納得出来ない
グレースは心の中がすっきりしないまま過ごしていた。やたら可愛いと言うようになったジェームズのせいなのはわかっている。もしかしたら自分は可愛いのかもしれないと思っても、それを誰に確認すればいいのかわからない。リアンの容姿が平凡だと言われている以上、父似の自分が可愛いと思うのは自意識過剰な気がしてならないのだ。
「何かあったの?」
心配そうにヨランダはグレースに声を掛けた。今日も三人で糸を紡いでいたのだが、いつもとは違うグレースの様子を確認せずにはいられなかったのだ。
「ううん、何も」
グレースは笑顔を浮かべて否定をする。別段何かあったわけではない。ジェームズが諦めないと言っただけで、何かが進展したわけではないのだ。
「何もない訳がないでしょう? また笑顔が消えているのに」
「笑えていなかった?」
「王女を騙せると思ったら大間違いよ」
ヨランダは自信満々である。その横でスカーレットは困ったような表情を浮かべていた。
「ヨランダ殿下を騙せていなかったのならば、相当数に気付かれているわね」
「元気なら良かったわ」
グレースの軽い言葉に、ヨランダが苛立ちながら投げやりに返す。そんなヨランダを見てグレースは微笑んだ。
「少しジミーに振り回されているだけだから大丈夫」
「オースティンを断ったのに、ジミーは断り切れていないの?」
「スティーヴィーお兄様に忠告を受けていたけれど気にしていなさそう」
スティーヴィーとジェームズは元々それほど仲が良くない。どちらの妹が可愛いかという口論になるのが理由なので、他の幼なじみ達は放置していた。ケイトが一番と言っていた男がグレースに声を掛けたなら、スティーヴィーはさぞかし面白くないだろうとヨランダは思う。
「グレースがジミーに振り回されるのは意外だわ」
スカーレットが二人の会話に口を挟む。彼女にはグレースが強い女性に見えていた。ジェームズだけではなく、誰かに振り回されるようには思えなかったのだ。
「最近のジミーがおかしいのよ」
「例えば?」
ヨランダとスカーレットはグレースを見つめる。二人ともジェームズと親しい訳ではないので、おかしいと言われてもわからないのだ。しかしグレースはその理由を口にするのを躊躇った。
「元々おかしいのよ、ジミーは」
「元々のジミーとなら何の問題もなかったと思うのだけど」
スカーレットの指摘にグレースは黙るしかなかった。幼なじみだと思っていれば振り回される事などない。グレースの様子がおかしいのでヨランダは必死に考える。
「もしかして脅されているの?」
「ジミーを何だと思っているのよ。彼は卑怯な手段を選ばないわ」
ヨランダの質問をグレースは即座に否定した。不正を嫌うウォーレンの下で働いているジェームズが、私事でも人を脅すなんてありえないとグレースは思っている。そもそも脅されてもグレースは屈する気などない。
「そもそもグレースを何で脅すの? 脅す材料なんて私は思い当たらないわ」
「確かに」
スカーレットの言葉にヨランダは納得しているが、グレースは何故ヨランダが納得したのかわからない。グレースは化粧をせずに人前には出られないのが弱点だと思っているのだ。
「幼なじみしか知らない私の弱みがあると思うけれど」
グレースの言葉を受けて、ヨランダとスカーレットはじっとグレースを見つめる。暫く二人とも考えていたようだが、何も思い当たらなかった。
「グレースが幼い時に失敗した話? 悪いけれど覚えていないわ」
「それは覚えていないのではなくて脅せるような失敗がないのだと思う」
「それなら私にもないわね」
「ヨランダは花瓶を割ったと記憶しているけれど」
「あれは。もう、どうして覚えているのよ」
ヨランダは隣に腰かけているスカーレットの手を軽く叩く。幼い時に割ってしまった花瓶の事など、ヨランダはすっかり忘れていたのだ。勿論、グレースもスカーレットの言葉を聞いて思い出すまで忘れていた。
「庭師に好きな花を切ってもらって、入りきらなかったのよね」
「グレースも覚えているの? 忘れてよ」
ヨランダはグレースにも不機嫌そうな表情を向けた。しかしあれは幼い故に起こった事故なのでグレースは微笑んだ。六人目を出産後のナタリーの部屋に飾るのだと、ヨランダ自身が花を勢いよく次々と花瓶に挿したせいで、不安定になった花瓶が転がって床に落ちて割れたのである。
「私がジミーに脅される?」
「あの時ジミーはいなかったわ。それに彼は脅さないわよ」
「何故ジミーを庇うの?」
「庇っているのではなくて、私達幼なじみの中に人を脅すような人間はいないという話」
グレースの言葉にヨランダは納得をしたのか頷いた。最年長と最年少は十歳以上違うが、それでも幼なじみ達は仲が良い。それぞれ自分の生まれを理解しており、親を困らせているような者もいない。
「だけどその中で癖があるのはジミーだけよね」
「兄も癖が強いと思うけれど」
「アレックスはアレックスだからいいのよ」
