真冬に半袖を着て歩く
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(ゆるふわ設定なので、細かいことは気にせずふんわり読んでいただけると助かります)
「セックス、ドラッグ、ロックンロール」
小夜ちゃんがひっそりと呟いた。それがあまりに唐突で、わたしは、
「え、なに? どうしたの」
と尋ねる。
道路が凍結する前に、と、今日はいつもより早く学校から追い出された。小夜ちゃんとわたしは、帰り道の途中にある小さなお店でたい焼きを買って食べたあと、寒さに震えながらくっついて歩いていた。
高校指定の濃紺のコートは、ダサくて薄くて、とっても寒い。小夜ちゃんもわたしも、大きなマフラーを、ぐるぐると首に巻き付けていた。コートの地味さに抵抗するように、マフラーはみんな鮮やかな色を身につけている。小夜ちゃんのマフラーは桜色。わたしのマフラーは鶯色。ふたりとも、春を恋しがっている。
「書いてあるの。ほら、あれ」
そう言って、小夜ちゃんが人差し指で示す先には、髪の毛をダンボールみたいな色に染めた男のひとが歩いている。小夜ちゃんが示したのは、その背中だ。
「あ。本当」
セックス ドラッグ ロックンロール
その文字は、確かに書いてあった。彼のショッキングピンクのティーシャツの背中に。紫色の、カタカナで。
「不思議ね」
小夜ちゃんは、おっとりと言う。
「どうして、カタカナなのかしら。彼は、どうして、数多のティーシャツの中からあのティーシャツを選んだのかしら」
わたしは、小夜ちゃんの横で、口を両手でおさえて笑いをこらえる。
「それに、攻撃的な色合い」
小夜ちゃんのその言葉に、
「ふくっ」
こらえていた声が、指の隙間から転がり落ちた。
「しかも、縦書きよ」
わたしたちは、身を寄せ合って、くつくつと笑い声を上げた。白い息が盛大に舞う。
「ねえ、テルちゃん」
小夜ちゃんが言った。
「いま、二月よねえ」
「うん」
「あのひと、半袖よ」
「うん」
「気になるわね、テルちゃん」
「気になるね、小夜ちゃん」
「本人に訊いてみましょう」
小夜ちゃんはおとなしそうな外見とは裏腹に、とっても大胆な性格をしている。わたしたちは、静かに彼の後を追った。もうシャリシャリに凍ってしまった雪が、靴の下で微かに鳴る。
彼は、《ヒタチサイクル》と看板の掲げられた自転車屋さんへ、するりと入っていった。
「なんだ。自転車屋さんのおにいさんよ」
小夜ちゃんは、幾分か拍子抜けしたような声で言った。謎の男の謎が半分剥がれてしまったからだろう。
ふたりでヒタチサイクルの店内を覗き込んでいると、中から手招きをされる。後をつけていたのがばれたのだろうか、と、どきどきしながらガラスの引き戸を開ける。カラカラと軽い音がした。
「寒いだろ。ストーブあたっていけよ」
おにいさん、おそらくヒタチさんは明るい声で、気安く言った。わたしたちは顔を見合わせて、それから、ヒタチさんの言葉に甘えることにした。
お店の真ん中にある、石油ストーブにあたりながら、
「ヒタチって、どういう字を書くんですか?」
小夜ちゃんは、開口一番、そんな疑問を口にする。ストーブの上のヤカンがシュンシュンとゆげを巻き上げていて、なんだか機関車みたいだ。
「常に陸にいると書いて、ヒタチと読む」
ヒタチさんが答える。
「カナヅチっぽい名前ですね」
思わず言うと、
「そんなことはない。ただ身体が水に浮かないだけだ」
ヒタチさんは憤然とした表情で言った。
「ああ、本当にカナヅチなんだ」
わたしたちは、くつくつ笑う。
「おまえ、大原さんとこの子だろ? 上? 下?」
唐突にそう訊かれ、驚く。さすが、狭い田舎町だ。意外なところにまで顔が割れている。そんなことを思いながら、「上のほう」と、わたしは答える。
わたしには、ひとつ下の弟がいる。だから、よく「どっち?」と訊かれる。似ているわけじゃない。どちらが先に生まれたか。わたしか、弟か。そういう記号をとりあえず知りたいだけなのだ。
「そんで、おまえが結城さんとこの子だ」
続けて、ヒタチさんは小夜ちゃんに視線を向ける。
「あたり」
小夜ちゃんは、にこりと笑う。
「兄ちゃん元気か?」
「兄を知ってるんですか」
小夜ちゃんのまるい目が、驚きのせいでさらにまるくなる。
