諦めない侯爵令息
グレースとジェームズは王都にある有名な高級飲食店の一室にいた。前回と違い洗練された雰囲気で、明らかに貴族専用だと彼女は感じる。前回のお店の方が彼女には好みであり、やはり今回はアレクサンダーが絡んでいないのだと確信をする。
「とりあえずこれを」
席に座るなり、ジェームズはグレースに折り畳まれた便箋を差し出す。彼女は何かを尋ねるよりも読んだ方が早いだろうと大人しく受け取り、便箋を開いて文字を追った。
そこには淡々と結婚相手として何故グレースが良いのかが書かれていた。当然彼女は読み進めるうちに表情を失い、読み終えた頃には帰りたい気持ちでいっぱいになった。
「ジミーは恋愛に向いていないわ。ミラ様にお見合いを組むよう伝えておいてあげる」
「何故そうなる」
ジェームズはグレースの態度が理解出来ていないようだ。彼女は便箋を折り畳むと食卓の端に置く。
「私は恋愛結婚でなければ独身でいいの」
「それはわかっている」
「これを読んで恋愛を始めようと思う女性なんていないわ」
グレースは強めに言い切った。自分が恋愛に夢を見ているのは自覚している。それが難しい事もわかっているが、それでも諦めきれないのだ。いつか本当の自分を愛してくれる人が現れると信じていたい。そう思っている自分に対し、社交性の高さ等を評価されても喜べない。これは政略結婚相手になら有効かもしれないが、恋愛には発展しない。
「わかりやすく書いたつもりだが」
「それ以前の問題よ」
確かにわかりやすく纏められていたので、ジェームズは仕事が出来るのかもしれない。しかし仕事と同じ要領で恋文を書かれても困る。そもそも恋文とは到底言えない代物ではあるが。
「そもそもどうして結婚しようと思ったの?」
幼なじみとして付き合いが長いので、グレースはジェームズを昔から知っている。彼女の記憶にある彼はずっと妹であるケイトを構い倒していた。ケイトさえいれば他には何も要らないとさえ言っていた彼が、妹を幸せにしてくれそうな結婚相手を探したのだ。しかも自分が結婚する為に。急に意見を変えた彼の本心が彼女にはわからない。
「グレースとなら結婚出来ると思ったからだ」
「説明になっていないわ」
結婚をしようと思ったきっかけを聞いているのに、返答が明らかにおかしい。やはりジェームズは仕事も出来ないのかもしれないとグレースは冷めた視線を彼に向けた。
「正しく説明しようとするとグレースを傷付ける可能性がある」
「ジミーにそのような気遣いが出来るとは思っていなかったわ」
グレースの言葉にジェームズはむっとする。彼は本気で彼女を口説こうと思っているのだが、全く言葉が届かない。彼女は賢いので多くを語らずとも察してくれるが、察して耳を塞いで心も閉じてしまう時がある。彼女は常に幼なじみは恋愛対象外だと言っているが、それは自分が幼なじみから恋愛対象に見られていないのを察して傷付かないようにしているのではないかと彼は思っていた。
そもそもグレースはレヴィ王国で現在唯一の成人した公爵令嬢である。本人は平凡顔を気にして母親に似せた化粧をしているが、家族に愛されて育った彼女は誰に対しても優しい。彼女に憧れて釣書を送った男性は多いものの、全員断られている。夜会や舞踏会で面識を持ったとしても、彼女の興味を引いた男性はいないのだ。彼女は常々恋愛対象に見られないと言っているが、彼女が男性の誰をも恋愛対象として見ていないのである。これは恋に恋をしている彼女の恋愛観が良くないとジェームズは分析していた。
「私も政略結婚をするくらいなら一人でいいと思っていた。だが仮に結婚するとしたらと考えた時、グレースしか思い当たらなかった」
「それはジミーの交流関係が狭いからでしょう?」
「宰相補佐をしていれば、私の娘を紹介したいとよく声を掛けられる」
リスターは侯爵家であるが、元々はレスター公爵家である。当主スティーヴンはエドワードの側近であり、ジェームズはリチャードと仲が良い。リスター侯爵家に嫁げば将来は安泰だと誰もが思っているのだ。
「ケイトしか見ていない男に声を掛けるなんて、見る目のない人達ね」
「家柄しか見ていないから私の素性など興味がないのだろう。それはグレースも心当たりがあると思うが」
