混-9
すばらしい。
ケセラは、「エクサラントの使い」である端末――その背後にいるものは、トオルの覚醒が間近であることを感じ、打ち震える気分だった。
もしこの力が覚醒すれば、トオルは名実ともに最強の「ディストキーパー」となるだろう。
それでこそ、わざわざ性別を変えるような大規模な「インガの改変」を行ってまで、「ディストキーパー」にした甲斐があったというものだ。
だが、それでもまだ足りないらしい。
トオルと「ディスト」との戦いは、一転してトオルが優勢になっている。影の使い方が格段に上達し、更にあの「インガ衝撃弾」を消した力が「ディスト」の能力を封じている。
だが、それでもまだ中途半端だ。その証拠に、手にした武器は真の姿を見せていない。
ならば、どうする? あの「ディスト」程度では覚醒を促せないのだとしたら。
決まっている。もっと追い込むのだ。
ケセラは、担当区域の「インガの裏側」で行われている、もう一つの「ディストキーパー」の集まりに意識を向けた。
こちらの彼女の逆境。これこそが、トオルの更なる覚醒を促すかもしれない。
それがどんな結果を招いたとしても、最強の「ディストキーパー」を生み出せるならば――。
『オニキス。戦闘中申し訳ないが、君に伝えねばならない情報がある――』
どんな犠牲を払おうとも惜しくはない。
「ねえ、一体何? 何なのか説明してよ」
右手を引かれ、マシロはナオミの後ろを歩かされていた。
何を聞いてもナオミは返事をしない。それに業を煮やし、逃げようとしたらこうして捕まえられた。手首を握る力は強く、振りほどけないので渋々従っている。
電気屋やスーパーの複合店舗のある国道沿いの歩道から横道にそれ、住宅街に差し掛かる。
ここは、マシロの通っている中学の学区域の西端辺りであった。
一軒のアパートの前で、ナオミは足を止めた。
「え、何なの? ここ?」
古い二階建てのアパートだ。外壁は黄ばんで大きなひび割れが走っている。外付けの階段は錆びついていて、触れれば倒れそうにさえ見える。
「ねえ、月本さん」
ようやくそこでナオミは口を開いた。
「何? やっと教えてくれるの?」
「わたしの名前、覚えている?」
背を向けたままの彼女に、マシロは首を傾げた。
「興味ないから覚えてないけど、何で?」
「そう……」
ナオミの手には「ホーキー」が握られていた。うなじに浮かんだ鍵穴、「コーザリティ・サークル」にそれを差し入れ、「ディストキーパー」の姿となる。
「え? え?」
「変身して、月本さん」
ゆっくりと振り返ったナオミは、こう続けた。
「でないと、すぐに死んでしまうから」
「インガの裏側」への入り口は、「表側」にあるすべての扉だった。
扉に「ホーキー」をかざせば「コーザリティ・サークル」が浮かび、その鍵を開いた先は灰色の世界が広がっている。
ナオミはアパートの一階、階段のすぐ隣の一室のドアに「ホーキー」を使い、「インガの裏側」への入り口を作った。そして、おずおずと変身したマシロの手を引き、投げ入れるようにしてその中に入った。
色褪せた世界の中でも、そのアパートの一室はごちゃごちゃと落ち着かない雰囲気だった。乱雑にモノが置かれた狭苦しい廊下を抜け、レトロな玉のれんをくぐった先のダイニングキッチンで、彼女は待っていた。
「やっと来た……」
窓を背にし、四人掛けのテーブルの上に木村ユキナが座っていた。
「遅いんじゃない、ナオさん?」
「ちょっと抵抗されちゃって」
テーブルの両端には、おどおどとした目のヨリコと、直立不動でこちらを見つめているミヨの姿があった。
トオルを除く五人の「ディストキーパー」が、ここの狭いアパートに集合していた。
「これって、どういう用事?」
周囲を見回しながら尋ねたマシロに、ユキナは嘲るような目を向ける。
「あんた、抹消だって」
「抹消?」
そう聞き返した時だった。不意にヨリコが動き、得物のサイでマシロの胸をついた。
「ぎゃっ!?」
強い衝撃が鳩尾から全身を駆け抜け、マシロは膝をついた。呼吸が上手くできず、すかすかした音が口の中を通り過ぎる。
