ずっとワンちゃんに憧れていたのです
「おうふっ!?」
「シャル!」
なんだ、このモコモコの物体。あら、ワンちゃんではないですか。だいぶおっきい上にモコモコですが。殿下が慌ててワンちゃんからわたしを救い出してくれた。
「シャル、大丈夫? こいつ、僕の犬でマテウスっていうんだけど、人懐っこくてさ。こういうことがよくあるんだ。痛くない? ごめんね」
王太子と犬。王太子とマテウス。おうたいしとまてうす。
「ああーっ!」
「シャル!?」
「すみません、殿下。急遽用事ができたので、失礼させて頂きます!」
「シャル!?」
ごめんなさい、殿下。今はいくら引き止められても止まることはできないのです。なぜなら早急にこの記憶を整理しないといけないから!
慌てて追いかけてきたお兄様と一緒に馬車に乗って屋敷に帰り、本棚の裏に隠していたノートを探す。
「あった!」
『㊙ 絶対回避!! 死亡フラグ』ノートです。ネーミングセンスがどうとかは聞きません。
『① 王太子ヴィルヘルム
シャルロッテ破滅の鍵となる人物。なぜこんなに嫌われているのか??』
長年の謎が解けた気分ですね。精々一ヶ月ぐらいだけども。
シャルロッテがあそこまで嫌われていたのは、初対面で飛びついてきたマテウスに激怒し、あとで騎士に命じて密かに殺させたから。そりゃ王太子も怒るよね〜。はっ! 王太子はサブキャラだから詳しくは書かれてなかったけど、あんなにゲスい性格になってしまったのはその件があったからなのでは?
「シャル! シャル!」
「あれ、殿下、どうなさったのですか?」
「どうしたもこうしたもないよ! いきなり帰ってしまうなんて、マテウスのことで怒ってる?」
「いいえ怒っておりません」
「それなら良いんだけど。母上がシャルをさっさと連れ戻してこいって言ってるんだ」
「まあ、王妃さまに怒られてしまうかしら」
シュンと沈むと、殿下が慌てて慰めてくれた。
「そんなことないよ! 元はと言えばマテウスが悪いんだから」
殿下とお兄様に押されるようにして王宮に戻ると、王妃さまに謝られた。
「ごめんなさいね! あんなに大きな犬にとびかかられて、びっくりしたでしょう」
「いえ、こちらこそ申し訳ございません。いきなり逃げ出してしまって」
「あの犬はわたくしが責任を持って処罰しておきますから、安心してね」
いやいや、全く安心できませんから! 殿下の顔色が変わってますし!
「そんな! それではマテウスがあまりに可哀想ですわ!」
「でもねロッテ、あなたはあの犬を見るのも怖いんじゃなくて?」
「さっきは突然なので驚いただけです。それにわたし、ワンちゃんと遊んでみたかったのです」
彼は破滅フラグの使い。それならば、思いっきり懐柔してやろうではないか!
王妃さまは「あなたがそこまで言うなら」と引き下がってくれた。とりあえず危機は去った。
「ありがとう、シャル。マテウスを庇ってくれて」
「いいえ、殿下。殿下のだいじなワンちゃんですもの」
殿下に案内されて再会したマテウスは、随分しゅんとしていた。抱きついたこども(わたしのこと)が逃げ去り、主人に怒られて、まずいことをしたと悟ったらしい。
「ごめんね、マテウス。びっくりしただけなのよ」
体を撫でてやると、マテウスが飛びついてきた。重すぎて圧死しそうだし、身体中なめられて髪はぐしゃぐしゃ、顔はべたべただけど、気にするものか。
わたしはずっと、ワンちゃんが飼いたかったのだから!!
