混-7
土曜日のある日、駅の近くにあるカラオケボックスに、木村ユキナは「ディストキーパー」たちを呼び出した。
薄暗い一室に集まったのはユキナの他に、ナオミ、ヨリコ、ミヨであった。
苛立たし気にテレビの音声をゼロにして、ユキナは三人にこう切り出した。
「今日あんたらを呼んだのは他でもない。月本マシロのことなんだけど」
顔を合わせた段階で、三人とも何となく察してはいただろう。だが、実際にその名が出たことで部屋の中に緊張が走った。
「みんな、どう思ってる? あいつが戦わないの、ホント迷惑じゃない?」
既にマシロが「ディストキーパー」になって、一週間が経過していた。
それまでに「インガの裏側」では三度の戦いがあったが、いずれもマシロは遠巻きに眺めているだけで、戦いに参加していなかった。
「う、うん! すごく、駄目だと思う!」
すぐに同意を示したのはヨリコだった。
この中ではユキナの腰巾着のような彼女であったが、真っ先に賛同したのはそれだけではない理由があった。
「ミヨちゃんは入る前だから知らないと思うけど、ここ三人ぐらい死んでるんだよ」
そうなんですか、とミヨは驚いた様子だった。
「う、うん。滅茶苦茶強い『ディスト』が出てきて、それでわたしもユッキーも死にそうになって……。先輩も先に一人死んじゃってたみたいで、何とか残った先輩の二人が体張ってくれて、命がけで助けてくれて……」
その三人の補充要因としてスカウトされたのが、ミヨでありトオルであり、マシロだった。
「そ、そういうこともあるからさ、やっぱり六人揃って戦わないと駄目なんだよ。一人戦わない人がいることで、みんながピンチになって、誰か死んじゃったりしたら……」
そんなことがあったなんて、とミヨはかぶりを振った。
「戦えないなら仕方がないのだと思っていました。ケセラも、月本さんは『戦う力がまだ覚醒していない』と言っていたので」
だけどそれは甘かったのですね。膝の上に載せていた拳を、ミヨは固くした。
「わたしも最初は怖かったし、今のヨリコ先輩の話も怖かったです。でも、だからこそ戦わなきゃいけないのだと思いました」
よしよし、といった具合にユキナはうなずいた。そして、ナオミの方に目を向ける。
「ナオさんどう思います? あの時の先輩らみたいに、あたし達も死んじゃうかもですよ、このまんまだと」
ナオミも当然、ヨリコの語った三人の「ディストキーパー」が犠牲になった戦いに参加していた。命を懸けてユキナやヨリコを守った二人に至っては、同時期に「ディストキーパー」になった友人でもある。
それでも、ナオミは慎重にこう尋ね返した。
「月本さんが戦わないのはよくないことだけど、だとしてあの子をどうするつもりなの?」
決まってんじゃん、とユキナは薄く笑った。
「あいつに『ディストキーパー』やめさせる」
やめさせる、って……。ナオミは首を横に振った。
「そんなことできないのよ?」
「どうして? ケセラ呼んで、何とかしろって言ったら何とかなんじゃないの?」
ナオミはこの中では一番ベテランの「ディストキーパー」だ。
どのくらいベテランかと言えば、もう既に6年も続けている。
これは、9歳の頃からやっているという意味ではない。13歳から15歳の中学生活を、もう2度も繰り返しているのだ。
「ディストキーパー」は生涯にわたって辞めることはできない。「ディストキーパー」となれるのは、少女だけだからだ。一度なってしまえば、永遠に少女の年代をループし戦い続けねばならない存在なのだ。
「ディストキーパー」を辞める時は死ぬ時か、あるいは……。
「何? 何かあんの? みんな仲良くしろみたいな話?」
「えっと、そうじゃなくってね……」
今ここで話してしまうべきだろうか。ナオミの中には逡巡がある。
この話をするということは、先だってのあの3人が犠牲になった戦いの真相を語ることでもあり、それはユキナたちの動揺を誘ってしまうことだから……。
そんな躊躇いを知る由もなく、ユキナは畳みかけてくる。
「あんなサボるヤツとも仲良くしろっての? ナオさんもよくないって思ってんでしょ? おかしくない? 戦わなきゃなんだよね?」
「た、確かにそうよ?」
慌ててナオミは取り繕った。
「あの子が戦わないことで、誰かが命の危機に陥るかもしれない。それはそうなの。そうなのだけど……」
そこへ、新たな声が響いた。耳慣れた、少し高い少年のような声だ。
『四人揃って、どういう悪だくみだい?』
声がしたのは、備え付けのテレビの方からだった。
タレントの映っていた画面が真っ白に変わる。いや、白い画面ではない。真ん中に落書きみたいなシンプルな顔があった。
ケセラだ。
白い毛玉はぬるりと画面から出てくると、四人の囲むテーブルの上までやってきた。
「ど、ど、どういう登場よ……」
驚いたらしく、ヨリコはきょどきょどとしている。その様子に鼻を鳴らし、ユキナは立ち上がって毛玉を見下ろした。
「ケセラ、いいとこに来たわね」
