混-11
トオルとマシロが「インガの裏側」から出ると、既に日が暮れていた。
アパートから離れ、二人はトオルがクジラ型と戦った自然公園から現世に戻っていた。
「やったな」
ぽつりとトオルが言った。
「うん……」
小さく返事して、マシロは声を立てて笑った。
『いや、やはり素晴らしい』
そこにケセラが姿を見せる。
『君たちの才能は、私のにらんだ通り豊かなものだった』
うっとりしたようにすら語るケセラの頭部を、トオルはむんずと掴んだ。
「おい、毛玉。それはどういう意味だ?」
「ケセラが、わたしを抹消しろって言ったの?」
どうなんだよ、と揺さぶられると、ケセラは体をよじって高く浮き、トオルの手から逃れた。
『一つずつ答えよう』
まず第一にトオル、とケセラはそちらを見下ろす。
『君の才能、「気質」は私が予想した通り、「インガの改変」を無視できる能力だ』
マシロを勧誘していた時に、ケセラは人払いの結界を張っていた。それが効かなかったのも能力の片鱗だったという。
『あらゆる「ディスト」や「ディストキーパー」の能力を封じる力。「無明の暗黒」――、それが君の「気質」の真の名だ』
次いでマシロ、とケセラは向き直る。
『抹消を選択したのはユキナたちの意思だ。私はそれをシステムとして承認したに過ぎない』
私はあくまで中立だ、とケセラは続ける。
『抹消に反対するだろうトオルに君たちの居場所を教えたし、こうして君たちが自らの才覚で抹消を乗り越え、生き残ったことを嬉しく思っている』
なんだそりゃ、とトオルはケセラをにらんだ。
「じゃあなんだ? ありがとうとでも言えってか?」
「いいよ、トオル」
マシロはトオルの腕にすがって止めた。
「生き残ったし、何だかわたし、とーってもすっきりした気分だからさ」
「お前がそう言うんならいいけどよ……」
納得してくれたようで何よりだ、とケセラはどこか尊大な口調で言った。
「やっぱ一発殴るか……」
「いいってば」
何にしてもだ、とトオルは一つ咳払いをする。
「次『ディストキーパー』補充するってんなら、もっとましな連中を連れて来いよ」
「あ、そっか。皆殺しにしちゃったもんね」
「小豆畑はちょっと惜しかったが、殺しちまったもんはしょうがねぇ」
字面ほどの重みのない会話を二人はかわした。
『いいや、ここの人材を君たちに心配してもらう必要はないよ』
高く浮いていたケセラは、身の危険がないと判断したか、二人の目の高さまで下りてきた。
『君たちにはこの街を出て行ってもらうからね』
「何……?」
「え、仲間殺したから?」
いいや、とケセラは体をゆすった。
『仲間殺しは特に咎めはしない』
抹消とはそういうものだ、とケセラは付け加えた。強いものが生き残り弱いものは死ぬ、狩りのようなものだ、とも。
『君たちの力が強いからだよ。この土地に縛られているのが惜しいほどにね』
「土地を離れてどうすんだよ?」
『各地を旅して回る「ノマド」の「ディストキーパー」になるんだ』
数は少ないが、そういう在り方の「ディストキーパー」もいるのだとケセラは言った。
『旅する中で、様々な「ディスト」と戦うことになるだろう。あるいは、「ディストキーパー」と戦うことになるかもしれない。そうして戦いの中でその才能を伸ばし、もっともっと強い「ディストキーパー」になってほしい』
それが「エクサラント」が君たちに望むことだ。ケセラはそう締めくくった。
「いきなり出てけって言われても、なあ……」
「わたしはいいよ」
どうする、とこちらを見たトオルに、マシロはきっぱりと言い切った。
「こんな街に思い入れなんてないもん。トオルは違うの? それとも誰か、残していきたくない人がいるの?」
トオルの頭に、母親のことがよぎった。
そしてすぐに、母親が連れてきた男のことも思い出された。コブ付きでは再婚しにくいのだろうか、と考えたことも。
「ケセラ」
トオルは白い毛玉を見つめた。