確かに心当たりがあるのでグレースは頷いた。彼女は成人する前に今の化粧を習得している。公爵家で働いている者と幼なじみ以外で、彼女の素顔を知っている者はいない。わざと母親に似せているのだが、綺麗だと褒められても心には響かない。素顔が美人でないのはわかっているが可愛いと言ってほしい、そう思っても男性の前で化粧を落とす勇気が彼女にはない。
「先程のアレックスとの話だが、私では満たせないのか?」
「その話、どこから聞いていたの?」
「俺達が結婚してもの所からしか聞いていないが」
アレクサンダーが歩いてくるジェームズを見逃すはずがない。長々と話を聞いていたわけではなく、近付いたら聞こえてきたのだろう。雑談のように話していたので小声でもなかった。盗み聞きと責めるのは違うとグレースは思う。
「ジミーでは難しいわ」
グレースは寂しそうに微笑んだ。誰かと愛し合う事でしか満たされない。もしジェームズが満たしてくれるのなら既に彼を愛していなければいけないが、そのような気持ちはない。幼なじみ以上の感情など、彼女の中には見当たらないのだ。
「オースティンは?」
「珍しい名前を挙げるわね」
「モリス家は考えられないが、ベレスフォード夫人なら選択肢に入れそうだから」
スミス家にベレスフォード家から釣書は届いていない。オースティンが持っていた釣書が侯爵家で固められていたのだから、公爵家同士の結婚は考えていないと思われる。しかしグレースにオースティンの両親の意向などわかるはずもない。
「釣書なら見ていないわ。オースティン様が恋愛対象になるかはわからないけれど」
先日の食事でグレースとオースティンは色々と話したが、自己紹介の延長のようなものだった。お互いを知るには全然足りなかった。遅くなるのもよくないと、次に会う約束をして別れたのだ。現状彼女は彼に特別な感情は抱いていない。
しかしジェームズはグレースの言葉を聞き逃さなかった。いつもならすぐに違うと切り捨てる彼女が、わからないと曖昧な返事をするのは珍しい。
「グレースなら弟みたいで無理だと切り捨てるかと思った」
「そう思っていたのだけれど、オースティン様とはもう少し話がしてみたいと思ったの」
「オースティンといつの間に接点が?」
「ジミーには関係ない話よ」
「関係ない訳がないだろう。こうして求婚をしているのに」
真剣な表情のジェームズにグレースは呆れ顔を向ける。手元にあるこれが恋文のつもりなら、彼女は到底付き合えない。
「それなら改めて断るわ。これで私の心が動くと思ったら大間違いよ」
グレースは便箋を手に取るとジェームズに差し出した。しかし彼はそれを受け取らない。
「それはグレースを想って書いたものだから返されると困る」
「えぇー」
グレースは到底貴族女性とは思えない声を零した。この手紙のどこに愛情が込められていたのか彼女にはわからない。ジェームズとは恋愛観が違うようだ。嫌がる相手に返すのも気が引けた彼女は便箋を置いてあった場所に戻した。
「とにかく今日で私の事は諦めて。幼なじみとして食事をしましょう」
「何故だ」
しつこく食い下がってくるジェームズに、グレースは苛立ちを隠せなかった。
「ジミーとは恋愛が出来ないからよ。いい加減理解して」
「私が出来ると思っているのだから、グレースも出来るだろう?」
「その理論はおかしいわ。一回頭を冷やしてきて」
恋愛は片方からの愛情では成り立たない。どうしてその基本が抜け落ちているのかグレースには理解が出来なかった。そもそもジェームズが何故自分が彼に恋に落ちると判断しているのかも意味不明である。
「わかった。出直す」
「諦めてと言ったのだけれど」
「どう足掻いても無理と思えない限り諦めない」
ジェームズは真っ直ぐグレースを見つめる。彼女は苛立ちと同時に居心地の悪さを感じた。彼もまた器用に生きているはずなのに、なぜ自分に固執しているのか彼女にはその理由がわからない。
「ひとまず食事にしよう。ここは私のお勧めだ。グレースの口にも合うと思う」
空腹だから苛立ってしまうのかもしれないと思ったグレースは頷く。ジェームズは微笑むと呼び鈴を鳴らして、やってきた店員に食事を運ぶように指示を出した。




