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悪役令嬢の生き様  作者:
本編
39/57

公爵ギルベルト 2

 数年後、王太子に子が生まれた。国中が、この慶事を祝った。リーゼロッテも、嬉しそうにしていた。久方ぶりの自然な笑みだった。俺にはもう、ぎこちない作り笑いしか向けてはくれない。いったいどこで間違えたのかわからなかった。


「ははうえ、きいてください。きょう、うまにのりました」


自分そっくりの顔をした(いとけな)い子どもが、笑顔で母親(リーゼロッテ)に抱きついた。


「まあ。上手く乗れるようになったら、お母さまと一緒に遠乗りに行きましょうか」


「ほんとうですか! れんしゅうがんばります」


(いと)おしむような笑みを浮かべて頭を撫でられ、息子は照れくさそうに笑った。……もうあの子たちだけが、俺と彼女を繋ぐ唯一のよすがだ。


「おとうさま!」


「ハイデマリー」


ぼうっと妻と息子を見ていると、後ろから声をかけられた。


「あした、おしろでパーティーがあるんでしょう? わたしもいきたい!」


「十年早い」


「おとうさまのいじわる!」


国王陛下が亡くなり、その喪も明けて、王太子殿下の戴冠式が明日行われる。その後、王宮で祝賀のパーティーがあるのだ。まだ五歳のハイデマリーが出席できるものではない。


それからまた数年が経った。


「シャル、この花をあげる」


「まあっ、とても綺麗!」


子どもの声が二人分。視線を向けると、現王太子ヴィルヘルム殿下と、その婚約者のレルヒェンフェルト嬢が楽しそうに笑いあっていた。


国王陛下が即位して以来、宰相と国王の政争はますます熾烈なものになっていた。


陛下は即位するとすぐに、王太子殿下の婚約を取り決めた。レルヒェンフェルトは我がヴァイセンベルガーに劣らぬ名家で、その影響力は計り知れない。今まで中立を保っていたが、王太子との婚約を契機として国王派に傾いた。


初めは宰相と国王の派閥には天地の開きがあった。だが、レルヒェンフェルトを取り込んだことをきっかけに、その勢力は均衡を保っている。


それとは別に、数年前から宰相の様子がおかしかった。元々権力欲が強い男ではある。一貴族に過ぎなかったあの男が、最高権力者まで登り詰めたのは、富と権力への飽くなき欲求の賜物だ。だが、決して周囲への根回しを忘れる男ではなかった。それが最近、あまりにも自分勝手で傲慢な行動が目立つ。……どういうことだ。


宰相の件も頭が痛いが、まずはリーゼロッテのことだ。彼女は先日五人目の子を出産し、念の為まだ休ませている。


「……リーゼロッテの様子はどうだ」


「お元気そうです。医者は、もう普通の生活に戻っても良いと」


「そうか。これを渡しておけ」


王都でも指折りの職人に作らせた硝子細工と、庭に咲いていた花――リーゼロッテが好きな、白くて可愛らしい花だ――を執事に手渡すと、嫌そうな顔をされた。


「嫌ですよ。自分で渡してください」


「……嫌そうな顔をされたら立ち直れない」


「閣下がそうヘタレだから奥様とすれ違うんですよ」


そう言われても、無理なものは無理だ。一度、「結婚前、浮き足立ってイソイソと準備してたこと、奥様にバラしてもいいですか?」と言われたが、鉄拳制裁で黙らせた。


俺と結婚したことは、彼女にとって輝かしい人生のたった一つの汚点でしかない。彼女を不幸に陥れたのは、俺だ。俺が彼女に恋をしてしまったから。俺が宰相に抵抗できる力を持たないから。


晩餐の後、夫婦の寝室に向かうと、リーゼロッテはネグリジェに着替えていた。歳を重ねても、美貌は衰えるどころかその色気を増していた。清純で可憐で、愛らしいばかりだった若い頃とは違い、妖艶な色っぽさを醸し出している。


