家族との夕食
スミス公爵家。長く続いている家門ではあるが、歴史に名を残す人物を輩出するような名門ではない。それでも領地スミスは豊かであり、葡萄酒といえばスミスと言われる程有名である。しかも贅沢を好まない家門だからか、徴税も厳しくないので穏やかに領地経営が出来ている。
当主夫妻は当時では珍しい恋愛結婚である。美人のフローラがスミス家の資産を狙ったと思われかねない結婚だが、フローラの生家は裕福な侯爵家であり、また誰もが理解出来ない程にリアンに惚れていたので、くだらない事を言う者はいなかった。
リアンとフローラには三人の子供がいる。スミス家は女性が生まれ難い家系の為、グレースが生まれた時は大喜びだった。しかし出産後フローラは寝込んでしまう。けれどもリアンは妻が儚くなるとは一切思わず、娘とあれこれをしたいと寝込む妻の傍らで語り、ここで死んでは娘に夫を取られてしまうから嫌だと思ったフローラは回復した。
夫似の娘、そして娘を可愛がる夫の姿を見て、フローラの中から嫉妬心は消えた。世界一格好いい夫と、世界一可愛い娘が一緒にいる光景はフローラにとって何物にも代えがたく、娘を置いて死ななくてよかったと心から思うようになる。両親が可愛がるので、息子二人も同じように可愛がり、使用人達もそれに倣った為、グレースは多くの愛情を注がれて育ったのである。
皆が可愛いと褒め称えるのでグレースも自分は可愛いのだと思っていた。しかし十二歳の時、偶然使用人の陰口を聞いてしまった。それはまだスミス家で働き始めて間もない使用人ではあったが、皆が可愛いというのが理解出来ない、その辺の平民と変わらないお嬢様だと言ったのだ。その発言を先輩使用人が咎めていたが、グレースはそれを最後まで聞かずにその場を去った。
部屋に戻ったグレースは鏡台の前に腰かけた。そしてまじまじと自分の顔を見る。それから家族の顔、仲良くしている両親の友人達やその子供達を思い出す。すると使用人の言葉が腑に落ちてしまったのだ。明らかに父親と自分だけが華やかではない。しかし彼女の心は折れなかった。それなら華やかにすればいいのだと社交界に出る前に必死に化粧の勉強をした。彼女の努力は実り、今は母親似の化粧をした彼女を皆が褒めそやす。しかし彼女の心は複雑だった。
「何かあったのか? 可愛いグレース」
「そうよ、可愛いグレース。何か悩んでいるなら教えて頂戴」
自宅での夕食時、両親に問いかけられてグレースは曖昧に微笑む。この両親は彼女の名を呼ぶ時、可愛いを付けるのが日常だ。しかも本心でそう言っているとわかるからこそ、彼女はやめてとも言えずに受け流している。
「あの失礼な男ならエディが始末してくれたよ。他にもまだいるのか?」
「優秀で可愛いグレースを見下すなんて信じられないわ」
リアンとフローラは本当にグレースを可愛がっている。だからこそグレースがやりたいと言えば何でもやらせてくれた。その為グレースは大学に行ける程の学がある。恋愛小説を愛読書にしている彼女ではあるが、歴史書も文学書も読む。
「婚約の打診を断ったから逆恨みをしていたんじゃないかな。可愛いグレースに不釣り合いだと気付かないとは残念な男だ」
「特徴もない男性だったわよね」
フローラからしてみれば、リアン以外の男性は基本的に特徴なしになるのではと思ったがグレースは黙っていた。
「可愛いグレースが笑顔になれない相手など、この世に存在しなくていい」
「そうね、本当にそうだわ。普通なら可愛いグレースと会えただけで笑顔になるはずだもの。敵対心を持つなんて心が病んでいるのよ」
相変わらず両親の愛情が重いと感じながら、グレースは笑顔で聞き流す。それでも陰口を聞いても挫けずに生きてこられたのは、間違いなくこの両親の愛情あっての事だとわかっているからだ。
夫の相槌を打っていたフローラだったが、急に何かを思い当たったのか真剣な表情をグレースに向ける。
「もしかして女官の誰かから虐められているの? それならお母様からナタリー様に言ってあげるから隠さないで教えて頂戴」
「女官の皆様は優しくご指導してくれているから心配しないで」
とんでもない勘違いを口にしたフローラにグレースは慌てて否定をした。女官の先輩方は本当にグレースに優しく指導してくれている。不満など一切ない。フローラに口を出された方が今後付き合い難いのは間違いない。