前世では『トージ』という名のワンちゃんを飼っていた。お父さんが友達からもらったものだ。お父さんは「ゴールデンレトリバーらしいよ」って言ってたけど、どう見ても雑種だった。『トージ』は中学生のときに亡くなってしまったけど、今も心の中に生きている大親友なのです。
お母様は、体が弱い方だったらしい。だから動物を飼うことはしていなくて、それはお母様が亡くなった今も同様。
「殿下、わたしマテウスとボール遊びがしたいです!」
「えっ!?」
戸惑いながらも、ヴィーカー中尉にボールを持ってこさせた殿下は、マテウスとわたしを連れて庭に出た。
小一時間ほど(死ぬほど寒い中)ボール遊びをし、「わんっ!」「わんっ!」と鳴くマテウスを見てデレデレ。天使の犬はやっぱり天使らしい。大きくてモコモコだけど、よく見るとつぶらな目が可愛いね。
「シャル」
ボール遊びの後、やっぱり全身をベタベタにされたので、湯浴みをさせてもらった。新しいドレスを着せてもらって温室で薔薇を眺めていると、殿下がやって来た。
「マテウスと遊んでくれてありがとう。僕の大好きなシャルとマテウスが仲良くしてくれると良いなって、ずっと思ってたんだ」
「えへへ」
殿下はなにかを躊躇うように、口を開いては閉じ、という動作を繰り返していた。わたしがじっと見つめていることに気づいたのか、バツの悪そうな顔をする。
「……あのね、シャル。半年前ぐらいに、父上にシャルと婚約するように言われたんだ」
近くにある薔薇と同じくらい顔が赤い殿下。こっちまで恥ずかしくなってくる。
「僕も、お嫁さんにするならシャルが良いと思った。勝手に決めたりして、怒ってる?」
「まさか。わたしは殿下をお慕いしておりますもの」
その瞬間、殿下は嬉しそうな笑顔を浮かべた。ま、眩しいっ!
「僕とシャルはもう婚約者だけど、形だけは嫌なんだ。だから、僕の恋人にもなってくれますか?」
後ろ手に隠していたのはピンクの薔薇。最近、殿下が丹精込めて育てていた花。
「よろこんで」
あなたが、本当に結ばれるべき人に出会うまでは。
「嬉しいよ。あのね、昨日まで毎日手紙を出してくれていたでしょう? 返事を出すと謹慎期間が伸びそうだからやめておいたんだけど、手紙自体は書いてたんだ」
「まあっ! わたし、読みとうございます」
「ほんと?」
殿下は笑顔で部屋に連れて行ってくれた。
「はい、これ」
「ありがとうございます。この場で読んでもよろしいですか?」
「うん」
手紙には主に「会いたい」「寂しい」「一人はつらい」と書かれていた。なんてかわゆいの!
さすがに全部は読み切れなかったので、残りは帰ってから。なにせ一ヶ月ぶんなので、お手紙ボックスがパンパンになりそうだ。
「もらってくれるの?」
「返してって言われても、返しませんよ」
これは、殿下に捨てられた後のよすがにするのだから。
「母上にね、『ハッキリ言って重すぎ。ロッテに引かれても知らないわよ』って言われたんだ」
「わたし、殿下からいただけるならなんだって嬉しいですよ?」
ましてお手紙ですし。
「僕からなら、なんでも?」
「はい」
さすがにゴミとか虫とかは嫌だけどね。そんなもんを殿下が渡すわけがないってことはわかる。
「言質はとったからね、シャル」
「はぇ?」
頬にあたたかいものが触れた。わたしは思わず、紅潮した頬を押さえた。
「……嫌?」
「嫌じゃありません! ただ、突然でしたから、びっくりしてしまったんです」
「そう? だったら、今度はシャルからキスしてほしいな」
恥ずかしいけど、殿下の頼みならば拒めない。恐る恐る触れると、ぎゅっと抱きしめられた。
「殿下っ!」
「シャルってあったかいしふわふわしてるし、なんだか良いにおいがするよね」
すりすりと頬ずりをされ、殿下の膝の上にのせられた。殿下手ずから食べさせてくれたシュークリームは、ものすごく甘かった。