公爵令息フリードリヒ 1
フリードリヒ・フォン・シャウムブルクは二人いる。
◇
フリードリヒは名門貴族シャウムブルクの一人息子として生まれた。シャウムブルク家の後継者たるべく、厳格な英才教育を受け自由はほぼ無かった。そんな僅かな自由時間に、母の勧めで剣術を始めた。母には甘かった父も、剣術を続けることを許してくれた。
フリードリヒにとって、優しい母と剣術――そして幼馴染のクラウディアだけが、心の支えだった。そう、だった。
フリードリヒの母は、病気でこの世を去った。あまりにも、突然すぎる死だった。それから、彼を取り巻く環境は目まぐるしく変わり、母の死を忘れるかのように父による英才教育は厳しさを増した。家庭内において唯一の安息だった母を喪っても、立ち止まることなど許されなかった。……このときから、フリードリヒは引き裂かれ始めていたのかもしれない。
母が亡くなるまで、フリードリヒの誕生日には母が手作りのバースデーケーキを作ってくれた。料理人のものに比べれば、味という観点では数段劣る。だが、母の思いが籠ったそのケーキと、心からの「おめでとう」のおかげで、この世のどんな美味よりもおいしく思えた。
母を喪ってからは、毎年豪勢な誕生日パーティーが開かれるようになった。覚えきれぬほど多くの客から贈られる祝いの言葉。何台もの白亜のテーブルに乗せられた、豪奢な食事。一流の劇団たちによる華麗なパフォーマンス。だがこの中の何人が、フリードリヒの誕生日のためにこのパーティーに来ているというのだろう。商談と、精々父に媚びを売るためだろう。
「フリード様。お誕生日おめでとう」
そう。この少女を除いては、フリードリヒを本心から祝ってくれている人間などいない。
「……ディア。わあ、手袋だ」
「もう寒いでしょ?」
親同士の意向を利用し、クラウディアを許婚に据えた。クラウディアには『幼馴染』以上には思われていないことは知っていても――誰よりも大切にして、そしていつの日か、この想いのひとかけらでもいいから返してほしかった。
それが壊れたのは、いつからだろう。
クラウディアがフリードリヒだけのクラウディアではいられなくなった時が、一つの契機だったかもしれない。
今までクラウディアとはシャウムブルク邸か、彼女の家で会っていた。殆どの時間を二人きりで過ごし、他人が付け入る隙などなかった。クラウディア自身、元々内気な性格だということも影響していたのかもしれない。
「フリード様、お友達が多くていいなあ……」
「それなら、ディアもオレの友達に会ってみる?」
このときのフリードリヒは、体の底にこびりつく醜い独占欲など知らなかった。当然のように友人を紹介し、輪の中にクラウディアを入れたものの――楽しそうに笑ってくれるのが嬉しい一方で、自分以外に笑いかけるクラウディアを見てどこかモヤモヤした。
「ふふっ、やきもちを焼いてるのね?」
「……やきもち?」
体調を崩しがちになっていた母は、「フリードはディアちゃんが大好きだから取られたくないんでしょ?」と揶揄うように笑った。このときはまだ、我慢できた。母がいたし、クラウディアの交友関係だって限られていた。
だが、雨の日に母は死んだ。
「……ううっ、ごめんなしゃいっ」
「嚙んでる。あと、なんで謝るんだ」
「だって、一番悲しいのはフリード様なのに」
母の葬式の日、ギャン泣きするクラウディアは自分が泣いている所為でフリードリヒが泣けないと誤解しているようだった。
「大丈夫。オレの分は、お前が泣いてくれるんだろう?」
「ふぐっ!」
母を失った喪失感は大きかった。――息を引き取った雨の日のたびに、あの日のことを思い出すほどに。そんな時にフリードリヒを助けてくれたのは、やっぱりクラウディアだった。
「私がいますよ、フリード様」
「ディア……」
あたためてくれる彼女の体温に安心する一方で、クラウディアに際限なくもたれかかり始めたのを感じていた。
それからは「ただの嫉妬」と割り切れなくなった。クラウディアが自分以外の人間に愛らしく笑いかけるのが、苦しくて苦しくて堪らなくなった。
――クラウディアは決してお前だけのものにはならない。
母が死んでから生まれた、もう一人の自分――今ではこれがフリードリヒの主人格だが――がそう囁く。
母が与えてくれたのは安息だけだった。クラウディアに感じていたのも、小さい時は安らぎだけだった。だが成長とともに、焦がれるような恋情は同時に焼けつくような嫉妬も齎した。
フリードリヒにとっての恋は、甘いものではなく――まるで呪いのようだった。
◇
「すべての物事において、人の上に立ってこそシャウムブルク家の人間だ」
父に認めてほしかった。
「剣か……。勝利するならば、構わない」
勝利し続けなければ、大好きな剣術すらも取り上げられる。フリードリヒが(もちろん学業や家の仕事の手伝いをおろそかにしないという条件で)剣術に打ち込むことを許してくれているのは、勝利し続けているからこそだ。
「フリードリヒ。お前には数多くの――それこそおよそ凡人ではこなしきれない教育を施してきた。だがお前はすべてを吸収した。お前には才能があるからだ。ではなぜ、お前は才能を持って生まれてきたのだと思う?」
そのころのフリードリヒはもう、剣術をしている時やクラウディアと一緒にいる時の自分と、家にいるときの自分がかけ離れたものであるかのように感じていた。
どれだけ努力しても、父のまなざしが優しく細められることなどない。それならば、最初から期待しなければいい。それには弱いフリードリヒは捨てなければ……。
「シャウムブルク家の人間として生まれてきたからだ。お前はシャウムブルクの人間として生を受けたから並外れた才能を持ち合わせた。ならば、全てをシャウムブルクの為に捧げろ」
父が望む、家のために尽くす冷酷で冷徹な人間に。
第二の自分が形成されても、剣術をしている時やクラウディアと一緒にいる時は今までの自分でいられた。だが、第二の自分はだんだんと表に出てきた。




