混-10
「あんた、何でここが……」
ユキナはチェーンを解いてマシロをナオミの方に突き飛ばした。ナオミはマシロの体を抱き留め、逃げられないように押さえ込む。
「毛玉が言うんだよ。お前らが、マシロを抹消しようとしてるってな……」
よくもまあそんなリンチをやりやがるもんだ。トオルの様子は、平時と変わらないようにも見える。だが、そこから発せられる気配は刃物のように鋭い。
「タイマンでやり合うならともかくよぉ、四対一はちょっとばっかり目に余る……」
オレも相手になってやるぜ。
トオルが背中に負った棒の柄に右手をかけた。発せられる気配、殺気が強烈に増した。思わずユキナは生唾を飲み込む。
「う、うわぁあぁ!!」
トオルから最も近い距離にいたミヨが、その気配にあてられたか、悲鳴を上げて榴弾砲を放った。
放たれた弾丸はトオルに真っすぐに飛び、しかし命中する寸前に消滅した。
「え……?」
「小豆畑、だからビビりは治しとけって言ったんだよ」
困惑するミヨに、トオルは棒を一閃した。
ごとり、と重たい音がした。床に、ミヨの首が落ちたのだ。
「ひゃぁああ!?」
遅れて倒れる胴体を見、ヨリコが泡を食って逃げ出そうとした。
背を向けたヨリコに、トオルはまた棒を一閃する。
ヨリコの首は大きく飛び、天井に当たって転がっていった。
「あ、あれは……」
瞬く間に二人の命を奪ったトオルの武器。あれは棒なんかではなかった。
闇色の鋭い刃のついた、大鎌だ。それを担ぐトオルの姿は、まるで――
「死神……!」
「ナオミィ! さっさと月本殺せェ!」
半狂乱で叫ぶユキナの声に、ナオミは我に返った。
ともかく抹消だ。秩序に反するものを抹消しなければ。
ナオミはブーメランを振り上げ、マシロの首を狙う。
「な……!?」
「は……!?」
突然、ふわりとナオミとユキナの体が浮き上がる。二人とも体を動かし逃れようとするが、両手足が何か大きな腕のようなものに握られているようで上手く動かない。大の字に広げられ、天井に磔にされた。
「トオル……」
ゆっくりと、ナオミの腕から逃れたマシロが立ち上がる。
「来てくれて、ありがとう」
にっこりと笑うその顔の、瞳が赤く光っていた。手首の腕輪も同じ色に光っている。
「こいつが、お前の力か?」
浮き上がったままどうすることもできないユキナとナオミを見上げ、トオルは尋ねる。
「うん。何だか、戦えるようになったみたい」
よかったー、とマシロはゆっくり天井の二人を見回す。
「この、クソ、下ろせ、下ろせぇ!」
悪態をつき叫ぶユキナの方を向き、マシロは右腕を軽く上に動かした。
「おろしゃぶっ!?」
磔の体が天井に叩きつけられ、更にめり込んだ。
今度は、マシロはナオミの方に向き直る。
「つ、月本さん……、やめよう、ね、やめようよ……。戦えるようになったんだったら、ね、大丈夫だから、ほら、ね……」
先ほどまでの決意に満ちた瞳は、今や動揺しぶれていた。
「み、みんな仲良くして、でないとぉ……!?」
マシロは何も言わず、左腕を下に動かした。床板が破れるほどの激しい勢いで、ナオミは床に叩きつけられた。
左腕を上に動かすと、ふわりと床からナオミの体が浮き上がる。
「や、やめ……」
今度は左腕を上に動かすと、ナオミは天井にめり込むほどに叩きつけられた。
「あは……!」
赤い瞳を見開いて、マシロは笑った。笑ったまま、また腕を下に動かした。
ナオミが床に叩きつけられる。次はまた腕を上に動かした。
ナオミが天井に叩きつけられる。するとまた腕を下に動かした。
上、下、上、下、上、下、上……、マシロが腕を上下させるたびに、ナオミの体は弾むボールのように天井と床を往復した。
何十回と繰り返す中で、どんどんその速度は上がっていく。
ナオミの体は衝撃でグズグズに崩れ、そして最後には「インガクズ」の塵となって消えた。
「ひ……」
天井に磔にされ、一部始終を見せられていたユキナの口から小さな悲鳴が盛れた。
マシロはまた、ゆっくりとユキナの方を向く。
「や、やめろ……。いや、や、やめて……、やめてください……」
じっとマシロは、みっともなく命乞いをするユキナを見つめている。
「ほら、友達! 友達だったじゃん! だからさ、許して、許してくださ……」
「お前なんか昔も今も友達じゃないよ」
マシロは右手で拳を作り、ユキナに向けた。そして、じわじわと手の平を開いていく。
「あ、あああぁぁああっっ……!」
指が開かれるごとに、ユキナの口から悲鳴が上がる。
マシロが拳を開くにつれて、ユキナの両手足が引っ張られ、千切り取られていくのだ。
肉と骨のきしむ音とユキナの悲鳴がこだまする中、マシロはそれを楽しむようにゆっくりと時間をかけて拳を開いていく。
