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悪役令嬢の生き様  作者:
本編
32/57

グランヴィル王太子アーサー 2

 グランヴィルとシルフェリアは海を隔てているため、情報があまり入ってこない。数十年前シルフェリアを襲った『灰色の悪夢』も、海に阻まれグランヴィルに感染者はいなかった。バル草の価値も薄く――情報が入っていなかったのはそれ故だろうが、治療が難しい上に感染性が高い流行り病は天災に等しい。(すなわ)ちバル草のような特効薬――バル草に限らないが、投与の時期が遅くなればなるほど後遺症が残ったり、間に合わなかったりするが――は宝物(ほうもつ)にも劣らない価値を持つ。一度父上に『王家の影』について見直すよう進言すべきか。


「なんでも、王立研究所の功績らしいですけど――ちょっと怪しいですわね」


「怪しい?」


「その時だけなんだか高圧的な態度でしたの。聞いてもいないことまで喋っていましたし」


 そういえば、前にレティはウィルに妙なことを吹き込まれていたのだった。「男は嘘をつくとき、聞いていないことまでベラベラ喋って、嘘がバレそうになると怒ってその場を誤魔化すんですよ。これ浮気を見抜く定石その一」だったか。失礼なことを吹き込むものだ。俺は浮気なんてしない。


「情報操作が行われているのでしょうか」


「王立研究所の功績は王室の功績になるからな」


 レティを帰し、姿を消していたウィルが戻ってきた。すぐに帰せば諸々の事情がバレてしまう恐れがあるので、ジョージは時間を置いて帰した。今からする話は、政治の深部に関わる話、ジョージ(一平民)が知って良い代物(しろもの)ではない。……過ぎたものは、彼自身に(わざわい)(もたら)すだろう。


「シルフェリアの『影』が関わっているならば、我が国の『影』といえど確かな情報を手に入れるのは容易ではない。第一、バル草の栽培法を確立したのが王立研究所かどうかなど些末な問題だ。他に優先すべき事項は山程ある」


 子飼いの部下を使って確認させたところ、確かに王立研究所がバル草の栽培法を編み出し、国王が「生食・生水禁止」の厳命を出したことで『灰色の悪夢』の被害は最小限に抑えられていた。お陰で国王の人気はうなぎのぼりらしい。


「シルフェリアの王家はそのうち宰相に喰い殺されるかと思っていたんですが、認識を改めた方がいいかもしれませんね」


 『灰色の悪夢』で先々代国王が病床に伏してから、シルフェリアは内乱期に突入した。その内乱を収束させた先代国王の背後(バック)にいたルッツ卿――現宰相が現在シルフェリアの覇権を握っている。


 だが今回の一件により、宰相派と国王派の攻勢はほぼ互角になったことは間違いない。今まで静観を決め込んでいた『シルフェリアの四強』が一角、レルヒェンフェルト家の令嬢が王太子の婚約者に選ばれたという話も聞く。


 母上の名の下、我がグランヴィルでも生食・生水禁止を徹底し、罹患者には直轄領で育てていたバル草を分け与えた。母上にはバル草を持ち帰り、生食・生水禁止の情報を持ち帰ったのはレティだと話していたから(俺は確認しただけなのだから間違ってはいない)、レティを実の娘のように溺愛している母上は案の定、お茶会でそのことを自慢げに話した。夫人たちは母上への胡麻擦りも兼ね、そのことを方々で話し――結果、レティは『灰色の悪夢』からグランヴィルを巣食った「聖女」として祀り上げられるようになる。


「こわっ! あんたがこわいですよ、オレは!! っていうかさっき話してた『子飼いの部下』って何ですか!? あんたいくつだよ!?」


 ほしいものの為に布石を打つことは当然だろうに、ジョージは妙なことを怖がる。


 民衆は気の早いことで、俺とレティが公務で街に下りる度に「王太子殿下万歳! 王太子妃殿下万歳!」と騒いでいる。レティは「わたしは()()王太子妃では……!」と慌てているが、『灰色の悪夢』以前より態度が軟化していることは明らかだ。


 レティは人前では淑女の仮面をかぶっているものの、俺の前では存外表情をくるくると動かす。彼女の心が揺れ動いているのは明らかだ。国内の修道院にはレティを絶対に受け入れないよう通達してあるし、王太子()との婚約解消を見据えてレティに近づこうとする不届き者は全員潰しておいた。


「実は、娘が留学したのは結婚相手を探すためなのです」


 そう打ち明けてくれたのはノーサンバランド侯チャールズ――レティの父親だ。レティと俺の婚約がかりそめのものであることを教えた張本人で、「俺は絶対にレティと結婚するつもりだ」という発言に渋い顔をし、『灰色の悪夢』のくだりを経て何かあきらめたような顔をした、気苦労の絶えない男でもある。少女のような風貌を裏切り、我が強い侯爵夫人を熱愛しているので、苦労は趣味なのかもしれない。


 レティは既にシルフェリアに留学中で、今更呼び戻すわけにはいかない。仕方がないので、シルフェリアの貴族にも根回しをした。王立学院に通っている諸外国の王侯貴族に対しても同様だ。レティは学院の令息たちと必要最小限しか関わった様子がないので口実の可能性もあるが、不安の芽は潰しておくに越したことはない。


「……アーサー様。今でもあなたさまは、わたくしを(つま)にと望んでくださっていますか?」


「もちろんだ」


 『ファネスの茶器』騒動を終え、レティがシルフェリアに出発する当日――恐れを含んだまなざしを瞬時に肯定すると、レティは雪解けのような微笑みを浮かべた。


「それならわたくし、()()()()()()()()()()()()()


「――!」


 彼女の中にあった恐れが消えたのだと、はっきりとわかった。そういえば、昨日ウィルとごにょごにょ話していた。少し()める予定を変更する。


 レティがシルフェリアの王立学院を卒業すれば婚姻が結ばれる。各国の王侯貴族を招いた正式な挙式は半年後だが、大聖堂は押さえられているしウェディングドレスは完成、レティが王太子妃になることは決定事項だ。どこにも逃げ道はないし、逃がすつもりはもとよりない。


 だが一生に一度の晴れ舞台なのだから、できれば望んで花嫁になってほしい――心の奥底では、そう思っていた。


「ア、アーサー様、苦しっ……」


 息を乱したレティに抗議され、深い口づけをしていることに気づいた。結婚までは唇へのキスは我慢しようと思っていたのだが、あまりの嬉しさに色々外れた。おまけに深くないところの直前で止めてやる理性も喪失した。立場上誘惑の類を受けることは数あれど、惑わされたことがなかったので自分は理性的な人間だと思っていたのだが、認識を改めねばならない。


 ドレスに手をかけなかったのは奇跡だった。婚前に手を出しては、さすがにチャールズが黙っていまい。奴の強面で説教されるのは勘弁なので、神に感謝する。


「殿下、どうしたんですかそのサファイア」


「今度の夜会用に贈るものだ。ちょうどよかった。あの本は返す」


 王立学園は(じき)に夏季休暇に入り、レティは帰国してくる。次期王太子妃としての公務も多く、それには夜会も含まれる。


「あの本って、あれですか。『妻を調教する方法』ですか?」


 結婚後もレティに迷いがあれば()()しようと思っていたのだが、最早その必要はない。第一あの本のやり方は乱暴すぎる。レティは夢見がちなところがあるので、初めてはバラの花びらを散らしてやりたいと思う。ロマンだのなんだのに興味はないが、レティが喜ぶなら(やぶさ)かではない。

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