違う何か
グレースはメイネス王国から取り寄せた羊毛と毛糸を手にしながら考えていた。国が違うのだから羊の種類が違うのは予想出来たが、思ったより質が良くない。今までシェッド連邦の羊毛のみが流通していたのは、交易量の差ではなく品質だったのかと落胆する。そもそもレヴィ王国内で流通している商品は、商人として大陸一と言われるケィティ人が目利きした物なのだ。ただの貴族がそれに太刀打ち出来るはずがない。それに彼女には羊毛の質の上げ方など見当もつかなかった。
諦めるか、二年以内に質を向上させるか。それを相談しに来いとジェームズは言っていたがグレースは気乗りしない。しかし相談せずに諦めるのも嫌だった。彼女は大きく息を吐いてから彼に相談したい旨の手紙をしたためた。
二日後。王宮の一角でジェームズとグレースは机を挟んで向かい合っていた。机の上にはシェッドの羊毛と毛糸、メイネスの羊毛と毛糸、アスランの羊毛と毛糸が置かれている。レヴィ王国内には羊がいないので国内産はない。彼女は比較対象として別大陸にあるアスラン王国のものも、王都で販売している店から取り寄せたのだ。
「私にはよくわからないが、シェッドが一番いいのか?」
「えぇ。メイネス産は児童養護施設で使う分にはいいけれど、レヴィで毛糸が売れるかというと難しいわ」
「無理に商売にしなくとも、子供達の寒さが凌げるのならいいと思うが」
「折角だから子供達の生活向上に結び付けたかったのに」
グレースはメイネス産の毛糸を触りながら肩を落とす。肌触りが良くないのだ。身に着けるものなら肌触りの良い物が売れるに決まっている。児童養護施設の子供達用ならば悪くはないが、少なくとも彼女は身に纏いたいとは思えなかった。
「毛糸で何か小物は作れないのか?」
「小物?」
「たとえば母がポットに布を被せているが、あれを毛糸で作るのはどうだろう」
ジェームズの言葉にグレースは驚く。仕事人間だと思っていた男がそのような代物の存在を知っているとは思っていなかったのだ。しかもいい着眼点だと彼女には思えた。
「確かにそれなら取っ手部分を覆わなければ肌触りは関係ないわ。保温性がシェッドのものより高ければ売れるかもしれない」
グレースは編み方までわからないが、使用人に聞けば知っている人を教えてくれるかもしれない。大きさ的にも子供が編めそうな気がして、彼女は楽しそうな表情を浮かべた。
「あとは子供用の鞄とか。グレースが以前王都に行った時に掛けていた鞄」
グレースが身に着けていたのは使用人に用意してもらった斜め掛けの布製鞄だ。しかし子供達と一緒に鞄を作るのは楽しいかもしれない。端切れは服にする為に継ぎ接ぎしてしまうので、児童養護施設の子供達は鞄など持っていなかった。そもそも鞄を持って出かける用事はないのだが、お洒落として好きな色の鞄を掛けるのは子供を笑顔にしそうである。
「二年の間に子供達と一緒に作って、何がいいかを探るのはいいかもしれない」
諦めなくても良さそうな雰囲気にグレースは安堵の笑みを浮かべた。
「あぁ。ちなみに毛糸の金額は安かったか?」
「シェッド産の半分だったわ。品質の違いを考えると妥当な所ね」
「このアスラン王国産は?」
「それは海を渡ってくるからシェッド産より高いわ。ほら、アスランの絨毯は高級品で有名でしょう?」
アスラン王国はエドワードの異母妹サマンサが嫁いだ国であり、彼女は現在アスラン王妃になっている。サマンサが嫁いでから急激に知名度を上げたアスラン王国の商品は、レヴィ王国の各地に広まっていた。
「リックはメイネス王国もアスラン王国のように知名度を上げたいみたいだ」
「サマンサ殿下が嫁がれるまで大半の国民はアスラン王国を知らなかったのに、今では普通に売っているわよね」
