反乱 2
「あら。シャルロッテ様」
「お茶会では後押ししてくださり、ありがとうございます」
ゲレオンは父親似なのだろう。王家の証である黒髪以外に共通点が見当たらない。
「彼女たちが集団ヒステリーにでもなればことですもの。お礼には及びませんわ。それよりも、シャルロッテ様が思ったよりもお元気そうで安心しました。あなたのような若い女性が、ご婚約者や父親、それに兄君が戦禍のさなかにあると思えばさぞかし不安でしょうに」
「それは皆様同じでしょう。わたしばかりが嘆いてはいられません」
そうだ。ここにいる者たちは皆、祖父が、父が、兄が、夫が、息子が――大切な人が戦いの場に身を置いているものばかり。彼女たちの為にも、わたしがしっかりしなければ。
「こうしてゆっくりお話しするのは初めてですね」
「ええ、あの男の所為で」
怒りを含んだアデライード様の声に思わずギョッとすると、アデライード様は「ウフフ」と怖い笑みを浮かべた。
「この機に反乱軍があの男の監禁グッズを破壊してくれないかしら……。ああ失礼、これはなかったことに」
「……」
アデライード様の夫・バルシュミーデ公爵は『貧乏伯爵令嬢』のヒーローの父親、ヒーローに負けず劣らずのヤンデレである。これだけ転生者が多いのだからバルシュミーデ公爵もヤンデレじゃないかもしれないと思っていたのだけど、希望的観測は外れた。
「夫の矯正は諦めました。でも息子だけは何とかしなければ」
「バルシュミーデ卿ですか?」
今のゲレオンはどうなんだろう。ヤンデレっぽさは感じられないけど、隠してるだけかもしれないし。
「そうです。ゲレオンには好きな女の子とかいるのかしら。もしそうなら、じっくり話し合わないと」
「……どういう話し合いを?」
「それはもちろん、無闇に逃げないように説得するんですわ」
そういえば、『貧乏伯爵令嬢』でゲレオンはアデリナが逃げたと誤解していたな……。その末の監禁生活……。
「結婚の前、私が逃げ回っているのを見てあの男、何かの箍が外れたのかあんなことを……。悲劇は、繰り返してはならないのですわ」
アデライード様はそれからも「好きな女の子とかいませんの!?」と問い詰めてきたが、ゲレオンとアデリナが今どうなっているかは不明なので適当にごまかしておいた。
◇
お茶会の時間以外は暇なので、図書館で時間をつぶすことにした。アデリナやエマ、ドロテアも誘って恋愛小説のコーナーに行く。
「私、今まで恥ずかしいことだと思っていましたわ」
ドロテアやエマも、ロマンス小説が好きだけどそれを貴族令嬢として隠していたらしい。やっぱり隠れファンは多いに違いない。
生前のお母様がハマっていたという「仮面の伯爵と身代わり花嫁」全十二巻を取り出そうとすると――本の奥に妙なものが挟まっていた。
「どうしました、シャルロッテ様」
「……わたし、やっぱりほかの本にするわ。これはお母様の遺品だからできるだけ触るなってお父様がおっしゃってたし」
こう言ってしまえば、三人とも「仮面の伯爵と身代わり花嫁」を読もうとはしないだろう。わたしはその近くにあった本を手に取り机に向かったが――正直、内容は全く頭に入ってこなかった。
◇
「えーっと、たしかここ……」
蠟燭を手に「仮面の伯爵と身代わり花嫁」があった箇所から本を取り出し、その奥に挟まっていた日記を手に取った。
『ユリアーネ・フォン・リッベントロップ』
「お母様……」
そう。この日記は、お母様の名が記されている。ページを開くと、綺麗な文字で文章が綴られていた。
お母様はわたしを産んだ後体調を崩し、そのまま帰らぬ人となった。お父様はその事実をわたしの耳に入れようとはしなかったけど、使用人たちがそう噂しているのを聞いた。
死期を悟ったらしいお母様は、わたしやお兄様に手紙を遺してくれた。二十歳になるまで、毎年の誕生日を祝う手紙を。わたしとお兄様はその手紙を毎年お父様に渡されている。今十六歳のわたしの手元には、十六通の手紙がある。この日記帳の字は、その手紙の字と同じだった。最初らへんは字体が幼いけれど、途中からは完全にお母様の字だ。
『レルヒェンフェルト公爵のご子息とお会いした。名前はクリストフ様。私は将来、彼と結婚するらしい。彼のお嫁さんになれるなんて嬉しい』
『デビュタントはクリストフ様にエスコートしてもらった。すごくかっこよかった』
『公爵閣下が亡くなられた。あんなにお元気だったのに』
『クリストフ様は爵位継承で忙しく、結婚は先延ばしになった。箔付けのために王妃様の侍女になってはどうかとお父様に言われた」
『王妃様にお仕えすることになった。三人も子供がいるなんて信じられないほど若々しくてきれいな人だけど、少し怖い』
