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悪役令嬢の生き様  作者:
番外編
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カザン王女ファティマ 2

 前世(まえ)との違いはそれだけではない。多くはグランヴィルに行った後に知ったことだが、特にシルフェリアの歴史が前世(まえ)と大きく異なっていた。


 王太子妃はアヴェルチェヴァの王女だったはずなのに、王太子殿下の婚約者は国内の貴族令嬢。


 とっくの昔に『灰色の悪夢』で死んだはずの王弟妃とグランヴィル王妃は今なお健在。


 『ベーレンドルフの災厄』の遠因とされる遊び人のベーレンドルフ侯爵(今はまだ跡取りだが)は真面目。


 そのことが、ファティマには嬉しかった。異分子(イレギュラー)がいたのか、神の気まぐれによるものなのかはわからないが、前世(まえ)と同じように歴史が歩むとは限らないということが。



「媚薬ならぬ媚筆か。兄上も大変だな」


「名付けて『色欲の悪魔』だそうだ」


 次期国王である兄の妃の座を狙う令嬢は多い。この万年筆はそんな令嬢の一人から贈られたものだとか。


「触るなよ。触れるだけで淫欲に塗れる」


「……兄上もそうだったのか?」


「ああ。が、ラシャドに殴られて正気を取り戻したので、そこまで効果はないものだったようだ」


 『色欲の悪魔』だなんてふざけた名前からして効果はなさそうだ。『色欲の悪魔』はシルフェリアの建国王が祓ったとされる、伝説の世界の住人。ふざけすぎだ。


「とはいえ、王太子(おれ)を狙った物をそのまま放置というわけにもいかない」


 カザンの王族に伝わる掟では、『忌物』は遠地に封印することになっている。海に投げたり、地に埋めたり色々だが。


「お前はシルフェリアの王立学院に通っている。『色欲の悪魔』はシルフェリアのもの、そう考えてもシルフェリアに埋めるべきだろう」



 あの媚薬ならぬ媚筆が本物の『色欲の悪魔』だと知ったのは後日ヴィルヘルム殿下に説明されてからだった。『忌物』の封印使を立てる金と手間を面倒臭がった兄に感謝だ。


 今思うと、いくら母の所業に衝撃を受けていたとはいえ、あの真面目な兄が酒色にふけるなどおかしな話だ。『色欲の悪魔」に憑かれていたのかもしれない。ヴィルヘルム殿下によれば、悪魔は人の心の隙に取りつくのだとか。兄弟を喪った心の隙に、悪魔が忍び込んだのか。


 前世では優しいばかりだった兄だが、今世では若干皮肉屋な面もある。いや、前世もそうだったのだろう。ファティマが気付いていなかっただけで。甘やかすばかりだった、前世の兄が嫌いだったわけではない。だが、今の兄の方が好きなのも事実だった。


「おかえり、ファティマ」


 夏季休暇を迎えカザン王宮に戻ると、ラシャドが優しく微笑んでいた。


「ラシャド兄様」


 いつものように、二人で庭を散歩する。池のほとりに立つと、ラシャドがぽつりとつぶやいた。


「ファティマ、すまない」


「……ラシャド兄様?」


「俺と君の婚姻が決まった。陛下のご決定だ」


 心の中で父親を呪う。今までさんざん「然るべき年齢(とし)になったら寺院に入る」「一生誰とも結婚しない」と主張していたというのに。


 だけど、一つ分からないことがある。何故ラシャドが謝るのか。ラシャドはあの子煩悩(バカ親父)に巻き込まれた被害者なのに。


 ファティマの考えていることが分かったのか、ラシャドは悲しそうに笑った。こちらの胸まで痛くなってくるような、切ない微笑みだった。


 もう彼がこんなに悲しそうに笑わなくてもいいように、ファティマはこれまで頑張ってきたのに。


 ファティマが自殺しようとしたあの時と、どうして同じ顔になるのだろう。


「だって君は、俺が嫌いだろう?」


 呼吸が止まる。何を言っているのかわからない。


「隠さなくてもいい。()()()から、君は俺を避け始めた」


 ()()()――。ファティマが前世を思い出した日。


 避けたのは事実だ。いずれファティマを飲み込む不幸の渦に、ラシャドを巻き込みたくはなかった。もちろん全力で回避するつもりだが、何事にも絶対はない。


 それに、ファティマが慕わなければ、ファティマよりずっと美しく優しく、ラシャドに相応しい女性と結婚できるはず。


 だからあの日、ファティマは己の恋心に蓋をした。


「すまない、ファティマ。俺を嫌いなままでいい。俺の花嫁になってくれ」


「……(いや)だ」


「これは陛下の命令だ」


 湖面のように凪いだ瞳には、かつては優しさしか見つけられなかった。だが今、ラシャドの瞳には情欲の(ほのお)が揺れている。


 知らない。こんなラシャドは知らない。恋に恋していた前世(まえ)のファティマは。



 数年前、ファティマは庭で(うずくま)って泣いていた。


「ファティマ、なんで泣いているんだ?」


「泣いてない」


「口調をバカにされたんだろ」


「知ってるなら聞くな」


 この時期のファティマは、口調を男らしいものに変えたばかりだった。父も母も兄も「元に戻せ」と言う中でラシャドだけは何も言わなかった。


「俺はいいと思う、そのままで」


 ファティマの考えていることなんてラシャドにはお見通しなのだ。ポンポンと頭を撫でられ、反抗する気も無くなる。


「陛下たちもきみの口調が嫌なわけじゃない。きみの口調が苦しんでいるようだから嫌なんだ」


「……?」


「ファティマ、きみは何かに苦しんでいる。誰にも言えない苦しみを抱えている」


 びくりと震えたファティマに、ラシャドは優しく笑った。焦がれるほどに愛している、優しい微笑みを向けた。


「無理に聞き出そうとしてるわけじゃない。話したくなったら話してくれ」


 あの日、ファティマは前世のラシャドではなく――目の前にいるラシャドに、改めて恋をした。



「バカバカバカバカ、ラシャド兄上の鈍感頓珍漢! 読心術でも持ってるのかってレベルで人の心を読むのに、そんな阿呆な勘違いを何故するんだ」


 突然の罵倒にラシャドは目を剥く。


「私がラシャド兄上を嫌いになるわけないじゃないか!」


 恥も外聞もかなぐり捨てて、鍛えられたその体に抱き着く。硬直したラシャドの瞳をまっすぐに見つめる。


 ラシャドを不幸にしたくなかった。ラシャドに笑っていてほしかった。その末の行動が、ラシャドを悲しませるなんてあってはならない。


()()()()()()()()()()()()()。あの言葉は、今でも有効か?」


「……もちろんだ」


 全て話した。前世なんてトチ狂ったことを言うわけにはいかないので、夢で見たということにした。


「やっと苦しみを明かしてくれたな。一芝居打った甲斐があった」


「はあっ!?」


「いや、芝居というより賭けか。本当に嫌われている可能性もあったからな」


 飄々とそう抜かすラシャドの腹を殴ったが、ファティマの力ではラシャドの逞しい腹筋に対してダメージは与えられなかったようだ。



 卒業後、ファティマとラシャドの結婚式が盛大に執り行われた。


 親友でもある賢王ジャマールに重用されたラシャドには「妾でもいいから」と数多の貴族が娘を差し出そうとしたが、ラシャドはファティマ以外には見向きもしなかったという。


「あんな乱雑の口調の女性のどこが良いのですか!」


 そう憤慨する貴族の男を、ラシャドは一笑に付した。


「凛々しい女神のようだろう? 俺はあの時から、一層彼女を好きになった」

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