「結城さんは、高校の先輩だ。あのひとは変なひとだったから覚えてる。いつもチョコレート食ってた。食いながら、成分表を熟読してんの」
「兄はいま、サバトラ製菓のチョコレート研究所にいます」
「まじか。チョコレートがすきですきでたまんなくて、そんでいま、チョコレート作ってんのか。それは素晴らしいな」
ヒタチさんは言った。わたしもそう思った。小夜ちゃんは黙って笑った。お兄さんをほめられてうれしいんだろうな、と思う。だから、わたしも笑った。いいなあ、と思う。わたしは、小夜ちゃんのお兄さんみたいにほめられるようなひとには、きっとなれない。弟がかわいそうだ、と、ちらりと思った。
「どうして、そんなティーシャツを着てるんですか?」
小夜ちゃんが、いよいよ核心にせまる質問を口にした。
「小学校ん時、毎年ひとりはいただろ? 冬になっても半袖短パンで意地張っちゃってるやつ。それと同じだよ」
ヒタチさんは、あっけらかんとそんなことを言う。
「ロックだろ」
少し、期待していた答えとはズレた返答だった。
「そんな変なひと、いません」
わたしたちは首を振る。
「うっそ。俺らの世代は各学年にひとりはいたけどなあ」
「そんなに?」
言いながら、わたしと小夜ちゃんは身を寄せ合って、やっぱりくつくつと笑う。結局、どうしてそのティーシャツを選んだのかとか、そういう細かいことは訊きそびれてしまった。
「仲良くしろよ」
帰り際、ヒタチさんは、わたしと小夜ちゃんに言った。
「たまに途切れてもいいんだ。長い目で見て、ずっと仲良くしろよ」
わたしと小夜ちゃんは、顔を見合わせて笑う。そして、ヒタチさんに向かって大きく頷いて見せた。
わたしの名前は、輝雄という。大原輝雄。
わたしは、この名前がすきじゃない。だって、男の子みたいだから。実際、わたしの体のつくりは男の子のそれなのだけれど。だけど、わたしは女の子だ。本当のわたしは、女の子だ。なのに、どこでどう間違ったのか、体はわたしの心とは逆で生まれてきてしまった。
このことを知っているのは小夜ちゃんだけだ。こんなこと、小夜ちゃんにしか言えない。他の誰にも言えない。両親にも、ひとつ下の弟にも、誰にも言えない。ずっと男だと思ってきた自分の子が、兄が、実は女だったなんて知ったら、びっくりするだろう。それに、きっとものすごくがっかりする。家族だから、余計にがっかりする。がっかりされるのは悲しい。それに、わたし自身が、家族をがっかりさせたくない、とも思う。わたしが、このままずっと、一生、男の子のふりをし続ければ、家族はがっかりしないかもしれない。でも、そうするとわたしがつらい。本当は、こんなカッチリした学生服じゃなく、小夜ちゃんみたいなセーラー服を着たいのに。
こんなこと、誰にも言えない。でも、誰かに言いたい。たすけて、と思った。
そうしたら、隣に小夜ちゃんがいた。「テルちゃん」と、わたしを呼ぶ小夜ちゃん。わたしから、「雄」の部分を外してくれる小夜ちゃん。
本当のことを打ち明けた時、小夜ちゃんはびっくりしたみたいだったけれど、がっかりはしなかった。
「そう考えれば、納得のいくことがたくさんあるわ」
と微笑んだ。
「テルちゃん」と、小夜ちゃんはわたしのことを呼ぶ。小夜ちゃんにそう呼んでもらうと、「雄」の部分が消えてなくなったみたいで、わたしはやっぱりうれしい。
「ねえ、テルちゃん。テルちゃんにはあたしがいるわ。でも、決めるのは、いつでもあなたよ」
小夜ちゃんは、そう言った。
わたしは、まだ、ずっと決めかねている。家族に打ち明けようか、どうしようか。
小学校ん時、毎年ひとりはいただろ? 冬になっても半袖短パンで意地張っちゃってるやつ。それと同じだよ。
そういうのならいいな。わたしのこと、もやもやした曖昧なもの全部、意地を張って、乗り越えられる。それくらいのことだったらいいな、と思う。真冬に半袖を着て歩く。そのくらいの風当たりなら、なんとかなる気がした。
「わたし、小夜ちゃんがすき」
「あたしも、テルちゃんがすき」
長い目で見て、ずっと仲良くしたいひと。小夜ちゃんがいてくれるから、わたしは立っていられる。歩いていける。
だから、真冬に半袖を着て歩くこともできるはず。いつか、きっと。
了
ありがとうございました。