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悪役令嬢の生き様  作者:
番外編
55/57

【IF】王弟オスカーの煩悶 3

「閣下の所為です! 閣下が奥様を別荘なんかに送ったから!」


 いつも小憎らしいほど冷静なハンナの取り乱しようこそが、ベアトリクスの身に起きていることを証明していた。


 それから()ぐに討伐隊を組織し賊を捕らえたが――ベアトリクスは賊に囚われてはいなかった。唯一の希望を失い、生ける屍として暮らしていた日のこと。


 騎士の一人が、街で奇妙な話を聞いたと報告してきた。


「森に暮らす薬師が、記憶喪失の女を保護したらしいのです。記憶喪失ならば城に帰って来れなくなっても不思議ではありませんし、あの森は例の別荘の途中にあるものです。関係ないかもしれませんが……」


 藁にも縋る思いで、その薬師を訪ねた。薬師を手伝って薬草を摘んでいたのは、他ならぬベアトリクスだった。「頭に怪我をしているから気遣うように」「無理に記憶を取り戻させるな。混乱する」と口煩く言ってきたので、お人好しなのだろう。オスカーは何度も薬師に頭を下げ、戸惑うベアトリクスを馬車に乗せて森を後にした。


 それからは、繊細なガラス細工のように大切に扱った。前とは違い、出会ったばかりの時のように微笑みかけてくれるようになった。――だがかつての愚かな自分をベアトリクスの記憶から消そうなどという考えが甘かったのだ。


「ベアトリクスの記憶なら戻ってるわよ。今は私の知り合いの家で匿って貰っています。レオンハルトとハンナも一緒だから心配しないでちょうだい」


「義姉上! どういうおつもりですか!」


「あなたに怒る権利があると思っているの? 愛人をこさえているという噂、私と陛下の耳まで届いていてよ」


「……私の気持ちについては、義姉上もご承知の上だったのではないのですか」


「あら、人の気持ちなんて変わるものですしね。陛下は嘆いておいでよ。これではヴェルトハイム侯爵に合わせる顔がないと」


 しれっと嘯く義姉を睨みつけると、鋭く睨み返された。年の離れた姉のようなこの人には、大の大人であるオスカーも強く出られない。「アリアのこと、ベアトリクスは愛人だと思ってるわよ。ハンナもね」


 いつのまにか義姉と交流を持っていたらしい侍女は、ちゃっかり「奥様をあの男から救い出してください」と要求していたらしい。


「ですが、アリアは」


「知ってるわよ、お異父姉(ねえ)さんなんでしょう。でもベアトリクスが愛人だと思っていれば愛人なの。きちんと説明をしなければ一生このままよ」


 物理的に引き離されているのは説明を怠ったペナルティらしい。ベアトリクスを悲しませた罰として探し出す手間ぐらいは差し出せとのことだ。


 かなり時間がかかったが、ベアトリクスは戻ってきてくれた。お腹には二番目の子がいるらしいので、その子に助けられた部分も大きい。……夫として失墜した信頼は、地道に取り戻していかなければ。


 それからは、妻と子を何よりも大切に慈しんだ。努力の甲斐あってか、ベアトリクスも記憶喪失中のような微笑みを向けてくれるようになった。


 幸せだった。この世界の誰よりも、自分こそが幸せな男だという自信があった。


 ベアトリクスがあの憎々しい『灰色の悪夢』によって天に召されるまでは。



 わかっていた。特効薬であるバル草はすべての民に平等に配るべきで、王弟妃といえど一人の人間に多く渡すわけにはいかないことも。義理の妹であるベアトリクスを大切に思ってはいても、国王としてそれは許されないことだということも。誰よりも王に相応しく努力しているあの人が、そんなことは出来ないということも。


 それでも、恨みは留まらなかった。あの薬がもっと多くあったなら、ベアトリクスは今も笑ってくれていたのかもしれないのに。


 劣等感はあっても、異母兄(あに)への妬みは封じ込めていた。難しい立場のオスカーを何くれとなく庇ってくれた兄を裏切ることだけはすまいと。ベアトリクスが隣にいてくれた頃は、劣等感すらほとんどなくなっていたというのに。


 敬愛していた兄と義姉。可愛く思っていた甥ヴィルヘルム。彼らが笑い合う姿を見る度、オスカーの心は引き裂かれるような心地だった。オスカーが失ったものを、兄は手にしている。


「妃殿下が亡くなったのは兄君が助けてくれなかった所為でしょう」


 黒ローブの怪しげな男に言われるがまま、壷を受け取ってしまったあの時――歯車は完全に狂った。兄への恨みと妬みはいつしか、憎しみへと変わっていった。


「この、愚か者が……!」


 反乱を起こして失敗し、氷のような無表情で見下ろす兄を見て覚えたのは、一抹の申し訳なさだった。


 知っている。兄の無表情はいろいろな感情を抑えてのことだと。


 知っている。信頼していた友人に裏切られた時、どこまでも冷たい表情だったことを。


 知っている。友人が断頭台に上った時すらも、その表情は変わらなかったことを。


 知っている。処刑が終わった後、一人自室で嗚咽を漏らしていたことを。


 誰よりも王に相応しく、誰よりも誇り高いこの人は――思いのままにふるまうことなど自分に許してはいけないのだと。


 レオンハルトとフーベルトは貴人幽閉用の塔に閉じ込められ、一生出ることはないという。殺されずに済んだのは、兄の恩情、王族であるということ、あまりに幼いという三点だろう。


 死の間際に思い出したのは、ベアトリクスの微笑みだった。

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