
本当に侯爵家嫡男なのかとグレースは疑いたくなったが、ジェームズの家庭環境を良く知っている彼女は仕方がないかとも思ってしまう。彼の父親は彼以上に社交性がないし、彼の母親は彼に非常に甘い。
「そういう指摘をしてくれるのもグレースだけだから助かる」
「リックやアレックスでもすると思うわ。聞き流しているだけではないの?」
「その可能性はある。ここで話しているのもあれだから一曲踊ろう」
そう言ってジェームズは再びグレースに手を差し出した。誘い方は好感を抱けないが、踊るまで繰り返されそうだと思った彼女は仕方なく手を乗せる。
「一曲だけよ」
ジェームズに手を引かれグレースは会場の中央へ向かい、二人は踊り始めた。予想より上手に踊る彼を彼女は意外に思う。
「上手ね」
「ケイトの練習に付き合っていたからな」
ケイトは踊るのを得意としていなかった。その練習に根気良く付き合っていたのなら上達するのかもしれない。
「グレースは踊りやすい。もう一曲踊るか?」
「一曲だけの約束よ」
幼なじみなので距離感は一般的な男女より近い。それでもグレースはジェームズとこれ程近い距離で接した事はなかった。何曲も続けて踊るのは抵抗がある。
「それなら違う舞踏会で会った時は誘ってもいいか?」
「女官見習いの仕事が忙しいから、王宮舞踏会以外は行かない予定」
グレースは舞踏会が好きで参加していたわけではない。結婚相手を探さないのなら別段参加する意味はないのである。
「そうか。それなら次に会うのは会議だな」
「そうね」
例の会議は有意義とは思えないが、定期的にやる事になっている。グレースは余程ナタリーの執務室で女官見習いをしている方がやりがいを感じるのだが、将来のレヴィ王国を思うならば参加しないわけにはいかない。有意義になるように努力をしてみようと彼女は踊りながら考えていたので、ジェームズの熱い視線には気付かなかった。