「やが、あ、あああ、ああああぁあああぁぁぁ……」
ユキナの悲鳴が弾き絞られた弦のようなか細いものに変わった。
「ばあ……!」
マシロは一気に指を広げた。ユキナの胴体と断裂した四肢が床へ落ちた。
バラバラの体は、「インガクズ」となって消えていった。
自分の気持ちなんて意味のないものだ。月本マシロは、幼いころからそう思っていた。
市議会議員の父親は、マシロのことを厳しくしつけた。少しでも自分の意に沿わないことをすると怒鳴りつけ、時には手が出た。
怒られて泣いていると、余計に怒鳴られる。「自分を可哀想などと思うな」というのが、そういう時の口癖だった。
(お前は恵まれているんだ。親の俺が代議士をやっているお陰で、衣食住に困ることはないからな。そんな家のお前が、どうして可哀想なものか。この世にはもっと恵まれない人間がいる、もっと泣きたい人間がいる。この世のみんなが、泣いているお前のことを許さない)
だから笑うことにした。笑っていれば、父親の機嫌はよかったから。
(そうだ、愛想よくしろ。食べ物にも着る物にも住むところにも困りたくないだろう? だったら愛想よくするんだ。そうしたら、俺はずっと議員でいられる。選挙の時ほどにこにこしろ。幸せそうにしろ。笑顔を振りまいて、票を集めるんだ――)
笑うことに、最早意味はなくなっていった。苦しい時にも悲しい時にも笑っていたら、喜んだ時や楽しい時にどんな顔をしていいのか分からなくなっていった。
笑顔の仮面を、かぶっているようだった。
小学五年生ごろから、友達がいなくなった。
多感な時期を迎え始めた同級生たちは、いつも笑っていても楽しいわけではないマシロのことを、敬遠するようになっていったから。
学校で孤立するマシロに、家庭では父親が怒った。
(どうして友達を作らない! 俺の娘に友達がいないと知れたら、評判に傷がつく! どうにかして友達を作れ!)
ある日学校に行くと、何人かの女子たちが露骨に優しくしてきた。
(今日はどんな気持ち? 学校楽しい?)
(宿題どうだった? 多分月本さんなら簡単だよね?)
(その服かわいいね。いつもおしゃれだもんね)
ああ、この子たちも。
たくさんの笑顔に囲まれながら、同じ笑顔をマシロは周囲に向けた。
心にもないことを言っている。言わされている。わたしと同じように、仮面をかぶらされて。
父親が、彼女らの親に金を積んでいたことを知るのは、中学に上がってからだった。
とりわけ、父親が熱心に金を渡したのは、木村ユキナの家だった。
木村ユキナは、どんな時でもグループの中心におり、そのグループはクラスの中心になる女子生徒だった。
一方で、ユキナの家はあまり裕福ではなかった。だからこそ、マシロの父親は目を付け、金を積み、自分の娘を彼女のグループに入れたのだ。
(お前は友達を金で買ってんだよ)
かつて、ユキナに面と向かってそう言われたことがある。
(お前の親父がうちに金入れてるから、あたしはお前の友達ってことになってんの)
そうじゃなかったらお前なんて。
顔を近づけ凄まれても、マシロは笑ったままだった。当惑していたし悔しかったはずなのに、それ以外の表情を作ることができなかった。
(チッ、いっつもへらへらしやがって……!)
突き飛ばされ、強か壁に背中をぶつけても。やっぱり、表情を歪めることさえできなかった。
ユキナとの友達づきあいは、常に間に父親の金が横たわっていた。
父親の払った金でユキナたちは買い食いをし、マシロはそれを遠くから眺めるのだ。
輪の中に入れてもらえるが、それだけ。
お前は違う。お前は本当の友達じゃない。ただの金づる。
そういう扱いを、ユキナはグループ内で厳命しているらしかった。
更に、金づるを引き留めるため、他のグループがマシロに声をかけるのを邪魔さえしていた。
ユキナはひどく悪辣で、エゴイストで、とても人望があるようには見えないのに、彼女の周りには人が絶えなかった。
今から思えば、ユキナが強固なグループを築けていたのは、彼女の人間的な魅力ではなく、「ディストキーパー」になった際の「最初の改変」によって作られたものだったのだろう。
何もかもが、偽物なのだ。
鏡に映った虚像で、照り返す月光だ。
だから、もう嘘はたくさんだった。
仮面をかぶせてくる父親、金で買った友達、感情をどう表現していいか分からない自分。
黒須トオルが現れ代わりに戦うと言った時、ケセラがそれを受け入れ自分に願いを聞いた時。
マシロは願った。
(自分の感情を自由に発せられる人間になりたい。感情のままに行動してみたい――)
当たり前の人間になりたい、と。