片-4
呆気ないものだ。
右手を振り上げて喜ぶペリドットの背中と、その足元に倒れるヘリオトロープを見やり、インカローズはどこか虚しさのようなものを感じていた。
「見た? 見た? あたしが倒したよ! 『ソロリティ』のボスをさ!」
興奮気味に話しかけてくるペリドットに、インカローズは小さくため息をついた。
「『ホーリー・グローリー・ソロリティ』の長姉・ヘリオトロープは、既に10年以上実戦から遠ざかっていると聞く。隠居の身に勝利したことを誇示しても、空虚」
「え? あ、そうなんだ……」
なんだよー、とペリドットは肩を落とした。水を差してしまったか、と少し気の毒になったので、インカローズはなけなしのフォローを入れた。
「他方、太陽の石の名を冠する『ディストキーパー』を、同じく太陽の石たる君が打倒したという事実は絶大。君こそが真の『太陽の石』を名乗る資格ができたと言っても過言ではない」
おおお! と面白いようにペリドットは元気になった。
「よーし、これからは『太陽のディストキーパー』とでも名乗ろうかね」
風属性のくせに? とはインカローズも口には出さなかった。
代わりに、「インガクズ」へと変わっていくヘリオトロープの姿を見やる。
この廊下に降りた時、確かヘリオトロープともう一人の姿があったはずなのだが……。
見回しても、どこにも人影はない。感知能力を使っても、周辺に気配はない。
逃げたか、あるいは気のせいだったか……。
今はそんなことよりも、とインカローズは傍らの部屋、研究室へと向かった。
そして、荒れた室内に倒れた彼女の姿を見つけて、目を見開いた。
「セレニテス!?」
駆け寄ると、仰向けに倒れていたセレニテスはインカローズの顔を見上げて、少し笑った。
「ローズ……。生きてたんだね……」
見捨てちゃってごめんね、とインカローズの頬に触れるその手は震えている。
「でも、生きてたから結果オーライだよね……」
ウフフ、と笑うその声も弱々しい。
「何故……? 何故、もう『臨月』に……?」
仰向けのセレニテスの腹は、バニーガールのレオタードがはちきれんばかりに膨らんでいた。
「分かんない……。限界近かったのは、ブラスじゃなくて、わたし、だったのかも……」
ブラックスターとセレニテスは、ほぼ同時期に「ディストキーパー」になった。インカローズもそのことは聞いて知っていた。また、ブラックスターの臨月が近いことも。
(普通は、こんなことは通告しないんだがね)
臨月の話をブラックスターにしたのは、「エクサラントの使い」だった。
(君は特別に強い。だから、産まれてくる仔も災害級のもののはずだ)
だから、それが生まれた時に対処しやすいよう、心づもりをしておけとその旨を伝えに来たのだという。
この時、同席していたセレニテスは自分の体についても尋ねていた。「インガクズ」の限界量は個人差があるものの、ほぼ同じようなキャリアを辿った二人ならば、同時に臨月を迎えてもおかしくはないためだ。
(君はまだ余裕があるよ。ブラックスターは『気質』が特殊だから蓄積しやすいんだ)
そう伝えられていたはずなのに、あれは毛玉の嘘だったのか? そんな無意味な嘘をつく必要があるとは到底思えない。
それとも、何か別に原因が……?
