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悪役令嬢の生き様  作者:
本編
42/57

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 少し肌寒くなってきた。上着をもう一枚羽織って来ればよかったと後悔しつつ、そっと物陰に隠れる。――わたしは今、神の山(ベアグ・ゴッティス)に来ている。シルフェリアの東に位置する、教皇猊下の直轄地。


「なんで隠れてるんだ」


 呆れたようなお兄様の眼差しが痛い。


 反乱がどう転んでもいいよう、ヴァイセンベルガー公爵は妻子をここ神の山(ベアグ・ゴッティス)に逃がしていた。神の山(ベアグ・ゴッティス)はどんな権力者でも侵してはいけない場所だから。まあ、数十年前にカザンと戦争になった時は神の山(ベアグ・ゴッティス)も蹂躙されたらしいけど。当時のカザンはワヒドゥン神を唯一絶対の神とし、シルフェリアを始めとした西方諸国で信仰されているスノーホワイト教を「邪教」として弾圧していた。シルフェリアに負けて王朝が交代してからは、宗教界も徹底的にテコ入れされ、穏健派にジョブチェンジしたのだという。ま、今回の争いは国内の揉め事。神の山(ベアグ・ゴッティス)に手を出せばシルフェリア国内どころか近隣諸国まで敵に回すことになる。政治家として最も侵してはならないタブーだから、狡猾な宰相は絶対にそんなことはしない。


 公爵が夫人と子どもたちを神の山(ベアグ・ゴッティス)に迎えに行くというので、ゴリ押しして連れてもらってきてもらったのだ。目はめちゃくちゃ冷たかった。『氷の公爵』と言われる所以が分かりました。


 ヴィルヘルム様は国を離れるわけにはいかないので、護衛役としてお兄様が同伴している。


「……ハイデマリー嬢?」


 ハイデマリー・フォン・ヴァイセンベルガー。公爵と夫人の間に生まれた第一子。髪と瞳の色は父親と同じだけど、顔は母親譲りなのかそこまで似ていない。『シルフェリアの瑠璃』と謳われる麗しの公爵令嬢は、小さな子どもたちに慈愛の籠った笑みを向けていた。


「ねえ、マリーねえさま。めがみさまのおはなしをして!」


「ふふっ、いいわよ。じゃあ、女神様がアーリングの北――アヴェルチェヴァの辺りね――をお創りになったお話をしましょうか」


 歌うような彼女の説話(はなし)に皆引き込まれる。……何を隠そう、わたしもこれを聞くのが目的だ。わたしに気づいたら止めちゃうかもしれないし。だからお兄様の視線は無視(シカト)します。


 彼女の話が終わると、皆うっとりした顔になっていた。だけど悲しそうな顔をした子が一人。どうしたんだろう?


「どうしたの、リア」


「おねえさま、きょうでおうちにかえっちゃうんでしょう?」


 リアと呼ばれた女の子の悲しそうな声を呼び水としたかのように、周囲の子供が泣き始める。ハイデマリー嬢は困ったような顔をした。


「ごめんね、お父様が迎えに来たの」


 ハイデマリー嬢に頭を撫でられるうち、子供たちの涙もやんだようだった。三時の鐘が鳴り、「おやつの時間よ。家でお母様が待っているわよ」という神官らしき女性の声に、子供たちが家に帰っていく。神官もいなくなったし、もういいかな。


「ヴァイセンベルガー嬢」


「……レルヒェンフェルト嬢?」


 ハイデマリー嬢は、その宝石のような瞳を真ん丸に見開いた。


「父から、レルヒェンフェルト家のご兄妹と一緒に来るという話は聞いておりましたが……私に聞きたい話とは?」


「ハイデマリー嬢は、神界について学者顔負けの知識をお持ちと伺いました」


「下手の横好きですわ。ねえ、レルヒェンフェルト嬢。王太子殿下のことがお好きですか?」


 突然の質問に戸惑いつつ頷くと、ハイデマリー嬢はふわりと笑った。どこか酷薄なそれに、背筋が凍った。


「私は恋という言葉で縛り付ける男が嫌いですわ」


「ヴァイセンベルガー嬢?」


「レルヒェンフェルト様、あの男とディアを別れさせるかあの男を元に戻すかしてくださいまし。そのあと、私の持てる知識をすべてお話します」


「ディア?」


 ハイデマリー嬢はそれ以上答えてくれなかった。あとは自分で考えろということなのかもしれない。



 ハイデマリー嬢の周囲にいる「ディア」を当たってみると、一人の女性に辿り着いた。


 クラウディア・フォン・ライニンゲン。ライニンゲン伯爵家の長女で、『シルフェリアの四強』シャウムブルク公爵家の後継者、フリードリヒ・フォン・シャウムブルクの婚約者。


 派閥こそ違うものの、クラウディア嬢とハイデマリー嬢はかなり親しくしていたらしい。


「で、俺なわけね」


「だって、シャウムブルク卿と仲が良いんでしょう?」


 ヴィルヘルム様に頼んで、王宮の瀟洒な東屋を貸してもらった。クリストハルトが属していた中立派は、シャウムブルク公爵が仕切っていた。その息子であるフリードリヒ・フォン・シャウムブルクともそれなりに親しいはずだ。


「仲がいいって、そりゃ話ぐらいはするけどさ。()()()()()()()()()()()、なんか心の距離ができたっていうか」


「……変わった? 昔からああじゃないか。冷静で温厚な人物だと記憶しているが」


「普段の様子は変わりませんよ。でも、なんというか違和感があるんですよね」


 ヴィルヘルム様とクリストハルトの会話がやけに遠くに聞こえる。


――あの男を元に戻すかしてくださいまし。


 フリードリヒ・フォン・シャウムブルクは変わってしまった?


「元のシャウムブルク卿はどんな人だったんだ?」


「今殿下が言ったような人間でしたよ。冷静かつ温厚で、仲間への気配りも忘れず、人望も厚い。だけど()()()から、まるで別人みたいになってしまいました。……っていうか俺には、別人にしか見えません」


「あの日……?」


「ああ。中立派の若手で、フリードリヒ様を中心に仲良い集団がいたのは知ってるだろ? まあ前は俺も、その中の一人だったんだけどさ」


シャウムブルク卿を中心に、若い貴族五、六名が親しくしていた記憶がある。


「ある日フリードリヒ様が豹変しちゃって、皆も変わっていってさ」


いつの間にか、バラバラになっちまった。


そう締めくくったクリストハルトの横顔は、どこか寂しげだった。


「変わったって、どんなふうに?」


「ん? ああ、普段の様子は変わらないですよ。いつもは穏やかで紳士的で、昔と一緒。でも何と言うか、ふとした時に狂気を感じるというか」


「狂気?」


穏やかじゃない言葉だ。眉を顰めると、クリストハルトは苦笑いした。


「……人の血が通っていないかのように感じることがあるんです。氷みたいに冷たい瞳に射すくめられて、身動きが取れなくなりそうな、そんな感じが」

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