いいところ? とケセラはユキナの目の高さまで浮き上がった。
「月本マシロに辞めてもらいたいんだけど」
『ほほう。そういう話か』
ケセラは体を左右に揺らした。
「何回か言ってるけど、あいつホント戦わないのよ。いい加減にしてほしい、みんなそう思ってる」
そうでしょ、と問われ、ヨリコは「うんうん」と、ミヨは一度だけ深くうなずいた。
『みんな、ね……』
くるりとケセラは唯一同意を示さなかった者の方を向いた。
『ナオミ、君はどう思う?』
「よくない、とは思うけど……」
俯いてしまったナオミを見て、ケセラは『よし』と体を上下させた。
『過半数の合意が得られたね』
え、ちょ、と顔を上げたナオミを尻目にケセラは続ける。
『よろしい、月本マシロ――キーパーネーム・シトリンの抹消を許可する』
「ま、抹消……?」
「それって、どういうことですか?」
ヨリコとミヨがナオミの方を見てくるが、彼女も初めて聞いた概念だった。
『目に余る逸脱行為、戦闘への不参加、仲間への不当な暴力……そういった問題行動を起こした「ディストキーパー」を処分する方法さ』
ケセラの口調は平坦であったが、処分という言葉は重たく響いた。
「まさか、ケセラ……、月本さんを殺すの……?」
殺す、という言葉にヨリコとミヨの表情に緊張が走る。
一方、ユキナは笑みさえ口の端に湛えている。
「いいじゃん」
死なせちゃえば。さらりと言い放ったユキナに、思わずナオミは立ち上がった。
「ユキナちゃん、それは……!」
二人をよそにケセラは説明を続ける。
『抹消は、抹消に賛同したその地域の「ディストキーパー」全員で行うことになっている』
「そ、それって、つまり……?」
『君たちの手で月本マシロを殺すのさ』
平坦なケセラの口調は、字面以上に冷淡に響いた。
「わわ、わたしらで……!?」
「それは……、できません……」
ヨリコは顔を蒼くし、ミヨは目を伏せた。その二人の様子を見ながら、ケセラは淡々とどこか呆れさえ混じった口調で言った。
『できないのに、抹消に同意したのかい? それは無責任というものじゃないか』
だけど、と反駁するミヨの言葉に、ユキナが覆いかぶせるように言った。
「んな気にしなくてもいいでしょ。あたしらで月本を囲ってボコればいいわけだし」
簡単簡単、と宿題の問題を教えてやるような口調で続ける。
「どうせみんなでやりゃ、誰が殺したかなんて分かんない」
酷薄にそれは響いた。重みのなさが鋭く、穿つようでさえあった。
ヨリコは目をそらし、ミヨは信じられないというような表情を浮かべた。
「ユキナちゃん、こんなのおかしいわ……!」
机を回り込んで、ナオミはユキナの両肩を掴んだ。
「仲間じゃない! それを、簡単に殺すだなんて、そんな……」
「おかしかないでしょ」
うざったそうに腕を払いのけ、ユキナはナオミをにらむ。
「あいつが戦わないせいで誰か死ぬかもしれない。あんたがそれ、一番分かってんじゃないの先輩?」
「――ッッ!」
「あいつのせいで死なないために、あいつを殺す。何かおかしいこと言ってる?」
据わった目つきに、ナオミは思わず後ずさった。太ももの裏がテーブルの端に触れた。
『そもそもだ』
くちごもったナオミに、ケセラが語り掛ける。
『ナオミ、君が逡巡する理由が私にも分からない』
何を、とナオミが振り返るが、ケセラは構わず続ける。
『君は「最初の改変」で、「学校の風紀をよくする」という名目で五人もの同級生の存在を消しているじゃないか。それと何が違うというんだい?』
すぐにナオミの顔が蒼くなった。二の腕を抱き、唇を震わせてケセラをにらむ。
その様子を見たユキナがにやりと笑った。
「なーんだ、ナオさんもそんなことしてんじゃん」
震える肩を叩き、その耳元に囁く。
「一緒のことじゃん、ケセラの言うようにさあ……」
荒い息を吐き、ほとんど倒れるようにナオミは床に座り込んだ。
それを見下ろすユキナに、「あの……」と声をかけるものがいた。
「いいですか、抹消をするとして、ですけど……」
おずおずと、という調子でミヨが学校の教室のように手を挙げる。
「黒須さん、どうします……? もしかしたらあの人、抹消の最中に妨害してくるかも……」
ぱん、と乾いた音が部屋に響いた。ユキナが一つ手を叩いたのだ。
「ミヨちゃん、あんたマジいいこと言うわ……」
恐縮です、とミヨは首をすくめる。
「あ、あいつメッチャ強いよね……。もし、その時に来ちゃったら……」
「あのケンカバカの王子気取りは、確かに厄介だわ」
だから、とソファに座り、ユキナは机の上に足を投げ出した。
「『ディスト』が出てきた時を狙うよ」
「そ、それって……?」
鈍いねヨリコ、と鼻で笑ってユキナは続ける。
「黒須だけ戦わせといて、その間にあたしらで月本を囲んで殺る」
いいよねケセラ? 問われて毛玉は身じろぎもせず応じる。
『方法は君たちに一任しよう』
そしてこう付け加えた。
『私はこの地域の担当端末として、君たちの戦いをやりやすくすることが役目だからね』