「あの、ギルベルトさま。お花とガラス細工、ありがとうございました」


「……ああ」


少し寂しさが滲んだ瞳。いつからか、リーゼロッテは俺を、悲しみと寂寥と――いくらかの戸惑いが混じった瞳で見上げるようになっていた。


リーゼロッテがどうしてそんなに悲しそうに微笑むのか、俺にはわからない。


愛を囁く勇気もない臆病者に、リーゼロッテはただ一度も抵抗したことはない。そのかわり、彼女から求められたことも一度もないけれど。戯れのような口付けですら、一度も。


「……体調は大丈夫か」


「はい、おかげさまで。明日からは起き上がれそうですわ」


半刻ほどした後、リーゼロッテは眠りに落ちた。そんな彼女の寝顔を、俺は長い間見つめていた。


また数年が経ち、王太子ヴィルヘルム殿下や婚約者のレルヒェンフェルト嬢が王立学園に入学した。ヴィルヘルム殿下とレルヒェンフェルト嬢は一つ違い。ヴィルヘルム殿下と長女ハイデマリー、レルヒェンフェルト嬢と次男カールハインツは同い年だった。


ハイデマリーとカールハインツによると、二人はとても親しげらしい。


そんなある日のこと、事件が起きた。レルヒェンフェルト嬢とメレンドルフ伯爵令嬢が、密室に閉じ込められたのだ。メレンドルフ伯爵令嬢が、バルシュミーデ公爵令息と親しげにしていたことが原因だ。


婚約者に危害を加えられたことに対し、ヴィルヘルム殿下は普段の温厚さが嘘のように怒り狂ったという。



宰相はかねてより、権力欲が強い男だ。いずれは、国を()()()手に入れたいと考えていた。しかし、国王陛下やアスマン卿とて、黙ってそれを見過ごすはずもない。


だから宰相は、()()()を他の者に任せた。宰相を憎むあまりに、()()にすら手を出した女性を利用した。


王太后、テレジア・フォン・シュヴァルツェンベルク・シルフェリア。宰相の、昔の恋人である。


王太后様は、実子である国王陛下に対し、謀叛を企てたのだ。


宰相は手の内の者をいくらか、その反乱軍の中に紛れ込ませるだけでよかった。その者たちが、国王陛下や王妃陛下、王太子殿下、婚約者のレルヒェンフェルト嬢を殺害し――宰相は国を乗っ取れるのだから。


その計画のことはずっと前から知っていた。


宰相の手の者が王家を皆殺しにしたと知れば、リーゼロッテはどう思うだろう。俺がその、手伝いをしたと知れば。……もう二度と、心は得られない。きっと彼女は生涯、俺を許さない。


だが、()()すればリーゼロッテの命も、珠玉のような子どもたちの命も奪われてしまう。


俺はいったい、どうすれば。


「ギルベルトさま」


「……リーゼロッテ」


リーゼロッテの白魚のような手が、無骨な男のそれに重ねられた。


「なにかお悩みがお有りですか? お話しできないことでないのなら、私がお聞きしますが」


「……」


言葉が出てこない。黙りこくっていると、リーゼロッテは困ったように微笑んだ。……俺は何度、この人にこんなに悲しい表情をさせるんだろう。


「余計なことを申しました。おやすみなさい、ギルベルトさま」


リーゼロッテの身体が、だんだんと離れてゆく。その(ぬく)もりが消えていくことに耐えられず、思わずその手を掴んだ。


「ギルベルトさま?」


驚いたように瞳を丸くした彼女を、そのまま抱き込んだ。花のように、甘い香り。彼女を失うなど、耐えられない。


国王陛下――当時は王太子だったが――の結婚式で出会ったリーゼロッテは、清らかで純粋で、何もかもがまぶしかった。親の仇にしか付き従う事しか出来ない、無能な男が触れることすら許されない妖精。


だが何の因果か、俺はリーゼロッテの隣に並び立つ、世界で一番幸福な男になる栄誉を得た。だが、その幸福に胡座をかき、想いを伝えることすらしていなかった。


俺と結婚したことが彼女にとって汚点であり、不幸の始まりであったというのなら――その()()を取り除かなければ。


「俺の叔父は中央神殿の長だ」


「? 存じておりますが、なぜ今それを……?」


すべてが終わったら、彼女にこの想いを余さず伝えよう。たとえ結果がどうなったとしても。

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