公爵令息フリードリヒ 2
「なんだ、その程度か」
せせら笑う叔父に、口の中を噛む。父の末弟であるこの人は、剣の腕は確かだが、あまりの素行の悪さに騎士団をやめさせられた男だ。それからは父に領地に封じ込められていたというのに、クラウディアとのお茶会の最中にいきなりやってきて、馴れ馴れしく彼女の肩を抱いた。クラウディアを放す条件に、剣術勝負で勝つことをつけてきた。
「がっかりだ。お前より俺の方が後継者になった方がいいんじゃないか」
叔父の奥に、クラウディアが見える。心配そうに、フリードリヒを見つめている。
――オレが、負ける……? このフリードリヒ・フォン・シャウムブルクが……?
そんなことあってはならない。クラウディアだって見ている。クラウディアの前で、情けない姿など見せられない。
その時、「もう一人の自分」に交代するのが理解った。
「フリード様……?」
叔父に勝つのは、わけないことだった。あのフリードリヒに足りなかったのは、非情さだったのだろう。クラウディアの不安げに揺れる瞳に、もう一人のフリードリヒが泣いていた。
◇
それからは、一人二人、友人が離れていった。少しの寂寥は覚えたが――クラウディアさえいてくれるなら、それで良かった。
だがそのクラウディアも、どこか寂しそうに微笑むようになった。
「フリード様! どうしてあんなことをなさったの!?」
「何故あの男を庇う、ディア。君だって迷惑そうにしていたじゃないか」
「それにしても、あれはやりすぎです!」
フリードリヒは許せなかった。彼の許嫁であるクラウディアに、しつこく付き纏うあの男が。だからその男の家を潰した。
「あの男性はともかく、その家族まで路頭に迷わせるなんて……」
「……妬けてしまうな、ディア」
このままでは、家族どころかあの男に関わった者全てを断罪してしまいそうだ。
「今日のフリード様は何か変です。いいえ、それより前――フリード様、今、あなたは……剣術が好きですか?」
「質問の意図が理解できない。その感情は、勝つために必要か?」
勝ち続けなければ、シャウムブルク家の人間ではいられない。シャウムブルク家の人間でなければ、クラウディアと結婚することなんてできない。結婚を間近に控えても未だに『幼馴染』以上に思ってはくれない彼女を繋ぎとめるには、妻にするしか方法がないのに。
全てに勝利しなければ、クラウディアを誰かに奪われてしまうかもしれない。そんなことは耐えられない。クリーム色の髪を梳くのは、琥珀の瞳に見つめられるのは、フリードリヒだけの特権だ。甘やかすような優しい声音が、他の誰かに向けられると考えるだけで腸が煮えくり返る。……勝利に拘るあまり、大好きだったはずの剣術を楽しいとは思わなくなっていた。
それでもクラウディアがいてくれればそれでよかった。――だけど彼女はいつしか、恐怖と怯えを交えてフリードリヒを見つめるようになった。
◇
「ディアはお前に怯えている」
もう一人の自分が囁く。夢を見ると、高確率で奴が出てきた。だが、奴の言葉など耳に入らない。愛しいクラウディアが、フリードリヒのクラウディアが、他の男に身を任せている。
「ごめんなさい、フリード様。私、彼のことを好きになってしまったんです。とっても優しい方なんですのよ?」
許さない許さない許さない!! 気づけばフリードリヒは、腰に差していた剣を男の胸に突き立てていた。
「なんてことなさるの、フリード様……」
「君が悪いんだ、ディア……。オレ以外の男を好きになるなど」
夢だとわかっている。だが、宝石のような瞳から絶望の涙を流すクラウディアに胸が痛んだ。――本当は、傍にいてほしかっただけなのに。
それからもクラウディアは、フリードリヒから逃げるように他の男の手を取り続けた。その度にフリードリヒは間男を殺し続けた。だが、クラウディアは止まらなかった。胸が焼けるように苦しかった。フリードリヒはクラウディアを恨み、憎み――そしていつしか、フリードリヒの心は限界を迎えた。
「心配するな、ディア。オレもすぐ後を追う。寂しくなんてないからな」
血に塗れ、だんだんと冷たくなっていくクラウディアを抱きしめるフリードリヒに、もう一人の自分が怒り狂う。
「このおぞましい光景がお前の望んでいることだ。ディアを傷つけるつもりなら、お前と言えど許さない……!」
この夢から醒める時は、いつも大量の汗をかく。その汗が、フリードリヒを現実に引き戻す。クラウディアの死など望んでいないと、フリードリヒに思い出させる。
だが、この紛れもない「悪夢」にフリードリヒは何処かで安心している。もう変わりようがない、クラウディアの心に……。
現実のクラウディアは、不貞をするような女性ではない。フリードリヒには眩しいほど清廉で、優しい女性。あの夢はあくまで、フリードリヒの恐怖を濃縮したものだ。理解っている。理解ってはいるが、それ以上にクラウディアを失うのが恐ろしい。
「フリード様。汗がびっしょりですけど、大丈夫ですか?」
膝枕をしてくれていたクラウディアの心配そうな顔に安心する。そして、何処までも人が好いこの婚約者に、胸が甘く疼いた。フリードリヒが彼女の涙交じりの制止を無視して強引に関係を結んだのはつい先日のことなのに。流石に最後まではやらなかったが、箱入り娘のクラウディアにとって、恐怖以外の何物でもなかったはずだ。
「大丈夫だ、ディア……」
上体を起こすと、クラウディアが腰かけていたソファに彼女の華奢な体をそっと押し倒す。やや性急な口づけに、クラウディアの身体が強張った。かつてのような、甘くて優しい接吻など今のフリードリヒにはできなかった。