大半の国民は知らなかったが、スミス家の人間は知っていた。スミス領の葡萄酒がアスラン王国をはじめ、海の向こうの大陸まで輸出されているからである。ちなみにメイネス王国にも輸出しているので、スミス家の葡萄酒販売に関わっている人間はレヴィ王国以外の国に詳しい者が多い。
「メイネス王国は隣国だから旅行も出来る」
「旅行には向かないとアレックスが言っていたわよ」
「アレックスが?」
ジェームズはグレースに聞き返した。そのような話をアレクサンダーとしていたとは思っていなかったのだろう。彼女は肯定するように頷く。
「えぇ。快適な旅は約束出来ないみたい。私はレヴィ王国の領地以外も知らないから、旅事情がそもそもわからないのだけれど」
「それは私もわからないな。今度アレックスに確認してみよう」
ジェームズは手元にあった帳面にメイネス王国への旅行についてと走り書きをする。忘れてはいけない程重要な事とは思えずグレースは首を傾げた。
「パウリナ殿下に会いに行く予定でも立てるの?」
「いや、多分難しいだろう。リックは陛下と同じくらい出不精だからな」
エドワードが王宮の外に出たがらないのは有名な話である。リチャードも外出に興味を持っておらず、基本的に王宮からは出ない。
「アレックス以外は皆王都と領地以外を知らない気もするけれど」
「確かにそうだな。それなら私と二人で旅行でもするか?」
軽い感じでジェームズが問いかける。グレースは呆れた表情を彼に向けた。
「しないわ」
「ハリスンにはウォーレン様の薔薇園がある。あとどこだったか、有名な滝がある」
誘うにしても具体的な例が薔薇園だけとは計画性がなさすぎるとグレースは思った。だが彼女も有名な滝が国内にあるのは知っているが、どこにあるかまでは知らない。
「行かない。そもそもジミーは仕事を休めるの?」
「数日なら何とかなる。季節的には春がいいかな」
「私の話を聞きなさいよ。行かないわ」
「夕食ならいいか?」
「まぁ、夕食くらいなら構わないけれど」
グレースの了承を受けジェームズは嬉しそうに微笑む。彼女はその笑顔を見て、自分がうっかり彼の策にはまった事を知る。
「最初から旅行なんてする気がなかったわね?」
「いや、グレースも乗り気なら夕食の時にどこへ行くか話し合おう」
「乗り気になんてならないわよ」
何故結婚する予定もない男性と一緒に旅行へ出かけなければならないのか。しかもグレースはジェームズと二人で楽しめるような気がしない。
「だがメイネス王国には一度行きたいと思っているのだろう?」
優しい表情のジェームズにグレースはどう反応していいのか迷った。先程の走り書きはリチャードを連れて行く為ではなく、自分と行くつもりなのかもしれないと考えてしまったのだ。
「行きたいとは思うけれどジミーとは行かない」
「国の使節団として行けばパウリナ殿下に会える」
グレースはパウリナとも会いたかったが、それよりもメイネス王国へ行きたかった。自分の目で見なければわからない事もあると、領地に行った時に学んだからだ。
「私はメイネス王国を見たいだけだから問題ないわ」
「メイネス語の通訳を探せるのか?」
「スミスの葡萄酒はメイネス王家御用達なのよ? 多分伝手があると思う」
グレースはどのように領地の葡萄酒を世界中に広めたのか知らない。しかし通訳なしでそれは出来ないはずだ。
「グレースは本当にああ言えばこう言うな」
「可愛くなくてごめんなさいね」
「いや、そういう所も可愛いと思うが」
「は? はぁ?」
グレースは令嬢らしからぬ声を上げ、信じられないものを見るような視線をジェームズに向けた。しかし彼はそれを微笑んで受け止める。
「夕食はいつなら都合がいい? 合わせる」
「あ、明後日以降なら大丈夫」
「わかった。店の予約をしてから連絡する」
楽しそうに微笑むジェームズにグレースは何とか頷く。いつものような苛立ちとは違う何かを感じていたが、それが何なのか彼女にはわからなかった。




