霊
その日の明け方、地下牢に何者かが侵入したと知らせを受け、わたしはヴィルヘルム様と共に現場に急行した。「恐らく『魔女』や『七つの大罪』と関係がある。捕縛に関与した以上ロッテも付き合いなさい」と陛下に言われたので。
「やめてくれ……」
逮捕の瞬間すら皮肉気な笑みを崩さなかったという宰相が、絶望の涙を流していた。
「私はどうなってもいい。お願いだから、リナにだけは手を出さないでくれ……!」
宰相の前に立っていたのは、宰相のたった一人の孫娘――カタリーナ嬢だった。
◇
宰相は早くに一人息子を喪い、手元にはまだ乳飲み子だったカタリーナ嬢だけが残された。生来病弱だという彼女を、宰相は掌中の珠として殊の外慈しんだとか。
いつの間にか宰相は牢の外に出ていたが(恐らく『魔女』の仕業だろう)、彼は逃げ出そうとはせず――目の前の虚ろな瞳をしたカタリーナ嬢に気を取られているようだった。
「これがお前への最大の罰。最愛の孫娘に、目の前で自死されればお前は地獄の苦しみを味わう! あっはっは! あはははははは!」
体が弱いカタリーナ嬢は、めったに人前に出ることはなかった。だから姿を見ることも稀だったけど、これはどう考えても若い少女の声ではない。傍らのヴィルヘルム様の顔がさっと青ざめる。
「おばあさま……?」
そうだ。この年齢を感じさせない、ぞっとするほど美しい声は。
「いい気味だこと! お前のせいで私は好きでもない男に嫁ぐ羽目になった! お前が出世の道具に、私を売ったからだ! 全部お前の所為だ! 私が不幸になったのは、全部全部お前の所為だ!」
狂ったように叫び続ける、この女性は。
「殺してやる! 今すぐ地獄の業火に焼かれる方がずっといいと思うほどの絶望を、お前に味わわせてやる!」
国王の軍に捕まる前に自殺したという、王太后さまだ。
「やめろ! いっそ儂を殺せ!」
カタリーナ嬢――否、王太后さま――はニンマリと笑った。
「それでは何も面白くない。お前は生きて絶望を味わえ!」
その手に持っていた短刀で首を搔っ切ろうとしたその時、ヴィルヘルム様が動いた。
「何をする、小僧……!」
「小僧も何も、貴女の孫ですが。もうお忘れになってしまいましたか、おばあさま」
ヴィルヘルム様が素早く短刀を叩き落し、腕を捻り挙げたのだ。
「淑女の身体に無体なことはしたくない。できればおとなしく彼女の身体から出て行っていただけませんか」
「はっ! そんなことをしては私の復讐は叶わぬ!」
「そこまでだ、母上」
厳かな声とともに入ってきたのは国王陛下だった。後ろには王妃様もいらっしゃる。その後ろには、痩せてはいるが程よく筋肉がついている青年が心配そうにカタリーナ嬢を見つめていた。今にも飛び出しそうなのを、傍らのアヒムに抑えられている。
「母上。俺は今まで、宰相との争いにばかり注力してきた。……だが、貴女の苦しみを止めてやるのも、俺の役目なのかもしれない」
公式の場では「余」である一人称が「俺」になっている。国王ではなく、息子として話をしているのだとわかった。
「何を……」
「血を分けた息子としての、役目だ。アヒム」
「は」
アヒムが前に出て、カタリーナ嬢――今は王太后さま――の前に跪いた。
「テレジア。私の可愛い妹」
「……お姉さま?」
王太后さまがアヒム以外の誰かと話をしていることは明らかだった。
「ごめんなさい、私の可愛いテレジア。もう私の病気を治そうと、伯爵さまに取り入ることはないのよ。貴女だって、伯爵夫人のことが好きだったんでしょう……? 騙していることが、苦しくて苦しくて堪らなかったのでしょう?」
「お姉さま……!」
「私は天国で幸せに暮らしてるわ。お父様もお母様もいらっしゃる。貴女もいらっしゃい、テレジア」
王太后さまの瞳から一筋の涙が零れ、膝をがくっと突き――直後、意識を失ってしまった。
「お嬢様っ!」
青年が慌てた様子でカタリーナ嬢に駆け寄る。正真正銘の、カタリーナ嬢に。
「ルッツ――いやダミアン。この男とカタリーナの記憶を消せ。それがカタリーナを生かす条件だ」
「……御意に」
宰相――もう宰相ではないのだけど――が青年の頭に手をかざす。
