妹の助言
ジェームズは自室の椅子の背もたれに頭を預けて目を瞑っていた。仕事は順調である。上司であるウォーレンから振られる仕事は多いが、無茶な要望はない。次世代の宰相を育てようとしている感じも伝わっており、忙しいけれど楽しいと感じている。
一方、グレースに対してどのように接するのが正しいのか、その道は一切見えていなかった。スティーヴィーを怒らせるのは面倒だったので一旦引いたものの、再度踏み出す場所がわからない。結果、仕事の話以外何も出来なくなってしまった。以前ならいくらでも雑談をしていたはずなのに、どうやって話を切り出していたのか思い出せない。
「お兄様、少しいい?」
「あぁ」
扉を叩く音がしてケイトの声が聞こえた。ジェームズは了承すると姿勢を正す。扉がゆっくり開いて、彼女がカートを押して入ってきた。彼は慌てて立ち上がると妹に代わってカートを部屋の中へ入れる。
「何かあったのか?」
「何かあったのはお兄様でしょう? これはお母様が心配して用意したハーブティーよ」
ケイトはポットからゆっくりとカップにハーブティーを注いで机の上に置く。ジェームズの部屋にはソファーやテーブルがない。基本的に来客がないのだ。
「ありがとう。ケイトが淹れたハーブティーを飲めるとは幸せだな」
「注いだだけよ」
ジェームズは椅子に腰かけ直すとゆっくりハーブティーを口に運ぶ。彼は詳しくないので何の香りなのかはわからないが、心がほっとしたような気がした。
ケイトは壁際に置いてある膝の高さほどの踏み台に腰かける。それを見てジェームズは慌てて立ち上がった。
「ケイト、それは椅子ではない。こちらを使え」
「長話するわけではないからこれでいいの。お兄様は椅子に座って」
「しかし」
「いいから座って」
強めに言われてジェームズは大人しく元の場所に戻る。ケイトは睨むように兄を見据えた。
「お兄様はグレースを諦めたの?」
「諦めたわけではないが」
ジェームズは再びハーブティーを口に運ぶ。多少心を落ち着かせた所で、何かいい案など思いつくはずもない。
「グレースは終わったと言っていたわよ」
「始まってもいないのに終わったとはどういう了見だ」
「私に言われても困るわ。グレースに聞いて」
ケイトの冷たい言葉にジェームズは視線を伏せる。彼にはグレースを苛立たせるだけのような気がした。彼女を怒らせたいとは一切思っていないのだが、どうにも上手く伝わらない。
「どうやったらアレックスのように上手く話せるのだろうか」
ジェームズはため息を吐いた。アレクサンダーが話している相手を不快にさせた場面など見た事がない。突出した洞察力をもって相手を見極めて話しているのだろうが、それを感じさせない飄々とした雰囲気がある。とてもではないがジェームズには真似が出来ない芸当である。
「アレックスを真似ても意味がないわよ。グレースはアレックスとは結婚出来ないとはっきり言っているもの」
「それは私も言われているのだが」
「お兄様には恋愛感情が持てない、だと思うけれど」
ケイトの指摘にジェームズは視線を上げて妹を見る。彼女は楽しそうに微笑んでいた。
「お兄様はグレースに対して恋愛感情を抱いている?」
「難しい質問だな」
「それを難しいと言うからグレースに切り捨てられるのよ。仮にグレースとオースティン様が結婚するとしたら祝福出来る?」
ケイトに言われてジェームズは想像をする。二人が並んで楽しそうにしている状況を思い浮かべようとしたが、笑顔のグレースを思い浮かべたくなかった。
「グレースはパウリナ殿下の女官を目指している。ベレスフォード夫人がそれを許すとは思えないが」
「そういう逃げ方がいけないのよ。私はお兄様の気持ちを聞いているのに」
「グレースが選んだ道なら祝福するのが筋だろう」
そう言葉にするジェームズの表情は不満気だ。ケイトは呆れたように息を吐く。
「祝福する気が感じられないわ。器が小さいのね」
「何だと?」
ジェームズが溺愛しているケイトに対して不機嫌そうな表情を向けるのは珍しい。彼女は内心予想通りの展開になったと喜びながら兄を睨みつける。
「グレースの幸せを喜ぶのが愛でしょう? お兄様は結局結婚相手としてグレースがいいだけで、グレースの気持ちなんてどうでもいいのよ」
「どうでもいいとは思っていない」
「そうかしら? 私にはお兄様の行動にグレースを思いやる気持ちを見出せないわ」
ケイトに言われてジェームズはこれまでの自分の行動を顧みる。確かに一方的だったような気がした。気持ちを込めて書いた手紙も一蹴されてしまったのだから、独りよがりだったのかもしれないと思い当たる。彼女の恋愛観が良くないのだろうと思っていたが、それ以前に自分の対応も適切ではなかったのだろう。
「グレースの理解度が足りないのか」
「お兄様自身の気持ちの理解度も足りないと思う」
「私自身の?」
「いつからグレースを好きなの?」
「いつからと言われても困る」
「そもそもグレースの事は好き?」
「グレースを嫌いな人間はそういないと思うが」
「そういう話はしていないの。人としての好きと異性としての好きは違うから」
ケイトは呆れたような表情を浮かべているが、ジェームズはどう答えていいのかわからない。煮え切らない兄の態度に彼女は苛立つ。
「ヨランダではいけないの?」
「ヨランダとは会話がかみ合う気がしないからあり得ない」
「グレースと会話が出来るのは、グレースの才能であってお兄様に好意を抱いているからではないわよ」
「わかっている」
「わかっているとは思えないから私はここまで足を運んでいるのだけれど」
ジェームズはケイトを溺愛しているのでやたらと妹に構いたがるが、彼女はそれ程兄に興味がない。それでも自分の為に結婚相手を探してきてくれた感謝の気持ちはあるので、彼の為に今日の茶会でグレースと話をしたのである。
ケイトは立ち上がるとカートの下に置いてあった小説を手に取り、机の上に置いた。
「グレースの好きな小説のひとつよ。これを読んで少しは恋愛を理解して」
「恋愛小説で学べるものか?」
「私はグレースには幸せになってほしいけれど、お兄様はどうでもいいのよ」
ケイトの言葉にジェームズは明らかに傷付いたような表情を浮かべる。しかし彼女はそれを無視した。
「お兄様は一人でも生きていける。けれどグレースは一人で生きていけるふりしか出来ない」
「ふり?」
それもわかっていないのかとケイトは落胆するものの、今のジェームズに期待するのが間違っているとため息をぐっと堪える。
「急に現れた人が本当のグレースを理解するのは難しいと思うの。幼なじみのお兄様なら可能性があると私は思っている」
「作戦次第では可能性があるとアレックスにも言われた」
「その作戦を間違えたら本当に終わってしまうから慎重に練ってね」
「作戦を一緒に考えてくれるのか?」
「まさか。それはグレースが望まないわ。だからせめてもの助言」
そう言ってケイトは恋愛小説をジェームズの方に押す。
「お兄様がグレースを傷付けたら一生口を利かないから慎重に考えてね。それではおやすみなさい」
ケイトは笑顔を浮かべると扉を叩いた。すると失礼しますと声がして扉が開き、使用人が部屋に入ってカートを回収する。それと同時にケイトも部屋を出て行った。
ジェームズは暫く小説の表紙を見つめていたが、椅子に腰かけ直して小説を手に取ると表紙をめくった。




