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悪役令嬢の生き様  作者:
本編
47/57

公爵令息フリードリヒ 3

「フリード様」


 ヴァイセンベルガー嬢のお茶会を中座し、気づけば自宅に戻ってきていた。クラウディアと何度もお茶をした東屋で、フリードリヒは茫然自失と立ち竦んでいた。


――お前は揺らいでいる。勝者であり続けなければ、お前は存在できない。


――黙れ! あの時オレに交代していなければ、フリードリヒ・フォン・シャウムブルクは負けていた!


――お前はオレの弱さだ。勝利によって得たものは敗北によって失われる。そう信じた、オレの……。


――黙れ黙れ黙れ!


――オレはディアを失いたくなかった。唯一の心の拠り所の、ディアを……。


 『アイツ』の言葉を否定したかった。だが、『自分』が砂のように崩れていく心地がする。助けて助けて助けて。このままでは『自分』は()()してしまう……。


「フリード様」


 消えそうになった『自分』を掬ってくれたのは、やっぱりクラウディアだった。クラウディアは何時(いつ)も、フリードリヒが苦しくてたまらない時に寄り添ってくれる。だから愛している。だから離せない。ずっと、一緒にいてほしい。クラウディアがいなくては、生きていけない。


「フリード様。私、昔の優しいあなたが好きでした」


 途端、激しい嫉妬を覚えた。クラウディアが好きなのは『自分』ではなく『アイツ』。黒い感情が、身体中を支配する。


「引っ込み思案だった私の手を引いて、みんなの輪に入れてくれた優しいフリード様が。小さい頃の、フリード様が」


 やめてくれ。お願いだから、やめてくれ。身体中を駆け巡る暴力的な感情が、最後に残った理性すら破壊する。繊細なガラス細工に触れるように大切にしたかった。この世の誰よりも幸せにしたかった。


 クラウディアだけは、傷つけたくないのに。


「本当に、大好きだったんです。……でもね、同じくらい今のあなたのことも好きなんですよ」


 白く小さな手が、フリードリヒの頬を包み込む。クラウディアの手に、(しずく)が伝った。


「私に近づく人に過剰反応するのは困りますけど、今のフリード様も昔のフリード様も、私のことを大切にしてくれているのは分かっていますから」


「ディア……。君は、俺を好きでいてくれるのか?」


「何を今更なことを仰っているんですか」


「オレは、お前が逆らえないのをいいことに無理矢理婚約者にしたんだぞ」


 本当に変なところでおバカですね。そう言って微笑(わら)うクラウディアは、フリードリヒを際限なく甘やかす。縋りつきたくなる。甘えてしまう。強い自分でなくてもいいのだと、そう思ってしまう。


「私をお人形だと思っているんですか? いつも私の手を引いてくれる人を、いつも私を守ってくれる人を、風邪を引いた私を心配してくれる人を、不器用で優しい人を、好きにならずにいられるとでも?」


「……だがお前は、いつも悲しそうだった」


 琥珀の瞳が寂しげに細められた情景が忘れられない。しあわせをあげるはずだったのに。強引に関係を迫った時も、彼女に言い寄る男の家を潰した時も、彼女に近づく人間を(ことごと)く排除したときも、彼女の瞳は悲しげに揺れていた。


「たしかに、悲しかったですよ。無理やりベッドに連れ込まれた時はさすがに怖かったですし。でも、フリード様。私が一番悲しかったのは、苦しそうなあなたに何もできなかったことです。(いばら)の道を歩んで、血を流し続けるあなたを見ていることしかできなかった。私はあなたの苦しみを代わってやりたかった。あなたの(いばら)を、取り除いてあげたかった……」


「ディア……」


「あなたが今手にしているものは、全てが勝利によって(もたら)されたものではありません。敗北したからといって、全てを失うわけじゃない。大好きです、フリード様。たとえあなたがどちらであろうと、何者であろうとお傍にいますよ」


 それは赦しだった。元々、『自分』に成り代わったのは恐れだ。クラウディアを失うかもしれない、という恐れ。


――最早(もはや)お前は敗者ではない。ディアから想いを返してもらえたのだから。オレは再び、深淵に沈み込むしかない。


――ふっ、何を言っている。


 諦めたような『アイツ』に嘲笑を向けてやると、『アイツ』は不服そうに見返してきた。


――オレの方が先に好きになったし、気持ちの重さはオレの方が上だ。お前はオレだ。そのことは十分すぎるほどわかっているだろう?


――珍しいな。お前はオレを嫌悪している。オレとお前が同一の存在であることを認めるなんて。


 確かに嫌いだった。『アイツ』でなければクラウディアに愛されることはないと思っていた。だが、『アイツ』だとクラウディアの隣にいる権利を奪われるかもしれない。だから苦しかった。自分に嫉妬するなんて、滑稽すぎて笑えもしない。


 クラウディアが愛してくれても、許してくれても、『自分』がクラウディアを、周囲を苦しめたことは事実だ。


――『好き』という言葉で、全てが正当化できるとでも思っていますの?


 ハイデマリー・フォン・ヴァイセンベルガー。クラウディアの親友。彼女の言うとおり、『自分』の行いは間違ったことで、『自分』の罪は消えない。


――全てをお前に返そう。


――何を言っている! 何も消える必要はない。今迄のオレと同じように、深淵に居れば良い話だろう!


 『自分』ならば『アイツ』を確実に消していた。今迄『アイツ』が存在し続けていたのは、主人格である『アイツ』に『自分』では手出しができなかったからだ。『アイツ』の甘さは『自分』には無いもので、それが少し羨ましくも思う。


――誰が消えると言った。統合するだけだ。ディアだって、好きな男が二人もいると、どちらを愛すれば良いのか苦しむかもしれないだろう?


――お前は、本当にそれでいいのか?


――ああ、ディアを頼むぞ。


「……フリード様?」


 心配そうな顔のクラウディアに微笑みかける。……出来の悪い弟を失ったような気持ちだった。


「ディア。長い間、すまなかった」


「フリード様……。元に戻ったのですね」


 クラウディアは寂しさと喜びが綯い交ぜになったような、複雑な表情を浮かべた。『彼』を想っていることに激しい嫉妬を覚える一方で、『彼』を愛する人間が自分以外にもいることが嬉しかった。


「……ディア?」


 精緻な刺繍が施された薄紅のハンカチが、目元に寄せられる。ハンカチが濡れたのを見て、フリードリヒは初めて自分が泣いていることに気付いた。


「彼は消えたわけじゃない。そうでしょう?」


 昔フリード様がやってくれたように、今度は私があなたを抱きしめます。どこまでも優しく包み込むクラウディアが愛しかった。『彼』も自分も、彼女のこんなところが大好きなのだ。


「大丈夫。大丈夫ですよ、フリード様。私が二人分愛してみせますから」


 それが『彼』とクラウディアの二人分自分を愛するということなのか、クラウディアが『彼』と自分の両方を愛するということなのかはわからない。


 どちらが正しいなんてフリードリヒにはどうでもよかった。ただ、花のような彼女の香りに包まれていたかった。

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