不安な王太子
王宮の一角で夕食会が開かれていた。主催者は王太子リチャード。パウリナを迎える準備の進捗具合を確認する為である。しかしジェームズと文官は呼ばれていたが、グレースは呼ばれていない。
「構成員が入れ替わったが、今後は滞りなく進めそうだろうか」
リチャードは優しく文官に尋ねた。彼らも貴族ではあるが、変更後の構成員は現在爵位を持たない若者ばかりである。いくらエドワードより優しい雰囲気を纏っているとはいえ、滅多に会わない王太子に緊張の面持ちを浮かべていた。
「ダインリー卿の件は聞いている。彼はメイネス王国を見下した発言をしたから外されたはずだ。君達もメイネス王国に対してそう思っているのか?」
ダインリーとはグレースと最初の会議で口論になった文官である。彼はメイネス王国を見下している態度も問題であったが、それ以上にグレースに対しての態度が問題であった。ナタリーの管理下にある女官を侮辱するような事は許さないとエドワードが見せしめたのだ。それを貴族達がどこまで理解しているのか、リチャードは確認する意味も含めてこの食事会を開いた。故にグレースを呼んでいない。
「まだ詳しくはありませんけれども、我が国を脅かす力がある国ではないと思います」
一人の文官が答える。パウリナを使ってメイネス王国がレヴィ王国を乗っ取る、などとはリチャードもジェームズも思っていない。万が一そのような力があるのならエドワードが婚姻を許可しないだろう。いや、エドワードならあえて許可をするかもしれないとリチャードは一度考えたが、父が息子の希望を叶えてくれただけだと前向きに捉える事にした。
「メイネス王国と婚姻を結んだ事により他国が脅威に感じるという事もないでしょう」
もう一人の文官も口を開く。レヴィ王国は大国とはいえ複数の国に囲まれている。しかしレヴィ王国もメイネス王国も現在は敵対している国はない。強いて言うなら婚姻を断ったローレンツ公国の恨みを買った可能性はあるが、レヴィ王国に何か仕掛けるほどの国力はないだろう。
望みとは違う回答にリチャードは落胆したものの、それを表情には出さずに微笑む。
「私はパウリナが笑顔で過ごせるように環境を整えて欲しいのだ。そのような意見は求めていない」
忙しくしているリチャードだが議事録は目を通している。羊毛についても、児童養護施設の公務と結びつけるという発想は彼にも良案と思えた。ナタリーは出身国の話を滅多にしないが、それは政略結婚だったからだ。彼はパウリナとの結婚がメイネス王国の発展にも寄与してほしいと願っている。
優しい雰囲気を纏いつつも、どこか怒りを孕んだような口調に文官達は困惑の表情を浮かべる。険悪に傾きそうな空気を変えようとジェームズは口を開いた。
「レヴィ王国が素晴らしい国なのは間違いありません。殿下は大国を治める者として、周辺国の発展も望まれているのです。貴方達もそういう広い視野で考えてみてくれませんか?」
「周辺国の発展、ですか?」
「あぁ。父はシェッド連邦のアナスタシア皇妃と友好関係を築き、内乱から立ち上がるのを手助けした。ガレス王国は和平条約を締結後、多くの国民が交流している。私はメイネス王国との交流を増やしていきたい」
リチャードの言葉を受けても、文官達からは困惑の表情が消えない。平和を享受し続ける為には周辺国と争わない事が第一のはずだが、何故それがわからないのだろうと彼は不思議で仕方がなかった。
「シェッドと違って旨味がないとでも思っていそうな表情だ」
「いえ、そのような事は」
リチャードの指摘に文官達は慌てて否定をするが、図星だったのだろうと彼は判断する。
「不満なら外れてくれて構わない。今なら元の仕事だけに戻せる」
この会議に参加している者は、元々の仕事に追加で業務を受けているのである。忙しい分給金も上がれば、成功すれば王太子の信頼を手に入れ出世が望める仕事だ。出世欲があるのなら自分の狙いを汲み取ってほしいとリチャードは思う。
「前回の議事録を見せてもらったが、グレース嬢の提案以外はパウリナを思ってのものではないように感じた」
前回の議題はメイネス王国がより身近に感じられるような提案だったはずである。しかしグレース以外は、メイネス王国の料理店を王都に構える、民族衣装を売り出すなどありきたりであった。そのような事は商人に任せておけばいい話であり、国を挙げてやる対策ではないとリチャードは判断している。