「ちょっと! セレニテス、どうなってんの!?」
遅れて研究室に入ってきたペリドットが、その腹を見て叫ぶ。
「ペリ! ブラスを呼んできて!」
「え!?」
「早く! 急げ!」
熟語を多用する固さを捨てたインカローズの口調に、ペリドットは弾かれたようにまた部屋を飛び出して行った。
「ありがとう、ローズ……。間に合うかな……?」
「いい。わたしがあなたなら、きっと最期にブラスに会いたいから」
またセレニテスは力ない笑い声を立てた。
「同じ男――いや、女を愛したもの同士の、ユージョーってやつ、かな……?」
だったら一つ頼まれて。インカローズの頬を撫でながら、セレニテスは続ける。
「ブラスとわたしの約束、あんたが引き継いで」
「約束……?」
そ、とセレニテスは自分の膨らんだ腹を見た。セレニテスの呼吸から外れたリズムで、それは脈打っている。
「ブラスの仔が生まれたら、責任もって倒すって約束……」
そんな約束を、とインカローズは息を呑んだ。
「でも、わたし……」
自信持ちなよ、とセレニテスの手は頬をなぞって額に触れた。
「『最終深点』にも達したんでしょ? 分かるよ、強くなったって」
だったら大丈夫。セレニテスの腕が急に、糸が切れたように落ちた。顔が歪み、呼吸が一層荒くなる。
「セレニテス!?」
「限界、みたいね……」
そんな、まだブラスも来ていないのに……。ペリドットは何をしているんだ? あの方向音痴に任せたのはよくなかったのか――。
その時、床の上に黒い影が伸びセレニテスの体に這い寄った。それは膨らんだ腹の上に上り、覆っていく。
「あ、ああ……」
セレニテスの呼吸が収まり、腹の脈動が鈍くなっていった。
「オレの『無明の暗黒』は、『ディスト』の出産も抑えられるらしいな」
「ブラス……!」
ペリドットとラピスラズリを背後に従え、ブラックスターが部屋に足を踏み入れた。真っすぐにセレニテスに歩み寄って、彼女の顔を覗き込んだ。
「セレニテス、お前の方が早いとはな……」
「へへへ……、ごめんね……」
見下ろすブラックスターにセレニテスは力なく笑い返した。
「ラピスも、久しぶり。最期に顔が見れてよかったよ」
「ええ、お久しぶりです。『その時』に間に合いました」
恭しく礼をするラピスラズリに「相変わらずだなあ」とセレニテスはうなずいた。
「最期じゃねえだろ、お前。もっと気をしっかり持て!」
「最期だよ。ブラス、分かってるでしょ……」
ブラックスターは目を閉じて、大きく息をついた。
「ペリ、ラピス、ローズ……」
振り返らなくとも、自分たちの名前を呼ぶブラックスターがどんな顔をしているのか、インカローズには分かった気がした。
「悪いが二人にしてくれるか?」
「……承知した」
だから、インカローズはうなずいて、ペリドットとラピスラズリを伴って部屋を出て行った。
二人きりになって、セレニテスはブラックスターの顔を見上げる。
「何かさ、旅立ったときみたいだね……」
あの時は二人でさ、とセレニテスは目を細める。
「ずっと二人でいるのかな、って思ってたけど、ラピスと会って、スフェーンやクンちゃんや、トリマリンとも会って、ローズも仲間になって……。気付いたら、わたしが名付けた『カオスブリンガー』は、何か大きくてすごいものになっちゃってた……」
「そうだな……」
嫌だったか、と問われてセレニテスはかぶりを振った。
「面白かったよ。色んな子と会えて、旅をして。死んじゃった子もいるし、今は離れてる子もいるけど、みんな大切な思い出で……」
「何だよ、最期みたいなこと言いやがって」
ブラックスターは笑って見せた。
「『臨月』でも、オレの『無明の暗黒』ならこうやって出産を抑えられる。それなら……」
「やめてよ」
違うでしょ、とセレニテスは念を押すように続ける。
「それは違うんだよ。『「臨月」だけど、ブラスに抑えてもらってるからまた旅ができます』って、それはわたしの望んでる旅じゃないんだ」
わたしの気持ちはね。セレニテスはブラックスターの手を取った。
「死にたいんじゃないよ。死にたくないし、『ディスト』なんて産みたくない。ずっとブラスと一緒にいたい」
繋いだ手から伝わってくる震えに、ブラスは息を呑んだ。
「でも、それじゃあブラスは戦えなくなっちゃうじゃない。ブラスに我慢させてまでは、生きたくないんだ。お互いを縛り合うなんて、わたし達らしくないじゃない?」
セレニテスは取った手を自分の胸の上に、左胸の上に置いた。
「だからお願い。ここでわたしを殺して。『ディスト』を産んでしまう前に」
「……それが、お前の望みなのか?」
愚問だった。口にする前からそれは分かっている。セレニテスは、本当のことしか言えない。混じりっ気のない真実の気持ちだ。それでも尋ねずにはいられなかった。
「そうだよ。躊躇うことなんてないでしょ、柄にもない。理由がなくても殺せるのが『カオスブリンガー』なんだからさあ」
理由があるから躊躇ってんだろ。そう口にするのは傲慢のようで、かと言って左胸に影の刃を突き立てることもできなくて。ブラックスターは奥歯を噛んだ。
「それに、いつか言ったじゃない。わたしを月まで連れてって、って」
「……何だよそれ」
あの時もブラスってば同じことを言ってたよ、とセレニテスは声を立てて笑った。
「どこまでもどんな場所にでも、わたしを連れて行ってくれる、暗黒の中でも導く星。それが、ブラックスターなんだから」
どこまでもどんな場所にでも、か。その通りだ。ここまで連れてきてしまったのは、自分のせいなのだ。
彼女が「ディストキーパー」になるのを、もっと強く止めていたら? それよりも以前、あの「最初の改変」の時に「俺を『ディストキーパー』にしろ」と言わなかったら?
