反乱 1
「え? 領地に帰るんですの?」
「ああ。領地に帰るのは数年ぶりだろう。ゆっくりしていきなさい。――アルド、シャルから目を離すんじゃないぞ」
「承知しております」
社交シーズンが終わるのはもう少し先なのに次期王太子妃の自分が領地に帰ってしまっていいのか、とか目を離すなだなんて自分をなんだと思っているのか、とか――そんな反論を繰り出すことはとてもできなかった。ただ領地に帰るだけにしては、お父様とお兄様の表情がやけに強張っているから。
「……何かあったんですの?」
疑問を口にした途端、お父様とお兄様は不自然な笑みを浮かべた。
「何もないよ」
「何かあったようにしか見えないのですけど」
どうやって二人を問い詰めるか思索していると、お兄様の従僕であるアルドが慇懃に声をかけてきた。
「お嬢様。出立のお時間です」
「はあっ!? まだ何も準備していないわよ!」
「ご心配には及びません。お嬢様のお荷物はニーナが既に手配済みでございますから」
この『シャルロッテ領地移送計画』にはニーナも一枚嚙んでいるらしい。軽くにらみつけたが、ニーナはそれを意に介した様子もなく、「早く出発なさらないと」とわたしの背を押してきた。
「ちょっと、お父様! どういうことなのか説明してくださいまし!」
わたしの抗議を完全無視し、お父様は暢気に「お母様の墓参りも頼むよ」などとうそぶいている。
抵抗も虚しく、わたしはやけに粗末な馬車に乗せられてしまったのだった。
◇
いくつかの街で泊まった後、南部の所領に辿り着いたのは数日後のことだった。
「ちょっと、アルド。お兄様の従僕のあなたがどうしてここにいるの」
「お坊ちゃまの命令です」
レルヒェンフェルト公爵家本邸――レルヒェンフェルトがシルフェリア王国に取り込まれるより以前、まだ王国だったころの名残を残し、要塞のようなその城に案内され、わたしは憤然としていた。
「どうしてそんな命令を受けたか聞いてるの」
「お嬢様の護衛です」
「わたしにも護衛はいるわよ。第一、なぜ追われるように王都を出ていかなければならなかったの?」
馬車でも散々尋ねたが、「公爵領に着くまではお話しできません」と断固拒否されたのだ。
「……ヴァルトシュタインはこれから危険な場になる可能性があります。公爵領の騎士たちは屈強で、公爵閣下に絶対の忠誠を誓っています。閣下直々に何があっても命に代えてお嬢様をお守りするよう厳命されていますから、お嬢様に危険が及ぶことはありません」
「王都にだって、私兵はいるじゃない」
「数が圧倒的に違います。それに王都別邸は華美さを第一としていますから安心できません」
王都ヴァルトシュタインが危険な場になる。大勢の兵に守られた、堅牢な『不落の城』レルヒェンフェルト城にわたしを送らなければ安心できないほど、ヴァルトシュタインではとんでもないことが起きようとしているのだ。
「ねえ、ヴィルヘルム様はこのことをご存じなの?」
「私の権限ではお答えできません」
どうやってアルドを問い詰めようか考えていると、扉の外が騒がしくなった。
「いけません、公子様!」
「お部屋にお戻りください!」
「やだ! もうつまんない!」
疑問を含んだまなざしをアルドに向けると、「実は今この城に避難しているのはお嬢様だけではありません」といけしゃあしゃあと口にした。
「シャルロッテねえさまっ! あそんで!!」
「フーベルトくん!?」
扉を開けると、そこにいたのはオスカー殿下の次男、フーベルト・フォン・シュヴァルツェンベルク・シルフェリアその人だった。
「フーベルト! じっとしていろと父上に言われただろ!」
怒った様子で追いかけてきたのは長男レオンハルトくん。「ああごめんなさい……」と頭を下げるのは長女イディリーナちゃんを抱き、背後に侍女のハンナさんを従えたベアトリクス様だった。
「お嬢様。バルシュミーデ公爵夫人が到着なさいました」
「アスマン侯爵夫人及び侯爵令息夫人、そのお子様がたがお着きになりました」
「ヴェルトハイム侯爵夫人及び、そのお子様がたが」
「キュヒラー侯爵夫人、侯爵令息がお着きです」
「リッベントロップ侯爵家の皆様が」
「アルトマン伯爵夫人、伯爵令嬢が」
「シュタイナー伯爵夫人、伯爵令嬢が」
「メレンドルフ伯爵夫人並びに伯爵令嬢、ご到着~」
「ホーエンヴァルト伯爵夫人、伯爵令嬢、ご到着です」
だんだんとお父様たちの意図が読めてきた、気がする。
最初は、役立たずだからヴァルトシュタインを追い出されたんだと思っていた。今からくる緊急事態にはわたしの力は不要だと。
でも、そうじゃない。お父様たちがわたしにやってほしかったのは、きっと。
◇
「皆様、レルヒェンフェルトへようこそおいでなさいました」
うわあ、改めて見ると国王派って結構いるなあ。ううん、気圧されている場合じゃない。わたしのやるべきことを思い出せ。
わたしの仕事は、レルヒェンフェルトに避難してきた彼女たちの不安をできるだけやわらげること。
「おじいさまはご無事かしら……」
そう不安そうに漏らしたのは、アスマン侯爵の孫娘だった。
「今ヴァルトシュタインは戦いになっているのでしょう?」
「恐ろしいわ。反乱軍がここまで来たら……」
ドロテアとエマが今にも泣きそうにつぶやいた。みんな同じことを考えていたのか、一斉にうつむく。
「安心なさいまし。反乱軍が来たとしてもレルヒェンフェルトの敵ではありません」
「……シャルロッテ様?」
「聞くところによれば、反乱軍は烏合の衆。そのような者たちに、『不落の城』レルヒェンフェルト城を落とせるとでも?」
反乱軍についての情報はアルドに聞いた。「彼女たちをなだめろっていうのなら情報の一つでも寄越しなさい!」と要求したのだ。強請ったともいう。
「そうですわね」
わたしの言葉を肯定してくれたのはベアトリクス様だった。麗しの王弟妃にみんなが視線を向ける。
「かつてシルフェリア王国が幾度攻め入っても、落とせなかったのがこのレルヒェンフェルトですわ。だからこそ当時のシルフェリア王は、武力によって支配するのではなく、レルヒェンフェルトの女王と結婚したのですわ」
そして二人の間に生まれた子どもが両国の王として即位し、時代が下るにつれレルヒェンフェルトはシルフェリアに取り込まれた。『建国記』にも記されているこの事実は、王侯貴族のみならず平民に至るまでの国民すべてが知っている。
「我がバルシュミーデも、シャウムブルクも、ヴァイセンベルガーも――他の三家がシルフェリアの圧倒的な武力に屈する中で、ただひとつレルヒェンフェルトは融和の道を選べたほど強大なのですもの。この国で一番安全な場所ですわね」
バルシュミーデ公爵夫人がそう付け足すと、全員の顔に安堵が浮かんだ。一日に一回全員でお茶会をすることを約束して、彼女たちの全員が帰ったことを確認すると、わたしはバルシュミーデ公爵夫人――アデライード・フォン・バルシュミーデ様を訪ねることにした。




