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悪役令嬢の生き様  作者:
番外編
53/57

【IF】王弟オスカーの煩悶 1

 たとえ世界の全てが己を(さげす)もうと、彼女さえ微笑(わら)いかけてくれるなら、それでよかった。彼女さえ――いてくれたなら。



 オスカーがベアトリクスと出会ったのは、先王の葬儀でのこと。真っ黒な喪服を(まと)っていても、菫色の髪に縁どられた可憐な美貌は隠せてはいなかった。恐らく一目惚れだったのだろう、と今なら分かる。当時は分からなかった。体内を駆け巡る不可思議な感情を持て余して、唯彼女を食い入るように見つめることしか出来なかった。


 それから数年が経ち、ベアトリクスは社交界にデビューし、瞬く間にシルフェリアの華になった。当然だ。彼女はあんなに美しいのだから。「菫の姫君」だの何だのと浮かれる連中に対し、理由も分からず苛立ちを覚えた。


「良いではないですか。是非一曲」


「いえ、ですから……」


 シャウムブルクのぼんくら息子がベアトリクスをしつこく誘い、彼女を困らせていた。周囲も同情的な視線を送っていたが、助ける者はいない。腐っても彼は「シルフェリアの四強」シャウムブルクに連なる者なのだから。ベアトリクスの家・ヴェルトハイム家も国内有数の名門だが、家格的に逆らい辛いのだろう。


 じりじりと後退する内、ベアトリクスとぼんくら息子は庭に出てしまった。夜会の庭は、招待客があられもない行為に興じることがある。彼女の身が心配になって、オスカーは後を追いかけた。


「おやめください、シャウムブルク卿!」


「何を遠慮しているんだ。シャウムブルクの一族になれるんだぞ。光栄に思え」


 オスカーにしてみればぼんくら息子はなよっちい男だが、それでも男だ。ベアトリクスの細腕では抵抗できまい。嫌がるベアトリクスの口を塞ごうとしたぼんくら息子に、オスカーの中で怒りの炎が轟々と燃え盛り――気づけば、ぼんくら息子の腕を捻り上げていた。


「何を……! オスカー王子!」


「嫌がる女性を無理矢理手籠めにするなど、男の風上にも置けぬぞ」


 ぼんくら息子の顔が怒りで真っ赤に染まった。


「何を仰るのです。ヴェルトハイム嬢は恥ずかしがっているだけだ」


「とてもそうは見えなかったが」


「この私の相手ができるのです、栄誉なことでしょう」


「権勢ある男の愛を受けることが全ての女性にとっての幸せだと――本当にそう思っているのか?」


 オスカーの冷たい笑みに、ぼんくら息子は背筋を凍らせた。オスカーの母は流浪の踊り子で、珍しい踊りがオスカーの父の興味を引き寵を受けた。後宮には多くの女性が居たが、子を産んだ側室はオスカーの母だけ。母は側室たちの嫉妬を一身に受け、若い身空でこの世を去った。


 母を愛していた筈の父は、側室たちの背後にある貴族家を恐れて母を助けなかった。王太后――当時の王妃――は母を苛めはしなかったが助けもしなかった。心底、興味が無かったのだろう。


 父の(ねや)に呼ばれた時、母には既に夫も子もいた。妻を寝取られまいと抵抗した夫を、侍従長が騎士に命じて(なぶ)り殺させたのだと、後で知った。それから、「従わなければ今度は娘を殺す」と脅した。後宮に入って、母は娘とも離れ離れになってしまった。


 母のことはぼんくら息子も知っていたらしい。引きつった笑みを浮かべて、退散していった。


「……あの、オスカー王子」


 春の陽だまりのように暖かで、風の囁きのように静謐で、ひとひらの雪のように儚げな声がオスカーの名を呼んだ。視線を向けると、ベアトリクスは可憐な笑みを浮かべた。


「助けてくださって、ありがとうございます」


 よく見ると、ベアトリクスは震えていた。あのような不調法な男に襲われかけたのだ、無理もあるまい。


「……もし良ければ、兄君のところまで送ろう」


 ベアトリクスは一瞬、驚いたような顔をして――次の瞬間、嬉しそうに「ありがとうございます」と微笑んだ。



 夜会から数日後、ベアトリクスからお礼の言葉をしたためた手紙が届いた。(ボタン)に添えて送られた、流麗で繊細な筆致をオスカーは幾度も幾度も読み込んだ。


 想いを自覚したのは、(ボタン)の返礼を義姉に相談した時のことだった。


「その人のことがとても好きなのね」


 義姉の言葉は、オスカーの胸にすっとしみ込んだ。この正体不明の衝動は「恋」だったのだと、初めて分かった。そして直後、絶望した。この恋が叶うことはない。


 ヴェルトハイム家は、シルフェリア建国以前から王室に仕え――その血脈を連綿と守ってきたことに強い誇りを持っている家だ。踊り子の女が産んだオスカーに対して、以前から当たりがきつかった。増して娘との結婚など、絶対に認めてくれないだろう。いやそれ以前に、自分如きが彼女の愛を得られるはずもない。聞けば、従兄にあたる北国の王太子とも親しくしているという。


 金色のリボンを贈ったのは、如何(どう)してだろう。彼女の菫色の髪に映えると思ったからか。オスカーは異母兄(あに)異母姉(あね)たちのような黒髪ではない。灼熱の太陽の色だ。自分の愚かな恋心の結露を、少しでも彼女に知ってもらいたかったのか。


 ある日の夜会で、オスカーが贈ったリボンを身に付けている彼女が目に入った。オスカーを視界におさめるなり、雪解けのような笑みを浮かべてくれた。オスカーの胸は甘く疼き――彼女しか目に入らなくなってしまう。いや、ずっと以前からそうだったのかもしれない。


 夜会で会った時に一言二言話すだけの関係だった。だが危険な芽は摘むに限ると、ヴェルトハイム侯爵が直々に王宮を訪れた。


「あの子のことは随分と箱入りに育てましてね」


 名家の血統を守り続けてきた男は、苦々しげにオスカーを睥睨した。


「家族以外の男と殆ど交流がなかったものですから、少し逆上(のぼ)せているのでしょう」


 娘と距離を取れ。言外にそう言われているのは、はっきりと分かった。だがこんなことで諦められるぐらいなら、最初から恋などしていない。


 妾腹の王子として、身の程は弁えていた。異母兄(あに)は気にかけてくれたが、オスカーに己の領分を犯す気など更々無かった。


 だが、彼女だけは欲しい。彼女だけでいい。オスカーの最初で最後の我儘(たのみごと)に、異母兄(あに)は条件を付けた。


「我が国の領土を侵犯せんと虎視眈々と狙っている北の騎馬民族を制圧せよ。期限は一年だ」


 危ない場面は幾つかあった。だが、もしこれに成功すれば、ベアトリクスが妻になる。そう思えば、辛くなど無かった。


 騎馬民族を国境遠くまで追い払い、王都に凱旋した日――ベアトリクスとの婚姻が決まった。

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