お前は本当は「ディストキーパー」になんてなるべきじゃなかった。「最初の改変」なんてしなければよかった。
オレが単純に友達になって、守ってやればよかったのだ。親と対決してやればよかったのだ。そうして少しずつ、あの笑顔の仮面を取ってやればよかった。
そうしたらこんな風に、自分の気持ちに振り回されて人を殺すような「怪物」として、死んでいく未来ではなかったのではないか。漂泊の末に少女の姿のまま死ぬのではなくて、ベッドの上で老いて死ねたのではないか。
旅路の中で、時折考えていたことをブラックスターは反芻する。
その「インガ」の帰結が今ならば。
「――分かった」
ブラックスターは左胸から右手を放すと、その手に影を集めて刃とした。
「お前の手を引いてやれるのは、これが最後だ」
「ありがとう、いつもワガママ聞いてくれて」
まったくだぜ。薄く微笑んで、ブラックスターはその刃を振り下ろした。
◆ ◇ ◆
洋館の外で、庭の花壇の縁石に腰かけていたインカローズが不意に立ち上がった。
「どうしたの?」
「今、セレニテスが……」
皆まで言えず、かぶりを振った。それを見て、問うたペリドットも悟った様子だった。
「そっか……。てことは、『ディスト』出てくんの?」
「その気配はない」
二人のやり取りに一瞥もくれず、ラピスラズリは胸の前で手を組み合わせ、目を閉じている。祈っているようだった。
ほどなくして、洋館の玄関からブラックスターが姿を見せた。
「ブラス……!」
駆け寄ってきたインカローズの頭をポンと撫で、ブラックスターは遠慮がちに近づいてくるペリドットと、ゆっくり歩み寄ってくるラピスラズリを見やる。
「事は済んだ」
端的に、ブラックスターはそう述べた。
「『ソロリティ』の連中はあらかた狩り終えた。こっちも一人死んだが――」
まあよくあることだ。
ブラックスターが、セレニテスの死に対して言及したのはそれだけだった。
「じゃ、次行くぞ。いつまでもこんなとこにいたって仕方ねぇからな」
そう言って、インカローズの顔を見下ろす。
「ローズ、どっかねぇか? 戦えるようになったんだし、お前が決めろよ」
「目的地の希望はない。全体の決断に順ずる」
ラピスは? とブラックスターは水を向ける。
「わたくしも、皆さんの決定に従いますわ」
あの、とそこでペリドットはおずおずと手を挙げる。
「お、ペリ。お前、どっか行きたいとこあんのか?」
「こんな時にどうかとは思うんだけどさ……」
こんな時ってなんだよ、とブラックスターは鼻を鳴らす。
「お前は入って三日だったか。ここらでオレらの流儀を教えといてやる。いつだって理由はいらねぇ、思いついたら即行動しろ、だ」
それでどこだ、と問われてペリドットは「えっと」と頭をかいた。
「御薗市、だったかな。ここの隣の県にある海沿いの街なんだけど、そこにちょっと会いたいヤツがいるんだよね」
「会いたい? 昔の知り合いか?」
「そんな感じ。てかまあ……」
殺したい相手かな。そう言うペリドットの目に暗い光が差す。
「ほう……、いいじゃねぇか。お前の『最終深点』もそれで完成するかもな」
ニヤリと笑うブラックスターに、「多分ね」とペリドットも笑い返した。
「よし、どっちだ?」
「多分、あの山の向こうだよ」
洋館の裏山を指すペリドットに、インカローズは聞こえよがしにため息を吐いた。
「海沿いの街という情報から推察するに、方角は此方」
洋館の門、即ち真逆の方向をインカローズは指す。
「ええ、あちらが海ですわね」
近隣で長らくボランティアに携わっていたラピスラズリも同意したのを見て、ブラックスターは「よし」と門扉の方へ歩き出す。
「行くか、海!」
「ええ、参りましょう」
「ペリは山越えを?」
「しないよ! 意地悪だな、もう!」
歩き出した一行の背、東の空は微かに白み始めていた。昇る朝日に背を向けたまま、「カオスブリンガー」は無人と化した洋館を後にした。
この後一行は、御薗市への道中の川向市にて、巨大な木の実とその中に入っていた「ディストキーパー」に出会うが――、それはまた別の「インガ」の物語である。