「あはははは、よっわー!」
手を叩いて笑うユキナの声が部屋に反響した。
「よっわーいから、あんたいらないんだって」
「い、いらない……?」
上げた顔に銃口が付きつけられる。ミヨの榴弾砲であった。
「な、え……?」
小さな榴弾が床にこぼれ落ち、爆ぜた。それは戦いの中でミヨが使っている者に比べれば随分と小規模な爆発であったが――。
「うわぁあぁああ!?」
マシロは焦げた顔と胸を押さえ、転がり回った。その様子に、またユキナが声を上げて笑う。
「あー、もうマジ笑えんだけど。死にかけの虫かよって!」
でも、とユキナはミヨに目を向ける。
「『インガの裏側』とはいえ、あたしの家の床が焦げるのはヤだね。だからちょっと下がっときな」
「すみません……」
いいのいいの、とミヨに応じてユキナはナオミを見やる。
一つうなずくと、ナオミは仰向けでじたばたするマシロの腹に、ブーメランの端を叩きつけた。声にならない悲鳴を上げて、マシロは体を大きくビクつかせる。
「ごめんね」
何度も、何度もブーメランをマシロの腹に突き刺しながら、ナオミ続ける。
「でも、月本さんも悪いんだよ。全然戦わないし、わたし達の名前を覚えようともしない」
叩きつけられるたびナオミの体は痙攣し、それを見て笑うユキナの声が響き渡る。
やがてマシロは動かなくなり、ナオミもその手を止めた。
髪は乱れ、顔と体は焦げ、やぶれたコスチュームの下にくっきりとブーメランの跡が残ったマシロは、荒い小さな呼吸を繰り返している。
ひとしきり笑い終えたユキナはテーブルから降りると、武器であるチェーンを手にした。
「ねんねの時間は終わりでちゅよー」
伸びたチェーンがマシロの全身を縛り上げる。
「ナオさーん、押さえとくから首、飛ばして」
チェーンでぐるぐる巻きに締め上げたマシロを引っ立て、ユキナはその首を人差し指でつついた。
「……分かったわ」
あれ、とユキナは首をかしげる。
「嫌がるかと思ったんだけど」
「この子は、わたしが考えていた以上によくなかった。思い知らされた気分」
ナオミの持つブーメランに光が走り、刃となった。
「集団には秩序と法が必要よ。人間を従わせる秩序と、従わない人間を排除できる法が」
わたしは先輩として秩序を守る。決意に満ちたその表情に、ユキナは少し気圧されたように後ずさった。
「ま、まあ、やるんならなんでもいいけどさ……」
チェーンを更に締め上げると、マシロの口から悲鳴が漏れた。
「月本さん……」
ナオミは、光の刃をマシロの首筋にあてがった。
「最期に、何か言い残すことは……?」
マシロは、ナオミの顔を見て笑った。
あの笑顔だった。北風が通り抜けるような呼吸をしながら、あの何も感情を映していない笑顔で、ナオミを見返した。
「トオルが……、トオルが、きっと来てくれる……」
「そう……」
どこか悲し気に、ナオミは視線を落とした。
それとは対照的に、背後でチェーンを押さえるユキナは哄笑する。
「バッカじゃないの? 来るわけないじゃん! 来れない時にやってんだからさあ!」
ねえ、とユキナは様子をジッと見守っているヨリコとミヨに同意を求めた。
二人はどうしていいのか分からない、というような反応を見せ、ユキナは小さく舌打ちした。
「まあいいよ。教えといてあげる。あんたの抹消、決定したのケセラだから。で、あんたの愛しい親友さんは、今頃一人で『ディスト』と戦ってんの」
あんたが殺されるとも知らずにね! ユキナの高笑いが響いたその時だった。
黒い刃のようなものが無数に走り、ユキナの座っていたテーブルごと窓のある壁が切り刻まれ、崩れ落ちたのは。
「何!?」
部屋の中にいた全員の視線がそちらに向いた。
外付けの階段の破片や、壁の瓦礫を踏み越えて入ってきたのは――
「よう……」
漆黒の長い髪と、同じ色の衣装に身を包んだ「ディストキーパー」――
「オレ抜きで面白そうなこと、してんじゃねェか……」
黒須トオルは首をゆっくりと回し、部屋の中にいる四人を見渡した。