恋愛結婚でなければ独身でいい
「もう本当にどうにかしてよ、あの男」
グレースは第二王女ヨランダの部屋を訪ねていた。女官見習いの仕事のひとつ、児童養護施設の引継ぎの件を理由に、早々と王妃専用執務室から逃げてきたのである。この部屋にはヨランダの他に、児童養護施設の公務を手伝っているスカーレットもいた。
「お姉様の結婚式の時の言葉、冗談ではなかったの?」
ヨランダは呆れ顔を浮かべる。アリスとエドガーの結婚式の際、ジェームズの妹ケイトが早く結婚してほしいと言った所、グレースなら考えると言ったのだ。グレースはジェームズを恋愛対象と見ていないので拒否をしたのだが、その後やたらと結婚について前向きに話し合おうとしてくるジェームズが鬱陶しくなり、最近避けていたという訳である。
「そもそも何をするにもケイト優先の男が、どうして私に狙いを定めてくるのよ。おかしいわ」
「ジミーが考えもなしに行動するとは思えないけれど」
苛立っているグレースにスカーレットは優しく語り掛ける。スカーレットは国王エドワードの異母弟ジョージの娘であり、王太子リチャードの側近グレンの妻でもある。彼女は現在児童養護施設で剣技を教える傍ら、パウリナ王女と文通をしていた。
「どう考えたら私になるのよ」
「それは本人に聞くのが一番だと思うわ」
ヨランダに正論を言われ、グレースはつまらなさそうな表情を浮かべる。内心では心当たりがあるのだが、それはどうしても受け入れられなかった。スミス公爵家長女であるが故に交友関係は幅広い。その割に敵はいないはずだ。将来宰相を目指している男が妻として選ぶのは不思議ではない。しかし恋愛結婚をした両親を見て育ったグレースにとって、恋愛感情のない結婚など選択肢にはなく、それなら独身を貫こうとして女官見習いになったのだ。
「私はジミーを見てときめいた事なんてないのよ」
グレースは冷めた声でそう言った。ヨランダとスカーレットも同意見なので反論は出来ない。やや苛立っているグレースを見ながら、スカーレットはグレンとの会話を思い出す。
「そう言えばグレースがパウリナ殿下の隣にいれば心強いのにとグレンが話していたわ」
「女官として支えるわよ」
「茶会での話。義姉になるアリスよりグレースの方が適任だろうと」
スカーレットの話を聞いてグレースは納得してしまった。グレースの交友関係の広さを、ジェームズはリスター侯爵家ではなく王家の為に有効活用したいのだ。王太子リチャードの親友でもあるジェームズだからこその発想である。王太子妃として茶会は主宰しなければならないだろうが、他国から嫁ぐパウリナが国内の貴族女性から一切の文句が出ないような茶会を催せるかは疑問である。準備にしか携われない女官よりも、茶会で同席出来る侯爵家の嫁の方がパウリナを支えやすい。
グレースは自分の仮説が嫌になり大きく息を吐いた。
「私は恋愛感情のない結婚はしないの」
「独身のままでいるつもり?」
「ジミーと結婚するくらいなら独身を選ぶわ」
ヨランダとスカーレットを含め、グレースの幼なじみは多い。誰とでも仲良く接しているが故に、幼なじみを異性としては認識していない。そもそも彼女は成人した十五歳から茶会や夜会などに積極的に参加して結婚相手を探したのだが、初恋相手は未だに見つかっていなかった。
「求婚は数えきれない程あったのでしょう?」
ヨランダの言葉にグレースはつまらなさそうに頷く。平和な世の中になり政略結婚が必要なくなったとはいえ、スミス公爵家と縁続きになりたいという貴族は多い。しかしスミス公爵家は何処とも縁続きになる必要性はない。領地スミスは葡萄の名産地で、生産している葡萄酒はレヴィ王国どころか海を渡った別大陸の国にまで有名である。当主も次期当主も国政に参加している為に領地経営は現状維持で良く、グレースの結婚相手は彼女の意思で決めていいと家族に言われていた。だからこそ届いた釣書に目を通して断っても、一切文句を言われていない。
「ちなみにオースティンはどう? 私は従兄妹にあたるから難しいけれど、グレースなら問題ないはずよ」
オースティンはエドワードの異母弟ウルリヒの嫡男である。成人するまで領地クラークで過ごしていたので、ここにいる三人と彼は幼なじみではない。今は王都にあるベレスフォード邸で家族と離れて暮らしている。
「彼とは今夜会う予定だけれど、そういう流れにはならないわね」
「どのような用件で会うの?」
「兄が相談された話を私に押し付けただけ」
オースティンは成人後、単身で王都に入り王太子リチャードの側近となった。誰も知らない状況で頼りにしたのは側近の中でも最年長のエドガー。独身時のウルリヒの側近を務めていたのがリアンの弟ダニエルだった縁で、スミス公爵家が一番身近に思えたからだ。エドガーもオースティンの境遇に同情しており、また最年長で心に余裕があったので面倒を見ていた。しかし結婚したエドガーはアリスと過ごす時間を削るのを嫌がり、仕方なくグレースが引き受けたのである。
「実家から釣書が何枚も送られてきたから、どういう相手なのか知りたいらしいわ」
「無駄に顔が広いと辛いわね」
ヨランダに同情の眼差しを向けられ、グレースは困ったように笑みを浮かべた。このような相談を受けるのは初めてではない。結婚相手を探す為に茶会や夜会に積極的に参加をした結果、人脈だけが広がってしまった。幼なじみ達は比較的社交の範囲が狭いのだが、グレースは男爵家から王家まで網羅している。それでも女官見習いを始めると言って、交友関係はかなり清算した。女官見習いの傍らで茶会や夜会へ招待される度に参加していては体力が持たないと判断したからだ。
「この顔の広さが将来の王太子妃の役に立つだろうから」
「リチャードお兄様も頼りにしていると思う」
「それよりもリックが頼りになる男になるべきだわ」
年下のグレースから見てリチャードは頼りない。相手を考える優しさを持ち合わせているのだが、権力を振りかざす必要に迫られる場面もあるだろう。婚約者であるパウリナは天真爛漫な王女と聞いていて、次世代のレヴィ王家にはやや不安を感じている。
「リックが無理に陛下のように振舞うと失敗する気がする」
スカーレットの言葉にグレースもヨランダも納得するしかない。父子ではあるが、あまりにも性格が違う。しかしエドワードは性格の違う息子を冷遇していない。リチャードに適しているだろう執務を与えて成長を見守っている。
「そうなると周囲が支えないといけない。レティも大変ね」
「リックはグレンに任せるわ。私はパウリナ殿下を支えるだけよ」
「グレンを支えるのはレティにしか出来ないわ」
グレースにそう言われてスカーレットは、はにかみながら小さく頷く。幼い頃に親に決められた婚約をなかなか受け入れなかったスカーレットだが、受け入れた途端すぐに結婚をしてしまった。以前なら揶揄に戸惑っていたはずなのに今は何の迷いもない。彼女の背中を押し続けていたグレースは二人が結婚してくれて勿論嬉しい。しかし本当の恋愛を知って綺麗になった彼女が眩しくもあった。
「それならオースティンも兄を支える一人なのだから、真剣に話を聞いてあげてね」
「わかっているわ」
オースティンの結婚相手に将来の王太子妃パウリナを支えられそうな女性を選ぼう。そうすればジェームズは自分を娶る必要がなくなるはず。グレースはそう決めて用意されていた紅茶を口に運んだ。