「ヨランダの基準がわからない」
スカーレットは困惑しているが、グレースは何となくヨランダの言いたい事は理解出来た。
「アレックスは自由でいいのよ。きっと己を良く理解しているわ」
「グレースに兄を語られるのは嬉しいような悔しいような複雑な気分」
「レティはアレックスが好きよね」
グレースも勿論エドガーもスティーヴィーも好きだ。しかしスカーレットの方が二人きょうだいだからか、兄に対しての好意が強い気がした。
「兄を嫌う人なんているの?」
「グレースが嫌いな人はいないだろうけど、アレックスはいる気もする」
ヨランダの言葉にグレースは首を傾げた。
「私を嫌いな人はいるわよ。会議でも突っかかられたもの」
「賢い女に腹を立てるなんて器の小さい男だけよ、とお姉様がよく言っていたわ」
「アリスは言いそう」
ヨランダの言葉にグレースは微笑む。アリスはエドワードの血を濃く継いでいると言われており、賢さも六人きょうだいの中で一番だ。そしてそのアリスと対等でいられるようにと必死に勉強していたエドガーの姿をグレースは知っている。
「茶会でグレースを褒める声はあるけれど、貶している女性なんていないわ」
「それは私とヨランダが幼なじみだから気を遣っているだけよ」
「まさか。ケイトとレティの悪口は聞いたもの」
「私は悪口言われる程、表に出ていなかったはずだけれど」
スカーレットはヨランダを責めるわけではなく、ただ疑問に思って尋ねた。しかしヨランダは失敗したと表情に出ていた。
「口が滑ったわ、許して。レティの場合は悪口というより妬み。グレンとアレックスの人気が高い弊害。結婚後は聞いていないから安心して」
「剣を扱う女性を非難する声は仕方がないと思っているわ」
「児童養護施設の子供達には人気なのにね」
スカーレットは子供達に剣技を教えている。いくら平和になったとはいえ、大国である以上軍隊をなくすわけにはいかない。実力主義で昇進出来る軍人への道を望む子供に、彼女は寄り添っているのだ。
「グレースも人気だわ。弱みなんてないでしょう?」
ヨランダは本当にわからないといった表情をグレースに向ける。グレースは長らく母似の化粧をしているので、自分のすっぴんをヨランダが忘れてしまったのかと思った。
「化粧をしていない私は平凡でしょう?」
グレースの言葉にヨランダもスカーレットも一瞬動きを止めた。グレースがその理由を探しているとヨランダが急に笑い出す。
「グレースが平凡ならこの国の九割は平凡以下よ。基準をレティにしてはいけないわ」
「レティを基準にしたら私なんて生きていけないわよ」
「大袈裟ね。グレースが美人かどうかは意見が分かれるだろうけれど、可愛いのは間違いないわ」
「私はこの国で一番可愛い女性はグレースだと思っているわ」
「レティ、私は?」
「ヨランダはその次?」
ヨランダがスカーレットに文句を言っているのを聞き流しながら、グレースは二人の言葉を噛みしめていた。ジェームズが言っていたのは嘘ではなかったのかと思うと、じわじわと嬉しさが込み上げてくる。
「二人に可愛いと言ってもらえて嬉しい」
グレースは心から嬉しそうに微笑んだ。そんなグレースを見てヨランダはスカーレットに文句を言うのをやめてグレースを見つめる。
「まさかジミーが可愛くないとでも言ったの?」
「逆よ。可愛いと言い続けてくるから反応に困っていたの」
「あのジミーが?」
信じられないとヨランダの顔に書いてある。確かに普段のジェームズを知っていると、ケイト以外に可愛いと言うとは思えない。
「ジミーは本気だったのね」
ヨランダはしみじみと呟いた。それにスカーレットは不思議そうな表情を浮かべる。
「あの手紙は本気だったわよ」
「あれは恋文ではないわ。けれどそこから前進をしたジミーに振り回されている訳ね」
ヨランダは理解したと言わんばかりに頷きながら微笑む。その微笑みは明らかに人の恋愛を勝手に楽しもうとしていた。
「グレースも可愛いと言われて満更でもないのね?」
「ジミーの言葉は胡散臭いのよ」
グレースは言いながら、心の中の違う何かがわかった気がした。ジェームズの言葉は心が籠っている感じがしなかったのだ。
「それでもジミーは嘘で可愛いなんて言えないと思う」
スカーレットの言葉にヨランダが頷く。グレースもそれは同意見だった。ジェームズは媚びを売らない。思っていない事を口にするとは思えないのだ。
「もう少し付き合ってあげればいいと思うわ。慣れてきたら変わるかもしれないし」
「可愛いと言うのはケイトで慣れているはずだけれど」
「妹と恋人に言うのは意味合いが違うわよ」
「それはそうでしょうけど」
グレースは何となく納得がいかない。そんな彼女にヨランダは笑顔を向ける。
「とりあえず糸を紡ぎましょう。次の児童養護施設で子供達に教えられるようになっていないといけないから」
ヨランダにそう言われ、グレースは納得出来ないまま糸を紡ぐ作業に戻った。




