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悪役令嬢の生き様  作者:
本編
43/57

ある伯爵令嬢の告白

クリストハルトを見送って、ヴィルヘルム様とわたしは図書館に向かった。


「ヴァイセンベルガー嬢の協力を得られなかった場合も想定して、僕の方でも調べてみるよ。まあ、ヴァイセンベルガーにしか伝えられていない教えもあるそうだから、令嬢の協力を得られるのが最善だけどね」


宗教関係の棚の途中に有る、本を読むための机。そこで読書していたのは、ミルクティー色の髪をした、どこか寂しげな令嬢だった。


クラウディア・フォン・ライニンゲン伯爵令嬢。(くだん)のシャウムブルク卿の許婚。


 本に目を落としていたクラウディア嬢は、ヴィルヘルム様とわたしに気付くと立ち上がろうとした。


「よい、ライニンゲン嬢。図書室(ここ)には所用で立ち寄っただけ故、大仰な礼は必要ない」


「ごきげんよう、ライニンゲン嬢。何の本をお読みになっているんですか?」


 どこからどう見ても(わたしの好きな)恋愛小説ではなさそうだ。数冊重ねられた本のいくつかを見ると、『アーツトとハイツアブシュナイダー』――善良な科学者としての顔と、残忍な殺人鬼としての顔を持つ男の物語――、『アダムの三つの顔』、『25人のエドモンド――ある多重人格者』。クラウディア嬢は多重人格の話が好きなのかな。それにしては、顔が暗いけど。


「もしかして、主人公に感情移入してしまいましたか?」


 どれも家の書庫にあるので軽く読んだことぐらいならある。特に『アーツトとハイツアブシュナイダー』は主人公の人格が解離するまでに至る苦しみが詳述されていたはず。主人公はずっと孤独だった。親に捨てられ、友人には裏切られ、恋人は失った。


主人公(かれ)も寄り添ってくれる人間がいれば、また違う人生を歩めたのかもしれませんね」


 クラウディア嬢が呆然とした顔になった。……なんかまずいこと言ったかな。


「そうですね」


 どこか決意を秘めた表情は、さっきの寂しげな表情より輝いて見えた。


 クラウディア嬢が本を返した後(借りるつもりはないらしい)、朱色の髪の貴公子が歩み寄ってきた。


「ディア」


「……フリード様」


 わたしたちに気付き礼をしようとしたシャウムブルク卿を、ヴィルヘルム様が手で制した。「ありがたく」と微笑むシャウムブルク卿は、以前と変わっているようには思えない。だけどクリストハルトが噓をついているとも思えないし……。


「ここにいたのか。何か好きな本でもあるのか?」


「いえ、ただの気分転換です。フリード様は何故ここに?」


「知り合いの騎士からディアが王宮に来ていると聞いたから」


 シャウムブルク卿はヴィルヘルム様と和やかに数分会話した後、クラウディア嬢を振り返った。


「帰ろうか、ディア。屋敷まで送ろう」


「はい。……シャルロッテ様、薔薇の花はお好きですか?」


 夏季休暇も終わり、今は九月。来月からは秋薔薇の季節だ。頷くと、クラウディア嬢はほっとしたように微笑んだ。


「もしよろしければ、来月お茶会にお招きしてもよろしいでしょうか。薔薇が見ごろになると思いますから」


「まあ。ライニンゲン家の薔薇園は有名ですもの、喜んで」


 嬉しそうに微笑むクラウディア嬢に寄り添うシャウムブルク卿の視線は、凍えるほどに冷たかった。



 後日招待状を送ってもらった時に教えて貰ったのだけど、お茶会はクラウディア嬢と二人きりみたいだ。最低限の親交しかないことを考えると不思議だけど、ニーナを付けることを条件にお父様も許してくれた。普段ならためらうかもしれないけど、あの時のクラウディア嬢はどこか危うげな雰囲気があって放っておけなかったのだ。


 ライニンゲン家の薔薇園はさすがに見事だった。丹精込めて手入れされているのだろう花々には、驚嘆するしかない。庭師の皆さんお疲れ様です。聞くところによると、統括しているのは夫人らしい。


 しばらく世間話をした後、クラウディア嬢の目がすっと据わった。……そろそろ本題ですか。特に親しくもないわたしをわざわざ呼び出したんだ、確実に何かあるとは思ってたけど。


「シャルロッテ様は……王太子殿下のことがお好きですか?」


「はい?」


 なぜそこでいきなりヴィルヘルム様の話題が? 恋話という雰囲気でもないでしょうが。


「もちろん、お慕いしておりますが」


「その気持ちは、恋ですか?」


「ええ」


 当然のように首肯すると、クラウディア嬢が食らいついてくる。え、ちょ、怖いです。近いって。落ち着け、という意味を込めて手で制すると、「ごめんなさい」と顔を赤くした。


「私、王太子殿下とシャルロッテ様が羨ましいんです」


「え?」


「どうしたら、お二人のような関係になれるのか、教えてくれませんか?」


 そんなことを言われましても。だけど、見るからに必死なクラウディア嬢を突き放すほど非情にはなれない。


「……わたしの目には、シャウムブルク卿はクラウディア嬢のことを大切になさっているように見えましたが」


「確かにそうです。……シャルロッテ様、女の世界ではちょっとの小突き合いぐらい日常茶飯事でしょう。王太子殿下はそれに対して、相手の令嬢の家を取り潰したりなさいますか?」


「まさか」


 『憤怒の悪魔』に取り憑かれて絞首刑にしようとしてたけど、あれはノーカンでしょうよ。


「昔、フリード様をお慕いしていた令嬢たちから軽い嫌がらせのようなものを受けたことがあったんです。その時は少し傷つきましたけど、友人に慰めてもらって、殆ど忘れていました」


 名門公爵家の跡継ぎと親しいクラウディア嬢は、幼いころからその種の「洗礼」には慣れていたらしい。その令嬢たちのことも「性格が悪い」とは思ったけど、記憶の片隅に残る程度だったとか。……その令嬢たちの家が取り潰されたと知るまでは。


「最初は偶然かと思いました。ですが、そんなことが何回も起きて……」


 不審に思っていると、偶然シャウムブルク卿が手を回していたことを知ったという。「昔、少し嫌味を言われて泣きついた時はあそこまでなさらなかったのに」と俯くクラウディア嬢は今にも泣きそうだった。


「……私、昔のフリード様が大好きでした。優しく笑って、私の手を引いてくれた昔のあの方が」


――あの男を元に戻すかしてくださいまし。


――()()()()()()()()()()()、なんか心の距離ができたっていうか。


「人は過度のストレスを抱えると、心にもう一つの人格をつくるそうです。衝撃的なことが起きたら倒れるようなことと同じ、一種の逃避反応ですわ」


 わたしも前世の記憶を思い出した時、倒れましたし。


「シャウムブルク卿がそうなのかはわかりません。ですがその場合、大事なのは話を聞いてあげることですわ」


 たしかにシャウムブルク卿は変わってしまったのかもしれない。だけど話を聞く限り、クラウディア嬢を大切に思う気持ちまでは失っていないはず。クラウディア嬢の言葉なら、届くかもしれない。


 クラウディア嬢は目を見張り、「そうですね」と微笑んだ。

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