「殿下、彼等はまだ若いのですからもう少し長い目で見られてはいかがですか?」
この中で一番若いのがジェームズである。そのジェームズに若いと言われて文官達は面白いはずがない。しかし文官以上に仕事をしているのがジェームズであり、国政に一番詳しいのも彼だったりするので誰も声を上げられない。
「そうだな。まだ始まったばかりだ。今後に期待している」
こうして夕食会は微妙な空気の中で淡々と進んだ。終了後、リチャードとジェームズは王太子の私室へと移動して飲み直していた。
「不安しかないのだが大丈夫か?」
「最悪グレースとレティだけで何とかなる」
「幼なじみ贔屓が過ぎると言われるのが嫌なのだが」
リチャードはため息を吐いた。彼の周囲を固めている者は幼なじみが大半だ。例外はオースティンだけある。パウリナを迎える会議を設けたのは少しでもその色合いを薄める意味もあった。しかし幼なじみ以外はリチャードを理解しようとしてくれない。勿論、的確な言葉が少ない彼が悪いのだが、これは王家特有の性質なので改善は難しい。
「メイネス王国に所縁のある貴族を探したのに、いなかったのだから仕方がない」
リチャード達の親世代は国内の派閥争いが激しかった時代が適齢期だ。国内の同じ派閥同士の結婚が多く、他国出身の配偶者を迎えた貴族はいなかった。政略結婚が普通だったのだから、弱小国から結婚相手を探す方がおかしいともいえる。
「レヴィ王国に馴染めないと離縁を切り出されたらどうすればいい?」
リチャードは悲壮な表情でジェームズに問いかける。ジェームズは内心馬鹿馬鹿しいと思いながらも、優しく親友の肩を叩く。
「リックの愛情が大きければそれはない。違うか?」
「そうだろうか?」
「そもそも現状は婚約であって婚姻をしていない。今から離縁の心配をするな」
「そうだな。グレースにも仲良くなってほしいと頼んでおこう」
リチャードは納得したように頷きながら葡萄酒を口に運ぶ。グレースに頼むのは違うのではないかと思ったが、その言葉を飲み込むようにジェームズも葡萄酒を口に運んだ。
「そういえばオースティンがグレースに振られたと元気がなかったのだが、グレースは本当に一人で生きていくつもりなのだろうか」
グレースとオースティンの縁が切れていたと知らなかったジェームズは、何事も無かったように受け止めた。しかし若干の表情の変化をリチャードは見逃さない。
「ジミー、まだ諦めていなかったのか? スティーヴィーが私に見張っておけと忠告して帰ったのだから大人しくしていてくれ」
いくら幼なじみとはいえ、会議に強引に混ざっただけではなく王太子に監視を頼むなとジェームズは思った。しかし彼に一番近い幼なじみがリチャードなので、頼む人間が間違っていないのは理解出来る。常識の範囲内かは判断が難しいが。
「一旦幼なじみには戻った。再び口説いているだけで」
「グレースを困らせるな」
「反省をした上で対応している。次は口説き落とせる」
ジェームズは不敵な笑みを浮かべた。リチャードは呆れたようにため息を吐く。
「その自信はどこから湧いてくるのだ」
「ケイトが応援してくれている」
「嘘だろう?」
「何故私が嘘を吐かなければいけないのだ」
「ケイトにとって一番大切な幼なじみはグレースだ。親友を兄に売るとは思えない」
「リック。私を何だと思っているのだ」
「仕事人間。幼なじみ思いだが恋愛とは無縁」
普段は相手に気を遣うような言葉を選ぶリチャードだが、ジェームズに対しては容赦がない。それだけこの二人はお互いを信頼している。
「私も恋愛とは何かを学んだのだ」
「恋愛は学ぶものなのか?」
「アレックスの意訳がなければ婚約出来なかったリックには言われたくない」
「確かにあれは助かったが、今は交流を深めているから問題ない」
真面目な表情のリチャードにジェームズは思わず微笑みを零す。アレクサンダーの行動を助かったと言ってしまう人間性が、将来の国王に向いているのかはわからない。しかしこのような人間だからこそ、ジェームズは一生リチャードを支えようと決めているのだ。
「何故笑う」
「いや、リックの良さをパウリナ殿下が理解してくれたらいいなと思って」
「私の心配はいい。とにかくグレースを困らせるな。それだけは約束してくれ」
「あぁ、約束する」
そう言ってジェームズは葡萄酒のグラスを目の高さに上げる。リチャードは疑いの眼差しのまま、グラスを同じように持ち上げた。