「オレがこの街を出るなら、オレのことをお袋の記憶から消してくれるか」
『もちろんそのつもりだよ、と言えば角が立つが……』
承ったよ、とケセラは体を揺らした。
「なら、何の問題もない」
きっとあの男なら、母親を殴ったりはしないだろう。ならば、もう自分の出る幕はない。
いや、そんなものは「ディストキーパー」になった時にはもう終わっていたのだ。
これからトオルがせねばならないのは……。
「マシロ、一緒に行こうぜ。どこまでも旅をしよう」
「やった!」
マシロは飛び跳ねて喜んだ。
「これでずっと、二人一緒だね」
その頭を、トオルは優しく撫でてやった。
旅立ちは翌日の夜となった。マシロが「整理をつけたいことがある」と言ったためだった。
待ち合わせ場所の、街外れの高台にある公園で、トオルはその到着を待っていた。
この公園からは、街のほとんどが見渡せる。星の見えない曇った夜空の下、手前には白い人家の灯りがぽつぽつと光り、遠くには繁華街のネオンが見える。
夜の帳が降りた街並みを見つめても、感慨は湧いてこない。住んでいたのは3年ほどで、ほとんどがケンカの記憶で塗りつぶされている。
それよりも、これからのことが頭に渦巻いている。
「ごめーん、お待たせ」
スーツケースのタイヤの音を響かせながら、マシロが姿を見せた。
「えらい荷物だな」
手ぶらのトオルは呆れたように、マシロの押すスーツケースを見やる。底に四つの車輪がついた、海外旅行に使うような大きさだ。
(『ディストキーパー』は食事をとる必要はない。宿泊は『インガの裏側』の人家を使うといい。服に関しては――まあ、少々ならば『インガの改変』で誤魔化そうじゃないか)
ケセラがそう言っていたので、トオルは何の荷物も持ってこなかったのだが。
「ああ、これ? これはね、途中で捨てるから」
何が入ってるんだよ、と言いかけてトオルはやめた。
愚問だからだ。整理をつけたいことも、概ね想像できる。聞く必要はない。
「でも、残念だね。旅立ちには暗い空だ」
「いいじゃねぇか。どんな日だって、思い立ったら吉日だぜ」
それもそうだね、とマシロはトオルに向き直った。
「あのね、思ったんだけど、これからはわたし達『ディストキーパー』として生きていく感じじゃない?」
食事もとらない。住処は「インガの裏側」。学校も親も関係なく、ただ戦い続ける。それが、これから「ノマド」になる二人の生き方となるのだ。
「つまりね、トオルでもマシロでもなくなるの。かと言って、この街の『ディストキーパー』の名前も違うじゃない。シトリンとかオニキスとか、わたし達に合ってないよ」
そういうもんか、とトオルは今一つピンときていなかった。そもそも、オニキスなんて名前に馴染みはなかったし。
「だからね、名前、新しくしよう?」
自分でつけるんだよ、とマシロは楽しげだったが、「どうもな」とトオルは首をかしげる。
「嫌なの?」
「嫌じゃないけどよ……。オレ、こういうのは得意じゃなくってな。お前が付けてくれよ」
「だと思って、もう考えてあるよ」
自分では考えないタイプだって知ってるもの、とマシロは笑った。
「まずね、わたしはセレニテス。金運の石なんかじゃない、月の名前を持った友愛と守護の石」
そして、と彼女は目を覗き込むようにして言った。
「君は、ブラックスター」
ダイオプサイトという天然石の中でも、黒く星形の輝きが入っているもののことをそう呼ぶのだと説明して、こう続けた。
「どんな暗闇の中でも、わたしのことを導いてくれる星だから」
ブラックスター、黒い星か。「えへへ」と照れたように笑う彼女にうなずきかける。
「いいぜ、気に入った」
そう言って右手を取った。
「行こうぜ、セレニテス。旅立ちだ」
「喜んで、ブラックスター! わたしを月まで連れてってね」
何だよそれ。ブラックスターとセレニテスは笑い合い、こうして歩きだした。
星のない夜空の下、混沌に満ちたその旅路に向かって。