現在の国王陛下と王妃様の間にはヴィルヘルム様しか御子がいない。だから、この「王妃様」は先代陛下の正妃にして現陛下の母君・テレジア様のことだろう。
『アデライード王女の結婚式があった。王妃様はアデライード王女と仲が悪いのだろうか。目がとても冷たい。少なくとも私は、あんな目をお母様に向けられたことはない』
『ルイーズ王女がサランジェへ向けて輿入れした。王妃様はルイーズ王女とも仲が悪そう』
『今日はっきりと分かった。王妃様は御子に興味がないのだ。そういう親子の形もあるのだ、と思う』
『アスマン侯爵令嬢がヴァイセンベルガー公爵に嫁ぐことになったらしい! 敵地に飛び込むようなものだから心配』
『後宮に仕える侍女や女官の多くは、大貴族の娘だ。その主である王妃様が王太子殿下の味方になって差し上げれば、宰相に抵抗できるのに』
『とんでもないものを見てしまった。お父様にお話しすると、顔が青くなった。このことは誰にも言うなと言われた。「クリストフ様にも?」と聞くと、クリストフ様にはお父様からお伝えするらしい』
『王妃様は最近、変な女の人と会っている』
『クリストフ様と結婚するので、宮廷を辞することになった』
『クリストフ様と結婚してから、毎日が幸せ。だけど、あの日見てしまったことが胸につかえている。あんなの、裏切りだ。国王陛下への、王太子殿下への……。お二人は、知っているのだろうか』
『妊娠した。つわりはきついけど、クリストフ様がいてくださるから大丈夫。親戚の人には「男の子を!」と言われたけど、クリストフ様は「男でも女でもいい」と言ってくれた。やっぱりクリストフ様と結婚出来た私は幸せ者だと思う』
『男の子が生まれた。名前はルドルフにした』
『また妊娠した。お母様は「仲がいいみたいで何よりね」と笑っていた。少し恥ずかしい』
『次は女の子だった。シャルロッテと名付けた』
『シャルロッテを産んでから、体調が戻らない。私はこのまま死ぬのかもしれない』
『クリストフ様は「必ず治る」と言っているけれど、優しい嘘だってことは私にもわかる。死ぬ前に、できることはやっておきたい』
『ルドルフとシャルロッテに、手紙を書くことにした。毎年の誕生日に渡してくれるようにクリストフ様にお願いした。クリストフ様は泣いていた。悲しませてごめんなさい』
『あの日見たことは誰にも言うな、とお父様に言われた。だからこの事は私の胸一つにおさめておこうと思っていた(両親とクリストフ様は知っているけど)。だけど、私はもう少しで死ぬ。だからこの事実を日記に記しておこうと思う』
その先に記されていた事実に、わたしは息をのんだ。
◇
「突然押しかけてごめんなさい、おばあさま」
「ふふっ、あなたの可愛い顔が見られるなんて嬉しいのよ」
前リッベントロップ侯爵夫人――母方の祖母は、美しく微笑んだ。おばあさまに促されて席に着くと、おばあさまはわたしが持っていた日記を見て訝しげな顔をした。
「随分古びた日記ね?」
「わたしのものじゃなくて、お母様のものなの」
「まあ、ユリアの?」
「ねえ、おばあさま。おばあさまはお母様からあのことを聞いたのよね?」
柔和な笑みを浮かべていたおばあさまの顔に、緊張が走る。
「……ロッティ?」
「おばあさま。王太后陛下が、宰相と昔の恋人どうしだったなんて、先代陛下と結婚されてからもその関係が続いていたなんて、本当なの……?」
疑問の形をとったものの、これは事実なのだろう。偽りを記した日記を、わざわざ隠す必要はない。
「私が隠しても、いずれは明らかになることだから言うけど、本当よ。三人の御子は王家にしか現れない黒髪だから、先代陛下の御子であることは間違いないでしょうけどね」
おばあさまが言うには、お母様から密通の事実を聞いた後、おじいさまとお父様は息がかかった貴族子女を王太后陛下の侍女やメイドとして送り込んだらしい。
「彼女たちの報告によれば、数年後ふたりの関係は終わったみたいよ。まあ宰相も年ですしね」
「それで、終わったの……?」
「終わらなかったから、今回の反乱がおこったんじゃないの」
「じゃあ、反乱軍の首謀者って……」
「そうよ。反乱軍首謀者は、王太后陛下」
宰相はここまで予見して、王太后陛下と別れたのかしらね。おばあさまは忌々しげに、そう言った。
「どうして……」
どうして、実の子である陛下を殺す軍なんて興せるんだ。陛下は、確かに王太后様がお腹を痛めて産んだ子であるはずなのに。
「理解できないのは、あなたが幸せに育った証拠よ」
わたしの考えを見透かしたかのように、おばあさまはそう慰めてくれた。
「クリストフにいっぱいの愛情を受けて、あなたとルドルフは健やかに育った。長くは一緒にいられなかったユリアだって、あなたたちを心から愛していた。幸せな人生を送れるように祈っていたわ」
◇
数日後、反乱は鎮圧された。