「私が憎いか、ベッカーの小倅。当然だな」
「あんたのことは何百回八つ裂きにしても足りないくらい憎んでる」
カタリーナ嬢のことを「お嬢様」と呼んでいたから、ルッツ家の使用人だと思っていたけど、違うのだろうか。随分物騒だ。
「でも、お嬢様のことはこの世界で一番大切に思ってる。何があってもお嬢様だけは守る」
宰相は一瞬だけ、優しく微笑んだ。それに気を取られているうちに青年とカタリーナ嬢は記憶を消され、アヒムに伴われて地下牢を出て行った。
「ところで、陛下が私の『異能』について知っているとは意外でした。てっきり、あの王太子を最後に絶えたものと」
「お前の言う王太子とやらは父上の長兄だった男を指しているのだろうが、それは間違いだ。ルッツ家の『異能』については王家に代々伝わる秘密文書に記されている。本来は王から口伝で伝えられるものだが、父はその存在について知らされていなかったはずだ」
「ほお。それはまたどうして」
「前々代国王――祖父は確信が持てなかった。父が再び悲劇を起こす王かどうか」
宰相の皮肉気な笑みが一瞬だけ強張る。
「だから祖父は妹――余にとっては大叔母にあたるアンナ・フォン・シャウムブルクに秘密文書を託した。大叔母は山に籠りながらも国政を見守り、余がその情報をもたらしても良い王かどうか見極めていたということだ」
前々代国王の妹君は数年前に亡くなっているが、享年八十五の大往生だったらしい。名君・フィリベルト王の第一王女として祝福の中生まれたアンナ王女は、当時の王室では唯一の姫君だったので国中がお祭り騒ぎだったとか。
名門シャウムブルク公爵家に降嫁したのはいいものの、一人息子を授かった直後に夫が急死し、アンナ夫人は広大な公爵領を取り仕切ることになってしまった。王室に戻る話もあったらしいが、それを断りシャウムブルクの女主人として息子が成人するまで公爵家を守り通したのだから大した女傑だ。お父様は幼いころに数度会ったことがある程度らしいけど、「烈女と呼ぶに相応しい女性だ」と言っていた。
息子が成人した後は公爵家を息子に任せ、王家所縁のエポナ神殿で神殿長を長年務めた。それ以来、俗世との交流をほぼ断っていたらしいが時々は陛下と連絡を取っていたと聞く。とはいえ、中立の立場を守り王家と宰相の争いに口を出すことはしなかった。孫の一人(たしか現シャウムブルク公爵の末の弟君だったはずだ)が女性関係で問題を起こした時は『再教育』を行ったらしいけど。
「祖父は祖父なりに、息子の蛮行に心を痛めていた。それだけは心にとめておいてくれ」
◇
その後宰相がぽつりぽつりと語ったところによると、さっきの青年はルッツ家の御者だった男らしい。本人曰く「あの男の両親は私が自殺に追い込んだのであの男は私を酷く憎んでいるでしょう」とのこと。
合流した筆頭魔術師と共に更に深層の牢へと向かうと、『魔女』が艶然と微笑んでいた。
「あらあら、大勢でぞろぞろと。とっても怖いお顔」
余裕綽々の『魔女』に向かって一歩足を踏み出すと、『魔女』は真っ赤な唇を意地悪そうに吊り上げた。
「あらぁ、どうしたの。可愛らしいお嬢さん」
「『魔女』――いえ、マルグリットさん」
『魔女』の余裕な表情が崩れた。
「ずっとずっと不思議でした。この世界にとって唯一絶対であるはずの女神さまが、あなたを祓うための聖剣を作るのに数百年かかること。あなたは女神さまと同等以上の力を持つ御方なのですね」
『魔女』は答えなかった。
「『七つの大罪』は本来は、過去に苦しみを抱えたものばかりが憑かれるはずだった。あなたも、過去に苦しみを抱えていた。『七つの大罪』はあなたの苦しみに共鳴したのだ」
ヴィルヘルム様の言葉にも、『魔女』は答えなかった。
「……何が分かるの?」
『魔女』は幽鬼のように髪を振り乱していた。
「妾のことを、何も知らないくせにっ!」
「そうですね、わかりません。あなたのことは、あなたにしかわからない。だからもう、終わりにしましょう」
「……何を言って、」
鼻で笑った直後、『魔女』は目を見開いた。
「クラウスっ!?」
「マルグリット」