「本当に? 女性の妬みは厄介だと言うわ」
「王妃殿下の女官の皆様は私を可愛がって下さっているから大丈夫」
フローラこそ妬みが厄介な女性なのだが、本人に自覚はない。グレースは母がこれ以上誤解しないように言葉を選んで説得をする。リアンも妻の暴走は把握しているので、すぐにフローラへ視線を向けた。
「エディがナタリー様の側においてもいいと判断した女官なのだから、性格が悪い女性はいないよ」
「そう言えばナタリー様も女官には恵まれていると仰せでしたわ」
「万が一王妃の執務室で事件が起きたら大変だから、エディは慎重に選んでるよ」
「まぁ、相変わらず陛下の愛情が過ぎますわね」
「俺もフローラを守ってるからね」
「はい。私は本当に幸せ者です」
リアンとフローラは娘の存在を忘れたように二人で見つめ合う。グレースにとっては日常茶飯事なので気にせず食事を続けながら、自分にもこのような相手といつか出会えないだろうかと考える。仮にオースティンとならと想像してみたが、全く思い浮かばなかった。
「グレース」
リアンに呼ばれてグレースは視線を上げた。彼にしては珍しく真面目な表情をしている。
「結婚相手について悩んでいるのなら、その悩みは一旦捨てていい。あのエディでさえ数え切れない程の女性に声を掛けたのに、唯一と思えたのは政略結婚相手のナタリー様なんだ。しかも結婚当初は本当に興味がなかったんだから、いつ愛情が芽生えるかなんてわからないんだよ」
「お父様も違ったの?」
グレースの問いにリアンは目を瞬かせたが、すぐに笑顔を浮かべる。
「フローラの第一印象は悪くなかったけど、女性として意識したのは色々と話した後だ」
「そうよ。リアン様は私に結婚相手として男性を紹介してくれたけれど、その時はまだ私もリアン様を意識していなかったわ」
仲が良い両親の馴れ初めをグレースは知らなかった。フローラの態度からして、リアンに一目惚れをして積極的に行動したのだろうと思っていたのだ。
「その紹介した相手はどうなったの?」
「その方は伯爵家の次男で父が難色を示したの。リアン様が私に合いそうと選んでくれた良い方だっただけに悪い事をしたわ」
「彼には別の女性を紹介して仲を取り持ったから恨まれてはいないよ」
「それに私にとってその方は結婚相手として悪くない程度だったけれど、愛せる男性はリアン様しかいないの」
それは伯爵家の次男に対して失礼ではないかとグレースは思ったが、再び両親が見つめ合ってしまったので言葉はのみ込む。しかしこの話は彼女にとって新しい発見でもあった。今まで違うと切り捨ててきた男性の中に、もしかしたら愛せる男性がいたかもしれない。それがオースティンかもしれないのだから、彼の申し出を受けたのは正解だったのかもしれないと思えた。現時点では何も想像出来ないが。
「可愛いグレースは友人の話をよく聞くだろう? たまには友人に話してみるのもいいんじゃないか」
「それは私が色々な話を聞くのが好きだから」
元々恋愛小説を好むグレースにとって、人の話を聞くのはその延長である。自分が知らない世界を疑似体験出来るのが楽しいのだ。
「俺は話して欲しい時は聞き出しちゃうけど、そう出来ない人も多い気がするな」
グレースもリアンと同じである。しかし例えばスカーレットは話せば聞いてくれるだろうが、話を聞くよと声を掛けてくれる気はしない。
「俺は独身の時、話したいと思ったらスティーヴンの家に押しかけてたけどね」
「それはお父様だから出来た荒業だと思うけれど」
リアンが独身の頃のレヴィ王国内には派閥があったはずだ。リアンとスティーヴンの家門は敵対していたので気軽に訪問出来るはずがない。常識を無視して自由に生きている父親に、どのような感情を持つのが正しいのだろうかとグレースは考えてしまう。それでも大好きな父なので負の感情は抱き難い。
「可愛いグレースの訪問を断る家なんてないよ」
「そうよ、可愛いグレースが来て皆が喜ぶはずだわ」
娘に対しての評価が高過ぎる両親に、グレースは笑顔を向けた。皆が喜ぶかはわからないが、幼なじみ達なら受け入れてくれるのは彼女もわかっている。次の児童養護施設の引継ぎの時に話してみようと彼女は思った。




